田澤稲舟と与謝野晶子 / 男はつらいよ 女はつよいよ

日記(うんちく放題)


ほぼ同世代の、明治の女流作家の二人です。

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左:田澤 稲舟 右:与謝野 晶子
田澤 稲舟(本名:田澤 錦 1874-1896年)22歳没
与謝野 晶子(本名:与謝野 志よう 1878-1942年)63歳没

享年に差がありすぎるので、与謝野晶子は若い頃の写真を選びました。
稲舟は、山田美妙と結婚三か月で離婚、その年のうちに死去
晶子は、与謝野鉄幹と結婚、12人出産、日本初の男女共学校を創設
※文化学院は2013年で高等課程は募集停止⇒[参照]

野菊の墓の「民子」ように、家制度の中で結婚を許されなかった女性とは真逆で、周囲の反対を押し切って、山田美妙と結婚した田澤稲舟。
でも若くして金も名声も手に入れた夫(山田美妙)の浮気癖や、姑との諍い&自身の病弱の為、3ケ月で実家に戻り、直後に自殺?と報じられて亡くなった「稲舟」。
長くなるので田澤稲舟とはどんな女性だったのか?については⇒「こちら」「こちら」を参照してください。

「稲舟」は、結婚に破れて早世し、「晶子」は不倫の末に鉄幹と結婚し、夫の生活の面倒を見ながら11人の子を育てるなど対照的な人生でした。
「野菊の墓」や「伊豆の踊子」は実体験を元にしているとは言え、「民子」や「薫」は所詮、男性作家が描いた空想の"なでしこ"に過ぎないのですねぇ。翻って...実在女性の「稲舟」や「晶子」のなんと熱情的な事^^;



「華の乱」は、永畑道子原作を映画化したもので、以前にレンタルで観ましたが、私にはどうもヒロイン(与謝野晶子役)に吉永小百合がピンときませんでした。...って。自分が吉永小百合を純情可憐でトイレも行かない女性という、空想の世界でしか見ていないからですね。
下衆な話ですが『与謝野晶子 バナナ』や『吉永小百合 松茸』で検索すると「ホントかよ!?」という内容に行き当たります。真偽のほどはわかりませんが、ま、結局のところ、文芸は空想なのでしょ。

山田美妙は、一口で言えば、生意気で女癖が悪かったから文学界から干され、晩年は病と貧しさのうちに亡くなったとされていますが。....でも、与謝野鉄幹は、教え子の女生徒二人を孕ませ、生涯、晶子の稼ぎで生活した訳ですから「どんだけダメ男なんだよ!」と鉄幹の方を蹴り倒したい私がいます(苦笑)




ここからは、Google マップのストリートビューを利用します。
閲覧環境によって見えない場合はご容赦ください。

【野菊の墓文学碑(千葉県松戸市)】←クリックすると、野菊の墓文学碑へ上がる階段が見えます。さらに陸橋を渡ると、見晴らしのよい場所に出ます。

ここで若くして亡くなった「民子」と「稲舟」を重ねわせていました。
片や、空想の女性。片や、実在の女性。
片や、結ばれぬ故の悲運。片や、結ばれた故の悲運。

う〜ん「晶子」より「稲舟」をヒロインにした映画を作るべきだろうな...ないのかな?
山田美妙,田澤稲舟は美男,美女なので、キャスィングは何通りも組めるだろうなぁ...
なんて事を、矢切のネギ畑を眺めながら思っていました(^^;)

【田澤稲舟の胸像(山形県鶴岡市)】←クリックすると、生家の前に建立された「田澤稲舟の胸像」が見えます。180度回転させると、元の生家があります。
※生家はすでに他の医院となっていて、子孫は[田澤歯科]として神奈川県横須賀市に移転しています。

田澤稲舟を取り上げたホームページやブログをネットサーフィンしたのですが、この項の最後にふさわしいのは、こちらの「ブログ記事」かな?

「あさましや、骨をつつめる皮一重
 迷う身こそは あわれなりけれ」


うぅ・・・怖っ!

「男はつらいよ!」や「男の失恋話」なんて...
女性から見れば、なんて、ちっぽけなんでしょ(^^;)
「つれて 逃げてよ……」
「ついて おいでよ……」
「見すてないでね……」
「捨てはしないよ……」
舟にまかせるさだめです
「矢切の渡し」の歌も、石本"美由起"というから
てっきり女性かと思っていたら、男性作詞家だったんですね。

もし、「稲舟」や「晶子」が作詞したならば...
こんな生半可な歌詞にはならなかったでしょう(^^;)

2014年06月05日

posted by たすけ at 19:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(うんちく放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山田美妙と国木田独歩 / 武蔵野

日記(うんちく放題)

2011年に断腸亭さんに古東海道をご案内頂いた時山田美妙に辿り着いた事がありました。3年後「矢切の渡しや野菊の墓」のスピンオフから、また美妙に辿り着いてしまいました。うまく整理することができるかどうか"ビミョー"ですが、興味のある方はお付き合いください(苦笑)

武蔵野.jpg

左:山田 美妙 右:国木田 独歩
山田 美妙(本名:山田 武太郎 1868-1910年)42歳没
国木田 独歩(本名:国木田 哲夫 1871-1908年)36歳没

ほぼ同世代の明治時代の小説家・詩人の二人ですが小説「武蔵野」随筆「武蔵野」で、厳密にはジャンル違いですが「武蔵野」と言えば、先ず浮かぶのが国木田独歩であり、山田美妙を思い浮かべる人は、ごくわずかでしょう。

山田美妙を知るきっかけは、3年前に明治時代の写実主義と言文一致運動を調べていた事に依りますが、その際下記の3人に触れなければなりません。

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左:初代三遊亭 圓朝 中:坪内 逍遥 右:二葉亭 四迷
三遊亭 圓朝(本名:出淵 次郎吉 1839-1900年)61歳没
坪内 逍遥(本名:坪内 雄蔵 1859-1935年)75歳没
二葉亭 四迷(本名:長谷川 辰之助 1864-1909年)45歳没

二葉亭四迷が小説「浮雲」で日本文学史上、写実主義と言文一致を開花させたことはあまりにも有名ですが、そのルーツが幕末〜明治にかけて活躍した、初代三遊亭圓朝(円朝)であったことは意外に知られていません。くたばってしまえ=二葉亭四迷の真偽はわかりませんが、「亭」を付けた所以は、三遊亭にたいする畏敬であったことには間違いないと思います。

明治に日本語の速記が開発され、初代圓朝は自身の新作落語の口述筆記を「やまと新聞」に連載することを許可しました。初代圓朝の場合、落語と言ってもいわゆる滑稽噺(お笑い)ではなく、人情噺や怪談噺など、現代風に言うならば、火曜サスペンス劇場とかミステリードラマですね。

寄席に行かなくても、新作サスペンス&ミステリーが読めて
ハラハラドキドキの物語がいい場面で終わって、この項続く
....と連載される訳ですから
「え〜!この後どうなるの??」
と、そりゃ、やまと新聞の販売部数も伸びる訳です(笑)

二葉亭四迷が残した文章によると
何か一つ書いて見たいとは思つたが、元來の文章下手で皆目方角が分らぬ。坪内(逍遙)先生の許へ行つて、何うしたらよからうかと話して見ると、君は圓朝の落語を知つてゐよう、あの圓朝の落語通りに書いて書いて見たら何うかといふ。
そのように書いて先生の許へ持つて行くと、篤と目を通して居られたが、忽ち礑(はた)と膝を打つて、これでいゝ、その儘でいゝ、生じつか直したりなんぞせぬ方がいゝ」
つまりは二葉亭四迷は、文学には客観描写(=心理的写実主義)が重要であると説いた小説「真髄」の坪内逍遙からアドバイスを受け、初代圓朝の落語の文体をお手本にして「浮雲」が完成した訳です。

話を整理&箇条書きにすれば以下のようになります。
■ 日本語の「言文一致」のルーツは落語家初代三遊亭圓朝
■ それを文学史上、実践したのは二葉亭四迷の【である調】
■ 日本に留学した魯迅が「狂人日記」で中国で口語体文学を開花させる

初代三遊亭圓朝の影響力は物凄いですね。
歴代圓朝の中で大圓朝と呼ばれる所以ですね。




さて、話を山田美妙に戻しますが、明治期の言文一致運動に二葉亭四迷と同様の功績のあった筈の山田美妙がほとんど知られていない。その理由は美妙のスキャンダラスな生き様に依るところが大きいのでしょうが・・・。

山田美妙と嵐山光三郎.jpg

山田美妙を語っている書籍の中では嵐山光三郎著の美妙、消えた。美妙 書斎は戦場なりが面白く読みやすそうです。

さて、何故「矢切の渡し」や「野菊の墓」から山田美妙に辿り着いたのか?は次項にて。

2014年06月04日

posted by たすけ at 17:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(うんちく放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

石本美由起と矢切の渡し / 恋に生きたい二人です

■昭和の追憶


石本 美由起(本名:石本 美幸 1924-2009年)昭和時代の演歌の作詞家
島田 陽子(本名:島田 陽子 1929-2011年)昭和時代の詩人・作詞家



演歌:矢切の渡し(作詞:石本美由起)
断腸亭さんたちと矢切の渡しの歌碑の前で
「あれ?誰が歌っていたんだっけ?」


矢切の渡し.jpg

1983年(昭和58年)細川たかしが、この曲でレコード大賞を受賞したのに、細川たかしが浮かんできませんでした。
元々は、ちあきなおみに提供された曲で、瀬川瑛子、中条きよし、春日八郎、島倉千代子、などがシングル発売し、美空ひばり、中森明菜などのLPアルバム挿入を含めれば、実に30人以上が唄っていたんですねぇ。

...で。石本 美由起...男性です。
矢切の渡しの他、私が知っている曲を列挙すると
憧れのハワイ航路(岡晴夫)
薔薇を召しませ(小畑実)
ひばりのマドロスさん(美空ひばり)
港町十三番地(美空ひばり)
哀愁波止場(美空ひばり)
悲しい酒(美空ひばり)
人生一路(美空ひばり)
大ちゃん数え歌(吉田よしみ)


えぇ〜!大ちゃん数え歌まで、石本 美由起 作詞だったんだ!?(^^;)
私が知らなかっただけで、有名な作詞家だったんですねぇ。

世界の国からこんにちは.jpg

こちら、1970年大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」
三波春夫以外に誰も浮かんでこなかったのですが...
坂本九・山本リンダ・弘田三枝子・西郷輝彦・倍賞美津子・ボニー・ジャックスもレコード発売していて、5千年後に開封される大阪万博タイムカプセルには、吉永小百合の「世界の国からこんにちは」が収められた...なんて。

島田陽子と言えば、女優の島田陽子しか思い浮かびませんでしたが...



滝は 滝になりたくてなったのではない
落ちなければならないことなど
崖っぷちに来るまで知らなかったのだ

まっさかさまに
落ちて 落ちて 落ちて
たたきつけられた奈落に

思いがけない平安が待っていた
新しい旅も用意されていた
岩を縫って川は再び走りはじめる


島田陽子詩集『わたしが失ったのは』より
同姓同名の詩人がいらしたのですねぇ・・・


2014年06月03日

posted by たすけ at 23:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | ■昭和の追憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

野菊の墓と伊豆の踊子と潮騒のメモリーズです

■昭和の追憶

写真&動画&フラッシュ

俳優(女優)さんの名前が沢山出てきますが敬称略&いずれリンク切れになってしまう動画があると思いますm(_ _)m

主題は野菊の墓と伊豆の踊子と潮騒のメモリーズなのですが、その前に
私が最後に柴又の帝釈天に訪れたのは、おそらく15年以上前だと思います。渥美清が亡くなって、なんとなく一人で訪れて以来でした。

でも、私にとって渥美清と言えば...啖呵売や口上で饒舌な「フーテンの寅さん」とは逆の、寡黙で辛抱強いキャラクターが多かった「泣いてたまるか」の印象の方が強いです。

渥美清の泣いてたまるか.jpg

小説や映画の主人公にたいして...はまり役というか
この役なら、絶対にこの俳優(女優)!というイメージって、持っていませんか?

野菊の墓(伊藤佐千夫)の民子」...と言えば

「吉永小百合ですか?山口百恵ですか?」


と、断腸亭さんに質問した私ですが・・・



吉永小百合や山口百恵主演で「野菊の墓」の映画はありませんでしたm(_ _)m
※山口百恵の野菊の墓のTVドラマはあったようですが、たぶん、私は山口百恵引退記念映画の「古都」と「野菊の墓」を取り違えて記憶していたのかも知れません。

吉永小百合と山口百恵.jpg

純愛映画の代表作と言えば「伊豆の踊子(川端康成)」で、吉永小百合や山口百恵が主演しています。
山口百恵の「伊豆の踊子」を観た記憶はありませんが、吉永小百合&高橋英樹の「伊豆の踊子」は、今から35年以上前の学生時代に観た記憶があります。

勿論、封切りではなく池袋の文芸坐だったかなぁ。

でも、私の記憶の吉永小百合は、まぼろし探偵に出て来た少女で、今で言えば能年玲奈のような、初々しい少女でした。...って。私より一回り以上も年齢が上ですが^^;
でも、現代の女優さんに往年の女優さんの面影が浮かぶ...って事ありませんか?



ちょっと脱線しますが、「潮騒(三島由紀夫)」にも、吉永小百合や山口百恵が主演しています。『その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら』なんて台詞に、私たち世代はちょっぴり体温上昇してしまうのですが(///▽///)

あまちゃん世代(潮騒のメモリーズ世代)にとっては『そのヘビを飛び越して来い・・・』のパロディが真っ先に思い浮かぶのでしょうね(笑)

野菊の墓(有田紀子).jpg

断腸亭さんに教えて頂き、木下惠介監督の『野菊の如き君なりき』(出演:田中晋二、有田紀子、笠智衆)の予告編を少し観ました。有田紀子という女優さんは、全く知りませんでしたが、民子のイメージにぴったりですね。

昨夜(5/27)のTVで美空ひばり記念館オープンに絡めて、故.美空ひばりの軌跡を特集された番組を見ました。美空ひばり主演の「伊豆の踊子」映画があったんですね。私には、美空ひばりに「薫(踊子)」のイメージは全然ありませんが、世代によっては「伊豆の踊子」と言えば美空ひばりという方々もいらっしゃるのでしょうね。

「野菊の墓」「伊豆の踊子」「潮騒」は、数多くの映画やドラマが制作されていますが、やはりノーベル文学賞の「伊豆の踊子」が最も作品数が多く映画だけでも・・・

・1933年(昭和8年)松竹:田中絹代
・1954年(昭和29年)松竹:美空ひばり
・1960年(昭和35年)松竹:鰐淵晴子
・1963年(昭和38年)日活:吉永小百合
・1967年(昭和42年)東宝:内藤洋子
・1974年(昭和49年)東宝:山口百恵


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果たして皆さんは、「伊豆の踊子の薫」...と言えば?
どのヒロインを真っ先に思い浮かべるのでしょうか?

伊豆の踊子は吉永小百合主演しか観ていないのですが、何故だか薫のイメージには内藤洋子がピッタリ合います。どことなく、有田紀子と内藤洋子って似ていませんか?どちらも映画は観ていないのですが...

結局、私の中では「民子も薫も」同一の容姿としてイメージしているようです(^^;)

2014年06月02日

posted by たすけ at 23:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | ■昭和の追憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

柴又帝釈天と野菊の墓

自転車(ポタリング)

5月24日に、輪友の断腸亭さんの課外授業に、学生さんたちと一緒に、野菊の墓文学碑〜水元公園〜矢切の渡し〜柴又帝釈天を訪れました。...で。柴又帝釈天と野菊の墓でフーテンの寅さんのスピンオフで記事を書いてうちに収拾がつかなくなりました。...てな訳で。いつまでも記事アップできそうにないので、とりあえず、当日の動画と画像だけを先に^^;



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ここまでが、出発&解散地点の葛飾区柴又

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対岸(千葉県側)に渡って、野菊の墓の文学碑などを見学
因みに伊藤佐千夫はこの学生たちの大先輩にあたりますね。

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水元公園にて270円弁当を食し、みずもと紙飛行機クラブを眺めながら

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矢切の渡しを見学してから、帝釈天に...って。
たんなるアルバムを貼っただけですみません^^;
私が写っているのは、kincyanさんから頂きました(感謝)



葛飾区柴又の寅さん記念館、帝釈天参道の名店、山本亭などは
小堺翔太・ほっこり街探 015 柴又編がわかりやすいですよ(^-^)

PS.facebookでは、単純に「どこ行った&何食った」を発信しているのですが、このブログはfacebookに連動させているので、今後はブログの方に「どこ行った&何食った」だけを書くことが多くなるかも知れません^^;

タグ:葛飾区柴又

2014年06月01日

posted by たすけ at 06:45 | Comment(2) | TrackBack(0) | 自転車(ポタリング) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする