昭和30年代の追憶
私が育った、マッチ箱のような小さな市営住宅。4畳半+6畳+2畳の台所...風呂なし
というか、風呂場はたいていトタン板で囲うようなにわか造りで各世帯で各々に付け足したものであった。今、私も愛読していた西岸良平さんの「三丁目の夕日」が映画化され上映されているが、まさにあの頃の昭和30年代の風情が漂う住まいであった。
全部で60戸くらいだったであろうか..
同じようなマッチ箱のような家が整然と立ち並んだ市営住宅であった。私は昭和35年の2歳からここで暮らし始めて、やがて弟2人も生まれ、家族5人で暮らしていたのである。
ひろっぱ...広場のことである。
物心ついてから私の遊び場と言えば、家と地続きの市営住宅の子供たちが集まる、広場であった。
当初遊具はなにもなくただの空き地であったがやがてブランコや滑り台・砂場など一通りの遊具は揃っていった。
広場を「ひろっぱ」というのはふなっこ・どじょっこ等と同じようなニュアンスで小さくて愛着があるような呼び名である。
そのひろっぱ、周囲をぐるりとマッチ箱の家に囲まれ1ヶ所だけが車1台通れるくらいの入り口であったので囲んでいる家に住んでいる子供たちはみな、垣根を壊したひろっぱへの小さな出入り口を持っていた。
わずか、タテ20mヨコ7mほどの小さな空間であったが、そのひろっぱで1年中、夕食の匂いが漂いはじめるまで遊んだものである。
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