常総線で行く大人の遠足[報告編]

ちばらきチャンネル

美味いもんチャンネル

常総線で行く大人の遠足にご参加の皆さんありがとうございました(^-^)

常総線で行く大人の遠足
★アサヒビール見学...12名
1.kincyanさん
2.断腸亭さん
3.IWAさん
4.ななすたさん
5.ジャズの紳さん
6.Gibsonさん
7.dadashinさん
8.TCR-Nさん
9.東葛人さん
10.呑ちゃんさん
11.すじゃさん
12.たすけ

★蔵元見学&下館BBQ...13名
13.鉄ポタさん
●今回は常総線一日フリーきっぷを使い倒しました(^^)
●大人の遠足に参加頂いた方々の画像集(一部)は
http://8217.teacup.com/teamtoukatsu/bbs/t8/l50
に掲載させて頂いてます。
●当日スケジュール(=列車時刻)と集合場所地図
http://www.teamtoukatsu.com/archive/2012.09.15_map.pdf
今後のご参考に、上記のPDFがお役立ちになれば幸甚です(^_^)

アサヒビール工場見学(守谷駅前)

アサヒビール工場見学(映像説明)

今回は守谷駅前10:00発のバスで行き、工場11:50発のバスを利用させてもらいました。
見学は別団体様と一緒だったのですが。見学ツアーは2班に分けて案内してもらいました。
聞けば別団体様は、バスツアーで見学に来ているとのことで、もうすでにバスの中で出来上がってますから、もうそりゃ、見学スタート直後から異常にハイテンションでした(笑)

アサヒビール工場見学(AIMタワー)

出来立てのビールには、エグ味がないので黒ビールでもスイスイ入っちゃいますね(^^;)
A=ASAHI、I=IBARAKI、M=MORIYA
地上60mのアサヒビール守谷工場の展望試飲会場はAIMタワーと言いますが
この日は、筑波山もスカイツリーもはっきり見えました♪


水海道駅前のブラジルスーパー

見学終了後、タイミングよく帰りのバスに乗れたので...
次の目的地【石下で蔵元見学】の前に、水海道駅で途中下車し。
駅前にあるブラジルスーパーの軽食コーナーで小腹を満たします。
画像はパステウというブラジル名物の揚げ春巻き風スナックです。

常総名物一人娘(石下駅キハ101号)

水海道駅12:50発の下り列車に乗ると...
石下駅で13:06発の上りキハ101号と交換になります♪(土・日一往復だけの気動車)

石下名物クロサワ本店.jpg

折角、石下に来たので、名物若鶏の丸焼きのクロサワ(本店)に立ち寄りました。
石毛稲荷神社の境内で、ワイルドに鶏モモ焼きなどを頬張りました。
クロサワの鶏焼きは、味付けが濃いので、ビールが欲しくなり・・・・
そんな訳で、自販機で缶ビールを購入した人もチラホラ(笑)

山中酒造店(常総市石下)

石毛稲荷神社から目と鼻の先にあるのが、反骨の辛口名酒「一人娘」の蔵元、山中酒造店
とても柔和な笑顔の八代目ご当主と、とても上品な奥様にお出迎え頂きました♪

山中酒造蔵元見学

先ずは酒蔵の2階にご案内頂きました。
ひんやりとした酒蔵内はワイン蔵のような芳醇な香りで満たされていました。
一人娘の酒造りのビデオ(20分)を拝見しながら、ご当主からご説明頂きました。
もうみんなメートルが上がりかけてきて、こんな日でも2時起きして、早朝一走りしてきた健脚なお方が椅子から落車(笑)でも、当主の話はしっかり記憶に残っているというから、さすが^^;

一人娘試飲(山中酒造店)

お店に戻って、お待ちかねの利き酒(試飲)タイム♪
最初6種類ご用意頂いたのですが、気前よく追加2種類持って来なさいとご当主。
瞬く間に値段の高い最極上酒から、ボトルは次々と空に^^;

蔵元で、直に飲むお酒の特長なんでしょうか?
ほとんど下戸に近い私も、かなり度数のお酒まで、すんなり入ってしまいました^^;
某ブルベなお方の酒評が「これはまだ若い生娘の一人娘、これはやや熟女に近づいた一人娘」
流石、うまい事言うなぁ^^;

瓶だと持ち帰りが怖かったので、お土産用に缶酒と奈良漬をリュックに納めましたが、中には一升瓶を購入した豪傑も^^;  山中酒造店さん!ホントにお世話になりました♪

秋の常総路.jpg

石下駅からまた常総線に乗り、関東鉄道・JR水戸線・真岡鐵道が交わる下館駅に向かいます。
写真は、秋の常総路の風景。筑西市まで来ると筑波山はこの山姿(山容)になります。
下妻〜大宝〜騰波ノ江〜黒子〜大田郷の区間の車窓風景が、大好きです(^^)

常総線とSLもおか号(下館駅).jpg

石下発15:21発に乗って、15:53に下館に到着すれば
15:58着の真岡鐵道SLもおか号の撮り鉄が出来ます♪

常総路を往く作家と同行記者

常総路を往く作家と同行記者の二人
「キミ、しっかり撮ってくれたまえよ」
「ハイ、先生。撮影は任せてください」

機関車と和装姿が出会うと、昭和初期のそんな会話が聞こえてきそうな絵になりますね(笑)

下館工房のBBQコース.jpg

さてさて、常総線で行く大人の遠足の最終イベント、下館工房に到着してBBQタイム。
牛肉・野菜・焼きそば食べ放題&生ビール・焼酎・ソフトドリンク飲み放題ですが
ここでのメインは、牛肉ではなく、豚ロースステーキとソーセージです。
こだわりの豚ロースはきれいなピンク色の極上肉でした♪柔らかくてまいぅ〜〜〜〜〜♪

生ビールはビアタンクからセルフで直注ぎだし、BBQガーデン貸切りなので
仲間内だけで気兼ねなくゆったり過ごせます♪ 

※.現在2コブ付きで、参加を見送ったそこのアナタ!
下館工房の飲み放題&食べ放題なら、乳母車参加もノープロブレムですよ(^-^)
常総線は確かに運賃高いのですが、土・日・祝と夏休み期間は
1500円で子供二人は無料となる【親子割引フリーきっぷがあります】
夫婦+子供2人(小学生以下)の4人家族なら、3000円で取手⇔下館は乗り放題ですよ♪

大人の遠足お疲れ様でした

工場見学やバーベキューは、一人じゃ実現不可能なので
今回の誘いに乗って頂いた参加者の皆様に感謝感謝です♪
かなり遠路まで付き合わせてしまってすみませんf(^、^;

アルコール分85% 鉄分15% の【常総線で行く大人の遠足 2012秋編】
これにて、報告編と致します。
また、機会が巡りましたら、宜しくお願いしま〜〜〜す(*^_^*)


2012年09月15日

posted by たすけ at 23:56 | Comment(15) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

平成23年(2011年)松戸神社祭礼

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松戸神社 松戸市松戸1457
松戸神社のHP(ホームページ)は、実に秀逸です。何故かと言えば、いわゆる業者が作成したHPではなく、松戸神社氏子有志の方々が作成したサイトなので、実に見やすい・わかりやすい、なにより地元愛が伝わってくるサイトです。郷土の神社のHPはこういうサイトが理想ですね♪

以下、松戸神社の説明については省略し、平成23年(2011年)の松戸神社例祭の様子画像と短文で。

松戸神社の鳥居

平成23年9月...
今年、新しくなったばかりの潜龍橋参道にかかる松戸神社の鳥居(白黒は昭和8年の修復時)

松戸神社のお祭り

松戸神社御神楽

今年は神幸祭ではなかったので、境内はちょっと人も屋台も少なかったですね。

松戸神社祭礼

潜龍橋参道と神田川を渡る鳥居...
あなたもう忘れたかしら 白い手ぬぐい鉢巻にして 二人で行った宮前の風呂屋

松戸神社の神輿

坂川沿いに進む、宮前町の神輿...
10月18日が日曜日にあたる年は、総勢600名にて大がかりで巡行する神幸祭が行われますので、松戸駅前周辺はかなり盛り上がります。

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2011年10月17日

posted by たすけ at 01:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

平塚八幡大神宮 千葉県白井市

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千葉県白井市平塚の八幡大神宮(八幡神社)の場所は⇒この地図

夕暮れ時の"もののけ感"あふれる平塚八幡大神宮をどうぞご堪能ください。

平塚八幡大神宮(白井市)01

まるでトワイライトゾーンに吸い込まれるような参道・・・
青白い部分の下のほうに...見えますか?
座して祈っているような...泣いているような....

平塚八幡大神宮(白井市)02

平塚八幡大神宮(白井市)03

平塚八幡大神宮(白井市)04

 ・・・・・






な〜〜んちゃって^^;
すみません、ほんのちょっと加工しました。そんな怖くないですよぉ〜(^O^)

白井カンナ街道の裏道01

10月10日は、藤ヶ谷十三塚を出てから、海上自衛隊下総基地〜鮮魚街道常夜燈〜金毘羅宮に立ち寄り、カンナ街道から平塚分校を目指したのですが、ちょっと面白そうな旧道があると、フラフラ入って行き、庚申塔とか石像見つける度に立ち止まるものだから、どんどん時間が過ぎしまい・・・

白井カンナ街道沿い01

この直上の画像の右側の杜に、平塚八幡大神宮が鎮座するのですが...到着時刻は16時半を過ぎてしまいました。今では"もののけ"という言葉が流行りですが、白黒テレビで育った私にとって、ちょうど10歳の頃(1968年頃)に放映された河童の三平-妖怪大作戦-とか、同じ頃に封切りされた映画の妖怪大戦争を思い出させてくれるとても懐かしい雰囲気でした♪

平塚八幡神社(白井市)

鳥居が数年前の木製のままだったら、時代劇ロケにバッチグーな鎮守様ですネ♪
↑↑白井市の神社仏閣参照                 バッチグー...ってもう死語??
氏子でもない私が言うのはおこがましいのですが、ちょっと本殿と鳥居が不釣り合いになってしまいましたねぇ。それとも本殿もいずれ改築するのかしら?とりあえずの形で地面に直接置かれた狛犬の、もの言いたげな表情が印象的でした。



こちらが、同じ日に、東葛人さんが撮影された平塚八幡大神宮の動画です。

な〜んだ、到着時間わかっていれば、本殿の後ろにそっと隠れて、スマホのアプリで烏や梟や蜩の鳴き声とか、ミュージックソーの音源をそっと流して差し上げたのにぃ〜(^┬^)

....って。私、いまだにスマホ持っていませんでしたf(^、^;


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2011年10月13日

posted by たすけ at 23:59 | Comment(5) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

藤ヶ谷十三塚 千葉県柏市

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千葉県柏市(旧沼南町)の藤ヶ谷十三塚の場所は⇒ここ

柏市逆井の古の中野牧っぽい風景を堪能した後、風早南部小前を走るきれいな道路を
「わぁ〜い♪」と気持ちよく下ってきたら、前方のどんつき(=T字路)に「あ、猫だ♪」と携帯を取り出し撮ろうと思ったら、藪の中に消えてしまい...ふと見れば

藤ヶ谷十三塚の西口

「ん?ここだったのか!」と藤ヶ谷十三塚の入り口を発見(こちら西口)
柏市の藤ヶ谷十三塚については東葛人さんが、この記事この特集この動画で紹介されていて
記憶にあったのですが、この日は偶然に猫に導かれました。

「え?ほんとここに入っていいの?」
どうみても私有地っぽいし、なにより...道が..無いっすよ(汗)
とりあえず、栗や立木の中をリカンベントを押して中に入って行きました。

藤ヶ谷十三塚01
藤ヶ谷十三塚の案内版
藤ヶ谷十三塚02
藤ヶ谷十三塚03

むぅ...ほんとに真ん中の大きい塚以外、小さい12の塚はほとんどわかりませんね^^;
来た道を戻るのも、つまらないので、そのまま東口の出口(入り口)に向かいます。

藤ヶ谷十三塚04

これでも、いちおう道です(苦笑)
...っていうか。藤ヶ谷十三塚は、夏〜秋に入るもんじゃないです(>_<)
もう、蚊に刺されるわ、服は荒地盗人萩(アレチヌスビトハギ)だらけ(T_T)

藤ヶ谷十三塚の東口

這う這うの体で抜け出して、ようやく道らしき道に(苦笑)
でも、ここを直進したら民家(農家)なので、下ってすぐに直角に曲がります。

「十三塚は、十三仏信仰に類するものなのかな?」
と思ったら結局、なんの目的で造られたのか、はっきりしないそうです。造成期はほぼ中世(鎌倉時代以降)以降なので、古代史とは関係ないらしく、落ち武者の供養塚?なんて説もあるそうですが。私は偶然、猫に導かれましたので...
【12匹の猫と1匹の大ネズミの墓】説を信じようかな?(笑)
 昔々、ある寺に正体不明の化け物が出るようになり、住職を恐れさせました。そんなお寺に、ある日、旅人が宿泊を求めました。
 その旅人はなんと12匹の猫を連れだっていました。住職は化け物が出る事を旅人に告げましたが「構いませんと」言うので、旅人と猫たちは寺に宿を取らせてもらいました。
 さてその夜も、正体不明の化け物が現われ、12匹の猫たちが化け物に立ち向かい、一晩中死闘が続きました。やがて夜明けとともに静かになり、そこには大型犬ほどもあるネズミ1匹と、12匹の猫の死体がありました。
 住職は12匹の猫の塚を造って手厚く供養し、それに大ネズミの塚を加えて十三塚と呼ぶようになりましたとさ。


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2011年10月12日

posted by たすけ at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中野牧(小金牧)の風景が残る柏市逆井

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千葉県には船橋市にJAR中山競馬場があったり、白井市にJRA競馬学校があったりと、なにかと馬と縁がある県なのですが...
中野牧とは?江戸幕府が千葉県北西部(北総台地)に軍馬育成のため設置した放牧場で、その中心部が松戸市小金原付近で、通称小金牧(こがねまき)と呼ばれています。小金牧はさらに、上野牧・中野牧・下野牧・高田牧・印西牧の5牧に区分され(当初は7牧で後に統合)中野牧は小金五牧の中でも最大面積を誇ります。

木下街道と鮮魚街道

明治の世になり、小金牧は下級武士への殖産のために開墾が奨励され、開墾順に、初富、二和、三咲、豊四季、五香、六実、十余一、十余二と名付けられています。初富・二和・三咲・五香は新京成線の駅名に、豊四季、六実は、東武野田線の駅名になってますね♪
千葉県内には小金牧以外に佐倉牧もあり、こちらには七栄(富里市)、八街(八街市)、九美上(香取市)、十倉(富里市)、十余三(成田市・多古町)の地名が残っています。
佐倉牧の方は、西瓜畑・落花生畑・甘藷畑と、広大な田園風景が残っているのですが、小金牧の方は、宅地開発や工業団地でかつての広大な牧場を想像できるような風景に出会うことはなかなかありません。

10月10日は、小金原公園から中野牧を通過して白井市平塚に向かったのですが、その道中、いにしえの「中野牧」を彷彿とさせる風景に出会いましたので記事に残しておきます。

中野牧拡大図

場所は東武野田線の逆井駅と高柳駅の中間西側に広がる、柏市逆井の田園風景です。
以下、地名を入れた地図を挟み、昭和22年と平成20年の柏市逆井の航空写真です。

昭和22年の柏市逆井の航空写真
柏市逆井地図と撮影方向
平成20年の柏市逆井の航空写真

この一画だけ奇跡的に宅地開発を免れて、ゆるやかな起伏のある広大な畑が残されていました。
四方を緑の回廊に囲まれ、また送電鉄塔もないので...大げさな言い方をすれば
「あれ?ここは北海道の十勝か?富良野か?」
と錯覚するくらい、気持ちの良い広々とした風景が残されていました。詳細地図⇒この辺

私は柏陵高校と逆井小学校の間を抜け、緩やかな坂道を登りはじめて
「おぉ〜〜!!」と感動し、観音寺墓地方向に自転車を走らせて
地図カメラアイコンから⇒の方向にシャッターを切ったのが下の写真です。
とくにこの方向に見た時が、一番気持ちの良い風景でした。

中野牧の風景(柏市逆井)と釜原の絵

『おそらく江戸時代、このような風景で中で野馬が放牧されていたんだろうな・・・』はめ込んである白黒絵は、渡辺崋山が文政8年(1825年)に描いた「四州真景図 釜原」ですが、釜原=鎌ヶ谷なので、だいたいこのあたりもこんな感じだったのかな?と往時の中野牧を想像しやすい風景でした。
まぁ、地元でこの風景を見慣れた人は
「なんでこんな風景に嬉々としているんだ?」
と訝しがるかもしれませんが(苦笑)

数字と地名にまつわる記事となりましたので、ちょっと補足しておきます。
小金牧の開拓により明治5年に、初富村、二和村、三咲村、五香六実村、豊四季村、十余二村が成立しました。写真の柏市逆井(さかさい)の逆井村は、明治22年土村(つちむら)に合併されます。

この土村の地名由来が【増尾、名戸ヶ谷、藤心、逆井、酒井根、今谷新田、小金上町新田、中新宿村、塚崎新田、根木内村、根木内新田(=現光ヶ丘)】の十一が合併したので十+一で【土】です。
逆井とか酒井根は、水が豊富な場所によくつけられる地名です...
ん〜また長くなりそうなので、そんな事よりもっと気楽な話を。

私、中高の部活は剣道部と吹奏楽部の経験者なので、余談(ネタ)で筆止めします(笑)
剣道が盛んな「逆井中」も吹奏楽が盛んな「酒井根中」も略すと「さかちゅう」で紛らわしいので

土中(ドチュウ) 逆井中(バクチュウ) 酒井根中(アルチュウ) 光ケ丘中(ピカチュウ

と、私達一部OBの仲間内ではこう呼んで区別しとります(笑)

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2011年10月11日

posted by たすけ at 23:58 | Comment(4) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

しろい環境塾と平塚分校

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しろい環境塾 とは?2000年4月設立。2010年現在会員数130名余。
千葉県白井市平塚の地を拠点に「里山保全」「農業支援」で地域の環境や暮らしを支援する活動を行う。「子どもの環境教育」や、環境・生物などをテーマにした各種セミナー、講演会を企画し、幅広い年齢層の市民と共に、学び考え未来につないでゆく取り組みしているNPO法人。
しろい環境塾のオフィシャルHPは⇒こちら

しろい環境塾事務所のある平塚分校

え〜こちら、しろい環境塾の事務所がある白井市の平塚分校でございます。

二宮金次郎と平塚分校

え〜つまり、2週連続して白井市立第二小学校平塚分校に行って来ました。
私、かなり平塚分校と周囲の里山環境が気に入っております♪

白井の平塚分校とリカンベント

だからと言って、同じアングルで何枚も撮るな?...でへへ。すんません^^;
私、気に入ってしまった里山スポットはだいたいお腹いっぱいになるまで通います。
常総市(旧水海道)の坂野家住宅などは2年間で6回も行ったし(苦笑)
おかげで、ドラマJIN-仁-で度々出てきた坂野家住宅周辺のシーン(竹林など)は、どのアングルから撮影していたのかも全部わかりました(^^;)

さて、この平塚分校周辺のフィールドワークがあればいいのになぁ...なんて呟いていたら、なんと!
10月8日(土)に、しろい環境塾が主催された、ぐるっと一周平塚の里(第1回)があったんです。

しろい環境塾ベースキャンプ

いぎだがっだよぉ〜〜(T_T)でも、8日・9日は仕事&用事でいげながっただよぉ(泣)
...で。10日(月)に、矢も楯もたまらず、平塚分校に向かいました。

今回は松戸方面から向かいましたが、それは...前エントリーでkincyanさんから
『市川・松戸方面から行って、手賀沼の下を通りますが、これは農免農道そのものでしょうか、それともその横の一般道なのでしょうか。どちらにしても、裏道っぽい道ですね。』
とコメントを頂戴しましたが、たぶんそれ、カンナ街道ではないでしょうか?

今井の水塚(白井市)

白井市有形民俗文化財の水塚(みづか)の家が立ち並び
道沿いにカンナが植えてあるので、通称「カンナ街道」

kincyanさんへのレスに『私の生家は流山町加(加村台)で諏訪神社に至る諏訪道の街道沿いでした。諏訪道は利根川布施(柏市)に至る布施道につながります。この街道で鰻が運ばれたことは、間違いないと思うのですが、私の知っている限り地元の人間でそれを鮮魚道(なまみち)と言ったことを聞いたことがないんですよねぇ^^;』とご返信しましたが、道名はいつの間にか、誰かが言い出したか、看板づけたものなんでしょうねぇ。案外土地の人が言わない街道名が多かったりするのかも?^^;

江戸時代の利根川東遷以後、下総地域に発達した鮮魚街道(生街道)全体については、断腸亭さんに教えて頂いた【下総鮮魚街道】のサイトが秀逸です。中段及び最下段に鮮魚街道一覧地図が示されています(断腸亭さん、スペシャルサンクス♪)
う〜ん、もしかして、鮮魚街道(生街道)の言いだしっぺは、この青木源内さんあたりなのかも?

カンナ街道から竹下通り(白井市)

こちら、カンナ街道から平塚分校裏門に至る「竹下通り」...えっ?(笑)
確認はしていませんが、おそらくこの看板は、しろい環境塾で設置したものじゃないかな?
ジャリ道〜畔道で、平塚分校裏門に至りますが、裏門の階段も足場が悪いので、ロードバイクで行けるようなルートではありませんのでご注意をば。
因みに正面奥に見える、舌状にせり出た杜に八幡大神宮があり、その参道入口脇に、しろい環境塾のベースキャンプがあり。さらに平塚鳥見神社・平塚分校・延命寺に至ります。

カンナ街道から平塚分校へ

国道16号から方面からカンナ街道〜舗装道で平塚分校に至るのは、竹下通りの一つ先のこの鉄塔配置が目印の、この道から入ったほうが良いです。松山下公園からカンナ街道〜平塚分校の場合は東葛人さんがアップされたこのルート図の部分になります。

えびや商店と白井道の標

こちらは、先日のポタルート木下街道〜阿夫利神社or国道16号〜白井工業団地の中を抜けて平塚分校に入る道の目印の【えびや商店】ここに東白井道と記されています。今回は時間に余裕がなくて、えびやさんや、後述する山崎商店で
「この道、土地の方は【鮮魚道】って言いますか?」と質問できなかったのですが
次回訪れる時は、飲み物or食べ物補給ついでに尋ねてみようと思います。

断腸亭さんの記事で、【気持ちの良い道】という表現が出てきました。
私も同意で、【胸がキュンとする道】下の写真のような道です。

平塚の白井道(鮮魚道)

このように、背丈の高い生垣が続く道を走ると、胸がキュンとします。
でも、だからと言ってゴルフ場の間の走る道では、キュンとはしません。
なんというか、何百年・千年単位で人の気配が残る道にキュンとします。
『いい年こいて、キュンキュン言うな?キモイぞ!?...すんません^^; 』

この他、背丈の低いお茶の木や、リュウノヒゲで土留めしてある田園風景に出くわすと
胸の中に甘酸っぱい歓喜が湧き出ます....

平塚の白井道と山崎商店

この山崎商店が現役なのが嬉しいです♪
私が幼い頃の商店は、みんなだいたいこんな風でした。それで10円玉握りしめて
「くださいなぁ〜」と店に入り、煎餅やアイスを買いに行ったものです。
百円札など預かろうものなら、これで大人買いできるぞ!!
汗ばみながら握ったものです(苦笑)

この日は鳥見神社・延命寺・八幡大神宮なども立ち寄りましたが、長くなるので、別エントリーにて
...って。東葛人さんもこの3連休にまた行ってるし!(爆)

やはり、白井市平塚地区は、里山&歴史オタクを惹きつける何かがありそうですね(笑)

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2011年10月10日

posted by たすけ at 23:59 | Comment(10) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鮮魚街道今昔物語 / 鮮魚道ポタリング

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鮮魚道ポタリングの本編です。唐突ですが...えっとですね...
「時代劇を見ていて「馬車」を見たことありますか?」
江戸時代大量輸送の主役は水運(船)ですが、陸路で荷物を効率よく運ぶには、西部劇に出てくるような幌馬車があればいっぺんに荷物が運べると思うのですが、日本で馬車が登場するのは明治以降です。

馬運送

江戸時代まで馬で荷物を運ぶ場合、馬の背に振り分けて1頭づつ荷物を括ります。
「なんて、非合理的なんざましょ!」
「いやいや、幕府が武器の大量輸送を恐れて馬車輸送を禁止したのさ」
「いやいや、雨が降ればすぐぬかるむ日本では、車輪は不都合なのさ」
「いやいや、いっぺんに荷物運んだら、駄賃の割が合わねーじゃん!」

ここでは3番目の理由に注目したいと思います。

現代でさえ、貨物自動車運送事業は国交省の認可制だし、車検制度や免許更新など、なんやかんや、お上に銭が入る仕組みになっとりますが、江戸時代はもっと規制が多くて...
「あ〜白猫ヤマトさん。あなたの営業範囲は東葛地区だけよ」
「ん〜佑川急便さん。あなたの営業範囲は印旛地区だけよ」

...てな具合で、自由に運送ができなかったんですね。
具体的には油屋.comの宿場と中馬とかWikiの中馬をご参照ください。


以上を踏まえて、やっと鮮魚道ポタリング【鮮魚街道今昔物語】です^^;
ご企画:東葛人さん、白井ご案内人:愚兵衛さん、いくさん
見送り:鉄ポタさん、emoさん                   ...ありがとうございました♪
参加者:断腸亭さんワンチャンjoypapaさんdadashinさんpacketさん、spiritさん、はんぞうさん、まっちさん、ジャズの紳さん、フリーさん、DAIさん、   ...またご一緒してくださ〜い♪

木下街道と鮮魚街道

我孫子市布佐⇒松戸宿河岸まで「鮮魚(街)道」....「なまみち」と読みます。
印西市木下⇒市川市行徳まで「木下(街)道」....「きおろしみち」と読みます。

木下街道(きおろし街道)は道幅こそ広くはありませんが、現在でも主要県道で道筋は江戸時代とほとんど変わっていません。江戸時代この道は、成田・銚子・鹿島方面に向かういわゆる表街道で■がついてる宿(駅)がありました。それに対して鮮魚道(なまみち)は、松戸に向かう宿(途中駅)なしの、いわゆる裏街道(脇街道)です。道筋が江戸時代でも多少変更があったようで、また現在では宅地開発や自衛隊基地(下総基地)で分断されて、鮮魚道を当時と全く同じように辿ることはできません。

今回の鮮魚道(なまみち)ポタリングは起点の我孫子市布佐⇒鮮魚道中間点の常夜燈(柏市藤ヶ谷)まで、できるだけ当時の道筋に沿って走り、西白井駅前でランチで終了。その後に「鮮魚街道今昔物語」を聞きに白井市郷土資料館まで....という企画でした。

鮮魚道今昔物語 講演資料
タイ・カツオ・ブリ・コチ・ヒラメ・マグロなどの鮮魚は、一刻も早く江戸の魚市に送るため、陸路が短く通し馬で行ける松戸への道が選ばれた。松戸までの鮮魚道は宿場ごとに荷を積みかえる必要のない、いわゆる中馬で運ぶことが可能であった。しかし、さすがに暑い夏は鮮魚がいたみやすいので、こうした輸送は毎年秋から翌春にかけて、ちょうど農閑期の時期に盛んに行われた。
でも素朴な疑問が残りました。
■どう考えても、マグロは無理っしょ?長方形の荷桶を使ったとしてもマグロが入る??
■ヒラメやコチは江戸前(東京湾)で捕れるのにわざわざ鮮魚道使う?
私自身、今まで鮮魚道とは鮭と鰻を中心に運んでいたのだと思っていたんです。布川の鮭は当時最高ブランド魚だし、印旛・成田も鰻の名所だから、ブランド力あって高価で売れたのではないかと?
元来鰻の旬(脂が乗る)は初冬。土用の丑の日(夏バテ防止に食え)をブームにしたのは、江戸中期の平賀源内の発案で、売上減少の夏場対策コマーシャル効果。それによって鮮魚道が年間を通じて活況したのだと思っていました。

どなたか魚に詳しい方がこの記事を読んでいらしたら...
東京湾では捕れずに、銚子経由で入って高価で売れるような魚って、どんなのがありますかね?
サンマは当時は今以上に商品価値が低かったらしいですから、サンマをわざわざ運んだとは思えないのですが・・・
※.銚子出身の断腸亭さんより『当時は遠洋漁業はないので、マグロサイズは今より小ぶりでしょう。』
...解決(ありがとうございました♪)


従来、木下街道もなま道と言われてきたが、印西市中央公民館の佐藤純夫さんはこう語る。
木下河岸の荷を、一切取り仕切ってきた大問屋吉岡家の古文書には、鮮魚を扱った記録がほとんど見当たらないんですねぇ・・・たったの一件しか。つまり木下街道は、香取・鹿島・息栖・成田へ向かう商用や観光が主で、鮮魚はほとんど布佐から松戸へ向かう道を利用したんじゃなかろうか?
私もこれまで、木下街道=ほぼ鮮魚道、だとばかり思っていたので、今回の鮮魚道ポタは大変楽しみにしていたポタでした。
特に木下街道が表街道で、鮮魚道は裏街道?という道筋の面影がとても愉しかったです。
鮮魚道の始まりが裏街道利用だったすると...
■記録がないのは、正規ルート外の駄賃を隠してしたんじゃないかなぁ?と私は妄想しています^^;

鮮魚街道起点(布佐観音堂)

...という訳で、我孫子市布佐の観音堂から鮮魚道(なまみち)ポタがスタートしました。
この観音堂、側面&背面に応急措置が取られていますが、これは震災ではなく先日の台風12号による被害だそうです。しかし、我孫子市布佐地区は東日本大震災の時に液状化が問題になった地区で、ここを出発して道脇を見つづけながら走ると、液状化の痕跡がそこかしこに残っていました。

さて、ポタ参加者が熱心に見ているのは....

鮮魚街道(我孫子市布佐)

いや〜、これまで全くこの案内版知りませんでした。他にもこの近辺を何度も通ったことのあるサイクリスト(自転車愛好家)が居ましたが、みんな口ぐちに
「へぇ〜!全然気がつかなかったぁ〜」の歓声。やっぱり東葛人さんすごいです♪
参加者と対照的な余裕ポーズの東葛人さん、愚兵衛さん、いくさん、御三方が印象的でしょ?(笑)

鮮魚道(月影の井)

その後、大六天神社のアドベンチャールートを通り、赤影 月影参上!!
えっとですね...
「日影の井戸」福島県二本松市
「月影の井戸」千葉県印西市浦部
「星影の井戸」神奈川県鎌倉市
を合わせて【日本の三大井戸】とか【日本の名三井】と云うらしいのですが。おそらく実際に行ってみて、がっかりする【日本の三大がっかり】のひとつではないかと^^;
たまたま、日影・月影・星影の関連性を見つけた人が、これぞ日本三大井戸!と、テキトーに名づけちゃったんじゃなかろうか。講演でも鮮魚道(なまみち)は俗称であり、布佐の住人は松戸に通じるから松戸道と言う。だから水戸街道も水戸の人は江戸道と言っていた....。
つまりは、案外呼び名なんてものは、ある時誰かが言い出した名称(ガッツポーズとかハニカミ王子なんかも同様で)が使われていくテキトーなもんなんですね。

月影の井の直後、最後尾3名が一瞬神隠しになりましたが(笑) 次に白井市平塚分校を訪ねた後、柏市(旧沼南町)に入って、金毘羅宮の祠堂と大沼枕山の撰碑を見学しました。

鮮魚道(藤ヶ谷の金毘羅宮)
鮮魚道(藤ヶ谷の金毘羅宮02)

ここは、案内してもらわないと気づかず通り過ぎてしまう確率80%以上の難所です。
大沼枕山は尾張出身の書の名人ということらしいのですが、碑文の詳しい内容までわかりません。しかし、どうやら藤ヶ谷地区台町は鮮魚道の中間点にあたり格好の休憩所で、それなりに賑わっていたようです。

鮮魚街道(常夜燈)

そしてそこからほど近い、鮮魚街道常夜燈を見学したのですが。2011年3月3日に更新された、リンク先の柏市文化課の紹介頁に写っていた常夜灯の上部がありませんでした。今年の東日本大震災で落ちてしまったのですね。震度5だった東葛地区でこの状態ですから、東北の被災地ではことごとく史跡が崩落しているのでしょうねぇ。ともあれ、鮮魚道に常夜灯まで設置されていたということは、それまでの制度や既得権を打ち破って繁栄した街道のようです。

西白井駅前 松栄鮨

富塚鳥見神社見学して、せっかくなんで鮮魚料理を食べましょう♪
という計らいで西白井駅前の「松栄鮨」でランチとなり鮮魚道ポタは終了。

松栄鮨 うどん・鉄火丼セット

私がいただいたのは、天ぷらうどん+鉄火丼ランチセットで920円♪


ランチ終了後、白井市郷土資料館に移動して
聴講予約者は山本鉱太郎先生の【鮮魚街道今昔物語】を拝聴しました。
最後に鮮魚道(なまみち)な話題だけに?"なまめかしい"逸話も。

山本先生、講義終了間際に
「いや〜、松戸平潟の遊郭の話までしようと思ったんですけどねぇ」
「鮮魚運送で駄賃稼いでも、遊郭で散財してしまうのですよねぇ」
「あ!残念ですが、もう時間なんで今日の話はこれまで!」

....ちょ、、ちょっと、、センセー!!....質問コーナーもないの??(^^;)

んじゃ、僭越ながらあっしが鮮魚道終点の松戸宿の逸話をば....
銭が集まりゃ、それを吐き出させる仕組みが世の常というものでござんして...
『松戸女郎衆は錨か網か、上り下りの船とめる』
よっ!上手いねぇどうも(笑)  あっしとは道草亭ペンペン草さんですよ(^^;)

松戸の歴史に"深化"した【表の家】のサイトを運営する、道草亭ペンペン草さんの【松戸行脚 元平潟遊廓街と中央司法会計研究室】の冒頭にこの一首が出ています。特に面白いのが、赤線廃止後、松戸平潟の旧遊郭が中央大学の学生寮として利用されていて、実際に学生時代にそこで寮生活を送った方へのインタビューかな?昭和63年...ってわりとまだ最近まであったんですねぇ。
ねぇ〜、もうこれだから、専門家と素人のボーダレス化が進む訳ですよ(^^;)

場所と写真は控えますが、松戸宿には「首を取る=1位を取る」と心無いギャンブラーたちに首を取られたお地蔵様などを供養されている寺があります。

もしかしたら「切られ庚申」の逸話も...鮮魚道で稼いだ銭(駄賃)を
松戸宿の遊郭や賭博で散財した野郎(荷駄人足)の苦し紛れの言い訳だったのかも?(笑)

鮮魚道ポタリング関連[1][2][3]...本記事[4]にて 了。


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2011年10月06日

posted by たすけ at 12:25 | Comment(12) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

落語と太日川と更級日記 あつさとまつさと

ちばらきチャンネル

江戸落語で大川と言えば隅田川のことで、落語好きな方はご周知だと思います。江戸時代の隅田川は今よりずっと川幅が広く、かといって単調な一定の川幅でもなく、砂州もあったり狭い部分もあったりと、景観的にも美しかったので江戸庶民の観光スポットだったようです。

太日(太井)川想像図

東京湾へは大川(隅田川)よりも、もっと川幅の広い太井川(太日川)も流れていたはずなのですが、これについてが不明です。たぶん太日川は湿地帯(広大な葦原)を、幾筋にも分かれて、うねうね流れるような川であって、景観的にも面白みがないので、あまり絵も記録も残っていないのかなぁ...
まぁ、江戸初期においては防衛上の理由から、江戸府内に至る水上路を描いた地図はご法度であった...てな解説をどこかで読んだ記憶もありますが。

林家正蔵と三遊亭円楽さて、写真上の落語家さん...最近やっと林家正蔵と言えるようになりましたが、写真下の落語家さん...まだ三遊亭楽円楽と言うには違和感があります。

先代より落語が上手いとか下手とかではなく、脳に刻まれた顔の記憶がそう判断してしまう...ということですが。たぶんこのお二人を話題にするとき、まだ林家こぶ平、三遊亭楽太郎と言ったほうが多くの人に通じると思うのです。

平成になって天皇陛下と言われても、すぐ浮かぶのは昭和天皇の御顔であって、今上天皇をTVで観ても皇太子さまと言っていました。ところが、「表の家」の『皇太子さまと房総』を表題を見て逆に「現皇太子殿下(浩宮様)」の御顔が先に浮かんだことで、「あ!ようやく脳が平成の世に対応した」...と実感しました^^;

前記事で、広重が「鴻之台とね川風景」と題したのはそんな理由もありかな?と。
つまり、この版画が発表された時代の人々にとって、江戸川といっても馴染みがなく、旧呼称の利根川と冠した。
それでなくても、江戸時代は大規模な河川改修・変遷が多くて、河川名称が頻繁に変わりましたから、多くの人々に伝えやすいのは、当時いちばん伝えやすい名前にしたのだろうと思います。
実際、利根川東遷後もここを利根川と表記している文献が多いです。

え?ちょっと待って?じゃあ太日川はどこにあるの??

更科日記の行程地図

そのつとめて、そこを立ちて、下総の国と武蔵との境にてある太井川といふが上の瀬、まつさとの渡りの津にとまりて、夜ひとよ、舟にてかつがつ物など渡す。(その翌朝、そこを立って、下総の国と武蔵の国境になっている太日川という川の上流の「まつさと」の渡し場に泊って、夜通し、舟で少しずつ荷物を渡す。)

これは、更級日記(菅原孝標女=すがわらのたかすえのむすめ)の4日目の紀行(行程)文で、この「まつさと」は現在の松戸??なんせ千年も前のことで、作者本人も50歳を過ぎて12〜13歳の頃を回想して書いている訳ですから曖昧な部分が多いのですが。

引用させて頂いた更級日記の行程地図は、市川市にお住まいで松戸でインターネット園芸店ポトスを経営されている「松太夫さんの更級日記紀行」から拝借&加筆致しましたm(_ _)m 特に【菅原孝子、東海道を京へ上る】 のコンテンツは、日記を現代語で実に読み易く書かれていますので、古典が苦手な方でも更級日記入門には、超おすすめです♪

松太夫さんは、まつさと(松里)を、市川市内としていますが、私もまつさと=松戸ではないと思っています。上総国府(市原市)から出発し海岸線沿いに西進して、市川に到達したことは間違いないとは思いますが『夜通し、舟で少しずつ荷物を渡す』とすごい荷物だったようで、わざわざ松戸まで行くのは不自然だし、今回、官道が上小岩から伸びていることを断腸亭さんにご案内頂いて、ますますそう思いました。

...で。私にとって最大の関心事は、太日川が現在の江戸川かどうかなのです。
更級日記で菅原孝標女も通ったであろう、古代東海道のスタート時点で国府台方向を見た時に
「平安時代にここに大きな流路はないだろうし広重の絵のような断崖はあり得ない。」

1)下総国府(国庁)へ上がる道の省略はいいけどいくらなんでも傾斜が急すぎる。
2)すぐそばに上小岩遺跡(古墳)があるとすれば、大河がここにあるのは不自然。
3)たぶん戦国時代(国府台合戦)までに、斜面林下のハケを拡充して掘割とした。

要は、国府台断崖下の流路は鎌倉〜戦国時代に造られたもので、更級日記の時代はハケの道の小川程度か、せいぜい反対側にあるじゅん菜池程度の小沼であり、江戸時代にそこを江戸川の流れにつなげたのであろう。...と推測いたしました。

国府台直下に大河がなかったと仮定すると
『太井川といふが上の瀬、まつさとの渡りの津にとまりて』の部分の謎ですが...

1)太井川(太日川)は、現代より西寄りで中川に近いあたりをうねうねと流れていて。
2)荷物運搬は川の流れも利用し 上流の船着き場→下流の船着き場 が原則。
3)菅原孝子ちゃんが泊まったのは太日川船着き場(上流位置)という意味。
4)乳母が居たのは官道(古東海道)脇の自然堤防上の集落(現京成小岩駅近辺?)

ではないかなぁ・・・どこかにそんな確証が持てるサイトないかなぁ...
と探していましたら。もの凄い詳細なサイトがありました♪

"かたばみさん"が運営する古代で遊ぼ の中の 江戸川は下流域も人工河川です。
もの凄い詳細で専門的(マニアック)ですので、ご興味のない方はスルーしてくださいf(^_^;
ただ、文章は飛ばしても利根川東遷概史の示されている地図を上からざっと見るだけでも、河川変遷の様子がよくわかりますよ♪

...って。それではあまりにも手抜きのご紹介になってしまうのでf(^_^;

利根川と太日川(太井川)

この地図は、上記「江戸川は下流域も人工河川」のコンテンツから抜粋させて頂きましたm(_ _)m 画像サイズの都合で、全部は網羅できなかったのですが、8月13日に断腸亭さんにご案内頂いた範囲を抜粋しています。地図中の古奥州道?が古東海道です。我々は当日この直線を走りました。
そして...なんと!?当日ご参加の皆様!!

古代東海道とまつさとの渡し

猛暑の中、我々がガリガリ君休憩をしたこのコンビニあたりが、かつて太日川があったところで、更級日記の「まつさとの渡し」と推測されるのですよ!
まぁ話半分としても、その奇遇さに嬉しくなっちゃいますよねf(^_^;

迎え盆、ミンミン蝉に見送られ、水元を立ちて、古東海道いふが道の途、あつさとまらず輪とめにて、ひとときがつがつ氷など食らふをのこら。...ってところでしょうか?(笑)

ところで更級日記の更級とは?
作者の夫の任地が信濃の国の更級であり、そこには姨捨山があります。また更級日記の終わり近くに「月もいでて闇に暮れたる姨捨(をばすて)に何とて今宵たづね来つらむ」とあり「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」(古今集)に因すると言われています。つまりは、作者自身を「をばすて」と観じ、その縁をふくんで『さらしな』としたのではないかというが通説です。

断腸亭さんのブログによくコメントを寄せられている、相子老婆的山南海北的話ブログ主の相子さん。傘寿を迎えられて、なお正確な記憶力。そして平明な文体、含蓄ある内容に「これぞまさしく、現代の更級日記だ!」と密かに愛読させて頂いているのはここだけの秘密です(笑)

ご企画頂いた...断腸亭さん お見送り頂いた...ミンミンさん
ご一緒頂いた...しゃあさん、横山さん、joypapaさん、kaccinさん、TCR-Nさん、bunaibuさん
ジャスの紳さん  
資料ご提供頂いた...道草亭ペンペン草様、松太夫様、かたばみ様
時々立ち寄ってくださる...相子様

皆々様に多謝でございますm(_ _)m

次回は水路を廻るポタ企画とのことで、楽しみにしております♪
あおと...もとい...おあとがよろしいようで...この項 了。

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2011年08月18日

posted by たすけ at 17:57 | Comment(6) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国府台断崖(鴻之台利根川風景)の謎

ちばらきチャンネル

国府台断崖 千葉県市川市国府台2〜3丁目

鴻之台とね川風景(広重)これは名所江戸百景を描いた広重の「鴻之台とね川風景」...つまりは現代の市川市国府台の江戸川の風景。

安藤広重or歌川広重は、本名と雅号(歌川派)の違いで、鴻之台or国府台も当て字の違いだけ。
さらに言えば国府台高校の生徒を「鴻陵生(こうりょうせい)」と呼ぶのも地元の伝統なので、さしたる違和感はないです。

私にとって、この川を太日川or利根川or江戸川と呼び分ける違和感。そして岸の沿道を消しちゃって、こんな絶壁ではあり得ないだろうという...国府台断崖の広重デフォルメ(誇張)に騙されちゃいけませんぜ!という抵抗感があります(笑)

う〜ん、どこかに広重が見た江戸末期の国府台付近の風景画がないかしら?

...と探していましたら。
超お宝サイトに出会いました♪


鴻之台公園より江戸川帰帆望む

こちらの写真は「鴻之台公園より江戸川帰帆望む」と題された絵葉書で、広重の絵とは逆アングルで撮影されていますが、帆船はほぼ同じ形をしています。

こんな江戸川の古い絵葉書委や軍事絵葉書を満載していらっしゃるのが、松戸市在住の道草亭ペンペン草さんの「表の家」で、この画像は同サイトの【江戸川の絵葉書】より掲載許可を頂いて掲載させて頂きましたm(_ _)m

道草亭ペンペン草さん...こんなハンドルネーム使っていらっしゃいますが、松戸の戸定邸を貸し切って結婚式を挙げられて、来賓に千葉県知事の森田健作氏が来ちゃうなんて...おいおい、どんだけ名家なんだよ!何がペンペン草なんだよ!とツッコミを入れたくなってしまう方です(笑)

さぞかし高貴な方なんだろうなぁ...と恐る恐るメールをお出ししたのですが、すごくフランクな方で、快く了解して頂ましてホントにありがとうございました(^o^)v
...って。実は松戸で老舗の八嶋商店主が高校部活同期なんです♪...という姑息な追伸文を入れたのはここだけの秘密です(笑)

「表の家」のコンテンツは実に充実しており、文体もとても読み易いです♪
まだ端折り読みの段階ですが、おそらく私、全コンテンツを読破しそうです^^;

さて、本題に戻ります。
広重の絵は私も大好きです。しかし芸術世界と現実の地勢は異なります。

江戸川より鴻之台を望む(明治・大正期?)
江戸川より国府台を望む(平成)

上(明治or大正時代?)と下(現代)の写真は少し、若干アングルが違いますが、注目点は国府台断崖の高さと断崖下の沿道です。広重の絵では、国府台断崖はオーバーハングで岸の沿道も省略されていますが、現在は広重没から150年ほど経っていますが、写真のような風景が当時も変わらぬ現実の「鴻之台とね川風景」だと思います。



『江戸川べりのわが里は、その名も清き流山』...流山小学校校歌
『ゆく水清き江戸川の、岸に名高き流山』...流山南部中校歌

唐突ですが子供の世界観は非常に狭いもので...『江戸川の代名詞と言えば流山』と思っていました。
流山には明治維新のどさくさに臨時に葛飾県・印旛県の県庁が置かれ、生家から100mほどしか離れていなかったものですから、私は千葉県の政治の中心で生まれたんだ!...とまで思っていました。ところが50歳を過ぎて自転車で市川市や佐倉市の史跡を巡り、歴史の厚みの違いに圧倒されました(苦笑)

小学4〜5年生の頃だったか初めて「鴻之台とね川風景」の絵を見た時「えっ?」と驚きました。
子供でも、流山・松戸・市川は江戸川べりということを理解していましたから
「なんで利根川??」と思った訳です。

江戸川は江戸時代に造られた人工河川であるということは小学校でも習いましたが、中学生となり。そうか!江戸川は太日川(ふといがわ)の流路を広げて整頓したものなんだ♪
...という思い込みで、現地を確認もせずに過ごしてしまいました。

ところが50歳を過ぎて、自転車で江戸川CRを走っていて「えっ?」とまたまた驚きます。
野田橋以北を走ってみて、CR(サイクリングロード)が台地と同じ高さです。
「なんで少し向こうの春日部・松伏の低地を流れずにわざわざここが流路になる??」
これは明らかに流路を広げたのではなく開削です。

そして、江戸川CR右岸を、松戸市柳原水閘を過ぎて進むと、冒頭の国府台断崖です。
「嘘だろ?」と呟いていました。
「多摩川みたいな急流ならまだしも、すぐ向こうに金町や小岩の低地があるのに、なんでわざわざ台地の縁を???」果たして太日川が自然にこの国府台断崖を造ったのか?

利根川と太日川

この簡略図は、江戸時代以前・以後の主な河川流路ですが、国府台付近の鐘ヶ淵(河川が鋭角に湾曲する部分)が、地勢からみて不自然です。今回、古東海道ルートの出発地で対岸の国府台を眺めて、初めてここを自転車で通った時の疑問がまた頭をもたげました。
そして「表の家」と同時に、その疑問を解決してくれた秀逸なサイトに出会いました♪

あ!ちなみに、今回はほとんど旧下総国を巡りましたので、カテゴリはちばらきチャンネルです^^;

この項続く。

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2011年08月16日

posted by たすけ at 21:20 | Comment(6) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東葛健康友の会〜放射能から身を守るために〜チーム東葛

ちばらきチャンネル

「東葛健康友の会」とは、流山市下花輪にある東葛病院が管轄し医師・看護師など専門スタッフを囲んで「健康相談会」を開き、疾病とその予防、医療制度などの学習を行ってる会です。

あ!東葛(とうかつ)というのは、東葛飾【ひがしかつしか】を省略した時の呼称で、現在では千葉県北西部の(我孫子・柏・鎌ヶ谷・流山・野田・松戸)6市の地域を指し。もし合併統合すれば、人口:145万人、面積:380km2は、人口・面積とも千葉市を上回り、だいたい福岡県福岡市と同規模の行政単位となるような地域です。

東葛地域は、江戸川で埼玉県・利根川で茨城県に接して、角(ツノ)のような形をしており、東葛住民は埼玉県や茨城県の大型商業施設で買い物をする事も多く...「あら勿体ない!東葛内で買い物すれば、その消費税や事業税は東葛住民に還元されるのにぃ・・・」などと思うのですが...かくいう我が家も結構、埼玉・茨城で買い物しています^^;

我孫子・柏・鎌ヶ谷・流山・野田・松戸にはそれぞれ、○○東葛や東葛□□という、行政サービス・学校・病院・企業から市民団体やサークルまで無数に存在します。私が所属するチーム東葛(笑)も、そんな自転車サークルのひとつですが、所属と言っても...
ただ単に「自転車で東葛地域を走っています。ご近所ならたまに一緒に走ってみませんか?」という非常にゆる〜い趣味の繋がりなので、規約や会費がある訳ではなく、したがって入会手続きも退会手続きも何もありません(笑)

さて、今回の福島原発事故後、東葛地域が放射能ホットスポットなんて報道されてしまったものだから、東葛ママの会東葛ガイガー会という、子供たちを放射線(放射性物質)被曝から、なんとか守ってあげたい...という繋がりが生まれています。こちらは遊びではなく、みなさん真面目に取り組んでいる訳ですが、普段は一市民として仕事や家事もあるし、それまで見知らぬ同士ですから、組織として行動にはいろいろ苦慮されているのではないかと思います。

放射能という今まで予備知識も専門知識もなかったものと対峙していかなければならないし、住民同士に放射能に対する温度差もあり、行政は行政で流山市をはじめ独自に放射能(放射線)測定や講習会などを開いてはくれますが、国や県の指針がはっきりしないままに、住民への具体的な指示を独走することもできないので、互いに歯がゆい状態となっているのが現状なのだと感じています。

知人のママが節電の酷暑にずっと子供を室内に居させるのは可哀そう...
『ちょっとだけでも外で遊ばせてあげたい』と。
切実な願いを書いていました。母親としては、自己判断で子供を連れ出していいかどうかと、迷ってしまう気持ちは痛いほどよくわかります。いくら、最後は自己判断・自己責任で考えて下さい。
って言われても、やっぱり素人ではなく、専門知識を持った人から、「少しくらいなら大丈夫ですよ」と背中を押してくれる言葉が欲しいですよねぇ...。

こういう時こそ、地域医療チームの出番なんだけどなぁ...なんて思ってたら...。

おぉっ!東葛健康友の会さん!やってくれますか!?
東葛健康友の会では、東葛病院退職者の会との共催で、下記の通り学習会を開催します。
このたびの大震災にともなう福島第一原発の爆発火災事故と、とりわけこの地域がホットスポットと呼ばれていることに、特に小さなお子様がいらっしゃるご家庭では、お子様の健康と成長のことで、これまでに経験したことのない不安におそわれています。

原発について、そして放射能について正しく理解し、正しく恐れ、正しく対処できるよう、日常生活と今後のエネルギー政策のあり方も視野に入れて、ともに学ぶ企画です。

                   記

1、イベント名 福島原発事故と放射線被ばく 〜放射能から身を守るために〜
2、講師    野口邦和さん(放射線防護学、理学博士、日本大学歯学部講師)
3、場所    東葛看護専門学校 2階講堂
4、日時    2011年7月23日(土) 午後2時30分〜4時30分 (開場2時)
5、費用    入場料無料
6、問合せ先  東葛健康友の会 事務室 電話・Fax 04-7159-1075
そもそも、東葛病院とはどんな病院?
東葛病院は安心・安全の医療、いつでも、どこでも、お金のあるなしで差別しない医療がモットー。入院の際に差額ベッド代は一切いただいておりません。病気になった時こそ、お金の心配をしないで病院にかかりたい、その願いに答えたい、答えなければいけない、このことが私たちのモットーです。

うわ!まるで、現代の仁友堂病院じゃありませんか!...ということは?
病院長は大沢たかお似のイケメン??...そこまで妄想してはいけません(笑)
でも、東葛病院の院長さんの笑顔は、大沢たかお(南方仁)より素敵ですよ♪

前記事で菅内閣はチーム恫喝だった...と書きましたが。それは官僚やスタッフを信頼せずに、仕事を任せることをしないから、命令口調の恫喝になってしまう訳で。

東葛病院内のTHE 医療チーム東葛は、院長がスタッフを信頼し任せているので、医師も看護師もスタッフ皆さんが伸び伸び仕事をしています。
ひょんなことで院長とお会いする機会があり、その時は院長だと知らずに世間話をしただけだったのですが。後日、「ああ、なるほど。あの温和な笑顔が組織のトップだから、病院内が伸び伸びとしているのだなぁ」と感心させられました。

あまり知られていませんが、東葛病院の母体は「東京勤労者医療会」で、東京都代々木や埼玉県三郷にも病院があり、我孫子・流山・野田・松戸に歯科・診療所・訪問看護ステーションなど、東葛地域内に関連施設が点在しています。
また、東京勤労者医療会は民医連に加盟していますので、東葛病院のスタッフもいち早く東日本大震災の医療支援に宮城県に向かいました...。

あ!今記事は〜放射能から身を守るために〜の講演会でしたね^^;



こちらが、2011年7月23日(土)に東葛健康友の会が招聘する、講師:野口邦和先生が、6月7日に福島県いわき市で講演した動画(全9編)の最後9/9です。あえて最後を貼ったのは....

放射線に関する講演会では聴衆のニーズ(聞きたい内容)が様々なので、講師の先生も、どの話をメインにするか難しいようです。
東葛ママの会や東葛ガイガー会の方々は、基礎的なことは分かっているので、測定された数値に対してどう対処したらよいか?庭の土を除染するには?刈り取った雑草等の処分は?などだと思いますので、 http://youtu.be/E0bo2KsHSMg ←1/9から順番に見るより、後半の質疑応答から逆に見ていったほうが、効率的だと思います。


私が今回の記事で最も書きたかったことは...。
福島原発事故後に、東葛地域に自然発生的に放射能の影響を勉強する市民グループが立ち上がっていますが、先述したように仕事や家事をしながらでは活動に限界があり、何より私を含めて門外漢(専門外)の素人が、放射線情報を流すことへの躊躇が生まれてしまいます。

せっかく活動している東葛市民グループの情報が生かされないのは、非常に勿体ないし。でも、仕事や生活をしながらの活動には、いつか無理が生じてしまいます。なので、地域医療機関と市民グループが情報を共有し、必要な情報を発信するようにすれば、それが最も効率よく、情報も活動も生かせる方策ではないかと思っています。

私、今回の東葛健康友の会が主催する〜放射能から身を守るために〜をきっかけに、東葛の地域医療チームと市民グループが互いに協力し合う、真のチーム東葛が誕生することを願っています。自転車の方はチーム東葛(笑)....となっていますので、同一名にはなりませんので^^

え?「たすけ、それで、おまえは何をするんだ??」...ですか?
私はな〜んもしませんよf(^、^;
相変わらずこうやって、ブログで好き勝手に思ったことを書くだけですf(^、^;

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2011年07月06日

posted by たすけ at 22:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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