ハヤブサ初ゲット♪ でも簡単には撮らせてくれない(^^;)

流山チャンネル

untaの撮りカゴような、写真を
撮りたくて、撮りたくて、撮りたくて、撮りたくて、撮りたくて、撮りたくて、たまらない...と。

拙ブログで呟いたら・・・
「撮れるかどうかはわかりませんが、ご案内しましょうか?」...と。
早速untaさんからお誘い頂いて、念願のハヤブサを初ゲットできました(嬉)
いやぁ〜、お願い事は、呟いてみるもんですね(^^;)

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私のネオ一眼(コンデジ)では、これが精一杯ですが、いやぁ〜ともかく嬉しい♪



これだけ長い時間動かない、ハヤブサを見ることができた事も初めてでした(^^)
「え?どこに居たのか?」...って?
野鳥の居場所を知るよりも、野鳥を撮っている人を見つけるほうが確実です
江戸川CRのどこでも、野鳥を撮っている人を見かけたらそこに野鳥が居ます(笑)

でも、肉眼では簡単に見つかりませんから、三脚で撮っている方に
「すみません、覗かせてください」...と勇気をもって声をかけてみましょう(^^)

「見えないと不平を言うよりも、すすんで声をかけましょう」(^^;)

但し、野鳥観察の朝は早いです。untaさんからのご連絡...
「朝6時〜8時でご一緒しましょう」

私がハヤブサに、なかなか会えなかった理由が解決しました。
8時とか10時過ぎからウロウロしたって遅かったのですね(苦笑)

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これはカメラを取り出す時に、偶然にシャッターを押してしまった1枚
untaさんもクロスバイク乗りでした(^^)
untaさん、ありがとうございました!
また機会がありましたら、どうぞ宜しくお願いいたします!(^^)/

004.JPG

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untaさんと別れて、西深井市民農園の井戸水で、首を冷やしてクールダウン
※井戸水は飲用ではありません。いやぁ〜もう、7時で暑いですよね。

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この花木...よく見かけますが、なんていう木なんでしょうか?
今日はマクロもすべてLUMIX FZ-70で撮りました。
真夏は、朝5時〜8時の早朝ポタだけにしようかな?(^^;)

2014年08月03日

posted by たすけ at 11:06 | Comment(4) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【ろこどる】に出ていた、たぬケーキを買ってみた♪

流山チャンネル

深夜2時過ぎのスタートなのに、毎週欠かさず
リアルタイムで普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。....を見ている私(苦笑)

ろこどるに出てた、たぬケーキ.jpg

早速、昨夜出て来た「たぬケーキ」を買ってみました(^^;)
http://blog.goo.ne.jp/sidosso/e/89a5a2d9b0fb8f13b70562072c134d28
RINCOちゃんの【こちらの記事】でも、気になっていたものですから(^^;)

ケーキハウス エーデル 流山市初石.jpg

ケーキハウス エーデル 流山市 東初石 3-135-101(木曜定休)
http://tabelog.com/chiba/A1203/A120305/12023704/

たぬけーき.JPG

お昼頃に行ったのですが、『番組見たよ!』が、私で3人目
店の外観を撮りにきた人が2人...だそうです(笑)
たぬケーキは昔懐かしい、バタークリームのチョコレートケーキでした♪

ろこどる「ビリケン」.jpg

【ろこどる】の中で、小日向 縁が
「なぜ、ここにビリケン様がいるのか、よくわかっていないのだけど・・・」
と言っていましたが、明治末期〜大正12年にかけてあった「森田果樹園」の当主が、運河観光と商売繁盛のために建立したものなんですよ(^-^)いろいろ資料はあるけど一番わかりやすのは・・・
http://azusa1234.web.fc2.com/AzuzaBulletin8/AzuzaBulletin8azusaazusafilest2110.html

ビリケンとたぬケーキ.jpg

たぬきケーキ.JPG

さすがに、この暑さじゃ、ビリケン⇒"石"の上は触れないほど熱くて
チョコレートケーキは置けませんでした(笑)


塩トマトゼリー.JPG

おまけの画像...昨夜たまたま、福田綾乃(ものまねタレント)が
愛知の塩トマトゼリーは名物なんです...へぇ〜 あ!見っけ♪...

という事で、たぬケーキと一緒に買ってきましたf(^、^;

2014年08月01日

posted by たすけ at 13:58 | Comment(4) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

おまっとさんでした! / 出没!アド街ック天国 流山市編

流山チャンネル

おまっとさんでした!」どうやら今年、2014年の秋に・・・
「出没!アド街ック天国」【テレビ東京番組公式サイト】
流山市編が放送されるらしいです(^-^)

「おめんとこ、取材来たか?」
「あそこ、出んのかな?」
etc
等々、一部では相当盛り上がっているようです(笑)

放映日までは「緘口令(かんこうれい)」ですが
予想を立てるのは問題ないようで・・・

『トップ20やトップ3は何か?』
という予想企画を【森のまちに住むmoricom】が考えているようです。

■赤城山(神社)(流山地名発祥の地)

■利根運河(日本一長い運河)

■おおたかの森SC(新市街地)

の上位は、間違いないと思うのですが・・・

前記事の【流山本町行灯回廊】が認知されているか?サイクリストとしては【江戸川の菜の花ロード】も紹介して欲しいところですが、季節が違うのでどうなんだろう?とか楽しみはつきませんが、個人的には【松ヶ丘の野馬土手】はなんとかトップ30には食い込んで欲しいなぁと^^;

流山探訪カレンダー2014.jpg

さて、このカレンダー。2014年版は流山市内の寺社がメインとなっていますが、これら神社仏閣からもいくつかはトップ30に入っていくのでしょう。

流山探訪(切り絵)カレンダー2012

飯田信義さん(千葉県流山市).jpg

流山市の名所旧跡や祭事(催事)の切り絵を手がけているのが、流山市在住の飯田信義さん。行灯回廊の寺社名や店名が独特な字体になっているのも、切り文字で表現しているからなのです(^-^)

「出没!アド街ック天国 流山編」の視聴者プレゼントに
2015「流山探訪カレンダー」はどうなんだろう?
と思いましたが、まだ時期が早いだろうし
やっぱり貰って嬉しいのは食べ物なんでしょうね(笑)

2014年07月31日

posted by たすけ at 21:20 | Comment(2) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

流山発見! 写真でつづる流山の道 / 行灯廻廊と花火大会

流山チャンネル


流山発見! 写真でつづる流山の道とは、handkit11さんが、流山市内のすべての道を踏破したことを踏まえて、流山の今を紹介しているブログです。

流山本町行灯配置図.jpg

特にこれ!流山発見:行灯配置図 ⇒【こちらの記事です】

凄い!脚も手も惜しまず作られた労作ですね
こーゆーの流山愛に感動してしまいます(^-^)

流山本町行灯廻廊

ぶらっと半旅流山

流山本町とは、現在の流山市加6丁目から流山8丁目に至る、江戸川沿いの旧流山市街地を指すのですが、地元では上流から順に、加村岸〜根郷〜宿と呼んでいます。本郷とか根郷とは、特に町や村の中心地(役場)などがある場所を云います。

流山本町お散歩地図

流山本町・利根運河ツーリズム推進室では、流山市内に残る歴史的遺産を有効活用した経済活性化を図っており、2012年からはじまった「流山行灯廻廊」は、2年間でだいぶ充実してきました(^-^)

流山行灯廻廊.jpg

旧流山街道表通り(大通り)は、歩行者の安全を確保するため車にとっては走りづらい道に改造され、大型トラックなどの通行はめっきり減りました♪
サイクリストはほとんど江戸川CRを通過してしまうために、この変化に気づいている方は、まだ少数のようですが...どうぞ夕暮れ時の流山本町の幻想的な行灯回廊を一度ご覧になってみてください。...で。流山線で輪行で帰る...ってどうですか?(^^;)

流山花火大会2014年.jpg

但し、2014年8月23日(土)は、第38流山花火大会のため
江戸川CRは通行できなくなります。
行灯回廊メインストリートも花火大会の時間帯は、自転車も押し歩きになります。
...で。三郷側を走ろうとしても
三郷花火大会も8月23日(土)同時開催で、江戸川CRは両岸アウトですのでご注意ください(^^;)

※通行止め時間etcは、各主催者にお尋ねください。
流山花火大会(流山花火大会実行委員会)⇒http://www.nagareyama-daisuki.com/hanabi/index.html
三郷花火大会(三郷市商工会青年部)⇒http://www.tonbi.biz/
posted by たすけ at 19:48 | Comment(2) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

石岡のお祭りと流山のお祭り

流山チャンネル

ちばらきチャンネル

大宮神社祭礼02.JPG

7月26日、水元公園の「森の朝食会」後
祭礼の準備に追われる平和台の大宮神社に立ち寄ったのですが。
大宮神社の祭礼については、でれすけさんが詳細にレポしていますので
【宵宮】/【神輿渡御その1】/【神輿渡御その2】をご参照ください。

加村台の祭り、昭和34年

これ、私1歳の時の【大宮神社のお祭り】懐かしき坊ちゃん刈りでしょ?(苦笑)

『先祖代々、伝統主義』VS『変革云々、合理主義』
新旧住民の確執(軋轢)は、いつの時代でもどこの地域でも見られます。ましてや、祭礼という伝統行事は旧住民のプライドがMAXになる訳で、でれすけさんのブログ記事でも、祭礼に関する記事はボルテージがMAXになっている様子がよ〜く読み取れます(^^;)

まほらにふく風に乗って⇒【石岡のおまつり】」で、代々石岡に住んでいる方が
「何も変えないのが一番良い事 伝統を守り続ける事が石岡人としての責任」
と教えられ育って来たのです
...のコメントが印象的でした。
いや〜、石岡に新しい風を吹かせるのは並大抵の事ではないですね(^^;)

「梶の葉、山百合のお兄さん」が流山に越して来たのは、まだ平和台が造成される前。流山に中学校が3つしかなかった時代です。この時代は、まだ新住民に対して言葉は不適切かも知れませんが"よそ者"という警戒感が旧住民にはあったような気がします。

勿論、それだけが直接的ないじめの原因ではないと思いますが、よく言う
「閉鎖的な地域="郷に入っては郷に従え"の意識が強い地域」は
旧住民の結束力(組織力)が強く、それまでの慣習を打ち破るような素振りには過敏に対抗していたように、子供心に感じ取っていました。

一例を挙げれば、私が小学生の時は、みな一様に坊ちゃん刈り(コボちゃん&たらちゃんカット^^;)でしたが、都内からの転校生が、さわやかな横分けにしていただけで、いじめっ子に目をつけられたり。
中学生になれば丸刈りが当たり前でしたが、自分たちも本当は嫌なんだけど、それまでそうしていた(丸刈り)ことを、止めにしよう...等とは言い出すことのできない雰囲気が漂っていたことです(苦笑)

さて、でれすけさんのお祭り記事を写真を見て驚いたのは、見物人の多さです。
私が生まれた昭和33(1958)年の流山町の人口が2万人ほど。私が9歳の時に人口4万人を超え。今年平成26(2014)年の流山市の人口が17万人。ま、当たり前ちゃ、当たり前ですけど。

流山市と石岡市の人口推移比較1970年より.gif

これは、流山市と石岡市の1975年から2013年までの人口推移比較ですが。
※石岡市は2005年に八郷町と合併。



石岡(旧石岡市)が凄いと思うは、5万人の規模の町で40万人の観光客をたった3日間で動員する事。流山のお祭りと違って15町内が一斉に繰り出しますので、町内同士ライバル心もありで、それがお祭りを盛り上げる相乗効果になっていると思います。
特に年番町になった町内は15年に一度のお役目ですからね、そりゃ1年間お祭りだけにかかりっきりになるのは当然かも。

石岡・八郷が非常に閉鎖的(保守的)な地域である...という事をよく耳にしますが。それゆえにあの伝統の「石岡のおまつり」が連綿と受け継がれ、多くの観光客に脚を運ばせるのでしょうね。



でもそれ以外は、町のメインストリートはホントに閑古鳥です^^;
もったいないなぁ...あれだけの街並みがあるのに...と常々感じていたのですが、でれすけさんのお祭りに対するボルテージを読みながら「ああ、そうか。やっぱり石岡人のモチベーションは、決してお祭り灯を絶やさない」という伝統心なんだなぁ...と強く思いました。

大宮神社祭礼01.JPG

流山の各所で行われる、祭礼は「石岡のおまつり」と比較したら、規模も歴史も月とスッポンですが、流山は新住民と旧住民が非常にうまく調和して、お祭りを盛り上げているように思います。
古き人も新しき人も、みんな最高の笑顔でお神輿かついでいますものねぇ。

加村台と加村岸が一時対立していた、あの経験が今になって生かされているような、そんな気がしています(^^)

2014年07月30日

posted by たすけ at 23:50 | Comment(2) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大宮神社(加村台)と大杉神社(加村岸)

流山チャンネル

nishihirai_1961.gif

私は流山町加の生まれで、大宮神社が氏神様となりますが、この写真1961(昭和36)の頃はすでに【西平井の宮本団地に住んでいました】※流山町加(旧加村)はかなり広かったのですが、やがて西平井の一部とともに平和台となりました。

大宮神社(加村台)と大杉神社(加村岸)の並立について

地勢的に見ても古東京湾に、舌状に突き出た台地の【加村台の大宮神社】が、古代より杜として存在し。せいぜい江戸時代になってから利根川東遷(江戸川の物流)によって街が形成された【加村岸の大杉神社】よりも、はるかに古い歴史があるのは容易に想像できると思います。

大宮神社摂社(大杉神社)のお神輿01.jpg

大宮神社摂社(大杉神社)02.jpg

大宮神社境内にある大杉神社のお神輿には、大杉神社のお札が置かれています。大杉神社は江戸時代に流山で水運業が盛んになってから総本宮(あんばさま)より、商売繁盛・開運の神様と勧請(かんじょう)され、大宮神社の境内に摂末社として置かれました。
ポタリングで、目吹橋の袂・野田東部中・野田北部小付近にも大杉神社があることに気付き...
野田の酒屋店主に話を聞いたら、江戸初期に高梨兵左衛門と茂木七左衛門らが醤油醸造成功を祈願したのが神社のはじまりとの事。

総本宮の項目を確認したら、たしかに両家の銅版があり、どうも銚子の田中玄蕃(ヒゲタ醤油創業家)を倣ったらしいです。まだ、利根運河はありませんから、銚子から関宿廻りの水運ルートと大杉神社の配置に納得しました。

大杉神社のあんば囃子も、田中玄蕃のルーツ紀州の悪魔払え囃子を奉納したのが起源だそうで、醤油伝播と野田・流山の大杉神社の創建が線で繋がりました♪
...って。
神輿を担ぐ人にとってそんな細かい事はどうでもいいことかも知れないので、ざっくり説明すれば・・・

江戸〜昭和初期まで、加岸の新住民は商業(物流)で栄えた財力がありましたから、大宮神社の普請(修繕費等)にも相当金を出したと思われます。大きな戦乱もなく町人たちが経済力をつけた江戸時代では、きらびやかな神輿を作り、祭りを楽しむ街が増えてきます。

「よぉ〜!俺たちとこでも神輿造んべよ!
そうだ!そうだ!いっちょ派手にやんべよ!」


まぁ、こんなカンジだったのでしょうが(^^;)
これが土着の住民(旧住民)と新興住民(新住民)の軋轢が生まれる原因となっていきます。

わかりやすく整理すると・・・
加村岸の大杉神社は水運(商業)の、江戸時代以後より新住民の氏神
加村台の大宮神社は土着(農耕)の、鎌倉時代以前より旧住民の氏神

...で。金も出し、お神輿も作ったのですから神輿渡御(みこしとぎょ)のルートに、自分たちの地区を中心としたいのは新住民(加岸)として当然の人情です。しかし、そのルートをおもしろく思わないのは旧住民(加台)の人情。

「あー!そんだったら、俺たちゃ俺たちで、大杉様のお祭りすんべよ!」

...と。幕末近くになって加岸に現在の大杉神社が建立され
加村岸と加村台は別々に祭礼をするようになった。

加村岸大杉神社
加村台大宮神社
加村岸(加岸)=大杉神社                加村台(加台)=大宮神社

まぁ、こんなカンジなのではないでしょうかね?

信じられないかも知れませんが私が小さい頃は、まだ
「加台(加村台)の奴ら」
「加岸(加村岸)の連中」
という確執(ライバル心)が残ってました。
諏訪大社の上社vs下社ほど壮絶なものではありませんが(^^;)

因みに...
大宮神社、大杉神社の祭祀を執り行うのは、駒木諏訪神社の宮司さん
大原神社、浅間神社、赤城神社の祭祀は、松戸神社の宮司さん
です。

(この 項つづく)

posted by たすけ at 19:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大宮神社と山百合の思い出

流山チャンネル

大宮神社参道.JPG

昼なお暗く長く涼しい大宮神社の参道(2014.7.26撮影)
50年前は流山町加で、現在は流山市平和台ですが、この参道の風景は50年前と変わっていません。現在大宮神社下の公園は桜の名所になっていますが、50年ほど前はここに山百合が群生していました。

40年前の平和台

七夕の「梶」の葉について教えてくれた近所のお兄さんが
大宮神社の山裾が造成工事のブルドーザーで削られる前に

山百合.jpg

「山百合を助けてあげようよ。」※写真は【まほらにふく風に乗って】より
二人で大宮神社の森から移植した山百合は、市営住宅の小さな庭で住宅が廃止されるまで30年以上も、毎年梅雨が明ける頃に花を咲かせ、芳香を放ってくれました。優しくて知的なお兄さんにはよく遊んでもらいましたが、お兄さんが中学校へ上がると共に一緒に遊ぶ事はなくなりました。

私が中学生になって数学が全くできないので(今でも算数、数学は全く苦手^^;)家庭教師としてちょっとだけお世話になった時間がありましたが...

その時になって、お兄さんが小中とずっといじめにあっていた事を初めて知りました。
いじめられた理由は・・・転校生だから・・・たったそれだけの事です。

(この項 続く)
posted by たすけ at 18:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年ホタルの見頃と生息地 流山市

流山チャンネル

ホタルが飛翔が盛んになるのは、蒸し暑く、無風で、新月(明かりがない)の三条件です。
今日、7月27日(2014年)は、新月、蒸し暑い、風も弱い
おそらく関東地方各地でホタルの見頃の夜となりそうですね(^^)

流山市のホタルの生息地.jpg

流山市内のホタルの生息・飛翔・鑑賞会情報は⇒【流山ホタル野公式HP】

※ホタルの成虫は水だけで過ごし、1週間〜10日ほどの寿命です。
お子さんにホタルを捕ってはダメ!...と言っても、それはなかなか難しいですが
せめて、親御さんは補虫網や虫かごを持たせないようになさってください(苦笑)




これは7月25日(金)の夜に、新川耕地の某所で撮影した動画です。
せっかくカメラを新調したのに、私の腕ではこれが精一杯(悲)

ヘイケボタル.jpg

実際にはもっと盛んに、恋のシグナルを点滅させて舞っていました(^^)

2014年07月27日

posted by たすけ at 12:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

えか流山自然農場 野菜直売所の営業について

流山チャンネル

美味いもんチャンネル

えか流山自然農場の野菜直売所についていくつか記事を書いたのですが・・・
「やってなかった。」「何もなかった。」...の報告が相次いだので
営業時間と直売所情報を強調して再々度、掲載しておきます。

えか流山農場営業時間について.jpg

営業日 月曜〜土曜日 10:00〜15:00

※第4土曜日は うんがいい朝市会場にて販売


休業 日・祝

直売野菜は、なくなり次第終了ですので
うんがいい朝市では、ほぼ10時前には売り切れています。
西深井の直売所でも、終了間際は品数が少なくなっています。

えか流山自然農場の野菜.JPG

えか流山自然農場の水なす.JPG

えか流山自然農場の無農薬トウモロコシ.jpg

奥...午前中に早めに購入したトウモロコシ(100円)
前...午後に追加で、購入したトウモロコシ(100円)

どちらも同じ畑のトウモロコシです。無農薬有機栽培では、形の均一なものばかりが成る訳ではありませんので、トウモロコシ目当てでしたら、ほとんど早い者勝ちです。
無農薬(殺虫剤不使用)なので、もれなく虫がついていると思っていたほうが良いです。でも、ホント甘くて美味しいですよ(^-^)

※毎週金曜日 12:00〜13:00 東深井福祉会館
西深井の直売所も、通常通り営業しています。

その他、詳細は以下をご参照ください。

えか野菜直売所
http://www.ecag.co.jp/tenpo_info/pg281.html



2014年07月25日

posted by たすけ at 16:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

語り継がれる流山史・東葛史 / 流山市立博物館友の会

流山チャンネル

ちばらきチャンネル

語り継がれる流山史...市の誤変換じゃありませんf(^、^;
※文中○○先生と書くべきところを、信愛を込めて○○さんと記述しています。

流山研究におどり第7号.JPG

これは、流山市立博物館友の会が発行している「流山研究におどり」
におどり第7号『昭和56(1981)年3月21日』を、急遽図書館で借りて来た理由は後述します。

屋号瓦.jpg

前記事【少年等が夢の・・・下田の杜のお屋敷】「下田(しただ)」屋号の瓦
下田はその名の通り『下にある田』がそのまま屋号になった訳ですが、苗字が土地の特徴に由来するのはよくあるケースですね。

さて、流山小学校に通っていた私ですが、通学路に広大なお屋敷がありました。それが、流山を代表する万上みりんの「堀切家」のお屋敷だったのですが。一度か二度だけ門が開いていて、はるか遠い先に威厳&華麗な母屋が見えた時、まるで映画か大河ドラマのワンシーンのような、少年の日の夢の記憶として残っています。

下田の杜のお屋敷の記事を書きながら、そんな少年の日を思い出していた矢先・・・

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↑↑[リアル流山市の口コミ最新情報]↑↑
の「でれすけ」さんの最新記事に
『豪商、堀切紋次郎の一族 』(堀切紋次郎家の華麗な系譜)
堀切の先祖はなかなかの名家で、千葉之介常胤の三男胤盛が千葉家の落城後、隅田川のほとりの堀切村に蟄居(ちっきょ)して堀切将監と号し、約400年間代々浪士として世を過ごしてきた。菖蒲園で知られるあの堀切である。
「えぇ〜!?そうだったのかっ!?」

流山のみりん醸造で財を成したのが
天晴みりんの「秋元家」と万上みりんの「堀切家」の二大財閥。

秋元家は同級生がいたのでわりと身近に感じ、子供心にも天晴みりんの栄枯盛衰も感じ取っていました。また現在では、アトリエ黎明や一茶双樹館など、天晴みりんの「秋元家」の歴史を知る機会や資料は多いのですが、万上みりんの「堀切家」の歴史については、ほとんど知る機会がありません。

...で。早速「におどり第7号」を借りてきて、山本鉱太郎さんの『堀切紋次郎家の華麗な系譜』を熱読しました。概要は「でれすけさん」が書いている通りなので割愛しますが『目からうろこ』の連続でした。
流山市立博物館友の会発行の郷土史は、これまでもことある事に愛読しており、におどり第7号を読み進めてたら・・・

「あれ?これ読んだことあるな」
という箇所もかなりあり、堀切家の項目を完全に見落としていたようで
いかに自分が「拾い読み」程度であった、ということを反省致しましたf(^、^;

資料のない郷土史を、一から掘り起こすのは大変な作業で、山本鉱太郎さんは『堀切紋次郎家の華麗な系譜』の執筆にあたり、寺の過去帳や堀切家でお位牌を見せてもらうのをはじめ、墓石ひとつひとつをタワシで丁寧に洗いながら刻字を調べるなど、気遣い&手間暇は相当にかかっています。

青木更吉さんをはじめ【流山市立博物館友の会】の方々の、地道で丁寧な検証作業には本当に頭が下がります。また、でれすけさんがブログ記事をアップするに際して、只今現在の堀切家への配慮(迷惑)も忘れず、抜粋されている事にも感心いたしました。


TXに併行する新道.jpg

これは、7/20柏に向かう際に撮った写真
「あれ!?向こう側(写真右方向)に行けない!(>_<)」

ついこないだまで(つい最近まで)通れた旧道が分断され、昔の道筋が次々に消滅しています。TX開通に伴い都市化が進み、便利な街に生まれ変われる事は良いことですが、道は消えても流山や東葛の歴史は語り継がれていかなければ...と思っています。

直近ですと、5月6日に【堀切紋次郎とこぼれ梅】で、野田・流山の醤油や味醂に関係する施設や道を、自転車仲間にご案内致しました。

流山市立博物館友の会出版物.jpg

自転車の楽しみ方は様々で『より遠く、より秘境へ』もあれば、『ごく近く、ごく濃密に』もあります。
私は後者のスタイルで自転車を楽しんでいますが、その際に参考にさせてもらっているのが、流山市立博物館友の会発行の郷土史の数々です。

そして、私の自転車の楽しみ方と共通項が多いのが、東葛人さんや断腸亭さん....と言うより。
そういう自転車の楽しみ方を教えて頂いた、私の二大師匠と言うべき存在かもしれません?f(^、^;

楽しい東葛ウォーク事典.jpg

第27号【楽しい東葛ウオーク事典】の前書きに・・・「歩くということは人を、人の記憶をたどることであり、書斎で万巻の書を読むことでは得られない人間の知に触れることである」とがありますが、それを自転車に置き換えているようなものかな?f(^、^;

要約すれば・・・
青木更吉+山本鉱太郎=歴史・資料の師匠
東葛人+断腸亭=フィールドワークの師匠
・・・ってカンジ♪

流山情報のブログやfacebookでは
「○○が出来たよ!」
「こんなイベントあるよ!」
「この店が美味かったよ!」
「ここが映画(ドラマ)のロケ地だよ!」

的な一言情報発信に溢れています。
拙ブログもFBもそんなんばっかりですがf(^、^;

まぁ、それはそれで住みよい街、便利な街の情報として良い事だとは思うのですが
【流山市立博物館友の会】のような、『地道な郷土史研究会』があり
【でれすけさん】のような『流山史を語り継ぐブログ』があり
丁寧に流山史・東葛史を検証&情報発信していることに、流山一市民として誇りに思います(^-^)


posted by たすけ at 13:08 | Comment(4) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする