昭和30年代の流山本町(根郷)の風景

流山チャンネル

かつて昭和30年代の流山町の役場は流山2丁目(流山本町・根郷)にありました。

旧流山町役場(昭和30年代)

現在の流山市役所の住所は、流山市平和台1丁目1番地の1ですが
昭和38年に役場が移転した時はまだ流山町加(加村台)でしたね。

戦前の流山本町(根郷)の街並み

この地図は、【万華鏡ギャラリー 寺田園茶舗 見世蔵】で無料配布されているパンフを転載&加筆しました。実は前記事・素晴らしい夕焼けの日の会合【流山本町・利根運河ツーリズム】勉強会で、万華鏡ギャラリー見世蔵を運営なさっているNPOグローバル流山のスタッフの方と隣席になりました。

ま、私自身は組織というのが苦手なので、一市民&ポタリング・史跡愛好者として何かお役に立つことがあれば?程度の軽い気持ちで参加させて頂いたのですが。
地図上に着色しているのが、流山本町のおすすめスポット&おすすめ店舗ですが、いずれ流山本町〜利根運河までの、ママチャリでも回れるようなポタリングおすすめスポットマップを作る予定です。私がツーリズムにご協力に出来るのはせいぜいこれくらいです(^^;)

昭和36年頃の流山根郷の街並み

この写真は昭和36年頃の流山本町根郷の航空写真で、まだ新流山街道は通っていません。現在平和台となっている宅地は、加村と西平井の広大な田んぼでした。
幼い頃、加村台から江戸川方面を見ると堤防(土手)拡張のためのトロッコが走っていて、それに乗ってみたい思っていたものでした。新流山街道はこの江戸川土堤防拡張に伴い新設されたものですが、それまで旧流山街道の一部は土手上を走っていて、流山市木(村)の知人によれば雪の日などにバスが土手から落ちていたことも憶えているそうです^^;

新流山街道と旧郵便局(昭和39年頃)

これは私が小学校入学直前の昭和39年の流山本町根郷。
新流山街道の工事が進んいて流山郵便局もこちらに新しく移設されました。(その後流山郵便局は平和台→西初石と移転を繰り返しています)
遠景に見える小高い杜は赤城神社のある赤城山で、その手前に万上味醂の工場と煙突が見えます。現在40歳以上の流山小学校卒業生の方なら、一度は図工の時間のスケッチに書いた記憶がある万上みりんの建物と煙突じゃないかしら?

下の2枚は昭和30年代の流山市本町根郷の大通り(旧流山街道表通り)の画像です。ここでも流山のシンボルの赤城山と万上みりんの工場&煙突がみえます。昭和40年に流山小学校に入学した私ですが、小学校時代学校のチャイムより、万上みりん工場のサイレンでお昼(給食時間)の時間を知ったものでした。この頃には、万上みりんの堀切邸は学校通りにあって、お屋敷で飼われていたドーベルマン犬が塀の上から顔を出して怖かったことも今は懐かしい思い出です。

昭和30年代の流山本町(根郷)01

昭和30年代の流山本町(根郷)02

流山街道(大通り)が、流山小学校の前に新設されると同時に、郵便局をはじめ写真に見える金物屋さんなども、現在の流山街道に移転し、旧根郷の大通りは次第に寂れていってしまいました。現在の根郷の旧大通りには旧郵便局のあたりにマンションが建つなど、昭和30年代の流山本町の街並みがどんどん薄れています。

流山旧寺田園茶舗01

これは2009年に撮った根郷(流山2丁目)の旧寺田園茶舗ですが...
「このまま空き家にしておくのは勿体ないなぁ、取り壊しだけはやめてほしいなぁ」
と思っていたら、流山市が千葉県のふるさと雇用再生特別基金の活用&利用法を公募し

流山旧寺田園茶舗02

2010年8月に万華鏡ギャラリー 寺田園茶舗 見世蔵としてオープンしました♪
(加村岸の新川屋に次いで平成23年にここも国登録有形文化財(建造物)となりました。)
流山本町旧大通りは、川越や佐原の街並みと比較されてたらあまりにも小規模ですが...
今後も取り壊すのではなく、古きものを保存&利用するという選択肢がもっと拡大していくことを切に望んでいます。

次記事は、万華鏡ギャラリー寺田園茶舗見世蔵とその対面にある、清水屋本店(こちらは現在も現役でお店頑張っています♪)の予定です。

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2011年10月22日

posted by たすけ at 23:59 | Comment(8) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お茶屋さんですか。
古っっい家屋ですね。
お化け屋敷ならずに済んで良かった。
Posted by しゃあ あずなぶる at 2011年10月23日 05:09
>しゃあさん
明治22年築だそうです。
残念だったのは私の卒園した流山幼稚園が今年解体されちゃったんです。
築60年以上なのに...残して活用して欲しかったなぁ(悲)
Posted by たすけ at 2011年10月23日 12:14
下の二枚の白黒写真を見ると、当時は素晴らしい街並みだったことが分かります。
写真を拝見しながら溜息が出ました。

でも、昭和39年の写真は、まるで震災か戦災にあった跡のように痛々しいですね。
私の田舎の町も、オリンピックを境にどんどんつまらない街になっていったのと同じです。

今更嘆いても仕方がないかもしれませんが、街並みから「美」が消滅したことだけは間違いないようです。
Posted by 断腸亭 at 2011年10月23日 18:31
昨日はお声を掛けていただきありがとうございました。

私たちも外での活動なので、天気や気候に大きく左右されます。
そして撮影していただいた写真も使っていただけるとのこと、ありがとうございます♪楽しみにしております。

こちらに来て、古い流山の町並みのお写真がたくさんあって、とてもテンションがあがりました!!
街の知らなかったお話が聴けるというのは、とても楽しいので、次回お越しになった時は地元ならではのお話をお聴かせください♪
Posted by 北総新選組 稲葉式部 at 2011年10月24日 16:28
>断腸亭さん
高度経済成長期に育った我々世代は、イコール国土破壊期の真っ只中で育ったということですね。
白黒写真も先日の鮮魚街道ポタでも、街並みや風景が美しいと思うのは、多分に情緒的(ノスタルジア)なものからか?と思っていたのですが。
外国の街並みでも美しいと感じるのだから、それは断腸亭さんがよく使われる審美的なものからだと、つくづく思うようになりました。
1970年「人類の進歩と調和」...懐かしいフレーズですが...進歩よりも調和のほうが、ずっと難しいテーマだったんですねぇ。
Posted by たすけ at 2011年10月24日 23:19
>稲葉式部さん
私2年前、自転車仲間を流山裏道ポタでご案内した頃
http://sazaepc-tasuke.seesaa.net/article/131162839.html
に「あさぎの風〜北総新選組抜刀記〜」を読んでおりました。
「へぇ〜、近藤勇陣跡にロシア人女性が?」..ということでよく憶えております。
しかし、それ以上深く読み進んでいなかったので北総新選組の活動について
何も理解しておりませんで、先日は大変失礼致しましたm(_ _)m
今、あさぎの風と幕末機動警察隊・新選組の両方を読み進めております。

それと今、月末が近づき、溜めてしまった仕事を遂行せねばならず(苦笑)
だんだら羽織のご勇姿画像の記事アップ、かなり遅れるかも知れませんが、どうか気長にお待ちください^^;


PS.ツーリズムでもっとも肝要なことは、受け入れ側(街ぐるみ)のホスピタリティであると痛感しております。
貴交通文化連盟の地道な活動は、まさにその実践の口開けをなさっていると感心しております。
Posted by たすけ at 2011年10月24日 23:50
子供時代に タイムスリッパ…じゃなくて、タイムスリップしたようです。

懐かしくて…(≧◇≦)感激!

そういえば、来年(2012年)1月21日に、公開される映画があります。

ALWAYS三丁目の夕日’64 だそうな〜。


http://www.always3.jp/

昭和39年が舞台だそうです。

http://www.always3.jp/

既に、ご存知でしたら、お許しください。
Posted by やん姫 at 2011年10月28日 13:15
>やん姫さん
ALWAYS三丁目の夕日’64 知りませんでした。ありがとうございました♪
今、リンク先の予告編見ました。小雪さん、今回は妊婦役なんですねぇ。
そっかぁ〜、現実も予告編通りになった訳ですね(^-^)
Posted by たすけ at 2011年10月28日 21:09
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