私の声が聞こえますか / EAST ASIA

昭和50年代の追憶

私の声が聞こえますか...って。この記事は6年前(2006年)に、TVで「激闘大家族、青木家完全密着」という特番があり。その長女あざみちゃんから、ふと中島みゆきのファーストアルバム【私の声が聞こえますか】の思い出を書いた記事でした。

私の声が聞こえますか(中島みゆきファーストアルバム)

中島みゆき(昭和51年).あぶな坂を越えたところに あたしは 住んでいる
坂を越えてくる人たちは みんな けがをしてくる


この詞ですぐに中島みゆきだ!
と浮かんだなら生粋のみゆきファンでしょうね♪

昭和50年(1975年)に発売された「時代」が中島みゆきのデビュー曲だと思っている人が多いようですが、「時代」はセカンドシングルで中島みゆきのレコードデビュー曲は「アザミ嬢のララバイ」です。

翌、昭和51年(1976年)私が高3の春にファーストアルバムが発売されました。
そのアルバムタイトルが【私の声が聞こえますか】


【私の声が聞こえますか】のA面の出だしが「あぶな坂」で、最後が「アザミ嬢のララバイ」。
B面のエンディングが「時代」でした。

当時、先輩にダビングしてもらったアルバムのカセットテープを押すと、真っ先に 「あぶな坂」が流れてきて、実はどの曲よりも私の耳に残っている曲です。

中島みゆきの歌はどちらかというと、暗いイメージの詩が多いです。
昭和55年(1980年)発売のアルバム名は【生きていてもいいですか】
しかも、出だしの曲は「うらみます」だし(^^;)

しかし、中島みゆきの詞の底流にあるのは応援歌だと思います。
泣きたいときには思いっきり泣け!とことんまで自分を悲しめ。
でも明日からは、はい上がってこい!立ち上がれ。....と。


-ここから追記分-

中島みゆきの「世情」は、昭和53年:私が20歳の年(1978年)に発売されたアルバム【愛していると云ってくれ】のエンディングの曲。
金八先生でも使われたそうですが、当時の私は学費&生活費の一切をセルフするためアルバイトに明け暮れていたので、その番組は見ていませんでした。

愛していると云ってくれ(中島みゆき).jpgシュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を 
見たがる者たちと 戦うため

世の中はとても 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつも ついている

包帯のような 嘘を 見破ることで
学者は 世間を 見たような気になる



34年前に、こんな歌詞を中島みゆきは書いていた訳ですが。

 中島みゆきが還暦を迎えた今年、2012年。
「再稼働反対の声が聞こえますか」「反日(抗日)運動の声が聞こえますか」
という「世情」になってしまいました。


19年前の1993年《最後の女神の意外な素顔》と題された中島みゆき&筑紫哲也の対談

【Part01】
中島:「たぶん私の場合は、時間の捉え方が、1年とか10年とかという数え方じゃないのかも。」

筑紫:「そういう人に(日々出来事が刻々変わる)ニュース番組のテーマ曲をお願いしちゃって
   大変申し訳ない。そういう点では、ふだんと違うものを作らなくっちゃという感じはあった?」

中島:「私に出来る事って言ったら
   たぶん、日々起こる事の、底に流れている事を見ることができることかな?と思います。
   人間の心の熱みたいなもの。そういうところから出来事は起こってくるんだという
   その大元のところの歌にしたいな...そういう願いで作りました。」

【Part02】
筑紫:「夜会はコンサートというよりは、ワンマンミュージカルみたいな・・・」

中島:「あくまでもこれは言葉を目指している実験劇場なので・・・」
   「言葉の得体の知れなさ..っていうところに魅入られています。」
   「一つの言葉が、いろんな条件で変わっていく。言葉そのものが問題なんじゃなくて。」
   「それをどういうつもり言おうとしたか?どういうつもりで聞こうとしたか?」
   「その意識が出会う時に、言霊(ことだま)っていうものが生まれていると思うので...」
   「見えなくて、届きそうで届かない言霊...」
   「それをなんとか掴まえようとすることにエネルギーをかけているような気がします。」

筑紫:「ただ、歌っていうのがすごいのは・・・。」
   「みゆきさんが伝えた言葉を受け取った側は、勝手に乱反射すると思います。」
   「作者が想像もしない方向に、てんでんばらばらに乱反射していると思うのですが。」

中島:「自分の歌は、鍋釜やザルや箒と同じように、実用品として役立てて頂けるのが夢です。」
   「それを使って、生きて行くのが便利になったり・・・」
   「何か気晴らしになったり、そういう事で使って頂ければ充分だと。」
   「私の作品は、実用品コーナーでお買い求めください(笑)っていう気持ちがあるんです。」


2012年の夏、日中・日韓で・・・・

うらみますうらみます あたしやさしくなんかないもの
うらみますいいやつだと 思われなくていいもの
うらみますうらみます あんたのこと死ぬまで


...でも。中島みゆき実用品コーナーのEAST ASIAには

EAST ASIA(中島みゆき).jpg大きな力にいつも従わされても
私の心は笑っている
こんな力だけで 心まで縛れはしない
  くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
  むずかしくは知らない ただEAST ASIA

世界の場所を教える地図は
誰でも 自分が真ん中だと言い張る
私のくにをどこかに乗せて 地球は
くすくす笑いながら 回ってゆく
  くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
  むずかしくは知らない ただEAST ASIA

  くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
  むずかしくは知らない ただEAST ASIA



2006年5月10日筆...2012年8月23日加筆

日本ブログ村

☆読んで頂いて感謝なっしー♪

クリック頂けたら感激なっしー! ⇒⇒

ブログ執筆の励みになりますf(^、^;



2012年08月22日

posted by たすけ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和50年代の追憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。