昭和50年代の追憶
自転車でシルクロードを横断し「世界を見ずして世界を語れるくぁ!!」の桑原青年の行動力と言葉に圧倒され、何も書けなくなってしまったので...しばらく私の20代頃の追憶記事の書き直しをしながら、頭を冷やそうと思いますf(^、^;
私の学生時代の最初のバイトは、1978年(昭和53)に渋谷公園通りの「たばこと塩の博物館」に隣接している【ゴールデンスキリットフライドチキン】でのアルバイトでした。2012年現在、ゴールデンスキリット・フライドチキン渋谷店があった場所は「IENA SLOBE」というブティックになっています。
家の事情で大学を休学した為、わずか半年ほどのアルバイトでしたが、まだ真新しい公園通り(昭和47年パルコの開店を機に、区役所通りから渋谷公園通りに)では、バイトに向かう途中でよく、ファッション雑誌の撮影やドラマのロケ隊と遭遇し、あぁ〜絵になる街だなぁと、この街で働いていることが何故か誇らしく感じられて嬉しかったなぁ。
バイト店のはす向かいには、東武ホテルがやパルコ劇場があり、また坂のすぐ上にはNHKホールや渋谷公会堂があったので、いわゆるギョーカイ人の常連客も多かったです。当時からファンだった中島みゆきさんも、何度となく来店しましたが、いつもテイクアウト専門でした。
地方(田舎)の道端で突然芸能人とかを見かければ驚きもしますし、店にサインでも飾りますが、一般のお客様も芸能人も、わけ隔てないごく普通の接客応対でした。そういう流儀が、当時の公園通りに店を構えているスタイタスだったのかなぁ。
ゴールデンスキリット・フライドチキンは、当時都内には、ここ渋谷公園通り店と港区大門店の2店しかなかったように記憶しています。その後あまり時間をおかず閉店してしまったので、この店の当時のバイト仲間とは音信は全くありません。
印象に残っているは、恰幅の良いマネージャーさんの独特な「イ〜ラッシャイマセェ〜」という言葉と多古町出身の女子大生の純情で爽やかな笑顔とチーズ薄切り競争かな?(^^;)
そんなチーズ薄切り競争をしたバイト仲間は、場所柄、青学の学生が多く、ある日バイト仲間がレコードを数枚もってきて「これ、うちの学バンのデビューシングルなんだよ」と見せてくれたのが、サザンオールスターズの「勝手にシンドバット」でした。
その後大学に復学し、北区十条駅前の
http://sazaepc-tasuke.seesaa.net/article/12878205.html
喫茶店【トム・ボーイ】のバイトに変わりましたが、その喫茶店においてあった、ジュークボックスで一番選曲されていた曲が「いとしのエリー」でした。
「勝手にシンドバット」と「いとしのエリー」の2つの曲が流れてくると、私の瞼には当時の渋谷区公園通りと北区十条駅前の風景が浮かんできます。
2006年5月4日筆...2012年8月22日加筆
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あとでハチ公や109の渋谷の追憶も書き直しますが、実は先日皆さんのトキワ食堂の話題に釣られて
学生時代に世話になった十条の斎藤酒場やトキワ食堂を訪ねたのですが、トキワ食堂はとうに無く
なっていました(悲)私にとって十条の町は俺たちの旅の青春シーンそのものだったんですよ。
ちなみに...今でも当時の十条仲間から呼ばれる私のニックネームはカースケです(苦笑)
私も ゴールデンスキリットで働きました。店長さんは 確か 星さんでした。
コメントありがとうございました。
細身の店長さんが星さんで、眼鏡をかけたマネージャーさん?だったか
いつも学生アルバイトのシフトを組んで頂いたのが恰幅のよい針生さん?
だったような気がしているのですが、独特な「イ〜ラッシャイマセェ〜」
思い出は針生さんの方です...ってお名前があっているかどうか自信は
ないですが。。なにせもう30数年前ですものね^^;