昭和50年代の追憶
今から約30年前の昭和55年(1980年)大学(美術部)の先輩が、渋谷109のモンテローザを紹介してくれました。
「時給600円のバイトあるけど、やる?」
「やります!やります!なんですかそれ?」
「渋谷109のレストランで皿洗いなんだけど」
「飯付きます?」
「賄い飯が食えるよ」
「是非、是非、やります!」
当時、それまでのバイトは時給450円くらいでしたから、600円は好条件です。
でも学生時代、私が飲食店のアルバイトにこだわったのが時給より飯付きです。
なにせ、一食、食費が浮く...これ長い学生生活ではとても重要な節約術です。
毎年夏に、那須高原のレストランに出稼ぎ先に行っていたのは3食付きだからでした。
渋谷109は1979年(昭和54年)に開業したばかりで、当時はコギャルほとんど見ることがなく、ターゲット客層は20〜30代のOL層だったように記憶しています。いずれにしても私には興味がないので、109は通用口からバイト先のイタリアンレストラン「モンテ・ローザ」の往復ばかりで、その他の109店内の記憶は全くありません(苦笑)
最初の2ヶ月だけ皿洗いでしたが、店がどうにも忙しく繁盛して、ホールの人間が足りません。
元々私は飲食店のバイトが多く、料理皿を片手に4枚乗せる事は既に出来ていましたので、急遽皿洗いからホールに回るようになりました。
「モンテ・ローザ」は、やがて東急東横店の1階・ハチ公前に喫茶店をオープンさせて、そのオープン時のホールスタッフになりました。これらのアルバイトは東急との直接契約ではなく、私はある配膳会(ホテルや宴会場に配膳人=ウェイターを派遣する会社)に所属していました。
なので、自分の空き時間を連絡しておけばいつでも派遣要請があり。
昭和55年にオープンしたホテルセンチュリーハイアット(新宿)の他、都内各所のホテルの宴会や結婚式に、ウェイターとしてアルバイトしていました。有名芸能人の結婚式などは、先輩(ベテラン)ウェイターに招集がかかりますので、私は某女子プロレスラーの結婚式くらいしか記憶にありませんがf(^、^; また、年末年始の宴会は特別手当が出るので、大晦日や正月は稼ぎ時でした。
大学4年の後期、教育実習も終わり
1982年(昭和57年)には、時給800円くらいになっていて。授業も少ないのでフルにアルバイトができた月の収入は28万円くらいになっていました。そんな時は、自分が学生でありながらも三男(弟)の学費の為に、家に仕送りが出来ました。
また、晩酌の習慣もなく、ほとんど下戸に近い私ですがf(^、^;
当時学生でありながら仕事(アルバイト)終わりに、渋谷センター街の奥にある「門」に週一ペースで通って、一杯ひっかけながらバーデンダーさんとの会話を楽しみにしていました。
そうそう、夏休みの栃木県那須高原での住込みアルバイトも5年(回)続けましたが
ある晩の閉店間際(23時頃)に、お客様が
「ごちそうさま。じゃ、タクシー呼んで」
「かしこまりました。どちらまですか?」
「うん、六本木まで」
「あの...どちらの六本木ですか?」
「東京港区の六本木」
折しも1979年(昭和54年)にエズラ・ヴォーゲル著のジャパン・アズ・ナンバーワン[Japan as Number One]が出版され。もしかしたら日本は世界第1位の経済大国になるかも?「日本の驚異的な経済発展をアメリカの鏡にせよ」と言われた時代で、誰もが時給も月料も右肩上がりに伸びていくものだと信じていました。
次記事は、「失われた30年」...ってタイトルにする予定です^^;
2006年5月21日筆...2012年8月28日加筆
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