昭和40年代の追憶
輝く大地〜流山を作曲されたロックベル1991年さんの年...つまりちょうど20年前。私の恩師、眉山俊光先生が流山市長に就任され、そして本年2011年2月に遷化されました。
流山マイラブを作詞したサンプラザ中野くんにとっても、眉山先生は恩師であり高校の大先輩にあたりますが、私にとっては大学の大先輩にあたります。
私の本棚に
流山現市長:井崎義治著の【ニッポンが流山になる日】
流山前市長:眉山俊光著の【道程】 の2冊があります。
【ニッポンが流山になる日】は、著名人との対談形式の本で、効率的自治体経営をするためのノウハウを語っており、行政サービスはシステムの構築が肝(重要)であるとの姿勢です。
【道程】は、流山市長退職後にようやく自由な時間が出来た、眉山先生の「自分史」であり、市政については最終章で少しだけ触れていますがリーダーによる「率先垂範」の姿勢です。
あ!...そんな話しではなかった...私にとっての眉山先生の追憶でした^^;
眉山先生は幼馴染の父親でもあったのですが・・・
小学生の時、同級生の誕生会で、はじめて流山寺に向かう時に、貧乏だった私(家)は交換プレゼントを用意できなくて、庭に生っていたブドウを段ボールに詰め、自転車に積んで向かいました。
『記憶が定かでないのですが、プレゼントはわざわざ買って用意しないという取り決めだったかな?』
「こんなプレゼントじゃ、恥ずかしくて行けない!」
「恥ずかしくない!とにかく無断で欠席しちゃだめ!」
泣きながら訴える私を母がなだめて、しぶしぶ向かいました。
「あんだよこれ!?しかも種ありブドウかよぉ!」
案の定、同級生の中でも普段から歯に衣着せないS木の言葉...(苦笑)
「あら〜美味しいわぁ、このブドウ♪」
「おっ!この種は特別デカイぞ!境内に植えたらデッカク育つかなぁ?」
「そうだ!種飛ばしやって、誰が一番遠くに飛ばせるか競争してみろ!」
隅っこで小さくなっていた私をみかねて、先生と奥様が優しいフォローをしてくださいました。
そして、一同境内に出て、ワイワイ賑やかなブドウの種飛ばし大会に...(嬉しかったなぁ)
その時はまさか、このお父さんに教わることになるなんて思っていなかったのですが...
そして、1971年(昭和46年)流山南部中に入学したら、その年から校長は眉山俊光先生に。
詳細は伏せますが我が家の事情を心配してくださった眉山先生が、夜の家庭訪問をして頂いたのは一度や二度ではありませんでした。
その後、眉山先生と同じ大学に進学しましたが、家庭の事情で中退を余儀なくされ、眉山先生に相談に行きました。先生は帰りがけに、校長室の机上にあった"この水五訓"を私にくださいました。
写真じゃ、字がよく読めませんね^^; 【水五訓】
一.自ら活動して他を働かしむるは水なり。まぁ結局、先生のアドバイスのおかげで、退学ではなく休学という形にして、半年後には家を出て大学に復学したのですが。以後は叔母たちにお世話になりながら、学費・生活費一切をセルフする学生時代を過ごしました。
二.常に己の進路を求めて止まざるは水なり。
三.障害にあい激しくその勢力を百倍にし得るは水なり。
四.自ら潔くして他の汚濁を洗い清濁併せ容るる量あるは水なり。
五.洋々として大洋を満たし発しては蒸気となり雨となり雪と変し
霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)たる鏡となり
而かもその性を失はざるは水なり。
眉山先生から頂いた「水五訓」その一は、まさに「率先垂範」
流山南部中時代、校長先生自ら便所掃除をするのだから、我々生徒も1年後に取り壊されるとわかっていながら、旧校舎の廊下や教室をピカピカに磨きあげていました。
剣道では最高位を範士と言いますが、私にとって恩師の先生はたくさんいらっしゃいますが、人生の範士であったのはずっと眉山先生でした。
2004年(平成16年)に【道程】を頂いた時、今年3月のご葬儀の後、そして今回サンプラザ中野くんの流山マイラブを拝見して、今一度【道程】を読み返してみました。
いまや企業経営や行政サービスも...
一.先ずはマーケティング。
二.しっかりしたソリューション。
三.信頼できるシステムインテグレーター。
みたいな、システムさえ構築してしまえば、万事うまく行くような気持ちになっている風潮になっていませんかね?まぁ、全面的な否定はしませんが、システム云々の前にヒトのやる気を動かせ。と...
あ!結局そんな話になっちゃった(笑)