流山チャンネル
ALWAYS[いつでも]よりFOREVER[いつまでも]と書いた方がわかりやすいのかもしれませんが、今記事は自記事・他記事へのハイパーリンクを多用します。お時間のある時にお読み頂ければ幸いですm(_ _)m昭和40年。まだサザエさんが江利チエミ実写版で、ワカメ役の上原ゆかりが国民的マスコットだった頃私は流山小学校に入学しました。そして、買ってもらったばかりの勉強机の引き出しに、マーブルチョコおまけの鉄腕アトムのシールを擦りつけていました(^^;)
男は元々狩りをしたから、動くもの、例えば車とか電車、飛行機とかに本能的に興味を示す。女は元々採集をしたから、小粒で形がそろってカラフルなものに興味を示す。と聞いたことがありますがどうなんでしょう?...あると思います(^-^)
参照:昭和レトロ制作委員会【駅員さんごっこ】
私は鉄道の改札係(切符切り業務)に憧れました♪
カチ,カチ,カチ,カチ♪ カチ,カチ,カチ,カチ♪と、リズミカルに改札鋏を操り、右に左にどんどん乗客をホームに入場させる。逆手?というか腕を交差させて鋏を入れる姿がかっこいいなぁ♪なんて眺めていて...
持たせ切り=乗客の手ある切符に鋏を入れる(ホントは危険でよくないそうですが、でもこれもカッコイイ♪)...なので、流山駅・赤城台駅・馬橋駅で...
「よし!このタイミングならどういう角度と高さで切符を差し出したら、改札係が持たせ切りがしやすいか?」
子供ながらに、改札係のお兄さんに手間を煩わせまいとする、気配りだったのですが。こちらの意図が伝わると・・・
「おっ!坊主、サンキュな♪」
というアイコンタクトで、持たせ切りをしてくれる。この瞬間が何より嬉しかった(^-^)
電車かばんは、憧れの玩具でしたが、なかなか親には買ってもらえず、叔母がそんな私を気遣ってやっと手に入れたおもちゃの改札鋏♪付属の紙切符はあっという間に無くなり、目の前のひろっぱ(=児童公園)のゴンドラ式のブランコを電車として。
「ガッタン、ゴットン♪ガッタン、ゴットン♪」
「次はぁ〜鰭ヶ崎ぃ♪次はぁ〜松戸ぉ」と、車掌係の声
ブランコが止まると改札で待っていた乗客が乗り込みます。生垣の葉っぱをちぎって切符としました。どこにである緑の葉っぱは、普通乗車券。斑入りや黄色に色づいた葉っぱは、急行券や特急券。そんな風にして葉っぱを切っていたら、おもちゃの改札鋏はあっという間に錆てしまいました(^^;)
小1〜2の頃、流山線で馬橋の眼医者まで通っていました。いつものように運転席の真後で、流れる線路を窓越しに眺めていたら、小金城址から保線係のおじさんが乗ってきて...
「運転席・・・入ってみたいか?」
「うん!」
「じゃぁ、ちょっとだけ、内緒だぞ」
おじさんは、私を後ろから抱きかかえるように支えてくれながら、運転士となにやら会話していましたが、内容まで覚えていません。けど・・・幸谷駅を数mほど、オーバーランしてしまいました。
「あっ!ボクのせいなのかな?(>_<)」...と子供ながらに恐縮してしまったのですが
「やっぱり、話していると駄目だな^^;」
その時、運転士はブレーキのタイミングとスピードは、目視とガタン♪ゴトン♪のリズムを身体に染みつけて調節していることを知りました。馬橋駅に着く直前に・・・
「さ、怒られちゃうから。ここでな」
「ハイ!ありがとうございました♪」
もう45年以上経ってしまいましたが・・・今でも時々、運転席の後ろから流れる線路を窓越しに眺めていると、いつでも・いつまでも[always]温かく優しかった流山線が蘇ります。
さて、2月19日(日)。杜のアトリエ黎明で開催されていた、第2回流鉄展[最終日]を観に行きました。
おぉ!入口からして凝っている!期待に胸躍りました♪(嬉)
会場内は流山線や流山本町のとても懐かしい写真や、Nゲージ模型で溢れていました。
特に、これっ!
「うわっ、すごい!流鉄の車両をこんなにずらっと見たのは初めだよ」
「もったいないぁ。これを流山駅で常設展示や操作ができればいいのにねぇ」
せめて、流鉄鉄道の日だけでも、流山駅の特設会場とかでできればいいねぇ・・・と
鰭ヶ崎駅そばでNゲージ運転場を運営する、日本ぴょん太鉄道のスタッフさんに水を向けると。
「そうなんですけど・・・流鉄さんが消極的で・・・」
ま〜その内情は、こちらの回答が一番詳細・的確に書かれています。私も、レトロ電車やフリー切符など「利用促進」のソフト整備と、商店街・市民団体を巻き込んでの展開が望ましいと思っています。
電車は人を運んでナンボです。流山線で人が動けば流山本町のみならず、流山の観光資源が生かされます。平日に自由な行動ができるシニア世代となった鉄道マニア・写真マニアが首都圏には相当いるし、流山は都内から気軽に日帰り【大人の遠足】が可能な土地です♪
えっ?そんな簡単に言うなら、おまえが主導してやってみろ?
う〜私に、杜のアトリエ黎明の主だった秋元平八【5世】の財力と決断力があったなら、もう一度、市民鉄道「流山線」を復活させるのにぃ。。。
でも、たぶん本気で言い出したら、『自転車バカから鉄道バカ?うちがこんな苦しい状態なのに、もぅいい加減にして!!』と女房様から離婚言い渡されちゃうな...今の私に出来ることは、ブログに色んな情報を書き出すくらいです。すみませんm(_ _)m