日記(家族・子育て)
祖母は享年85であったが祖父は享年36だったそうだ。祖父はポッポ屋(鉄道員)だったらしい。
祖母はその後再婚して二人の叔父を儲けたが2度目の夫は酒乱が治らず離婚し、その後は細腕繁盛記のごとく、ラーメン屋から始めて小さな小料理屋を営むようになっていた。
祖母は生前、よく山に山菜や茸を採りに行くのが趣味で、私が野草や茸を観察するが好きなのは祖母のDNAかも知れない。
叔母(祖母)の家には、ずっと最初の夫(祖父)の遺影が飾られていた。
祖父は生前、東野鉄道(とうやてつどう)の駅長をしており、遺影は駅長帽をかぶって優しい笑み
を湛えていた。祖父の死因は結核だが、感染は部下への懸命な看病からだという。
期せずして今の私の仕事は、患者さんと医療とを結ぶ仕事の末席に置かせて頂いているが、もしかしたらこれも血筋なのかもしれない。
しかし、祖父のDNAを強く感じるのは鉄道(線路)が好きなところだと思っている。
小さい頃から電車に乗るといつも運転席の直ぐ後ろに立ち、延々と続く線路を見ているのが好きだった。小学1〜2年生の時、松戸市馬橋にある目医者に通うため、赤城台駅(今の平和台駅)から流山線を利用していた。
いつもそうやっている姿を見てたある時・・・
本来は業務違反だが、運転手さんが運転席に招いてくれてほんの僅かな時間だが運転席からの至福の眺めを味わうことができた。
私は、いわゆる鉄道オタクと言うほどマニアではなく、車両の型とか諳んじることができるわけではない。ただ、線路のある風景が好きで、電車もどちらと言えば古びたローカル線が大好きだ。
娘が小5のGWに、大井川鉄道の蒸気機関車やトロッコ電車に乗せたが、一番はしゃいでいたのは私自身だったということを娘から指摘されたことはお恥かしい限りである。
今でこそ夏休みやGWには家族旅行や卒業旅行が当たり前の時代だが、私の小さい頃は、泊りの旅行と言えば、栃木県の黒磯にある祖母の家で過す事だった。
それも楽しみではあったのが、中学生の頃から地図と時刻表をにらっめこしながら空想の中で日本のあちこちを旅行したものである。
実際に実行した純粋な鉄道旅行といえば、1974(昭和49)年春の中学卒業後の春休みに、馬橋駅を基点に一筆書きにぐるっと「日帰り千葉県一周鉄道旅行」をしたくらいだ。
ルートの関係で久留里線と銚子電鉄を乗れなかったのが心残りで、今年(2007年)の4月に、かしてつ(鹿島鉄道)の廃止の報道を胸が締め付けられる思いで見ていた。
いつかは、久留里線と銚子電鉄を制覇しなければと思っているのだが、ただ鉄道に乗るためだけの旅行に妻子は賛同する筈もなく、自分の卒業旅行の宿題は50代に果たそうかと思っている。
祖父の勤めていた東野鉄道は昭和43年、私が10歳の時には廃止となり、今では東野交通として栃木県東地区を中心に路線バスや高速バスを運行しているが、私が大学4年の時、地質学のゼミで八溝山系チャート層のフィールドワークがあった。
その際に母の従兄弟がまだ東野交通に勤務していたので、私が幹事となりバスの手配やらを名目に祖父の勤めた会社や、祖父の親戚を訪ねたが私の顔を見て、「亀雄さん(祖父の名)の面影があるね〜」と言われた時に、なんとも言えない嬉しさが込み上げたことを今でも覚えている。
2005-11-15 00:00筆
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タグ:東野鉄道
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