■大江戸チャンネル
泉岳寺 東京都港区高輪2丁目

泉岳寺は元々皇居の桜田門近くで創建されましたが、寛永の大火によって焼失後高輪の地に移転。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興を毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じたのが浅野家と泉岳寺の縁です。泉岳寺は青松寺・総泉寺とともに曹洞宗江戸三ケ寺で、現住職は駒澤大学名誉教授の小坂機融老師。このお寺は曹洞宗三学寮のひとつでもあり、今でも境内の学寮で共同生活を行いながら駒澤大学に通学しています。

本堂の正面に掲げられている額は「獅子吼=師子吼(ししく)」で、お釈迦様の説法のこと。

境内に入って左手に赤穂義士墓所があります。(境内側から撮った画像)

これは赤穂義士墓所から撮った画像で
墓所の入り口には、お参り用のお線香や絵葉書などが用意されています。

主君浅野内匠頭(浅野長矩=あさの ながのり)と奥方は
四十七士の敷地とは別格で葬られています。

この墓所配置図はクリックで拡大します。
家老大石内蔵助(大石良雄=おおいし よしお)は浅野長矩に寄り添うようにすぐ隣です。
私、てっきり大石内蔵助・主悦親子は隣同士で眠っていると思っていたのですが、四十七墓石配置は切腹までの預け先となった大名家ごとに安置されていたのですね...恥ずかしながら、これまで全く知りませんでした。

赤穂義士墓所のすぐ脇に赤穂義士記念館がありましたが、今回は入場しませんでした。

画像左=大石内蔵助銅像 画像右=大石主悦の墓
ドラマや映画では大石内蔵助が主役になりますので、体格の良い俳優さんがだいたい演じますが、実際の大石内蔵助の身長は157cmで江戸時代男子の平均身長よりちょっと大きいくらい。ところが息子の大石主悦の身長が五尺七寸(172cm前後)で当時としてはかなり大柄な体格です。しかしなんと云ってもまだ15歳の少年ですから、義士切腹で一番心が痛むのは大石主悦(大石良金=おおいし よしかね)です。

「あふ時は 語りつくすと 思へども 別れとなれば のこる言の葉」
いよいよ討入りが決定し、京から江戸に旅立つ際に、主悦が母を思って詠んだ辞世の句と伝えられています。今も昔も、父親と息子の間には言葉は不要でしょうが、母親には心配かけまいとする優しさや、育ての恩の感謝を伝えきれない心残りが素直に伝わります。
実際そうなんですよねぇ...日本男児というものは、女性に対して常に
思っていることを上手に伝えられないもどかしさを抱えて生きている訳ですよ。





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