ちばらきチャンネル
下妻市のラーメン黒竜の前の県道15号線を北上すると、すぐに筑波銀行上妻支店、上妻小学校、上妻郵便局、JA上妻などが見えてきます。私、上妻を「あがつま」と読んでいましたが、どうやらこれらは素直に「かみつま」と読むらしいです。
下妻市の隣、筑西市の中心地は旧下館市。下館の地名由来は天慶年間(938〜947)に藤原秀郷(俵藤太=田原藤太)が平将門追討のために、五行川沿いに築いた三館(上館,中館,下館)のうちの下館にあたるという伝承が著名ですが、下妻の地名は935年の『和名抄』に「しもつま」として記されているのが初出らしいのですが、その由来に関してがどうも不詳です。
福岡県の筑後地方にも「上妻」と「下妻」の地名があり、上妻小学校と下妻小学校もあるとのこと。但し、こちらの上妻は「こうづま」と読むらしいです。
私感とウケウリで恐縮ですが、旧筑後国の三潴郡(みずまぐん)にまつわる白鳥伝説と地名由来考によれば、『日本書紀』に水沼君(みぬまのきみ)という名前が登場し、水沼と三瀦は同意でありミヌマは水の神であり女の神、つまり水沼→三瀦→三妻ではないでしょうかね?
そういえばこの三妻駅に隣接する鬼怒川の橋の名前は美妻橋。
古代の常総線沿線は広大な湖沼地であり、白鳥も沢山飛来していたことでしょうから、水沼→三妻→下妻,中妻,上妻の方程式は成り立つかしらん?
という訳で、関東鉄道常総線に中妻駅、三妻駅、下妻駅がある訳ですが..
中妻駅
三妻駅
下妻駅
あれ?上妻駅は?実は、常総線に上妻駅はありません。
筑波銀行上妻支店、上妻小学校、上妻郵便局、JA上妻などの住所も下妻市上妻ではなくて、下妻市半谷や下妻市黒駒となっていました。
平成の大合併以前、1954(昭29)年の下妻市の市制編入は(真壁郡 下妻町,上妻村)+(筑波郡 高道祖村,)+(結城郡 総上村, 豊加美村)となっていますが、それだと南から中妻→三妻→下妻→上妻の順になってしまいます。う〜ん、どうしてこの位置に上妻なんでしょ?妻の地名にこだわったら、ますます妻という名の水(泥)沼にはまりそうです(笑)
ともあれ、茨城県下妻市に九州とんこつラーメンの名店があるのは、単なる偶然でしょうが、遠く離れた筑後市や筑西市の周辺に、"上妻"や"下妻"の名が存在することは、単なる偶然ではないような気がしています。
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長方形の短辺側も、そう呼ぶし・・・。
大きな古墳でもあったのかな。難しそうですね。
妻、一人でも持て余しているのに、三妻ではギブです。
たすけ博士、解明して下さい。
三妻駅の近所で美妻橋の袂に、三嶋神社と中妻神社があるんですよ。
なので、三妻と中妻がセットで、上妻と下妻と一緒にしないほうがいいのかもしれませんねー。
三妻はギブ...私も同意です(爆)
福岡市に住む馬場と申します。私は50才まで福岡の南部の農村、八女市に住んでいました。父の実家は八女市馬場ですが、江戸で言いますと筑後国上妻郡馬場村です。
ところで上妻のことですが、私は上妻は上津八女(かみつやめ)が上妻(こうづま)に転じたものと考えています。
と言いますのは、八女から北に数キロのところに上津荒木と書いて「こうだらき」と読む場所があるからです。従いまして、下妻は下津八女のことだと考えていました。
八女市の由来は景行天皇の時代に溯り「八女津姫」がいたということに由来します。併し八女は本来神に仕える乙女「八乙女」のことであり、八乙女は神霊を扱う神聖な女とか、神事に関わる女のこと、巫女神楽や巫女舞を行う巫女のことのようです。
また八乙女の始まりは景行天皇の大嘗祭の際に天皇と神々に食事を奉仕した巫女に由来するそうです。
私は筑後国の上妻・下妻は八女から別れた地名と思っていますがそちらの上妻・中妻・下妻の由来はどうなのでしょうか。
八女市と云えば大学時代の友人が八女の出身で、苗字が壇ノ浦で平氏と運命を共にした天皇
と同一漢字であり、今でも彼の事を仲間内では天皇と読んでおります^^;
http://sazaepc-tasuke.seesaa.net/article/23399291.html
さて、茨城県下妻市の地名考についてですが、私は当地出身ではないので
詳細に調べた事はないのですが、かいつまんで云えば、当地は広大な湖沼(湿地帯)であり・・・
http://sazaepc-tasuke.seesaa.net/article/160583734.html
平安中期の和名類聚抄に拠れば、常陸国新治郡下真郷となっています。
「下真」≒「下津真」≒「下津間」と類推され「しもつま」は職名や氏名ではなく地勢(地形)由来だ
と思いますが、やがて鎌倉以降、当地を領した常陸大掾の多気弘幹が下妻広幹と記録されます。
すなわち、当地を「下妻」と表記するようになったのは、鎌倉以降であろうという事です。
ではなぜ、湿地(沼)にツマの音を当てるかと云えば、元々当地に住んでいた原住民、つまり
アイヌ語で湿地(沼)をトマン(ツマン)と発音するからではないか?と考えています。しかし
現在では、下妻周辺は荘園造営〜江戸時代の干拓により、往時の湖沼はほとんど残っていません。
http://sazaepc-tasuke.seesaa.net/article/114601433.html
いずれにしましても、下妻・中妻・上妻の由来に関しましては不詳のままです。また私の説明より
http://www.kajika.net/wp/archives/538
http://www.shimotsuma-web.com/history1.htm
をご参照頂いた方が参考になると思います(^^)
Wikipediaの「三妻村」の項に、
>1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、三坂村、中妻村が合併して豊田郡三妻村が発足。
とあります。豊田郡は後に結城郡に統合されます。
三妻の地名由来=三坂+中妻の合成地名
なんだ^^; そんな単純な事だったんですね(^^;)