昭和30年代の追憶
1959_昭和34年_流山町加02
同居したおばちゃんは、家計の足しに子供たち相手におやつ代わりのお好み焼きを売っていた。
今のお好み焼きは、キャベツ、豚肉、卵、ベーコンなど具がたっぷりだが、そのお好み焼きはほとんど生地だけで、具は真ん中へんにほんのちょっぴりだけだった。
今の人に説明しようとすれば、平べったい丸いエビセンのクレープ状...と想像してもらえればいいかな?
大きさはコーヒーソーサーくらいで、具は紅ショウガとサキイカが真ん中にちょびっとあるだけで、ほとんど小麦粉の生地にソースをつけて食べているようなようなものだ。
折り紙くらいの大きさの紙に乗せて、大人なら3〜5口で食べ終わってしまうだろう。もっとも小さい頃、お祭りで食べたお好み焼きも、だいたいそんな感じで、具を足したとしても、天カスや桜エビくらいだったと思う。
いったい、いつ頃から今のような具たっぷりのお好み焼きに変わったのだろうかなぁ・・
生家の前で近所のお兄さん&お姉さんたちと記念写真
戦後14年経っているが、この頃の地方の子供たちはだいたいこんな服装だろう。他の写真を見ても、野球のキャップをかぶっている子供はいなく、普段から学帽をかぶって遊んでいた。
生家の横から撮った写真
後ろに見える木々の向こうは、斜面になっていたおり、下った先は田んぼが広がっていたが、今は東急ドエルというマンションを中心とした住宅地と流山北小学校になっている。
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タグ:昭和の風景