昭和40年代の追憶
兄弟で七つも離れると、小さい頃に一緒に遊んだという記憶はあまりない。私自身の小さい頃の遊びの思い出は、やはり年上の先輩たちとの場面の方が圧倒的に多くなる。
さて昭和40年に小学校に入ると、遊び仲間が集団登校の班とほぼ同じグループとなった。このグループの掟として、5〜6年生が出す小遣いから、中四つ角の加藤屋商店(当時は茅葺)に行って、せんべいや菓子を買ってくるパシリの役目があった。
当時は、5円でアイスやガムを買えたので、20円もあれば数人の仲間で分けて食べるお菓子は買えた。当時のせんべいは、今のように袋にはいっておらず、1枚1枚のバラ売りで木製の什器(じゅうき)や大きなガラス瓶に入っており、10円で3〜5枚ほど買えたので、先輩から10〜20円を預かり、パシリの好みで煎餅を選び、お店の人に入れてもらった茶色の袋を大事に抱えながら、全力疾走でグループが待つ広場(ひろっぱ)に駆け戻ってくるのだった。
そして、待っている仲間は、どんなお菓子を買ってくるのか?
何分以内でここに戻ってくるのか?などをみんなで予想し外れたら、イヤミのシェーを何回やるとか何秒やるとかの罰ゲームでワイワイやっていたものである。
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画像クリックでいろんなシェーが見られますよ(^。^)v
まだ幼稚園生だった頃、みそっかすで遊び仲間に加えてもらいこのルールをそばでみていた私は早く1年生になってこのパシリをやりたいと思っていた。
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画像提供:はすぴー倶楽部
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タグ:パシリ