小金牧その後 / 明治〜平成

ちばらきチャンネル

江戸時代、下総台地に広がっていた小金牧(野馬の放牧場)では、勇壮な野馬追い(軍事演習)はなくなり、将軍家や水戸家の鷹狩・鹿狩の場所となりました。勿論、野馬の放牧は続いており、馬の品種改良のためにペルシャ馬(オランダから輸入したのでオランダ様)なども放たれました。

江戸時代も終わり、明治新政府は将軍家・水戸家の小金牧を廃し、職を失った武士のために開墾地として入植事業をすすめます。小金牧・佐倉牧を含めて、その開墾順に名称がつけられました。

【初富(鎌ヶ谷市)、二和、三咲(船橋市)、豊四季(柏市)、五香、六実(松戸市)、七栄(富里市)、八街(八街市)、九美上(香取市)、十倉(富里市)、十余一(白井市)、十余二(柏市)、十余三(成田市・多古町)】

小金牧の開墾順と駅名.gif

小金牧(五牧)は、ほぼ東武野田線と新京成線の沿線に分布しています。また、両線の駅名にその開墾順の足跡を見ることができます。

ところで、この入植事業には、政商として活躍した三井が関わっています。
戊辰戦争の戦費を負担してきた見返りに、幕府が保有していた小金・佐倉牧の払い下げを目論んだ訳です。
例えば柏ゴルフ倶楽部(三井不動産)跡地に、2006年(平成18年)に三井ショッピングパーク・ららぽーと柏の葉が完成しましたが、そのルーツは小金牧(高田台牧)の開墾事業です。
現在の柏の葉県立公園や東京大学柏キャンパスなどは、旧柏飛行場の跡地ですが、このように小金牧や佐倉牧で特に平坦で広大な場所は、国有地や県有地として自衛隊施設(演習場)、飛行場、大規模団地、学校などになっています。

昭和20年頃の小金牧(高田台・上野).jpg

柏駅の西側に広がっていた、小金牧(上野牧)を例にとれば、東洋一の規模の競馬場(柏競馬場)が造られ、現在は豊四季団地となっています。
※柏ゴルフ場は前述の柏ゴルフ倶楽部とは別です。
※この画像はクリックで拡大します。


初富稲荷神社.jpg

初富稲荷神社の創建は、1869年(明治2年)
ここから、小金牧の開墾が始まる訳ですが、それは同時に下総台地の野馬追い歴史の終焉であり、野馬土手破壊の始まりでもある訳です。
そんなストーリーを散りばめたくて、10月12日の鎌ヶ谷市民まつりでは、東武野田線と初富神社の鳥居前に陣取って相馬野馬追騎馬隊の到着を待ち構えていた訳ですが・・・



騎馬隊が近づくにつれ、ものすごい見物客で溢れ、騎馬隊を撮るというより、人垣を撮るような事になってしまいました^^; でも、何故だか初富稲荷神社前では、騎馬隊の皆さんが一様に立ち止まってとてもフレンドリーに観客に馬を見せてくださいました(^^)
騎馬隊の中に若い女性武者がいた事に驚きましたが、本場相馬の地では、野馬追は男祭りではあるけれど、二十歳未満に限り女性も騎乗を許されるそうです。

相馬野馬追御行列を見学した後に、東葛人さんと二人で、来春訪問させて頂く予定の、高橋梨園さん(白井市)の場所を確認し解散となりました。

薄明光線(下手賀沼).jpg

この薄明光線は、一人帰路の際に白井市と柏市(旧湘南町)の市境である下手賀沼から撮ったもの。ちょうど中野牧方向から放たれていた光線でした。上野牧と高田台牧の境である大堀川に辿り着いた頃には残光もなくなり、真っ暗に^^;

...てなわけで。小金牧の残光については
小金牧のすべての牧について、野馬土手等の写真が充実し、最新情報への更新が行われ、小金牧に関する最高水準のサイト。『鎌ヶ谷市報告書』が見落としたくぬぎ山駅北の土手についても記載⇒【野馬土手-小金牧の残光】
...って。あまりに強引な筆止めで恐縮ですf(^、^;

2013年10月17日

posted by たすけ at 15:52 | Comment(2) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

相馬流れ山 習いたかござれ

流山チャンネル

習いたかござれ ≒ 演習またやりたいなぁ、懐かしいなぁ。

相馬野馬追.jpg

相馬流れ山は、相馬野馬追に欠かせない民謡ですが、流れ山とは相馬藩主(現福島県:相馬市・南相馬市・双葉郡)のふるさと(現千葉県:流山市)の地名に由来。
鎌倉時代末期(1323年)に、相馬重胤が奥州(福島)に下向した際、ふるさと流れ山で演習していた野馬追いを偲び、恋し懐かしと口ずさんだものがいつしか節となって歌われたものであるといわれています。

...でも

相馬氏とか相馬重胤...ってどんな人?⇒【相馬氏惣領 相馬重胤】
相馬重胤のふるさとは流山ではない!⇒【相馬のふるさとは流山にあらず】

ま、そんな訳なのですが^^;
これじゃ、あまりに他力本願なので、もうちょっと私なりに付け加えておきます。

千葉県に習志野市がありますが習志野=演習場で、習志野に限らず千葉県の下総台地は平安時代から軍馬育成の放牧場であり演習場でした。江戸時代になっても、小金牧(5牧)や佐倉牧などが残り、現在でもそこかしこに牧の名残である、野馬土手が残っています。


さて、流れ山ですが・・・
東葛人さんの仰る通り、私も流れ山=赤城山(赤城神社)だと思っています。

赤城神社例大祭
2013年の赤城神社例大祭は10月20日(日)です(^^)

流山(流山本町1〜9丁目)周辺は、江戸時代の利根川東遷以後に繁栄した地域で、相馬重胤が柏市の増尾あるいは東葛地区のどこかで暮らしていた頃(鎌倉末期)は、湿地帯の中に細長い自然堤防や砂州(中洲)があったくらいでしょう。
大きな台風でも来れば、あっという間に水浸しになるような場所で、とても武家が館を構えることのできるような地勢ではありません。それに流山の赤城山はどうみても不自然な存在です。巨大台風(洪水)で土砂が流れたといっても15mの高さにはならないでしょう。

流山市本町市街地地図

・・・で。ここから妄想話ですが。
おそらく、中洲の小高い部分に更に盛土して小山を築き、見張り台兼、演習目的地にしたのではないかと?西平井の坂を駆け下り一気に愛馬を走らせて、小山の頂上に誰が一番速く辿り着くか?なんて演習の為に人工的に作った小山なんじゃないかなぁ。

ほら、今でも児童公園にちょっとした小山を築いて子供たちを遊ばせるじゃないですか。私が流山小学校5〜6年生の時にも、校庭の隅っこに小山が築かれて、そこでよく遊んだものです。相馬重胤も子供時代に、この中州に築いた小山、なかすやま⇒ながれやま を目指して馬を駆ったかもしれません(^^)

では、誰がこの中州山を築いたのか?
千葉家から分家した相馬家初代の相馬師常の六男に、常家(六郎)がいました。常家は、葛飾郡八木郷(現.流山セントラルパーク駅〜流山おおたかの森駅周辺)を領して、八木(矢木)常家となりました。この八木家には、日蓮直筆の「立正安国論」が与えられていますが、現在は市川市の中山法華経寺に現存しています。

■流山市内の日蓮宗寺院を列挙すると・・・
・法栄寺 流山市駒木台185
・成顕寺 流山市駒木224
・浄蓮寺 流山市野々下159
・本妙寺 流山市後平井127
・本覺寺 流山市西平井1432
・本行寺 流山市平和台5-19-22
・常与寺 流山市流山2-130-1

流山本町(根郷)の常与寺以外は、ほぼ矢木家の領地と合致します。
領主が変わっても民の信仰は、そうそう変わることがない好例ですね。

つまりは、相馬家本流ではありませんが、流山市に相馬家があったことには間違いなさそうで、この矢木家の時代(鎌倉時代初期)に、西平井の先の中洲(現流山6丁目)に小山を築き見張り台としたのかも?当然、そんな軍事目的の施設を無断で造れば、問題となってしまうので・・・

「え?この山?なんかねぇ、洪水で偶然出来ちゃったのよ♪」
と、とぼけたのかも?(^^;)

まだ江戸川のない時代ですが、大洪水で群馬県の赤城山から、利根川or渡良瀬川〜太日川づいたに御札が漂着するのはあり得る話で、見張り台のカモフラージュ、もしくはその役割を終えてから、ここに赤城神社を創設した・・・って事じゃないかなぁ。と、私は考えています。

常磐線や常磐自動車で、東京・埼玉から千葉に入ると、すぐに下総台地が広がっています。江戸川土手をサイクリングしていれば、千葉側はこんもりとした斜面林(下総台地の端)が続き、そこからは武蔵の国を広く見渡せます。

私自身は小学生時代、西平井(現.平和台4丁目)の高台から、赤城山の向こうに広がる東京・埼玉方面を見渡し、秋〜冬は丹沢連峰の向こうに見える富士山や秩父連山や榛名連峰をよく眺めていました。

おそらく、少年時代の相馬重胤も、野馬追いの後に流山市の西平井や鰭ケ崎まで馬を走らせ、同じ風景を眺めていたのだろうなぁ・・・と(^^;)

相馬流れ山♪ 習いたかござれ♪


追記&補足:
youtubeで2013年の相馬野馬追の動画や関連サイトを見ていたら・・・
「相馬野馬追」は、1000年以上前の平将門時代に、現在の千葉県の流山地域で始まった甲冑を身にまとい馬にのった武士が野馬を敵と見立てて争う武道稽古のひとつである。
って説明が多いのですけど、坂東市(岩井)の人が読んだら、どう感じるのかなぁ。

私が学生時代、地方の友達に(都内出身の友達でも)...「出身は流山」と言っても地理的位置がよくわからないらしく、【柏のあたり】...と伝えると『あぁ〜常磐線のあのあたりか?』と合点したようで(苦笑)
それが江戸時代中期では『柏?どこそれ?』となり、味醂で栄えていた『流山あたり』と伝えた方が地理的位置がわかりやすかったので、小金牧の説明で【流山あたり】と説明したほうが、合点がいったのかもしれませんね^^;

千葉氏や千葉氏から分家した相馬氏もまた、平将門の血筋。...っていうのはちょっと無理があるとは思いますが、将門一門も、相馬一門も、軍馬を飼い演習はしていたでしょうから...

・坂東市からみれば1100年の伝統
・鎌ヶ谷市からみれば600年ぶりの野馬追
というのは間違いではないと思いますけどね(^^;)

posted by たすけ at 08:05 | Comment(2) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

相馬野馬追騎馬隊 御(お)行列

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10月12日(土)に、東葛人さんと2人で鎌ヶ谷市民まつりに特別参加していた、相馬野馬追騎馬隊武者御行列を撮影してきました。
情報を寄せて頂いた、いくさん、roadrunnerさんありがとうござました(^^)

次の動画は、鎌ヶ谷市民まつりでの相馬野馬追騎馬隊 御(お)行列ですが、この動画の冒頭の号令は、昨年(2012年)開催された坂東市岩井将門まつりでの相馬野馬追騎馬隊の出陣の音声です。そしてBGMは、ご存知「相馬流れ山」です。



あ〜ぁ、鎌ヶ谷市役所から騎馬隊を見下ろしている見学者が2名ほどいましたね。仮に知らなかったとは言え、もし市役所職員だったら、その御法度行為はちとマズイんじゃね?

2013岩井将門まつり.jpg

さて、今年2013年の岩井将門まつり11月10日(日)にも、相馬野馬追騎馬隊の皆さんが参加されます(^^) 相馬野馬追の起源や、BGMに流れている「相馬流れ山」の諸説については、後日記事を書くかも知れませんが、この記事では相馬野馬追騎馬隊 御(お)行列の見学についてのマナー(礼儀)を書いておきたいと思います。

相馬野馬追(そうまのまおい)を、わかりやすく言えば軍事訓練です。鎌倉幕府成立後、軍事訓練は禁止された筈なのですが相馬野馬追は、あくまでも神社に奉納する神事という名目で、約1000年も脈々と受け継がれています。⇒相馬野馬追オフィシャル頁

神事であり、相馬(福島県浜通り)に長く伝わる伝統儀礼なので、騎馬隊の行進は畏敬を込めて御(お)行列と呼ばれており、相馬野馬追の御行列には御法度行為があります。

一、行列を横切るべからず。

一、行列を見下ろすべからず。




この動画...一瞬何が起こったか?わかりますか?
御行列の途中を自転車で横切ったおじさんを叱責し、押し戻しています。
(さすがに、他に徒歩で横切った女性は黙認されていましたが^^;)

なにも、そこまですることないんじゃない?第一危ないじゃん!
という見解もあると思うのですが、長き伝統の作法を守るという姿勢に私は共感します^^;
因みに、この動画の0:45〜は、全く同じ場所から撮影されたお行列ですが
さすが本場の500余騎の騎馬隊の行進は迫力と見応えがありますねぇ。

そういう訳で、岩井将門まつりを見学される際は、相馬野馬追騎馬隊お行列の途中を横切らないよう注意しましょう...って。ま、騎馬隊の皆さんも遠征先ではゲスト参加ですから、そこまで厳密にしないと思いますけど。一応礼儀として知っておいた方がいいかと思いましてf(^、^;

2013年10月16日

posted by たすけ at 01:20 | Comment(6) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする