高家はつらいよ 嫌われ義央(よしひさ・よしなか)物語

■大江戸チャンネル


「本懐!サイクリング〜赤穂浪士引き揚げルートを走る」のレポより【高家とは

吉良上野介は饗応役(きょうおうやく=朝廷ご接待)指南役として、外様大名にご接待マナーを教えると同時に外様大名から接待費用を捻出させる役。加えて、外様大名から指南料金(コンサルタント料ですね^^;)をもらえる立場にあった人物です。
浅野長矩(浅野内匠頭)と吉良義央(吉良上野介)の間にどんな諍いがあったのかは不明のままですが、どうも義央は江戸庶民からは嫌われ者だったようで、庶民の視点から考察してみましょう^^;

吉良義央は高家(こうけ)しかも最上級の高家肝煎でした。高家とは格式の高い由緒正しいという意味で、義央は清和源氏の系統の名門の家柄です。
Point01.お坊ちゃんでイケメンだってよ!(*`д´)

将軍綱吉には特に寵愛されていたようです。
Point02.というより綱吉の母桂昌院はじめ女ウケが良かったんだろ!(;`Д´)

幕府の命で年賀使15回、幕府の使者9回の計24回上洛(京都の朝廷に出張)してます。
Point03.武士のくせに公家気取ってんじゃねよー!(`Д´)ノ

長男を名門上杉家(妻の実家)の跡取りとし、娘たちの各嫁ぎ先も玉の輿。
Point04.そこまでして上流階級に居座りたいかねー!(*`д´)
※長男を養子に出したのは、上杉家断絶を救うためでこれは庶民の誤解です。

浅野長矩は参勤交代で領地と江戸屋敷を往復しますが、義央は領地(田舎)なんぞ行きません。
Point06.テメー1回だけかよ!たまには領地にツラだせよ!ヽ(`Д´)ノ
※これも旗本のほとんどは領地に行く習慣がありませんので

外様大名は参勤交代で江戸に戻った時は、お土産なんかご近所に配っていたかも?
Point07.キラはヤツハシひとつくれやしねーぜ!( `Д´)/

まぁ、Point07.は私の勝手な想像ですが(苦笑) 生類憐みの令への恨みなど、将軍綱吉は江戸庶民からすこぶる評判が悪かったですから、綱吉憎けりゃ義央まで憎い...の方程式で、嫌われ義央(よしひさ・よしなか)が出来上がってしまった訳で。けど、それじゃ吉良様あまりに可愛そう...ということで。



両国から 忠臣蔵の真実に迫る!墨田区観光協会が吉良上野介復権に立ち上がりました^^

吉良上野介像

う〜ん。たしかに上品なお顔立ちをしていらっしゃるかも^^; 私自身もごく稀に都内のとてつもない名家のお宅に伺ったことがありました。
うへぇ〜!都心の一等地にこんなでかい敷地にこの豪邸(@@;)」
私はブランド品とかよくわかりませんが、いつお会いしても胸ポケットにはネッカチーフ,靴からスーツから、おそらく私が身につけているものとは2桁違うのではないかと^^; 時計にいたっては3桁違うだろうなぁ(苦笑)でも名家(高家)は名家なりの苦悩があって、それをお聞きしたら、生まれ変わっても絶対今の自分の方が気楽でいいと思いました^^;

本所松坂公園 吉良邸跡

吉良邸はもともと江戸鍛冶橋付近(東京駅と有楽町の中間)にあって、義央もそこで生まれたそうですが、松の廊下事件の3年前に江戸の大火で焼失し、呉服橋(東京駅から神田駅寄り)に新邸を再建しています。その時火消し役(消防の指揮)を担当していたのが浅野長矩であったとの事。
この時、吉良義央57歳、浅野長矩30歳。

本所松坂公園 吉良邸跡

松の廊下事件後に幕府は吉良邸を本所松坂への屋敷換えさせています。当時の本所は江戸市中でも辺鄙な場所で、敷地は広くともこんな場所に高家(名家)を住まわせるのは屈辱でもあったそうで。わざわざ市中警備のうすいこの場所に吉良邸を移させたのは、赤穂浪士による討入りをさせたかったという説もありなんとか。

吉良家墓所

赤穂浪士によって切り取られた吉良義央の首は、箱に詰めて泉岳寺に預けられた後、僧二人にこれを持たせて吉良家へ送り返されました。吉良義央の首は胴体をつなぎ合わせ菩提寺の万昌寺(市ヶ谷)に葬られましたが、同寺は大正時代に万昌院と改めて中野に移転し、それに伴い吉良義央一族の墓も中野区の万昌院にあり現在史跡となっています。

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吉良義央が領地(三河国)では名君と云われますが、これは同情票が集まったのではないかというが大勢です。
何故に民衆が、これほど赤穂浪士の仇討ちに喝采するかといえば、時の政権(幕府)に対する鬱積が堪っていたからです。今、エジプトで起こっている暴動と同様ですね。加えて300年もの間、忠臣蔵という演劇(善悪をはっきりわけて)が上演され続ければ、吉良は(切られ役、嫌われ役)で当然...ということになってしまっているのですよ。
日本人が忠臣蔵を見て感じるのは、アコウvsキラでなく、Citizens vs Government という構図なんですね。

わかったかな?キアヌ君 「う〜ん。。。アナタ説明ヘタですね。。。」
うわっ!すみません(>_<) 文書ばかりやたら長くて...そうですかぁ、じゃあ最後に。
トム君が演じた『ラストサムライ』(The Last Samurai)の話で忠臣蔵Storyを締めましょう...
私もかなりこのシリーズ疲れてきたし(苦笑)

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2011年02月07日

posted by たすけ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | ■大江戸チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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