木を見て森を見ず

木を見て森を見ず...言い古された理(ことわり)だがこの森を
"何に例えるか"で論点がずれてくる。

例)1.光市母子殺害事件差し戻し審の弁護団に対する、橋下発言に
端を発した弁護士懲戒処分請求急増の件(以下、懲戒扇動事件と略)

橋下弁護士を擁護する派は、「いつかわが身に起こったら、とても
やり切れない気持ちである」
との自身への投影から、国民多数としての
"民意を森"として考えている。

今枝弁護士等を擁護する派は、「たとえわが身に起こったとしても
刑事弁護の真髄の曲げてならぬ」
との法治国家として"刑事弁護の
総論を森"として考えている。

"森の前提"が違うのだから、意見がかみ合わないのは当然で
最終的には懲戒扇動事件の今後の判決に従うしかないのだろうが。

私が危惧しているのは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の例えが
本来ならば、坊主=被告人(犯人) 袈裟=弁護人 という構図
になる筈が、坊主=弁護人     袈裟=被告人(犯人)という
構図になってしまうのなら、刑事弁護の真髄もへったくれもない
という思いなのだ。


例)2.テロ特措法におけるインド洋補給活動の件
   「憲法9条の規定を度外視しての考察です」

補給賛成派は、「いつかわが国へのテロも抑止するためにも必要
であり、これは国際貢献である」
との"国際公約"を森として考えて
いる。

補給反対派は、「そもそもテロの定義が、一部の国家間での国策
優先で考えられており、テロへの圧力はさらなるテロを誘発する」

との"武力反対の総論"を森として考えている。

この件では、おそらく民主党は今現在建前では補給反対を唱えているが
現在における日米同盟の機軸に変化のない限り、ぐだぐだ賛成に転換す
るだろう。私自身は、補給反対派であるが、それを実現させるためには
日米同盟の箍(タガ)を外すのが優先事項であると思う。


...で?...だからなに?

いやあのね、思うのですよ...袈裟今朝のニュースでミャンマーの僧侶に
よる反政府デモで、ヤンゴンでは連日となる約10万人が参加し
日本人ジャーナリスト1名を含む僧侶や市民10名以上が発砲で死亡
80人以上が負傷した
...とを受けて。

どんだけ、日本で弁護士懲戒扇動があったとしても、デモをする訳でも
死者や負傷者が出る訳でもなく。結局、平和ボケした国内で自分も含めて
なんと安全で小さな森の中で議論しているのだろう?...と。

また、米国と欧州連合(EU)が安保理でミャンマーの軍政に対する
「制裁を含む措置」を求める共同声明を発表しても、そんな圧力強化に
反対する中国、ロシアなどとの対立も生じる訳で、結局、国際貢献って?
これから日本はどの森を見ていくべきなのだろう?...と。
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2007年09月29日

posted by たすけ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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