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十余一(とよいち)と十余二(とよふた) 9/14(日)に、柏市十余二から白井市十余一に向かいました。9/15(祝)は、迷走し予定外で十余一を通過することになりました(苦笑)十余一(とよいち)と十余二(とよふた)は小金牧の開墾順で最後の方につけられた名称ですが、小金牧の開墾順については⇒【小金牧その後 / 明治〜平成】をご参照ください。
地図の出典:歴史的農業環境閲覧システム(独立行政法人農業環境技術研究所)
地図は1880〜1886年(明治13〜19年)頃の様子ですが
白井市十余一(迅速図では十余市)は、木下街道が通過し、柏市の十余二は、守谷街道が通過しています。両方とも古い旧道なのですが、いまでも交通量の多い街道です。
9/14(日)は、白井市郷土資料館にて「房総の街道」講演会を拝聴。
そうか!なるほど!と会得したのが
房総は江戸(東京)のエネルギー供給地であった...ってことでした。
現代ではBBQくらいしか木炭や薪(=薪炭)を使いませんが...昭和30年代くらいまで、風呂焚きは、薪やコークスでした。私も子供時分、風呂焚きや煙突掃除を手伝っていました。
流石に台所のコンロはプロパンでしたが、つい50年くらい前まで、炊事・風呂焚きに薪炭は当たり前のエネルギーでした。
昭和40年代まで、江戸(都内)庶民は風呂付きの家はなく、銭湯通いが大多数。炭は江戸の庶民には高値だったらしいので、武家用が主だったらしいですが。それにしても、人口100万人が暮らす江戸の町に、どれだけ大量の薪炭(エネルギー)が必要だったか?
それを考えれば、守谷街道や木下街道に限らず
房総の街道で運ばれていた、もっともポピュラーな荷物は薪炭であろうと。なるほど・・・
小金牧を開墾した筈なのに、なぜ松の植林が目立つのか?
後日、林業に詳しい方に話を伺ったら、油分の多い松は燃料としても適しているし、土に埋めても腐りずらいので基礎材には欠かせないのだそうです。そういや、松明って書くし、松ぼっくりもよく燃えますものね。
燃料が無ければ暮らしていけない、酒・味醂など醸造業でも燃料は不可欠、林業=エネルギー供給業という視点にあらためて気づかされました。
さらに、講師の山本光正先生曰く
江戸の経済(商業)を支えていたのは百姓である。
では、土地を持たない小作人はどうやって銭を手にいれたか?
馬を飼い、荷役の下請けで、駄賃を稼いでいたのだ。
但し、手した駄賃は、飲む・打つ・買うで、結局還元される仕組みになっていた...と(^^;)
さて、小金牧に野馬が放牧されていた江戸時代は、牧の仕事を手伝うことで馬を払い下げてもらう事ができましたが、牧が狭められ馬を得ることができなくなったら、どうやって駄賃を稼ぐのか?
馬が手に入らなくなったら、人力ですよ(^^;)
木下街道は、印西市〜市川市を結ぶ街道で、中間点の鎌ヶ谷〜市川の区間。
明治末〜大正まで10年弱ですが東葛人車鉄道が通ってました。
講演では、東葛人車鉄道の話までは及びませんでしたが、なぜこの話題を最後に持ってきたか?
自転車仲間の方々には、もう察しがついていると思いますが・・・
この講演会を私に教えて頂き
「白井の梨」の購入にお付き合い頂いた輪友が、この方だったからなっし〜!(笑)
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守谷街道、木下街道、、馴染みのある名前ですねー
でも、東葛人車鉄道なんて、今まで聞いたこと無い(笑)
ほんとか?って一瞬思っちゃいました。
鉄道跡は見つけられそうにないな〜
私もこの鉄道の事を東葛人さん本人or鉄ポタさんから聞いた時「冗談」かと思ってました(笑)