昭和40年代の追憶
一昨年の忘年会で、久々に高校時代の部活の同級生やOB等に再会したが、今年は小金高校吹奏楽部創部40周年ということで、記念コンサート&大同窓会の案内ハガキが届いた。
すぐに返事を出そうと思っていたのが、気づいたら期限が先週で終わっていた^^;
今日、急いでメールで参加の意志を連絡したが...
会長!「すんません○┓ペコリ」
...で。所蔵している毎日新聞社刊:決定版昭和史より
この画像の上に見える建物が我が母校である。
武蔵野線の開通が、私が中3の昭和48年4月であり、下に見える新松戸駅も未完成なので、この写真は昭和46〜47年頃のものだろう。
ともあれ、大同窓会に参加する私の世代や先輩のOB方々は、こんな田んぼや造成地の中にポツンと建った高校に泥やジャリに足をとられながら通っていたのである。
PS.この大同窓会に出席した日に、当時埼玉県の越谷から小金高校に通っていた同級生が...
「何言ってんのよ、開通は49年からよ。だって私が通学定期第一号だったんだもん!当時は朝だって1時間に3〜4本。昼なんか1時間に1本しかなかったんだからぁ〜!!」
と、反論していました...そーいえば、最初の1年は貨物列車しか走っていなくて、客車が通ったのはその後だったのかもしれません^^;
とりあえず、当時授業に飽きると窓から見える貨物列車の貨車数の当てっこをしていた記憶が蘇りました(笑)
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うわー、凄い写真ですね。
この方向なら、一番上の辺りが江戸川の堤防ですね。
今の景色を見慣れた私には想像もつかない光景です。
でも考えてみれば、私も子供の頃、大阪の北河内でこんな景色を見ながら学校へ通っていました。
久しぶりに帰省すると、その時の記憶と今の街並みが全く一致しません。
時は流れたと言うしかありませんね。
昨日、やっと梅雨らしい天候の中
「あじさい通り」に行ってきました。
そのあと本土寺も廻りましたが
ハトバスツアーまで来ていて
大盛況でした。しかしあじさいの
見事さは「あじさい通り」の方が
勝っているように思えました。
なにより地域の人たちのあじさい
への愛情が感じられますよね^^
来ていただきありがとうございました。
私がこの学校に居たときに、確か20周年記念の行事がありました。
そのとき開校時から居た先生が挨拶して、新松戸駅はなく、北小金からみんな歩いた、常磐線に乗っていると遠くに光る物が見えて、何だろうと巷で話題になったが、体育館の屋根だったと話していました。
また、駅から学校までぬかるんでひどかったとか、台風で江戸川の水があふれてとか聞きました。
私はこの20年数年で変化にショックを受けましたが、このころの写真は凄いですね。
なんであんな所に建てたのでしょうか。
おそらく開校計画の初期段階では新松戸駅は想定外だったのでは
ないでしょうかねぇ。
とりあえず私が小学生の頃、坂川でタナゴを四手網で捕まえていた当時
この校舎はかなり遠くからでも見える唯一の高層建築物でした!(笑)