昭和30年代の追憶
当時は、子供の数も少なかったので小1〜小6までが一緒になって遊んだ。
体格・体力の違う子供が一緒に遊ぶのであるから、からかい半分の多少のいじめのようなことはあったが、いじめられて泣いて帰っても、翌日にはみな何事もなかったかのように、けろっと忘れてまた一緒に遊んだものである。
子供心に、強者は弱者を守るという不文律と、年下は年上の言う事には従うという倫理感を無意識のうちに、遊びの中で養ってきたような気がする。
狭い空間と体格・体力のハンデを考え、もっとも流行したのが三角ベースの「変則ごろ野球」である。ひろっぱの1部が防火用水になっており、そのコンクリートの蓋が格好の内野であった。
低学年にはピッチャーは柔かいビニールボールを転がし、バッターは腰を落として、転がってくるボールを打つ。高学年は立って普通に打つのだが、なにせせまい空間である。向かいの家の庭にボールが入ればすぐにホームランである。
たいてい近所の大人たちは、子供の遊びには大目に見てくれたがひろっぱを囲む1軒の家だけはなかなか口うるさく、そこにボールが入ったらたちまちアウトチェンジで、打ったバッターが「すいませ〜ん」とボールをとりに行くがルールであった。
バットは、垣根の竹や廃材の角材であったが、コンクリートの上で年中こすりつけるのですぐダメになった。竹も先がささくれて、とても危険な状態になったがある時、上級生が振り回してたそのささくれ竹バットが私のすぐ下弟の目に直接あたり、弟の片目からはは鮮血が吹き出した。
すぐに病院に運び手当てを受けたが、幸いも失明は免れ、眼帯がとれたあとも皆、何事もなかったかのように仲良く遊んだ。
しかし、確かな記憶ではないが、いつの間にか「変則ごろ野球」をしなくなったのは...
ひょっとしたら私たち家族が病院に行っている間、みなで相談して「もうゴロ野球は止めような」と決めたのかも知れない....
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