昭和50年代の追憶
TVドラマや漫画の追憶
今やコースケと云えば、水泳の北島康介ですが、水もれ甲介と云えば俳優の故.石立鉄男。石立鉄男さん(以下敬称略)は、岡崎友紀と共演した「おくさまは18歳」で一躍有名になり・・・
、杉田かおると共演した「パパと呼ばないで」で石立鉄男人気は不動のものとなりました。
水もれ甲介(役名:三ッ森甲介)は、日テレ系の日曜夜8時の番組ですが。
1975年(昭和50)前後の日テレの日曜夜8時のドラマを時系列に並べると
昭和49年春〜昭和49年秋・・・「われら青春!」主演:中村雅俊(初主演)
昭和49年秋〜昭和50年春・・・「水もれ甲介」 主演:石立鉄男
昭和50年春〜昭和50年秋・・・「おふくろさん」主演:石立鉄男
昭和50年秋〜昭和51年秋・・・「俺たちの旅」 主演:中村雅俊
俺たちの旅(役名:津村浩介)では、中村雅俊のニックネームはコースケではなく、カースケ(すぐカッとなるから)でした。実生活の上では、どうやらカースケは石立鉄男の方で、共演者と殴り合い、突然外国に行ってしまったという設定でドラマを降板した事件もあるようです。
まともかく、現在50歳前後の世代にとって
コースケ=石立鉄男。カースケ=中村雅俊。
とすぐに連想できるのだろうと思います。
コースケとカースケの共通点は、くせ毛のボサボサ長髪で
昭和50年前後はこうした髪型をした若者が多かったです。
...って、かくいう私のその一人でしたf(^、^;

写真はトムボーイ十条店の店内ですが、この時はすでにトムボーイのバイトと叔母の店(スナック)のバーテンのバイトを掛け持ちしており、少しでも年上に見られたくて、口ひげまで生やしています。...が、元々髭が薄いので、どんなに伸ばしも写真中の石立鉄男のような生え方にしかなりませんでした(苦笑)
枕が長くなりました...
今記事は、当時十条のバイト仲間からカースケと呼ばれていた私が、水もれ甲介と呼ばれる事件があったという追憶です。
大学に復学できたのは、本来長男である私が継がなければならない家業を・・・
「兄貴、教師になりたいんだろ?大学に行けよ。」と言ってくれた次男のお陰です。
そんな訳で家を出て...
復学時(前期の授業料)は世田谷の叔母に借り、住まいは十条の叔母の経営するスナックの2階(当時は衣装部屋)に下宿することで、所持金3万円で十条での暮らしが始まりました。
先ずは、生計を立てなきゃいけないので、大学のカリキュラムよりバイトのシフトが優先でした。十条ではトムボーイや叔母のスナック以外にもいくつかバイトを掛け持ちしていましたが、ある時・・・
「すみません、今度の試験は合格点とらないとマズイので休ませてください。」
「え?アンタ学生だったの?」
...と。バイト先の居酒屋のマスターに驚かれた事がありました。
そう言えば、十条でのアルバイトは履歴書を書いた記憶がない。
「ちょっとさ、人手がいるんだよな」
「そうなの?じゃ誰々を紹介するよ」
みたいな...ほとんど人づての紹介でアルバイトが決まったり、昨日まで客だった人が、今日来たら店員になっていたり。そんな風で、十条の飲食店はみんな顔見知りで成り立っていたように思います。
ま、とにかく学業より稼ぐことが最優先事項でしたが、『苦学したとか計画的に貯金したか?』と言えばそうでもありませんでした^^; 十条仲間や後の渋谷モンテローザ仲間とも麻雀はよくしたし、美術部の合宿もバイトの日程と重ならなかった時に2回参加できましたし、充実した学生生活でした。
奨学金をもらっていたし、何より学費が安い大学だったので(たぶん前期12万 後期15万)
毎年春休みと夏休みは、昼夜掛け持ちバイトや住込み出稼ぎに出れば、前後期の授業料もなんとかなりました。
ただ当時いつも決まって見る夢は、大学を卒業できなかった夢で。
それなりのプレッシャーや『自分だけこんな楽しい学生生活を送っていていいのだろうか?』
という自責の念もあったのかもしれません。
そんなアルバイト最優先の学生生活を送っている中・・・
ある時、下宿(スナックの2階)が断水となり、朝台所の蛇口をひねったまま閉めるの忘れて大学に行き、その日は帰らず。翌日夕刻に下宿に戻ったら、階下のスナックが大騒ぎになっています。
「あれ?叔母さん、どうしたの?」
「どうしたのじゃないわよ!見てみなさい!ホラ!」
うわっ!(@@;)地面より階段3つほど半地下になっているスナックの床は、くるぶしより上に水が溜り、壁は水で剥がれ、ボトルのラベルもほとんど剥がれています。急いで階段を上がって部屋を見ると、台所は水浸しで畳もすべて、水を吸って膨らんでいます。
蛇口はシンクからはみ出ませんが、蛇口を全開にひねったままにしていた為、強い水圧で弾きこぼれた水が、36時間以上2階で溜り、それが1階に滴り落ちていったようです。その夜は当然スナックは臨時休業です。
翌朝から私は店のドアと窓を開け放し、2階から下ろした畳を道路に出して乾かす守番です。人手が要るので、十条のトムボーイ仲間がやってきて色々手伝ってくれて、そして途方にくれる私を慰めてくれましたが・・・
もう、オチは先に書いておきました
今でも十条トムボーイ仲間で集まり酒が進んでくると
「あれ?キミ誰っだっけ?」
「カースケ...じゃないよなぁ?」
「あ!そうそう、水もれコースケだった!」(一同爆笑)
先日、ふと懐かしい十条に立ち寄ってきました。
昭和のホームドラマで東京下町の定番が・・・
銭湯に定食屋に一杯呑み屋
私の実録ドラマでは
十条銀座商店街の裏にあった「銀座湯」は、すでに自転車置場になっていて・・・
いつもおかずをサービスしてくれた線路脇の定食屋「トキワ食堂」は別な呑み屋に・・・。
でも、晴れてオトナになった記念に仲間に祝杯を上げてもらった斎藤酒場だけは、当時のままでした。嬉しかった・・・と。日記(Blog)には書いておこう!(笑)
PS.そうそう、水もれ事件で忘れ得ぬ思い出がもうひとつ。
世話になっている叔母に大迷惑をかけてどうしよう・・・と。
自分では気づかなかったのですが、やはり相当気落ちしたようで
大学の中国語の先生(日本人)が授業が終わってから
「どうかしたのか?」
「斯く斯く然々で・・・」
「そうか、まぁいつまでもクヨクヨしてもしょうがない」
「そのうち、私もキミのその店に行くから」
店の名前と場所は告げましたが...
『そのうちとお化けは出た例がない』...
と思っていました。
水もれした店の床・壁・天井を全てリフォームし
新装開店のようになった叔母の店(スナック)も
そろそろ看板を消そうかという時刻になった時
「よぉ!」
「えっ!?(@@;)ホントに来た!」
・・・今でもはっきり覚えています。
こうもり傘に長靴姿の先生がドアを開けるなり
千鳥足でよろけながらの第一声でした。
ビール2本開けて、もう看板です。
「さぁ!行こうか!」
「えっ!?どこへ行くんですか?」
先生は東京外語大出身で、先生にとっては王子や赤羽界隈が
「俺たちの旅的街」だったようで・・・
それから、先生と二人で赤羽の飲屋街に繰り出しました。
約5年間を過ごした十条の街は、私にとって
そんな甘酢っぱい数々の思い出がある街ですf(^、^;
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