...だもんで、学生時代は等高線だけの地図を見て、山の稜線を想像したり
2枚の写真を並べて「平行法」や「交差法」で裸眼立体視をすることなどを
やっていたが、最近ではカシミールという地図3D変換ソフトが、しかもフリー
で配布されていて、まことに便利な世の中になったもんだ。
だけど、人が何かを学習や研究するときに、もっとも大切なことは「想像力」
だと思う。どんなに便利なソフトや機械ができても、本人自身が常日頃から
目の前に飛び込んでいたものに「なんだろう?何故だろう?もしかしたら?」
と興味や疑問をもって、自分なりに考えてみることが大切だ。
ただ、興味や疑問の対象は人それぞれで、他人にとってはどうでもいいことが
多いけど(笑)
さて、本題です。
鬼怒川の"最下流"で、利根川へ注ぐ直前にある「滝下橋」です。
これって、おかしくないですか?
今から30年ほど前、私が車を運転するようなって、初めてこの橋を渡った時
「えっ!?なんで?」...と思わず叫んでしまいました。
だって、最下流ですよ。なんでもっと低いところがあるのに
川の水がわざわざ峡谷を作って流れなきゃいけないの?
後日、図書館で水系史を調べたら(パソコンなんかない時代ですから^^;)
あぁ〜やっぱり、川の流れを変えるために掘削した人工峡谷でありました。
どうです?台地を掘削した様子が想像できるでしょうか?(その1)
これ、今から千年ほど前のちばらき(千葉+茨城)地域の河川・湖沼の様子です。
住田川として東京湾に注ぎ込んでいるのが当時の利根川下流です。
江戸川は太日川だし、鬼怒川も衣川(上流は毛野川)だし。
こんなの見ているだけでもワクワクしてしまうワタシって変ですか?(笑)
...で。今回注目したいのが近日中にポタリング予定の旧「飯沼」付近です。
印旛沼や手賀沼はだいぶ形が違ったとはいえ、湖沼として存在していますが
飯沼はすべて干拓されて、ここが沼であったということは「想像力」に頼る
しかありません。
現地に行けばわかりますが、細長く見事にまっ平らです。
予備知識がなくても地図を見れば、○○新田、△△新田、□□新田、
と新田オンパレードですから、これだけ新田が多いということは
「あぁ〜ここは大規模な干拓が行われた場所なんだなぁ」と想像する訳です。
さて、飯沼の干拓については「いばらきの農村発見」が読みやすいと思います。
ここに書いてある通り、飯沼川は飯沼の排水の為に造った人工河川です。
そして元から飯沼に流れていた仁連(にれ)川を沼の上流で東西に分流し
西仁連川と東仁連川を作り排水効率を高めました。
飯沼川にかかる「えのきはし」
川はこのすぐ下流で、ほぼ直角に曲がって菅生沼に流れていきます。
えのき橋から飯沼川を望む。
どうです?さっきの鬼怒川「滝下橋」の峡谷ほどではないですが、台地を掘削した
様子が想像できるでしょうか?(その2)
東仁連川(ひがしにれがわ)の最下流にかかるその名も「掘込橋」
東仁連川はこの橋を最後に直接、菅生沼に注ぎ込みます。
堀込橋から東仁連川を望む。
どうです?さっきの鬼怒川「滝下橋」の峡谷ほどではないですが、台地を掘削した
様子が想像できるでしょうか?(その3)
飯沼川の水量調節をする「幸田水門・飯沼川幸田新排水機場」
春から夏にかけて水田に水が張られている季節とそうでない季節では水位が
明らかに違います。滝下橋から望む鬼怒川を見ていても、桜の季節が終わると
水位が一気に下がり「あぁ〜田植えが始まったんだなぁ」などと想像する訳です。
「幸田水門・飯沼川幸田新排水機場」の裏側
ここで飯沼川と西仁連川が合流し、菅生沼を経て最後の法師戸水門から利根川
に注いでいきます。(ココから、利根川に注ぐまで名称は飯沼川)
西仁連川(にしにれがわ)の最下流にかかる「駒寄橋側道橋」
写真の奥に見えるのが飯沼川との合流地点です。
駒寄橋から西仁連川の上流を望む。
ここから西仁連川づたいに進むと前記事の「逆井城跡」に到達します。
毎年、桜や紅葉の季節が近くなるとJR東海が「三都物語」だとか
「そうだ京都へ行こう」だとかのCMを流してますが、今年のキャッチは
「風景は人が作るもの」です。
「何言ってんだ、風景は自然が作るものじゃないか」と違和感を覚えますか?
1000年前の関東地方の水系(河川・湖沼の分布と水の流れ)と現在の水系
は全然違っています。千年前の人たちと現代人では全然違った風景を見ている
訳で、私は「風景は人が作るもの」のフレーズほど想像力を問われている言葉
はないなぁ...と思いながらCMを見ています。
特に大きな内戦のなかった江戸時代260余年の間に、風景は大きく変わって
いきました。そこには幾多の苦労や犠牲者も出たであろうと想像する訳です。
東仁連川「掘込橋」の近くにある石碑と不動明王
いつもこの前を通る度に、御供え物が欠かさず置いてあることに感心しています。
自転車散策(ポタリング)をしながら、寺社や路傍にある祠や石碑の刻字を見る度に
風景を作ってくれた先人たちの苦労を想像すると、「風景は人が作るもの」の言葉が
より重く心に届いてくる訳なのです。
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