官衙とは?

日記(うんちく放題)


平沢官衙遺跡

官衙(かんが)とは、今で言う官庁・役所のことです。

常陸国と下総国

古代日本は奈良時代の少し前に律令制が整えられ、国・郡・里の行政区分に分けられました。茨城県(常陸国)の国府(国衙=県庁)は現在の石岡市で、下総国の国衙が市川市でした。東京スカイツリーのある墨田区も下総国の葛飾郡で、隅田川が武蔵国と下総国の境でしたので、そこにかかる橋が両国橋ですね。
我孫子市は葛飾郡ではなく、現茨城県の一部と共に相馬郡でした。我孫子市日秀(ひびり)の湖北高校敷地内に下総国相馬郡の役所跡があります。それが日秀西遺跡(相馬郡衙正倉跡)です。

相馬郡衙正倉跡

我孫子市内をポタリングすると、我孫子駅〜布佐駅まで成田線や国道356号線がほぼ丘の稜線に沿って走っていることを実感します。中峠(なかびょう)と地名が残っているように、その区間の手賀沼〜利根川は峠(丘)を超えなければなりません。航空写真でみると日秀西遺跡(湖北高校)が旧手賀沼の台地部分にあったようすが見てとれます。

相馬郡官衙想像図

あびこ電脳考古博物館では54棟の掘立柱建物跡は「正倉」律令時代の税である米を保管しておく相馬郡の役所の倉庫と考えられています。と想像図を示してくれています。

これを実物大に復元建造したのが、筑波山の麓にある常陸国筑波郡の平沢官衙遺跡です。

常陸国筑波郡官衙

平沢官衙遺跡と筑波山

復元建造物

律令制度は古代日本の中央集権強化で、安定税収と国防(防人)が主たる目的でしたが、すぐに破綻していきます。時の政権は三世一身法や墾田永年私財法など、特別措置法を打ち出しましたが、結局は貴族や官僚の私腹が肥えただけで、律令制度は脆くも崩壊していく訳ですが...

子ども手当に高速道路無料化の断念...官僚は天下りの渡り天国
う〜ん....1000年以上前から何も変わっちゃいませんね(苦笑)


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タグ:官僚

2010年06月10日

posted by たすけ at 23:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(うんちく放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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