何かあったら、何があっても。集団的自衛権

日記(言いたい放題)

古い電車の ドアのそば 私は黙って 立っていた パクリ言葉を さがしながら

池上線車内広告.jpg

昨日、東急池上線で「何かあったら、何があっても。○○○○」という車内広告を見かけ、池上線に揺られながら、様々なフレーズが浮かんできましたが・・・

何かあったら、何があっても.jpg

何かあったら、何があっても、集団的自衛権

説明不要でしょう。まぁ関連記事は⇒【パパ、戦争ってどれくらい儲かるの?】

何かあっても、何があっても、政権与党

ホント、この政党にもがっかりです。
どんなに穏やかな顔で言い訳しようが、私には"濁点"の違いくらいにしか聞こえませんでした。
そんなに連立与党にしがみつきたいかねぇ。


私自身はどちらかと言えば、たぶん「右」です。
自国の主権と財産(領土・国民)を守るために、戦力(自衛隊)は抑止力として必要と思っていますし、憲法9条第2項の「戦力の不保持」はとっくに形骸化しているので、それらは改正してもいいんじゃないかと思います。でも、本件に関して・・・

ざっくり、自分を自己分析してみると
詭弁を用いて一部の利権(私腹を肥やす)に利用されること
反対意見を封じ込めようとムーブメントが創り出されること
そして何より自分の生活に直接関係ないと無関心でいること

こういう事が何より嫌いな質なんだなぁ...と思います。

「様々な意見があって当たり前」が社会であり、それを認め合い(是々非々)、最終的に多数決で決するのが民主主義の基本であることは、幼稚園児でもわかりますよねぇ。

嫌よねぇ・・・自分も含めて大人になると
都合のいい時に、都合のいい事しか言わないから・・・



あ!幼稚園児も、大人と変わりませんでした(笑)




2014年7月1日 追記。
集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。
これによって、東シナ海、南シナ海、ペルシャ湾に展開するアメリカ軍のフィールドに、日本の鍛え抜かれた若者を出場させる準備が整った。

アメリカに限らず、どの国でも国民は戦争なんかしたくないと思っている。
特に紛争地域に派遣され、死亡や病んでしまった兵士の家族はなおさらだ。
日本のマスコミは、テロの脅威はさかんに報じるが兵士の家族を報じない。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2012/08/post-2647.php

いつの時代も、戦争止む無しと笛を吹くのは、傲慢な為政者だ。
いつの時代も、正義は我にありと扇動するのは、貪欲な利権者だ。
いつの時代も、為政者と利権者は、戦争をゲームだと思っている。


2014年7月2日 追記。
FIFAワールドカップ アメリカVSベルギーは感動した。
死闘を尽くした戦いとは、あんなゲームを言うのだろう。
スポーツに感動するのは、鍛えぬかれた肉体と精神が公平なルールの中でぶつかり合うからだ。

オリンピックの起源を紐解くと、戦争や宗教儀礼など為政者の権威主義が見えてくる。

近代戦争から、ゲームの優劣は鍛え抜かれた肉体ではなく、武器の優劣になっている。
為政者と利権者は、肉体や精神ではなく、武器の優劣を試したくてうずうずしている。
ゲームに勝っても負けても得をするのは武器生産者とその利権にぶら下がるやつらだ。

戦争が始まってしまうと国民は熱狂するが、ゲーム終了に感動は残らない。
ましてや、現代のテロとの戦いは、ゲーム終了のホイッスルは吹かれない。
延々とAdditional Time(負傷者搬出に費やされた時間)が続くだけなのだ。

安倍首相は「集団的自衛権の行使容認」はむしろ戦争回避につながると力説した。
そんなマヤカシは「原発は安全です」より、ずっとわかりやすい詭弁だ。

第一、あなたは戦争ゲーム開始のホイッスルは吹けるだろうが
あなたのイエロカード・レッドカード・終了のホイッスルにも
紛争相手国は従うルールにはなっていないのだから。

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2014年06月30日

posted by たすけ at 10:14 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も声を大にして叫びたいのに発することが出来ない。
いやな大人になってしまっています。
大人止めました??てなことにはできないし・・・。
でも本当に気分が悪いです。
今日という日を忘れないでしょう。
Posted by Roman at 2014年07月01日 05:44
>Romanさん
一昨日の新宿の抗議の焼身自殺(存命)は、メディアはほとんどスルーするし
昨日の官邸前の集団的自衛権への抗議デモも、ほとんど報じられることはないし
「ペンは剣よりも強し」ではなく「ペンは権寄りの弱し」を思い知らされます。

秋元康は、私と同い年ですが...
私が秋元康だったら、AKB48に反戦ソングを唄わせると思います。
Posted by たすけ at 2014年07月01日 06:44
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