昭和50年代の追憶
TOMBOY=おてんば娘 の意味です。大学1年生の最初のバイトは、渋谷公園通りのフライドチキン屋でしたが。
昭和54年(1979年)に復学して2度目1年生のバイトは赤羽線十条駅前の喫茶店トムボーイから始まりました。
今じゃ国鉄って言わないし、赤羽線も埼京線になってしまいましたが、つい赤羽線十条駅と言ってしまいますf(^、^;
トムボーイ自体も今では、十条本店の他、池袋や渋谷にも支店を持つ、トムボーイカフェとなりました。
昭和のトムボーイは、東十条駅前に本店(今はコンビニ)があり、十条駅前が支店でした。
私がバイトした当時、十条支店は東京家政大学と東京成徳短期大学の女子大生と地元の若者で客の9割を占めていました。なので、十条支店は大学が夏休みになると、店も長期夏休み休業となり、バイト仲間はサーファーが多かったので、新島や神津島の海の家(アクセサリーショップ)に出稼ぎに行きました。私はサーファーではなかったので、毎年夏休みは那須高原のレストランに住み込みアルバイトの出稼ぎに行ってました。
実は、トムボーイのマスターはデザイン芸術家であり、喫茶店の他に看板やディスプレイ・宝飾等の企画の会社も経営していて、新島や神津島や海の家で販売するアクセサリー製作も仕事の一貫でした。そんな縁もあり、新島産の抗火石で造った渋谷駅前にある「モヤイ像」はトムボーイのマスターと当時の仲間が彫ったものです。
昨年2011年の秋に十条店は改装し、エントランスはすっかり変わってしまいましたが、モヤイ像を造る以前に、当時の仲間みんなで取り付けた店内のエジプト風の抗火石壁画は当時のままです。
私が十条支店でバイトを始めた当初は営業時間も午前0時までだったので、支店のバイトだけでなんとか生活ができていたのですが、後に営業時間が短縮され、東十条本店(午前2時まで営業)のシフトに入れてもらったりしていました。それでも生活費を稼ぐには時間数が足りず、やがて十条106から、渋谷109でのバイトに変わりました。
でもバイト先が変わっても、互いのアパートや下宿先を行き来して、トムボーイ仲間とは銭湯に通ったり、酒を酌み交わしたり、麻雀をしたり。赤羽線十条駅界隈は、学生時代一番多くの時間を共に暮らした「俺たちの旅的仲間」のとても懐かしい街です。
当時のバイト仲間は、ほぼ全員仕送り無しで自活する夜間大学・専門学生で、たいてい愛称がついていました。この写真は誰の部屋か思い出せないけれど...
当時の十条仲間のツチヤ・ジミー・カースケ・あんちゃん・万吉で。紅一点のイクちゃん?
が作ってくれた食事をご馳走になっているシーンですf(^、^;
2006年5月22日筆...2012年8月24日加筆
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良い場所で青春を過ごされましたね
僕も30年ほど前就職して状況したおり、
毎週土曜は研究所で試験があり、その辺りによくおりました。
あの辺りの飲み屋のコストパーフォマンスの良さに感激した次第です。同じ東京なのか?と……
羨ましいい青春時代ですね
あれ!?最近NOBさんからコメント頂く日は必ず「劉」に行った日です(笑)
今回は写真忘れずに撮りましたが、記事にアップするのはいつになるやらです^^;
我が青春シリーズは、まだ続きますが、その前に、飲みたい気分上々↑↑抑えきれずに
暑気払いの記事アップします。
9/15、ご一緒頂けませんか?f(^、^;
冒頭の写真は、みなさんのトキワ食堂の話題に釣られて、十条を久々に訪れた時に撮ったものです。
しかも、実はちょうどコースケという名に因んだ記事を書いていた途中です。奇遇ですね^^
追伸部分に、これは・・・断腸亭さんの事?
...と思わんばかりの思い出も書いてます(笑)