語り継がれる流山史・東葛史 / 流山市立博物館友の会

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語り継がれる流山史...市の誤変換じゃありませんf(^、^;
※文中○○先生と書くべきところを、信愛を込めて○○さんと記述しています。

流山研究におどり第7号.JPG

これは、流山市立博物館友の会が発行している「流山研究におどり」
におどり第7号『昭和56(1981)年3月21日』を、急遽図書館で借りて来た理由は後述します。

屋号瓦.jpg

前記事【少年等が夢の・・・下田の杜のお屋敷】「下田(しただ)」屋号の瓦
下田はその名の通り『下にある田』がそのまま屋号になった訳ですが、苗字が土地の特徴に由来するのはよくあるケースですね。

さて、流山小学校に通っていた私ですが、通学路に広大なお屋敷がありました。それが、流山を代表する万上みりんの「堀切家」のお屋敷だったのですが。一度か二度だけ門が開いていて、はるか遠い先に威厳&華麗な母屋が見えた時、まるで映画か大河ドラマのワンシーンのような、少年の日の夢の記憶として残っています。

下田の杜のお屋敷の記事を書きながら、そんな少年の日を思い出していた矢先・・・

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の「でれすけ」さんの最新記事に
『豪商、堀切紋次郎の一族 』(堀切紋次郎家の華麗な系譜)
堀切の先祖はなかなかの名家で、千葉之介常胤の三男胤盛が千葉家の落城後、隅田川のほとりの堀切村に蟄居(ちっきょ)して堀切将監と号し、約400年間代々浪士として世を過ごしてきた。菖蒲園で知られるあの堀切である。
「えぇ〜!?そうだったのかっ!?」

流山のみりん醸造で財を成したのが
天晴みりんの「秋元家」と万上みりんの「堀切家」の二大財閥。

秋元家は同級生がいたのでわりと身近に感じ、子供心にも天晴みりんの栄枯盛衰も感じ取っていました。また現在では、アトリエ黎明や一茶双樹館など、天晴みりんの「秋元家」の歴史を知る機会や資料は多いのですが、万上みりんの「堀切家」の歴史については、ほとんど知る機会がありません。

...で。早速「におどり第7号」を借りてきて、山本鉱太郎さんの『堀切紋次郎家の華麗な系譜』を熱読しました。概要は「でれすけさん」が書いている通りなので割愛しますが『目からうろこ』の連続でした。
流山市立博物館友の会発行の郷土史は、これまでもことある事に愛読しており、におどり第7号を読み進めてたら・・・

「あれ?これ読んだことあるな」
という箇所もかなりあり、堀切家の項目を完全に見落としていたようで
いかに自分が「拾い読み」程度であった、ということを反省致しましたf(^、^;

資料のない郷土史を、一から掘り起こすのは大変な作業で、山本鉱太郎さんは『堀切紋次郎家の華麗な系譜』の執筆にあたり、寺の過去帳や堀切家でお位牌を見せてもらうのをはじめ、墓石ひとつひとつをタワシで丁寧に洗いながら刻字を調べるなど、気遣い&手間暇は相当にかかっています。

青木更吉さんをはじめ【流山市立博物館友の会】の方々の、地道で丁寧な検証作業には本当に頭が下がります。また、でれすけさんがブログ記事をアップするに際して、只今現在の堀切家への配慮(迷惑)も忘れず、抜粋されている事にも感心いたしました。


TXに併行する新道.jpg

これは、7/20柏に向かう際に撮った写真
「あれ!?向こう側(写真右方向)に行けない!(>_<)」

ついこないだまで(つい最近まで)通れた旧道が分断され、昔の道筋が次々に消滅しています。TX開通に伴い都市化が進み、便利な街に生まれ変われる事は良いことですが、道は消えても流山や東葛の歴史は語り継がれていかなければ...と思っています。

直近ですと、5月6日に【堀切紋次郎とこぼれ梅】で、野田・流山の醤油や味醂に関係する施設や道を、自転車仲間にご案内致しました。

流山市立博物館友の会出版物.jpg

自転車の楽しみ方は様々で『より遠く、より秘境へ』もあれば、『ごく近く、ごく濃密に』もあります。
私は後者のスタイルで自転車を楽しんでいますが、その際に参考にさせてもらっているのが、流山市立博物館友の会発行の郷土史の数々です。

そして、私の自転車の楽しみ方と共通項が多いのが、東葛人さんや断腸亭さん....と言うより。
そういう自転車の楽しみ方を教えて頂いた、私の二大師匠と言うべき存在かもしれません?f(^、^;

楽しい東葛ウォーク事典.jpg

第27号【楽しい東葛ウオーク事典】の前書きに・・・「歩くということは人を、人の記憶をたどることであり、書斎で万巻の書を読むことでは得られない人間の知に触れることである」とがありますが、それを自転車に置き換えているようなものかな?f(^、^;

要約すれば・・・
青木更吉+山本鉱太郎=歴史・資料の師匠
東葛人+断腸亭=フィールドワークの師匠
・・・ってカンジ♪

流山情報のブログやfacebookでは
「○○が出来たよ!」
「こんなイベントあるよ!」
「この店が美味かったよ!」
「ここが映画(ドラマ)のロケ地だよ!」

的な一言情報発信に溢れています。
拙ブログもFBもそんなんばっかりですがf(^、^;

まぁ、それはそれで住みよい街、便利な街の情報として良い事だとは思うのですが
【流山市立博物館友の会】のような、『地道な郷土史研究会』があり
【でれすけさん】のような『流山史を語り継ぐブログ』があり
丁寧に流山史・東葛史を検証&情報発信していることに、流山一市民として誇りに思います(^-^)


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2014年07月25日

posted by たすけ at 13:08 | Comment(4) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
古典落語に「流山の若旦那」と出てくるくらいですから、かつての流山には、大旦那が幾人もいたのだろうと思います。
青木更吉さんの凄いなー、と思うのは、別に土地の方でもなんでもなく、たまたま移り住んだ流山という地について、ある程度のお歳になってから、足を使って(古老に聞き取りをして)独学で学んでいるところです。元々社会科の先生ですから、下地はあったのでしょうが。
博物館友の会は私の師僧が役員をしていた関係で、発送作業の手伝いとかをさせられ、、、もとい、させていただいておりました(^^;)
Posted by PRINCOちゃん at 2014年07月26日 00:10
>PRINCOちゃん
26日の昼
そのお寺の、教えて頂いた堀切家の墓所に格子の外から手を合わせて帰ろうとした時
お墓参りにいらした、同家のかたに偶然お会いしました(お引き合わせでしょうか?)

一言だけご挨拶させて頂き、その後、南中裏の墓所にも立ち寄りました。
表から見えなくなっていたので、てっきり移転していたものと勘違いして私。
やはり、書籍やネット情報だけでなく、自分の足で巡らないと...反省。

ある尊敬する方(明治英雄のご子孫)が、墓参りを観光化する不届き者は言語道断である!
の喝が印象的で、今後も節度をもって郷土史を綴らなければと、心をあらたにいたしました。
Posted by たすけ at 2014年07月27日 12:35
「行灯」についての情報ありがとうございます。「たすけ」さんの流山情報はすばらしいです。お気に入りに入れました。当方は新たなテーマを探しているところです。またいろいろ教えてください。
Posted by handkit at 2014年07月29日 06:52
>handkitさん
とんでもありません。
「写真でつづる流山の道」のように一つのテーマで探求するブログが何より素晴らしいです。
私は根気がないので、思いつつまま書いているだけなので、お恥ずかしい限りですf(^、^;)

ひとつ、お願い事があります。
後ほどメールをお送り致しますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
Posted by たすけ at 2014年07月29日 18:45
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