佃島,石川島,月島,向島は、ややこしい

■大江戸チャンネル


問い.佃島,石川島,月島,向島、この中で仲間はずれは?
答え.佃島,石川島,月島=中央区、向島=墨田区...ですが


問い.佃島,石川島,月島、この中で仲間はずれは?
答え.佃島,石川島=江戸以前から自然形成した島(干潟・砂州) 月島=明治以後の人工島(埋立地)
という答えになりますが...

築地,鉄砲州,月島,佃
ややこしいのは、江戸時代の中央区湊辺りは鉄砲州と呼ばれる隅田川西岸の砂州であり、鉄砲州から見た佃島と石川島を通称"向島"と呼ぶ場合があり、昔は埋立地=築地・築島と呼んでいたので、さらにややこしくなります(苦笑)

冨嶽三十六景 武陽佃島
これは、葛飾北斎が描いた富嶽三十六景の武陽佃島ですが、手前に見える大きな島が佃島で、一段低い小さな島が石川島です。
両島とも、隅田川が運んだ土砂が堆積して出来た砂州(干潟)の島ですが、明治以降に隅田川の浚渫によって生じた大量の土砂で埋立造成(築地・築島)を行った結果、月島や佃新島などが生まれました。現在は佃島と石川島でほぼ佃1丁目を形成し、月島の埋立て後に完成した埋立て地(佃新島)が佃2〜3丁目です。

佃島渡船場跡図説
いまでこそ佃大橋や相生橋で、簡単に佃や月島に行けますが、勝鬨橋や相生橋が出来たのは明治の後半、そして佃大橋が出来たのはなんと昭和39年、私が小学生になるまで、まだ渡船が存在していたのですから驚きです。

佃大橋
現在の佃大橋(つくだおおはし)
江戸の面影どころか昭和の面影もありませんねー

佃小橋
大橋があるなら、佃小橋(つくだこはし)もあります。
このつくだこはし付近(佃1丁目南側)は、江戸の面影がまだ残っています。

大幟柱の堀
つくだこはしからこんな看板が見えます。
よく神社のお祭りの際に縦長の大きな旗が立てられますが、それを大幟(おおのぼり)と言います。佃島は漁業で栄えた町なので、大幟の柱を、直接海(堀)に立てるのだそうです。
堀の向こうに見える高層マンション群「大川端リバーシティ21」は、佃1〜2丁目の北側(旧石川島)でこちらは江戸時代の昔から公有地(人足寄場〜石川島播磨造船所)がほとんどだったので、大規模開発が進んだのですねー。

佃住吉神社周辺案内図
こちらが周辺の案内図
下の画像が住吉神社ですが、佃島と住吉神社の縁起は下記のように伝えられています。

佃住吉神社
天正年間に徳川家康が、漁船で大阪の田蓑神社参拝し、田蓑村の名称を佃と改めさせた。つまり佃=人+田で漁業の傍ら田をも作れという意。家康が江戸幕府を開く際に、佃村の漁夫30数名が従い、田蓑神社の神主も住吉大神の分神霊と共に同行した。寛永年間に隅田川三角洲(=佃島)を幕府より賜り築島工事を起こし、正保2年(1645)の完成後本国の村名を取って佃島とし、住吉神社の分霊を勧請して佃住吉神社が創建された。
港区の浜松町は名主が家康と同郷の遠州浜松出身であることに由来することはつとに有名ですが、佃島もルーツは大阪だったんですね。

さて佃住吉神社には、面白い史跡がいつかありましたが...
わずか10カ月間に150点あまりの大量の浮世絵を残し、忽然と消えてしまった謎の浮世絵師東洲斎写楽の正体が、「能役者の斎藤十郎兵衛」という説しか知りませんでしたが、東洲斎写楽は、佃島の住人「下駄屋の甚兵衛」という説があったのを、今回の大江戸散歩で初めて知りました。


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2010年07月14日

posted by たすけ at 23:47 | Comment(6) | TrackBack(0) | ■大江戸チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
東京湾の歴史は面白いですね。
2万年前(氷河期末期)までは、東京湾の内奥は、何と現在の観音崎付近。
6千年前(縄文中期)には、逆に、古河付近まで東京湾が入り込んでました。
今後は、河川が運ぶ膨大な堆積物により、どんどん東京湾は小さくなって、もしかしたら、あと1万年ぐらいで無くなってしまうかもしれません。
労せずして「領土拡大」ができるのはありがたいことですが、「江戸前」という概念は死語になりますね。
Posted by 断腸亭髭爺 at 2010年07月15日 05:05
>断腸亭さん
まさに、地球の歴史から考えると現在の温暖化騒ぎは微々たる変動ですねー
リス氷期とヴェルム氷期の間は関東のほとんどは海ですものね。

面白いなーと感じたのは、6万年前からは銚子付近は一度も水没せずに
ずっと陸地であったということで、あの地球の見える丘に6万年前に
もしかしたら、人類が移動してきて、やはり海を眺めていたのかも?

などと、気の遠くなるような妄想に耽る私であります(笑)
Posted by たすけ at 2010年07月15日 23:55
『住吉大社神代記』に住吉大神の子神として田蓑嶋姫神(たみのしまひめ)が登場します。

※やんごとなき姫 では、有りません。
 念のため…。(*^o^*)

田蓑嶋姫神は、住吉大社の北方約10km、大阪市の最も北側に位置する西淀川区佃1丁目に鎮座する「田蓑神社」のことだと言われています

田蓑神社(たみのじんじゃ)も住吉大社も大阪にあります。

佃島の住吉神社と大阪の住吉大社も関係があるのでしょうか?
Posted by やんごとなき姫(やん姫) at 2010年07月16日 18:07
>やん姫さん
...佃島の住吉神社と大阪の住吉大社も関係があるのでしょうか?

...f(^、^;あのぅ...
佃住吉神社のルーツは大阪の住吉大社だと、記事中に書いてあるのですが(苦笑)

あ、住吉大"社"ではなく住吉大"神"と書いたので、伝わらなかったでしょうか?f(^、^;
Posted by たすけ at 2010年07月16日 22:29
★たすけさまへ

すみません。
私の読解力不足が原因ですね。
(^_^;) 失礼いたしました。

大阪の住吉大社の事を地元では、『すみよっさん』と、呼んでいるようです。

住吉大社=住吉大神=住吉神社 なのですね。
Posted by やん姫 at 2010年07月17日 09:40
>やん姫さん
いえいえ^^;ただでさえ、ややこしい話なので、うまく伝わらないのは私の書き方の問題も大きいかとm(_ _)m

ちょうどよい機会なので、冒頭部分だけでも外国人にもわかるような書き方をしばらく練習してみますね^^
Posted by たすけ at 2010年07月17日 19:28
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