流山西初石の森(たぬきの森)

流山チャンネル

流山市たぬきの森の続編です。

西初石の森 2003年

西初石の森 2003年当時を再現↑クリックで拡大↑

西初石の森 2006年

西初石の森 2006年当時の画像↑クリックで拡大↑

流山市民でも意外に知られていない上新宿から西初石1〜2丁目に広がる大きな森があります。
これだけまとまった森が残っているのは・・・
流山警察署の裏手に広がる市野谷の森(通称:おおたかの森)
東初石5丁目〜十太夫に広がる森(通称:ふくろうの森)
くらいで、なにか愛称があればいいのになぁと常々思っています。

※追記:初石〜流山おおたかの森付近の2008年の空中写真を下にスクロールすると、中段右にあるのが「ふくろうの森」で最下段左にあるのが「おおたかの森(市野谷の森)」ですが、すでに「ふくろの森」は壊滅しました(T_T)

欠陥住宅(3)の記事にあるように娘が2歳の時から約10年間。三方をすっぽり森に囲まれたこの地に住んでおりましたが、まるで別荘地に来たかのように、1年中野鳥のさえずりが聞こえ、タヌキの家族にも遭遇したことがあります。あ〜!通称:たぬきの森?ポンポコランド?でもいいかも(笑)
娘はこの森で草花の名前を覚え、この森の小径で初めて補助輪をはずして、自転車が乗れるようになった...など子育ての思い出が詰まった森です。

中古のボロ家でしたが、私は日当りと庭土の良さに満足していました。
森を切り開いた土地の為真っ黒な黒土で覆われており、ろくに肥料などやらなくても芝をはじめ草花がよく成長してくれました。
当初はこの家を建て直してここを「終の住みか」とするつもりでしたから、年老いたらボランティアでこの森の下草刈りでもして、森の管理のお手伝いをさせてもらえたらな〜等と考えていたものです。

さて、東葛人さんの「おおたかの森の周辺で、また森が一つ消滅しました」とIKAWAさんの「無残な野馬土手と見事な野馬土手。今週のポタは考えさせられましたっ!」の記事に感化されて冒頭の画像を貼ったのですが。

わずか3年の間に、この"たぬきの森"の一部が消滅してしまいました。
かなりショックでした。妻や娘に言わせると
「あんな"痴漢注意の看板"ばかりの暗い森がなくなってよかったじゃない」
「でもここは開発されないと思ったのになぁ」

と複雑な感想をもらしていました。

考えてみれば、私たちもこの森を切り開いた土地に住んでいたのですから、手前勝手な事を言っている訳ですが....
ボタリング愛好家の皆さんがおっしゃっているように、開発と自然保護の両立を行政による上手な舵取りに期待する次第です。

...それと。
あのたぬきの家族やその子孫たちは
「今でもこの森のどこかで、したたかに暮らしているのだろうか?」
と案じながら、ついついポタリングで森の中の細い道を通っています。

ここまでが2007年8月30日の記事。




ここからが2012年10月の追記。

今度は上新宿新田の「たぬきの森」が、野馬土手と共に伐採されてしまいました(T_T) まだ一部の伐採ですが、やがて「ふくろうの森」と同じ終焉(森の全滅)とならないよう祈るばかりです。

タヌキ・きじ横断します(流山市)

こちらは、流山おおたかの森付近の新しい道路に掲げられた「タヌキ・きじ横断します。(流山市)」の看板です。かめしなさんの【里山のんびりコース】のポタリング記事から拝借させて頂きました。
周りには森や丘、畑がまだまだ残っており、棲むところが狭くなったたぬきやキジが出てくるのでしょう?宅地開発も進み動物たちも棲み難くなってきているのでしょうか?
住んでいる人達には便利に良いことですが、ちょっぴり寂しい気がします。
実際どれほど、たぬきの棲むところが狭くなったか?

流山おおたかの森1984年(昭和59年)

こちらが、1984年(昭和59年)の流山おおたかの森付近の空中写真ですが、昭和55年に開校した小山小学校が写っています。(クリックで拡大します)

流山おおたかの森2008年(平成20年)

こちらが、2008年(平成20年)の流山おおたかの森付近の空中写真ですが。まだ駅直近にあった小山小学校の校庭に、桜の木々が青々と写っています。(クリックで拡大します)

どんどん縮小する市野谷の森(おおたかの森)

この後、さらにおおたかの森の南側(写真左下)が伐採されて宅地となり、たぬきの棲み家もさらに縮小してしまいました。

私自身は、流山市の開発に反対している訳ではありません。
流山市の「都心から一番近い森の街」としての、個性ある町づくりに大賛成です。
しかし現実は、流山市が住みよい街として評価が上がるほど、市内各地に残る森の伐採が進んでいます。流山おおたかの森(旧市野谷の森)は、UR都市機構が森林複合公園として最低限度の面積を確保していますが、その他の森は、森の街のスローガンとは裏腹にどんどん伐採が進行しています。

この綻びが、やがて取り返しつかなくなり、故郷流山市が首都圏のどこにでもあるような普通の住宅都市にならないよう祈るばかりです。...って。ただ外野席で言うだけじゃなく、実際に自ら行動を起こさなきゃと、この夏にあるチャレンジをしたのですが、敢え無く撃沈しました(残念)
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2012年10月07日

posted by たすけ at 03:18 | Comment(6) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たすけさん、こんばんは。

わずか3年でこんなに森が失われているのですか。驚きというか、何と言うか...じゃぁ、あと3年後にはどうなってしまうのでしょう。不安になりました。

こういった以前の状況と現在とのの比較をしてみたいのですが、どうやって2003年の地図を入手されたのですか?
# 全然関係ないですが、最近Seesaa安定してますね(笑)。
Posted by IKAWA at 2007年08月31日 02:18
IKAWAさん おはようございます。
お尋ねの件はメールで送信しておきました。

今回の場合、03年の地図は娘が小6時の夏休みの自由研究に使用した
地図を元に比較しやすいように06年の地図を修正したものです。

PS.自由研究は「流山市の水道」についてでした。
流山市の水は北千葉広域水道企業団からの水と地下水が利用されていますが
上新宿新田の野馬土手沿いの道の、あそこに流山市の取水井があるのですよ^^
もしまたあの野馬土手に行く機会があれば、ぜひ発見してみてください(笑)
Posted by たすけ at 2007年08月31日 11:11
おおたかの森付近、ほんとにTX開通以来激変ですね。この前も新しい道に戸惑いやや迷いました。たぬきさんも気の毒ですけど・・流山市も森林と開発地を調和させる都市計画をゆっくり検討する余裕がなかったのかもしれませんね。
Posted by dadashin at 2012年10月07日 10:37
>dadashiさん
都市計画(道路計画)などは、つくばエクスプレス(当時は常磐新線)の計画以前から立てられていますから
臨機応援な変更はなかなか難しいのが現実なのですが、それでも、もう少し行政が上手に舵取りを行えば
もっと森と調和のとれた、首都圏でも珍しい個性ある街づくりができたのではないかなぁ...と残念です。

今、最大の懸念は・・・
記事中にあるように、駅から離れた森の伐採が徐々に進行しています。
これを放置しておけば、結局どこにである普通の住宅都市になってしまうので
流山市も街づくり条例を制定し、街づくり委員会なども発足させています。
今後は、この委員会「行政・学識経験者・公募の市民」に刹那の希望を託すのみです。
Posted by たすけ at 2012年10月07日 11:03
多分手遅れだと思います。行政だってタヌキよりヒトが多くないと発展しないから、本心は環境保存なんかにはありません。夢を見て市内に転入しても、がっかりするだけでしょう。
Posted by Munen at 2012年10月07日 20:52
>Munenさん
確かに、残されたおおたかの森も公園化してしまえば、タヌキも棲みづらくなるでしょうね。
でも、おおたかの森が開発されてから転入されてきた新住民の方が、流山への愛着心が強いように思えます。

かなり手遅れなのは事実ですが「何事も諦めずに、できることからはじめること」が肝要かと思います。
Posted by たすけ at 2012年10月09日 03:02
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