流山裏道ポタのエピソード2 / 大正時代の自転車乗り

流山チャンネル


昨夏に103企画で行われた手賀沼再発見ポタでは、文豪志賀直哉が無類の自転車好きで、大正時代自転車乗りの様子などにも触れましたが、我が郷土流山の無類の自転車好きのエピソードをば。

流山市の宿(しゅく)にある一茶双樹記念館は「小林一茶寄寓の地」として、流山の味醂酒造家の五代目秋元三左衛門(俳号双樹)に因んで命名されていますが、そこの館長の I さんが、筋金入りの旧車フリークで秋元洒汀生誕140年記念では、100年前のスポーツ自転車を展示していますよ!と先月にらんどなあさんから教えて頂きました。

※秋元一族は、本家は代々秋元三左衛門を襲名し、分家では秋元平八を襲名します。
エピソード1でご紹介した秋元良尚は、10代目秋元三左衛門で。
エピソード2でご紹介する秋元洒汀は、5代目秋元平八になります。

曙輪友会5代目秋元平八は流山町民鉄道の設立時にリーダーとして担ぎ出された訳ですがその理由が無類の自転車好きであったということにも一因があります。
流山では1900年(明治33年)頃に自転車が流行り出しましたが、平八は自転車に夢中になり、自転車を趣味とする人たちの親睦会「曙輪友会」(あけぼのりんゆうかい)が発足した際に、その会長の座につきました。そして、ツーリングに出かけたり、各地のロードレースにも参加し、なんと自ら自転車競技場を建設し、自転車レースも主催したということです。


大正時代のサイクリング

この写真は「曙輪友会」のメンバーかどうか不明ですが、大正12年に流山から成田山ポタに行く直前に撮影されたものとのことで...ん〜、いかにも大正時代の自転車乗りって出で立ちですね〜。

大正時代のロードレース

この写真は、大正時代中頃に東葛地区で開催されたロードレースの一コマで野田市内で撮影されたとのことで...とても大正時代とは思えないスポーティーな姿ですよね!いつの時代もローディさんは格好いいですね〜。

それにしても...
自転車を趣味とする人たちの親睦会「曙輪友会」...って。まさに元祖チーム東葛ですね!
そういえば、某コミッショナーさんも自転車・カメラ・歴史・美術とまさに道楽の極みで、もしかして5代目秋元平八の生まれ変わり?なんて思ってしまうのは私だけでしょうか?(笑)


人気ブログランキングにほんブログ村 自転車ブログblogram投票ボタンランキング投票ボタン
日本ブログ村

☆読んで頂いて感謝なっしー♪

クリック頂けたら感激なっしー! ⇒⇒

ブログ執筆の励みになりますf(^、^;



2009年10月22日

posted by たすけ at 19:25 | Comment(8) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大正時代に自転車に乗れる人って、どんなんかな〜?
自転車の価格も やばくねぇ〜?

・・てな訳で、ネットで調べてみましたら…。

【大正10年代】
住民の中には「ラージ」という英国製の自転車を持つ人がおり、価格は一台で1 ケ月の給料分に相当する50円だった。
↓ 参照
http://www.xpress.ne.jp/~daimachi/shindo/hensen/T10/T10.html

すごいですね〜。
大正10年の物価については・・
↓参照
http://edo-ram.hp.infoseek.co.jp/teito/CoC_teito_price.html

大卒の初任給が50円だったそうです。
銭湯が6銭(100銭で1円)
ピアノが 1400円〜3500円 (大正9年)

自転車も庶民には 高嶺の花だったのでしょうね。
Posted by やん姫 at 2009年10月10日 20:01
>やん姫さん
こりゃまた詳しく補足頂きましておおきにぃ♪(笑)
志賀直哉も秋元平八も相当なボンボンですからねぇ〜
今はパンピーの私でも自転車乗れる、いい時代になったものです(笑)
Posted by たすけ at 2009年10月10日 20:24
実に面白いです。

当時、成田山までサイクリングするのは大変だったでしょうね。
全部、未舗装路だったろうし。

草履履きにステテコでも、自転車乗りの楽しさは今と同じだと思います。
これから出発するという期待感が顔に表れています。

当時のロードレーサー、ブレーキがないような・・・。

そう言えば、引退後の慶喜も、かなりの自転車好きだったそうですね。
彼が撮影した写真があるそうですが、どこかで見られますか。
Posted by 断腸亭髭爺 at 2009年10月11日 04:47
>断腸亭さん
当時の自転車...ロードレーサーというよりはピストバイクでしょうね。
確信はありませんが、固定ギアなのでコースターブレーキ(ペダルブレーキ)になっているのだろうと思います。

慶喜撮影の写真...松戸の戸定邸記念館には数点ありましたが、たくさん所蔵しているのは静岡市なのかなぁ?
...と思ってちょっと検索したら、ちょうど10/24〜11/8まで静岡市文化財資料館で「江戸幕府最後の将軍の遺産」という特別展をやるみたいですよ♪
http://kokubunsai.pref.shizuoka.jp/sponsor/entertainment/city/ra_77.html
Posted by たすけ at 2009年10月11日 08:40
たすけさん、ちわっす!

このあいだ一茶双樹記念館でこの頃の自転車が展示されているのをみました。

でもハンドル逆じゃない?きっと!

http://healthycycling.blog91.fc2.com/blog-entry-33.html
Posted by らんどなあ at 2009年10月14日 23:55
>らんどなあさん
10/10のエントリーでこの記事をリンクさせてもらっています(^^)v
ハンドル...逆ですかねぇ?なんかこの形状で"あると思います!"のような気がします。
Posted by たすけ at 2009年10月15日 01:41
大正時代から同じようなことをしていた歴史があるんですねぇ。。。

しかも流山から成田山を目指して。。。

なんか不思議な感覚です。

それにしてもピアノって高いんですねぇ。。。

ポタもいよいよ明後日ですね(^^)
少しお天気が心配ですが、楽しみです。
Posted by さふらん at 2009年10月23日 22:39
>さふらんさん
小雨決行は...昨年の千姫祭りポタを雨で中止したら..行けたんじゃないの?...との意見もありで^^;
主催者なんで、私は向かいますが、明後日は無理しないでドタキャン全然問題ないですよー(^^)v
Posted by たすけ at 2009年10月23日 22:53
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック