日記(言いたい放題)
阿弖流為(アテルイ)東北(岩手県)の原住民の総大将...大和朝廷からは蝦夷(えみし)と蔑称されますが、縄文時代より、ずっとこの地で自然と調和しながら平和に暮らしてきた原日本人です。日本とは太陽の昇る国=日高見国という説があります。
日本書紀の【景行紀(=景行天皇の頃)】
東国から帰還した武内宿禰(たけうちのすくね)が以下のように言上
「東国に日高見(ひたかみ)国があり、その国の人は蝦夷(えみし)と呼ばれ武内宿禰が280歳〜360歳と諸説あり・・・え?^^;
男も女も髪を椎(つち)のような形に結って、身体に刺青(いれずみ)をした勇敢な者達です。
また土地は肥えていて広大です。彼の地は攻略すべきです。」
景行天皇は、紀元前13年生、紀元130年崩御...143歳!?アンビリーバボーですね^^;
もし、実在したとすれば4世紀前半くらい?...てなカンジです。
記紀は710年以後(8世紀以後)に書かれたものなので、700年も前の事など正確に書ける筈などありません。何より、当時の政権にとって都合の悪い事は、書かないでしょうから。まぁ、現在の原発の事故隠しや、特捜の自白調書でっち上げに比べれば、罪は軽いもんですよ(苦笑)
さて4世紀前半は、九州から侵攻してきた倭の王朝(神武天皇)が、ニギハヤヒに大和(奈良)を譲ってもらい、連立王朝の大和朝廷が成立した頃です。
東国から帰還した武内宿禰の報告が・・・
紀元1世紀頃なら⇒日高見国は、中国・近畿地方の事
(景行天皇は、まだ奈良に居ませんので)
紀元4世紀頃なら⇒日高見国は、関東・東北地方の事
(景行天皇は、すでに奈良に居ますので)
...で。じつは記紀には景行天皇より、子(皇子)の事が沢山書かれています。
日本武尊...日本(ヤマト)武尊(タケルノミコト)←日本書紀
倭 建命...倭(ヤマト)建命(タケルノミコト) ←古事記
...で。魏志倭人伝...聞いた事があると思います。
もともとは、倭(ワ)と呼ばれていたのが、倭(ヤマト)
さらに、日(ヤマト)と読ませるように変わっています。
倭(ワ)⇒倭(ヤマト)⇒日(ヤマト)⇒日本(ヒノモト)⇒日本(ニホン)
どうやらこんなカンジで、日本の国名が確定したようです。
さて、記紀以外に風土記という書もあります。
【常陸国風土記】より
■行方郡の伝承
国栖の寸津毘古(きつひこ)と寸津毘賣(きつひめ)の2人がいた。
寸津毘古は、天皇の命令に背き、教化に従わず、すぐに斬り殺された。
寸津毘賣は、降参し天皇は哀れに思って恵みを垂れ、住むことをお許しになった。
■小城郡の伝承
昔、この村に土蜘蛛がいた。小城(城壁)を造って隠れ、天皇の命令に従わなかった。
日本武尊が巡行なさった時、ことごとく誅罰した。
おっ?おぉお!天皇や日本武尊が4世紀頃に、茨城に来てんじゃん!
日高見(ひたかみ)国=茨城県じゃね? 日本の国のルーツは茨城だっぺよ!!
そうだっぺよ。んだからぁ、常陸(ヒタチ)・日立(ヒタチ)って云うんじゃん!
えぇ...まぁ...お気持ちは察しますが
岩手の人は、日高見(ひたかみ)⇒きたかみ(北上)...って言ってます^^;
まぁとりあえず、九州や大和から見れば、茨城や岩手は東国=日高見国であることに違いありません。そこには遥か昔から、海の恵み、山の恵みを享受して、豊かな生活をしていた原日本人(=縄文人=蝦夷)が住んでいた筈です。ひょっとしたら日本武尊の軍勢をコテンパンにやっつけて敗走させた英雄もいたのかもしれません。でも、ほら。朝廷にとって都合の悪い事は書かれないし、独自の文字記録として残ってないんです。
...で。802年(延暦21年)
【類聚国史】
4月14日...阿弖流為と母禮は兵5百余人を率いて胆沢城の坂上田村麻呂軍に投降した。
【日本記略】
7月10日...田村麻呂征夷大将軍に従い上京した。
【日本記略】
8月13日...公卿の執論の結果、河内国杜山(又は植山或いは椙山)で処刑された。
これが
高橋克彦著「火怨・北の燿星アテルイ」
NHKドラマ「火怨・北の英雄アテルイ伝」です。

来年2013年にNHKで「火怨・北の英雄 アテルイ伝」が放送されると知り、また主演がTBSドラマ「JIN-仁-」の大沢たかおなので、ますます楽しみです♪
何故、全国的には無名の英雄、阿弖流為(アテルイ)を取り上げるのか?恥ずかしながら、私もサスケさんのブログを拝読して、初めてアテルイを知りました。
東北を平定しようと北へ攻め上る朝廷軍の襲撃に、命を捨てて一族の未来を救った古代東北の英雄・阿弖流為(アテルイ)の生涯を、空前のスケールで描く歴史冒険巨編。なるほど、そういうことなんですね(^^)
かつて不屈の魂をもって東北を守った陸奥の英雄を描くことで、東北復興支援の一環とし、大震災後、復興に向けて誇り高く生きている『東北の人たちへの応援歌』を目指します。
中尊寺金色堂のような金ピカ観光国宝も良いけれど、アテルイの活躍が偲ばれる史跡がこの放送をきっかけに盛り上がるといいですね(^^)
征夷大将軍となった坂上田村麻呂と蝦夷であり敵将の阿弖流為(アテルイ)
この二人は、友情を保ちながら戦う運命となってしまうのですが・・・・
大好きだった大河ドラマ「風と雲と虹と」平 将門(加藤 剛)と平 貞盛(山口 崇)の関係と似ているところがあり、時代的にも100年くらいの時間差なので、アテルイ(大沢たかお)と 坂上田村麻呂(高嶋政宏)の二人は演技が楽しみです。
原作の「北の燿星アテルイ」通リの最期は、「北の英雄アテルイ伝」で、放送できるのかな?残酷なシーンなのですが、とても感動深いクライマックスです。それに放送も、BSで43分×4回 総合で2回..ってかなり省略されてしまう部分が多いのでしょうね、それがちょっと残念かな?
因みに、こちらの⇒[NHK番組動画サイト]で、北の英雄アテルイ伝の番組情報が紹介されています。
記者会見での各出演者のコメントによれば、東北の雄大な自然と調和する蝦夷の生活を再現してます。との事で、「お!これこそ、実写版もののけ姫」みたいな風景が出てくるのかなぁ・・・と期待が膨らみます(^^)
でもね...阿弖流爲(アテルイ)の故郷は一体どんなところ?
それは...戦国放題こたつ城さんの
今回は、水沢駅の東側、「胆沢城」の跡地と、「巣伏の戦い」の古戦場跡を巡り、アテルイゆかりの神社「神明社」のお参りなど、蝦夷征伐戦(700年代末〜800年代初頭)の跡を巡る。2010年・城主のたわごと1月に多くの現地写真と共に紹介されています♪
さらに東の江刺(北上川の東側)へ渡り、「えさし藤原の郷」を舞台に、「前九年の役」(1000年代半ば)をご案内しようかと〜♪
拙ブログよりずっと長文ですが、こたつむりさん(松戸市)の軽妙な文体が読みやすいのです。
例えていうと...クロスバイクを買っちゃうぞ!の"くろばいさん"と文体がよく似てます。
やっぱり女性視点は違う...って。くろばいさんはサイクリストしか知らないですよね^^;
さらに、坂上田村麻呂と清水寺とアテルイと東北の寺社について
⇒2009年・城主のたわごと5月 以下抜粋
田村麻呂ゆかりとされる寺社や伝承地は全国的に多いが、特に東北に多い(^^ゞ。山形県を除く殆ど全域に田村麻呂伝説が広がっている。
山形県に多くないのは、征討範囲に含まれてないからだろうが、田村麻呂の時代だと、青森県まで行ったと思うのは難しいのに、青森県にもある(^_^;)。
延暦16年(797)に、田村麻呂は日本で初めて征夷大将軍に任命されたが、延暦17年(798)は、どちらかと言うと、この年に京都の清水寺を建立した(と伝わる)事と関係があるようだ。
田村麻呂は抜群の武勇者のように言われるが、実はその功績の殆どは、蝦夷との融和策が功を奏しているのだ。これは、その前段階の無茶な行軍劇と悲惨な結果とは決別した結果にも思える。
延暦21年(802)、田村麻呂がアテルイらの帰服を受け入れ、彼らを都に連れ帰る(04/15)ちょっと前の1月9日、田村麻呂は胆沢城の築城のため派遣を命じられ、その出立に当たってだろう、1月20日にお坊さん(「度者1名」)を賜わっている。征服後の奥地で、蝦夷の教化を行う考えだったのではないか、と見られている。
こう見てみると、田村麻呂の来た直後から、ドッと雪崩を打ったように東北じゅうに、この時期を創建とする寺社が多くなるのも頷けるかな(^^ゞ。

阿弖流為(アテルイ)には母禮(モレ)という、親友(戦友)がいるですが、その二人の顕彰碑が関西アテルイ・モレの会(岩手県人)によって、京都の清水寺に平成6年に建立されている事を知ったのは、つい最近の11月10日の事です。
この項、まだ続きます。

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それなのに和食の店などで嬉々として「倭」を名乗る店が多くて背中が曲がる思いです…
天皇のお歳が100ン歳とかになるのは、きっと、その間にいた方が不明なので無理無理長寿にしちゃっているだけだと思います…。
教科書を直せというのなら、魏志倭人伝を直…おっと、ここら辺にしておきます(^^;)
常陸では美浦村(霞ヶ浦を渡る手前)が日高見と言われています(黒坂命が眠っているとされる)
でもそのもっと前は、奈良の歌舞伎などで有名な道成寺のある日高郡日高も日高見だったと思っています。また九州にもありますね。
こんなことを考えていると空想が膨らんできますよね。
>当時の中国が日本人に対して使った蔑称
それを後で知った大和朝廷がバカにすんな!
倭(ヤマト)⇒日(ヤマト)⇒日本(ヒノモト)⇒日本(ニホン)
...って、国名変更らしいですね^^;
>ノリピーさん
ぎだがみすっしんなのすか?
そっちから見れば朝廷が鬼...なるほど
>Romanさん
律儀に一つ一つの記事にコメントありがとうございます。
読み逃げ(Rom)でも充分に嬉しいですのでどうぞ今後はお気遣いなく(^^)
ホツマについては、当地の伝承と関連があるのではと
興味津々です。
神社探訪------>>大穴持神社
放映が愉しみです。
コメントありがとうございました。
隼人の舞の動画を興味深く拝見後、歴史コンテンツを読む前に
介護日記(てんやわんや&同行二人)に目を奪われました。
淡々と綴られた文体に込められた深淵な内容に
自然と涙がこぼれてしまいましたが、同時に大いなる勇気も頂きました。
私同様、きっと多くの方々に生きる勇気を与えていらっしゃるサイトだと思います。
本当に拙ブログに足跡を残して頂きまして、ありがとうございました。
これからも、時々勇気を頂きに貴サイトのコンテンツをご訪問させて頂きますm(_ _)m