昭和30年代の追憶
ゴルフ師匠のケンさんもおすすめのALWAYS 続・三丁目の夕日を観てきました。
前作は家族が船橋ららぽーとで買い物中に一人で、今回は家内と二人で。今昭和ノスタルジックブームだけど、この拙ブログもサブタイトルを昭和の追憶や、懐かしい情景...としています。
最近はポタ記事ばかりでしたが、今後トップのフラッシュで不定期ながら、ポタ画像と昭和ノスタルジー画像で交互に対応していこうと思います。
さて、人気の映画だけに感想ブログはたくさん出ていると思うので...
ALWAYS三丁目の夕日は、ディテールにこだわったということで
私は、淳之介役を演じた須賀健太くんのズボンに注目。
そうそう、私たちが子供の頃にはいていた安物のズボンにはチャック
(ファスナー)はなかった。今ならデニムというのだろうけど、当時
はメリヤスといっていたような...。
ちょっと厚手のメリヤス生地に、チャックの代わりにボタン(ドーナッツボタン)腰のゴムはすぐに伸びてしまうし、ズボンの折り目なんかなく、膝も伸びきったヨレヨレの"つぎあて"だらけのズボンで遊びまわっていたっけ。
昭和37年:とびっち山にて
続・三丁目の夕日の中で、星野六子(掘北真希)にスズキオートのお母さん鈴木トモエ(薬師丸ひろ子)がワンピースをミシンで手作りしてあげたけど
そうそう、昔は町内に1軒や2軒は洋裁・和裁の得意なお母さんがいたっけ
どこの家にも足踏みミシンがあって、ゴトゴト・カシャカシャ・ゴトゴトミシンの音はお母さんの音だった。そしてミシンの小さな引出しが、ちょっとしたお金や鍵を入れておく、お母さんの秘密の引き出しだったなぁ・・・
そういえばもう何年もミシンの音を聞いていないという方、左端をクリックして下さい^^;
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私も、上映初日に「三丁目の夕日」カミさんと観て来ました。
たすけさんと私は同年代なので、時代背景を共有していると思います。
私の着る服もほとんど母親がミシンで縫ってくれたものでした。
風呂は銭湯で、テレビは最初のうちは公民会か駅前設置のものを見る。
我が家にテレビがきたときの喜びはいかばかりのことや。
そして、毎日のように風呂敷を背中に羽織って、駄菓子屋に通っていましたっけ。
>毎日のように風呂敷を背中に羽織って...みんなやってましたねー^^;
勇気だ力だ〜誰にも負けないその意気だ♪(ヤァ!)
『ウ〜ヤァ〜タァ〜!!』と気合入れたら木が裂けると本気で思っていた
ガキの頃を思い出しますよねぇ^^