市野谷(いちのや)の森 / 過去と現在

流山チャンネル

そもそも、おおたかの森とは、つくばエクスプレス開業に合わせて広まった名称で、本来は市野谷(いちのや)の森でした。そこで前記事より少し範囲を拡大して、市野谷の森の過去と現在を比較してみます。
市野谷という地名は円東寺の門前に市がたったからとか、その昔馬の飼育をしていた代官の市野惣太夫という人が住んでいたからとか諸説ありますが、ここでも馬の話が出てきます。

1955_昭和30年流山市野谷の森.jpg
1955年(昭和30年)市野谷の森
地図の中心を、市野谷の円東寺にしてあります。

市野谷の森1955年(昭和30年).jpg
1955年(昭和30年)市野谷の森
上記の写真に、つくばエクスプレスと諏訪道を重ねてみました。
流山南部中は、私の出身校です。

市野谷の森2008年(平成20年).jpg
2008年(平成20年)市野谷の森
森の消失は、一目瞭然なのですが・・・
私にとって旧道があちこちで寸断されてしまったことがショックでした。

ほんの昨年まで、多くのサイクリストがこの円東寺前のくねくね旧道を経由して、江戸川〜大堀川へのルートにしていました。今は行き止まりの連続で、私自身も円東寺さんに行く道がわからず、呆然としてしまいました。
数年前に自転車仲間を案内した旧道も、行き止まりや付け替え道路になってしまい、走っていて気持ちの良い道がここ数年で、かなり減ってしまいました。

私自身小学生の頃は、でこぼこ道や曲がりくねった道ばかりの、田舎じみた流山の風景を恥ずかしいと思っていて、都会を羨ましく思っていました。しかし、大学生以降は車窓から延々と家屋とビルしか見えない東京の風景にうんざりし、都心に近く緑の多い流山を誇らしく思うように変わりました。

都心方面からつくばエクスプレスに乗車し、南流山駅からのトンネルを抜けると、車窓に緑が広がりほっとしますが、年々その緑が減っています。まるで映画のセットのように、うすっぺらな緑の壁が連続しているようになってきました。住みやすく活気にあふれたまちづくりは大歓迎なのですが「都心から一番近い森のまち」が、看板倒れにならないよう祈るばかりです。



これは、江戸時代の諏訪道をトレースしたものですが、今では行き止まりや付け替え道路になっている箇所があり、このルートのままでは徒歩でも行けない部分があります。ただ、道は常に変化します。私が生まれてから中学生になる間にも、2万人だった市内人口が5万人となり自家用車の普及と共に、諏訪道は舗装道に整備され、ところどころで付け替えがありました。

でも、曲がりくねった古道や旧街道は車にとっては見通しが悪くて走りづらい道だけど、自転車や徒歩で行くと気持ちが良い道なんですよねぇ。これからは、車優先の都市計画道路を優先するより、歩いて気持ち良い道、自慢できる道を優先整備して欲しいなぁ。


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2013年10月26日

posted by たすけ at 07:33 | Comment(2) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>くねくね旧道
移動経路として非効率的なワインディングロードが、どれだけ人の心を受け止めてきたことか、、、、

新しくできる3.1.1芝崎市野谷線は歩道も自転車専用道もたっぷりの計画です。流山の「ウリ」に充分なりうると思います。「無くしたものを嘆くより、今あるものを大切に」の精神で、住み続けたくなる街をともに目指してまいりましょー(^^)
Posted by PRINCO at 2013年10月26日 20:05
>PRINCOちゃん
暗いと不平を言うより、すすんで灯りをつけましょう・・・ですね(^^;)

まぁでも、ちょいちょい開発に対する不平をつけて、少しでも森や史跡を残すように
声を上げておかねば。なし崩し的な環境破壊は容認しないぞ!...と思っています^^;
Posted by たすけ at 2013年10月30日 22:43
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