藤ヶ谷十三塚 千葉県柏市

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千葉県柏市(旧沼南町)の藤ヶ谷十三塚の場所は⇒ここ

柏市逆井の古の中野牧っぽい風景を堪能した後、風早南部小前を走るきれいな道路を
「わぁ〜い♪」と気持ちよく下ってきたら、前方のどんつき(=T字路)に「あ、猫だ♪」と携帯を取り出し撮ろうと思ったら、藪の中に消えてしまい...ふと見れば

藤ヶ谷十三塚の西口

「ん?ここだったのか!」と藤ヶ谷十三塚の入り口を発見(こちら西口)
柏市の藤ヶ谷十三塚については東葛人さんが、この記事この特集この動画で紹介されていて
記憶にあったのですが、この日は偶然に猫に導かれました。

「え?ほんとここに入っていいの?」
どうみても私有地っぽいし、なにより...道が..無いっすよ(汗)
とりあえず、栗や立木の中をリカンベントを押して中に入って行きました。

藤ヶ谷十三塚01
藤ヶ谷十三塚の案内版
藤ヶ谷十三塚02
藤ヶ谷十三塚03

むぅ...ほんとに真ん中の大きい塚以外、小さい12の塚はほとんどわかりませんね^^;
来た道を戻るのも、つまらないので、そのまま東口の出口(入り口)に向かいます。

藤ヶ谷十三塚04

これでも、いちおう道です(苦笑)
...っていうか。藤ヶ谷十三塚は、夏〜秋に入るもんじゃないです(>_<)
もう、蚊に刺されるわ、服は荒地盗人萩(アレチヌスビトハギ)だらけ(T_T)

藤ヶ谷十三塚の東口

這う這うの体で抜け出して、ようやく道らしき道に(苦笑)
でも、ここを直進したら民家(農家)なので、下ってすぐに直角に曲がります。

「十三塚は、十三仏信仰に類するものなのかな?」
と思ったら結局、なんの目的で造られたのか、はっきりしないそうです。造成期はほぼ中世(鎌倉時代以降)以降なので、古代史とは関係ないらしく、落ち武者の供養塚?なんて説もあるそうですが。私は偶然、猫に導かれましたので...
【12匹の猫と1匹の大ネズミの墓】説を信じようかな?(笑)
 昔々、ある寺に正体不明の化け物が出るようになり、住職を恐れさせました。そんなお寺に、ある日、旅人が宿泊を求めました。
 その旅人はなんと12匹の猫を連れだっていました。住職は化け物が出る事を旅人に告げましたが「構いませんと」言うので、旅人と猫たちは寺に宿を取らせてもらいました。
 さてその夜も、正体不明の化け物が現われ、12匹の猫たちが化け物に立ち向かい、一晩中死闘が続きました。やがて夜明けとともに静かになり、そこには大型犬ほどもあるネズミ1匹と、12匹の猫の死体がありました。
 住職は12匹の猫の塚を造って手厚く供養し、それに大ネズミの塚を加えて十三塚と呼ぶようになりましたとさ。


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2011年10月12日

posted by たすけ at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中野牧(小金牧)の風景が残る柏市逆井

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千葉県には船橋市にJAR中山競馬場があったり、白井市にJRA競馬学校があったりと、なにかと馬と縁がある県なのですが...
中野牧とは?江戸幕府が千葉県北西部(北総台地)に軍馬育成のため設置した放牧場で、その中心部が松戸市小金原付近で、通称小金牧(こがねまき)と呼ばれています。小金牧はさらに、上野牧・中野牧・下野牧・高田牧・印西牧の5牧に区分され(当初は7牧で後に統合)中野牧は小金五牧の中でも最大面積を誇ります。

木下街道と鮮魚街道

明治の世になり、小金牧は下級武士への殖産のために開墾が奨励され、開墾順に、初富、二和、三咲、豊四季、五香、六実、十余一、十余二と名付けられています。初富・二和・三咲・五香は新京成線の駅名に、豊四季、六実は、東武野田線の駅名になってますね♪
千葉県内には小金牧以外に佐倉牧もあり、こちらには七栄(富里市)、八街(八街市)、九美上(香取市)、十倉(富里市)、十余三(成田市・多古町)の地名が残っています。
佐倉牧の方は、西瓜畑・落花生畑・甘藷畑と、広大な田園風景が残っているのですが、小金牧の方は、宅地開発や工業団地でかつての広大な牧場を想像できるような風景に出会うことはなかなかありません。

10月10日は、小金原公園から中野牧を通過して白井市平塚に向かったのですが、その道中、いにしえの「中野牧」を彷彿とさせる風景に出会いましたので記事に残しておきます。

中野牧拡大図

場所は東武野田線の逆井駅と高柳駅の中間西側に広がる、柏市逆井の田園風景です。
以下、地名を入れた地図を挟み、昭和22年と平成20年の柏市逆井の航空写真です。

昭和22年の柏市逆井の航空写真
柏市逆井地図と撮影方向
平成20年の柏市逆井の航空写真

この一画だけ奇跡的に宅地開発を免れて、ゆるやかな起伏のある広大な畑が残されていました。
四方を緑の回廊に囲まれ、また送電鉄塔もないので...大げさな言い方をすれば
「あれ?ここは北海道の十勝か?富良野か?」
と錯覚するくらい、気持ちの良い広々とした風景が残されていました。詳細地図⇒この辺

私は柏陵高校と逆井小学校の間を抜け、緩やかな坂道を登りはじめて
「おぉ〜〜!!」と感動し、観音寺墓地方向に自転車を走らせて
地図カメラアイコンから⇒の方向にシャッターを切ったのが下の写真です。
とくにこの方向に見た時が、一番気持ちの良い風景でした。

中野牧の風景(柏市逆井)と釜原の絵

『おそらく江戸時代、このような風景で中で野馬が放牧されていたんだろうな・・・』はめ込んである白黒絵は、渡辺崋山が文政8年(1825年)に描いた「四州真景図 釜原」ですが、釜原=鎌ヶ谷なので、だいたいこのあたりもこんな感じだったのかな?と往時の中野牧を想像しやすい風景でした。
まぁ、地元でこの風景を見慣れた人は
「なんでこんな風景に嬉々としているんだ?」
と訝しがるかもしれませんが(苦笑)

数字と地名にまつわる記事となりましたので、ちょっと補足しておきます。
小金牧の開拓により明治5年に、初富村、二和村、三咲村、五香六実村、豊四季村、十余二村が成立しました。写真の柏市逆井(さかさい)の逆井村は、明治22年土村(つちむら)に合併されます。

この土村の地名由来が【増尾、名戸ヶ谷、藤心、逆井、酒井根、今谷新田、小金上町新田、中新宿村、塚崎新田、根木内村、根木内新田(=現光ヶ丘)】の十一が合併したので十+一で【土】です。
逆井とか酒井根は、水が豊富な場所によくつけられる地名です...
ん〜また長くなりそうなので、そんな事よりもっと気楽な話を。

私、中高の部活は剣道部と吹奏楽部の経験者なので、余談(ネタ)で筆止めします(笑)
剣道が盛んな「逆井中」も吹奏楽が盛んな「酒井根中」も略すと「さかちゅう」で紛らわしいので

土中(ドチュウ) 逆井中(バクチュウ) 酒井根中(アルチュウ) 光ケ丘中(ピカチュウ

と、私達一部OBの仲間内ではこう呼んで区別しとります(笑)

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2011年10月11日

posted by たすけ at 23:58 | Comment(4) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

しろい環境塾と平塚分校

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しろい環境塾 とは?2000年4月設立。2010年現在会員数130名余。
千葉県白井市平塚の地を拠点に「里山保全」「農業支援」で地域の環境や暮らしを支援する活動を行う。「子どもの環境教育」や、環境・生物などをテーマにした各種セミナー、講演会を企画し、幅広い年齢層の市民と共に、学び考え未来につないでゆく取り組みしているNPO法人。
しろい環境塾のオフィシャルHPは⇒こちら

しろい環境塾事務所のある平塚分校

え〜こちら、しろい環境塾の事務所がある白井市の平塚分校でございます。

二宮金次郎と平塚分校

え〜つまり、2週連続して白井市立第二小学校平塚分校に行って来ました。
私、かなり平塚分校と周囲の里山環境が気に入っております♪

白井の平塚分校とリカンベント

だからと言って、同じアングルで何枚も撮るな?...でへへ。すんません^^;
私、気に入ってしまった里山スポットはだいたいお腹いっぱいになるまで通います。
常総市(旧水海道)の坂野家住宅などは2年間で6回も行ったし(苦笑)
おかげで、ドラマJIN-仁-で度々出てきた坂野家住宅周辺のシーン(竹林など)は、どのアングルから撮影していたのかも全部わかりました(^^;)

さて、この平塚分校周辺のフィールドワークがあればいいのになぁ...なんて呟いていたら、なんと!
10月8日(土)に、しろい環境塾が主催された、ぐるっと一周平塚の里(第1回)があったんです。

しろい環境塾ベースキャンプ

いぎだがっだよぉ〜〜(T_T)でも、8日・9日は仕事&用事でいげながっただよぉ(泣)
...で。10日(月)に、矢も楯もたまらず、平塚分校に向かいました。

今回は松戸方面から向かいましたが、それは...前エントリーでkincyanさんから
『市川・松戸方面から行って、手賀沼の下を通りますが、これは農免農道そのものでしょうか、それともその横の一般道なのでしょうか。どちらにしても、裏道っぽい道ですね。』
とコメントを頂戴しましたが、たぶんそれ、カンナ街道ではないでしょうか?

今井の水塚(白井市)

白井市有形民俗文化財の水塚(みづか)の家が立ち並び
道沿いにカンナが植えてあるので、通称「カンナ街道」

kincyanさんへのレスに『私の生家は流山町加(加村台)で諏訪神社に至る諏訪道の街道沿いでした。諏訪道は利根川布施(柏市)に至る布施道につながります。この街道で鰻が運ばれたことは、間違いないと思うのですが、私の知っている限り地元の人間でそれを鮮魚道(なまみち)と言ったことを聞いたことがないんですよねぇ^^;』とご返信しましたが、道名はいつの間にか、誰かが言い出したか、看板づけたものなんでしょうねぇ。案外土地の人が言わない街道名が多かったりするのかも?^^;

江戸時代の利根川東遷以後、下総地域に発達した鮮魚街道(生街道)全体については、断腸亭さんに教えて頂いた【下総鮮魚街道】のサイトが秀逸です。中段及び最下段に鮮魚街道一覧地図が示されています(断腸亭さん、スペシャルサンクス♪)
う〜ん、もしかして、鮮魚街道(生街道)の言いだしっぺは、この青木源内さんあたりなのかも?

カンナ街道から竹下通り(白井市)

こちら、カンナ街道から平塚分校裏門に至る「竹下通り」...えっ?(笑)
確認はしていませんが、おそらくこの看板は、しろい環境塾で設置したものじゃないかな?
ジャリ道〜畔道で、平塚分校裏門に至りますが、裏門の階段も足場が悪いので、ロードバイクで行けるようなルートではありませんのでご注意をば。
因みに正面奥に見える、舌状にせり出た杜に八幡大神宮があり、その参道入口脇に、しろい環境塾のベースキャンプがあり。さらに平塚鳥見神社・平塚分校・延命寺に至ります。

カンナ街道から平塚分校へ

国道16号から方面からカンナ街道〜舗装道で平塚分校に至るのは、竹下通りの一つ先のこの鉄塔配置が目印の、この道から入ったほうが良いです。松山下公園からカンナ街道〜平塚分校の場合は東葛人さんがアップされたこのルート図の部分になります。

えびや商店と白井道の標

こちらは、先日のポタルート木下街道〜阿夫利神社or国道16号〜白井工業団地の中を抜けて平塚分校に入る道の目印の【えびや商店】ここに東白井道と記されています。今回は時間に余裕がなくて、えびやさんや、後述する山崎商店で
「この道、土地の方は【鮮魚道】って言いますか?」と質問できなかったのですが
次回訪れる時は、飲み物or食べ物補給ついでに尋ねてみようと思います。

断腸亭さんの記事で、【気持ちの良い道】という表現が出てきました。
私も同意で、【胸がキュンとする道】下の写真のような道です。

平塚の白井道(鮮魚道)

このように、背丈の高い生垣が続く道を走ると、胸がキュンとします。
でも、だからと言ってゴルフ場の間の走る道では、キュンとはしません。
なんというか、何百年・千年単位で人の気配が残る道にキュンとします。
『いい年こいて、キュンキュン言うな?キモイぞ!?...すんません^^; 』

この他、背丈の低いお茶の木や、リュウノヒゲで土留めしてある田園風景に出くわすと
胸の中に甘酸っぱい歓喜が湧き出ます....

平塚の白井道と山崎商店

この山崎商店が現役なのが嬉しいです♪
私が幼い頃の商店は、みんなだいたいこんな風でした。それで10円玉握りしめて
「くださいなぁ〜」と店に入り、煎餅やアイスを買いに行ったものです。
百円札など預かろうものなら、これで大人買いできるぞ!!
汗ばみながら握ったものです(苦笑)

この日は鳥見神社・延命寺・八幡大神宮なども立ち寄りましたが、長くなるので、別エントリーにて
...って。東葛人さんもこの3連休にまた行ってるし!(爆)

やはり、白井市平塚地区は、里山&歴史オタクを惹きつける何かがありそうですね(笑)

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2011年10月10日

posted by たすけ at 23:59 | Comment(10) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鮮魚街道今昔物語 / 鮮魚道ポタリング

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鮮魚道ポタリングの本編です。唐突ですが...えっとですね...
「時代劇を見ていて「馬車」を見たことありますか?」
江戸時代大量輸送の主役は水運(船)ですが、陸路で荷物を効率よく運ぶには、西部劇に出てくるような幌馬車があればいっぺんに荷物が運べると思うのですが、日本で馬車が登場するのは明治以降です。

馬運送

江戸時代まで馬で荷物を運ぶ場合、馬の背に振り分けて1頭づつ荷物を括ります。
「なんて、非合理的なんざましょ!」
「いやいや、幕府が武器の大量輸送を恐れて馬車輸送を禁止したのさ」
「いやいや、雨が降ればすぐぬかるむ日本では、車輪は不都合なのさ」
「いやいや、いっぺんに荷物運んだら、駄賃の割が合わねーじゃん!」

ここでは3番目の理由に注目したいと思います。

現代でさえ、貨物自動車運送事業は国交省の認可制だし、車検制度や免許更新など、なんやかんや、お上に銭が入る仕組みになっとりますが、江戸時代はもっと規制が多くて...
「あ〜白猫ヤマトさん。あなたの営業範囲は東葛地区だけよ」
「ん〜佑川急便さん。あなたの営業範囲は印旛地区だけよ」

...てな具合で、自由に運送ができなかったんですね。
具体的には油屋.comの宿場と中馬とかWikiの中馬をご参照ください。


以上を踏まえて、やっと鮮魚道ポタリング【鮮魚街道今昔物語】です^^;
ご企画:東葛人さん、白井ご案内人:愚兵衛さん、いくさん
見送り:鉄ポタさん、emoさん                   ...ありがとうございました♪
参加者:断腸亭さんワンチャンjoypapaさんdadashinさんpacketさん、spiritさん、はんぞうさん、まっちさん、ジャズの紳さん、フリーさん、DAIさん、   ...またご一緒してくださ〜い♪

木下街道と鮮魚街道

我孫子市布佐⇒松戸宿河岸まで「鮮魚(街)道」....「なまみち」と読みます。
印西市木下⇒市川市行徳まで「木下(街)道」....「きおろしみち」と読みます。

木下街道(きおろし街道)は道幅こそ広くはありませんが、現在でも主要県道で道筋は江戸時代とほとんど変わっていません。江戸時代この道は、成田・銚子・鹿島方面に向かういわゆる表街道で■がついてる宿(駅)がありました。それに対して鮮魚道(なまみち)は、松戸に向かう宿(途中駅)なしの、いわゆる裏街道(脇街道)です。道筋が江戸時代でも多少変更があったようで、また現在では宅地開発や自衛隊基地(下総基地)で分断されて、鮮魚道を当時と全く同じように辿ることはできません。

今回の鮮魚道(なまみち)ポタリングは起点の我孫子市布佐⇒鮮魚道中間点の常夜燈(柏市藤ヶ谷)まで、できるだけ当時の道筋に沿って走り、西白井駅前でランチで終了。その後に「鮮魚街道今昔物語」を聞きに白井市郷土資料館まで....という企画でした。

鮮魚道今昔物語 講演資料
タイ・カツオ・ブリ・コチ・ヒラメ・マグロなどの鮮魚は、一刻も早く江戸の魚市に送るため、陸路が短く通し馬で行ける松戸への道が選ばれた。松戸までの鮮魚道は宿場ごとに荷を積みかえる必要のない、いわゆる中馬で運ぶことが可能であった。しかし、さすがに暑い夏は鮮魚がいたみやすいので、こうした輸送は毎年秋から翌春にかけて、ちょうど農閑期の時期に盛んに行われた。
でも素朴な疑問が残りました。
■どう考えても、マグロは無理っしょ?長方形の荷桶を使ったとしてもマグロが入る??
■ヒラメやコチは江戸前(東京湾)で捕れるのにわざわざ鮮魚道使う?
私自身、今まで鮮魚道とは鮭と鰻を中心に運んでいたのだと思っていたんです。布川の鮭は当時最高ブランド魚だし、印旛・成田も鰻の名所だから、ブランド力あって高価で売れたのではないかと?
元来鰻の旬(脂が乗る)は初冬。土用の丑の日(夏バテ防止に食え)をブームにしたのは、江戸中期の平賀源内の発案で、売上減少の夏場対策コマーシャル効果。それによって鮮魚道が年間を通じて活況したのだと思っていました。

どなたか魚に詳しい方がこの記事を読んでいらしたら...
東京湾では捕れずに、銚子経由で入って高価で売れるような魚って、どんなのがありますかね?
サンマは当時は今以上に商品価値が低かったらしいですから、サンマをわざわざ運んだとは思えないのですが・・・
※.銚子出身の断腸亭さんより『当時は遠洋漁業はないので、マグロサイズは今より小ぶりでしょう。』
...解決(ありがとうございました♪)


従来、木下街道もなま道と言われてきたが、印西市中央公民館の佐藤純夫さんはこう語る。
木下河岸の荷を、一切取り仕切ってきた大問屋吉岡家の古文書には、鮮魚を扱った記録がほとんど見当たらないんですねぇ・・・たったの一件しか。つまり木下街道は、香取・鹿島・息栖・成田へ向かう商用や観光が主で、鮮魚はほとんど布佐から松戸へ向かう道を利用したんじゃなかろうか?
私もこれまで、木下街道=ほぼ鮮魚道、だとばかり思っていたので、今回の鮮魚道ポタは大変楽しみにしていたポタでした。
特に木下街道が表街道で、鮮魚道は裏街道?という道筋の面影がとても愉しかったです。
鮮魚道の始まりが裏街道利用だったすると...
■記録がないのは、正規ルート外の駄賃を隠してしたんじゃないかなぁ?と私は妄想しています^^;

鮮魚街道起点(布佐観音堂)

...という訳で、我孫子市布佐の観音堂から鮮魚道(なまみち)ポタがスタートしました。
この観音堂、側面&背面に応急措置が取られていますが、これは震災ではなく先日の台風12号による被害だそうです。しかし、我孫子市布佐地区は東日本大震災の時に液状化が問題になった地区で、ここを出発して道脇を見つづけながら走ると、液状化の痕跡がそこかしこに残っていました。

さて、ポタ参加者が熱心に見ているのは....

鮮魚街道(我孫子市布佐)

いや〜、これまで全くこの案内版知りませんでした。他にもこの近辺を何度も通ったことのあるサイクリスト(自転車愛好家)が居ましたが、みんな口ぐちに
「へぇ〜!全然気がつかなかったぁ〜」の歓声。やっぱり東葛人さんすごいです♪
参加者と対照的な余裕ポーズの東葛人さん、愚兵衛さん、いくさん、御三方が印象的でしょ?(笑)

鮮魚道(月影の井)

その後、大六天神社のアドベンチャールートを通り、赤影 月影参上!!
えっとですね...
「日影の井戸」福島県二本松市
「月影の井戸」千葉県印西市浦部
「星影の井戸」神奈川県鎌倉市
を合わせて【日本の三大井戸】とか【日本の名三井】と云うらしいのですが。おそらく実際に行ってみて、がっかりする【日本の三大がっかり】のひとつではないかと^^;
たまたま、日影・月影・星影の関連性を見つけた人が、これぞ日本三大井戸!と、テキトーに名づけちゃったんじゃなかろうか。講演でも鮮魚道(なまみち)は俗称であり、布佐の住人は松戸に通じるから松戸道と言う。だから水戸街道も水戸の人は江戸道と言っていた....。
つまりは、案外呼び名なんてものは、ある時誰かが言い出した名称(ガッツポーズとかハニカミ王子なんかも同様で)が使われていくテキトーなもんなんですね。

月影の井の直後、最後尾3名が一瞬神隠しになりましたが(笑) 次に白井市平塚分校を訪ねた後、柏市(旧沼南町)に入って、金毘羅宮の祠堂と大沼枕山の撰碑を見学しました。

鮮魚道(藤ヶ谷の金毘羅宮)
鮮魚道(藤ヶ谷の金毘羅宮02)

ここは、案内してもらわないと気づかず通り過ぎてしまう確率80%以上の難所です。
大沼枕山は尾張出身の書の名人ということらしいのですが、碑文の詳しい内容までわかりません。しかし、どうやら藤ヶ谷地区台町は鮮魚道の中間点にあたり格好の休憩所で、それなりに賑わっていたようです。

鮮魚街道(常夜燈)

そしてそこからほど近い、鮮魚街道常夜燈を見学したのですが。2011年3月3日に更新された、リンク先の柏市文化課の紹介頁に写っていた常夜灯の上部がありませんでした。今年の東日本大震災で落ちてしまったのですね。震度5だった東葛地区でこの状態ですから、東北の被災地ではことごとく史跡が崩落しているのでしょうねぇ。ともあれ、鮮魚道に常夜灯まで設置されていたということは、それまでの制度や既得権を打ち破って繁栄した街道のようです。

西白井駅前 松栄鮨

富塚鳥見神社見学して、せっかくなんで鮮魚料理を食べましょう♪
という計らいで西白井駅前の「松栄鮨」でランチとなり鮮魚道ポタは終了。

松栄鮨 うどん・鉄火丼セット

私がいただいたのは、天ぷらうどん+鉄火丼ランチセットで920円♪


ランチ終了後、白井市郷土資料館に移動して
聴講予約者は山本鉱太郎先生の【鮮魚街道今昔物語】を拝聴しました。
最後に鮮魚道(なまみち)な話題だけに?"なまめかしい"逸話も。

山本先生、講義終了間際に
「いや〜、松戸平潟の遊郭の話までしようと思ったんですけどねぇ」
「鮮魚運送で駄賃稼いでも、遊郭で散財してしまうのですよねぇ」
「あ!残念ですが、もう時間なんで今日の話はこれまで!」

....ちょ、、ちょっと、、センセー!!....質問コーナーもないの??(^^;)

んじゃ、僭越ながらあっしが鮮魚道終点の松戸宿の逸話をば....
銭が集まりゃ、それを吐き出させる仕組みが世の常というものでござんして...
『松戸女郎衆は錨か網か、上り下りの船とめる』
よっ!上手いねぇどうも(笑)  あっしとは道草亭ペンペン草さんですよ(^^;)

松戸の歴史に"深化"した【表の家】のサイトを運営する、道草亭ペンペン草さんの【松戸行脚 元平潟遊廓街と中央司法会計研究室】の冒頭にこの一首が出ています。特に面白いのが、赤線廃止後、松戸平潟の旧遊郭が中央大学の学生寮として利用されていて、実際に学生時代にそこで寮生活を送った方へのインタビューかな?昭和63年...ってわりとまだ最近まであったんですねぇ。
ねぇ〜、もうこれだから、専門家と素人のボーダレス化が進む訳ですよ(^^;)

場所と写真は控えますが、松戸宿には「首を取る=1位を取る」と心無いギャンブラーたちに首を取られたお地蔵様などを供養されている寺があります。

もしかしたら「切られ庚申」の逸話も...鮮魚道で稼いだ銭(駄賃)を
松戸宿の遊郭や賭博で散財した野郎(荷駄人足)の苦し紛れの言い訳だったのかも?(笑)

鮮魚道ポタリング関連[1][2][3]...本記事[4]にて 了。


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2011年10月06日

posted by たすけ at 12:25 | Comment(12) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

富塚の鳥見神社とシニアの自転車日記

自転車(ポタリング)

鳥見神社 千葉県白井市富塚694

白井市富塚の鳥見神社01

この写真は、生前【シニアの自転車日記】というブログを綴っていらしたサスケさんが、2009年6月に撮影された白井市富塚鳥見神社前の1本の不思議な木です。いくさんの話によれば、2010年3月に吹いた大風で倒れてしまったということ。ご神木に類するものだったのかどうか?土地の人に聞いてもわからなかったそうです。

白井市富塚の鳥見神社02

この写真は、2011年10月の鮮魚道ポタで撮影した富塚鳥見神社の鳥居。因みに、鳥居の下の白いクロスバイクは鳥見を深化されているシニアの方の自転車です(笑)

印西・白井の神社マップ

この地図は、拙ブログ香取海と古墳と神社との記事中で使用した地図の再掲です。出典元は、かわさきさんが運営する白井市のご近所紹介(鳥見神社・宗像神社・麻賀多神社)です。

インターネットの普及で私たちは史跡に関して豊富な情報を得ることができるようになりました。それを発信しているサイトを大別すると・・・
サスケさんのようにご近所で見かけた寺社をさらりと紹介しているもの。
かわさきさんのように、テーマを絞って"深化"を遂げているサイト。

共通しているのはその動機は『ふと、気になって』という至極単純な興味本位です。サスケさんもまた、鳥見神社に興味を惹かれたのは東葛人さんの印西・白井方面のポタ記事からということ。ポタリングの楽しみは、輪友のブログから興味の深化を遂げたサイトに出会え、明日走る道・昨日走った道の予習・復習ができることです♪

白井市富塚の鳥見神社03

鮮魚道ポタ一行は、冨塚鳥見神社境内にある「切られ庚申」「歓喜天」と取り巻き
「嘘だぁ〜小刀でこんなに石が割れる筈ないよなぁ?」
「この長い鼻は、アレだよアレ、○○○の象徴なんだな!」

などとワイワイ楽しく騒いでおりました(笑)

白井市富塚の鳥見神社04
白井市富塚の鳥見神社05

そして壮麗な彫刻が施されている、富塚鳥見神社本殿へ。
私の写真では壮麗さが伝わらないので、見事な庇柱の龍や、前記事までの印西市浦部大六天の彼岸花・平塚分校などの写真は、是非、鳥見宮司joypapaさんのブログ記事写真をご参照くださいf(^^;
富塚神社前の不思議な木が倒れたのは、春一番の大風ということでしたが、2011年3月の東日本大震災の爪痕は、この神社にも残されており、右側の狛犬は、台座からずれたままだし、本殿後ろの立て杭はすべて倒壊していました。他にも鮮魚道中、大震災の爪痕がそこかしこに残っていました(次記事にて記載予定)

富塚鳥見神社見学後、愚兵衛さんのご案内で、西白井の「松栄鮨」でランチ♪
その後packetさんが離脱され、私たちは、白井市郷土資料館に向かったのですが...。

白井市郷土資料館(文化会館)

「うへぇ〜!?白井の郷土資料館ってこんなにデカイの???」
「...っていうか。なんでここに"見ろ"のヴィーナス?」

と呆れ驚いたら、市民ホール・図書館・プラネタリムなどの複合施設だったんですね^^;

目指す資料館はプラネタリウムと一緒で右側の建物の3階にありました。
こじんまりとした資料館ですが、テーマごとに整然と見易く配置されており、こういうところに学芸員さんたちの器量が現われますね。白井市学芸員さんたちの熱心な活動に感服します♪

...で。資料館見学後に本日のメイン!「鮮魚道今昔物語」の講演会です。
本日の講師の山本鉱太郎先生は、実は私と同じ町内会だったりします^^;

鮮魚道今昔物語 講演会

「私の居所は、朝6時になると郭公が鳴くんですよ」
「甲子園地区大会に行ったら両校歌とも私の作詞でして」

...うん、うん、いつものツカミだな・・・

「あ!残り15分ですね。それでは鮮魚道について急いでお話しします」
...えっ!?、、ちょ、、ちょっとセンセー!!!
そんな訳で、お話しはいつも通り愉快でしたが、肝心のテーマが(苦笑)

でも、講演会で頂いた資料に詳しく書いてありますので、それを次記事でおさらいします♪
写真からでもわかる通り、だいたいこういうテーマに集まってくるのはシニア世代で、へたをすれば講師の先生より地元の歴史については仔細に調べ上げている聴衆も多いです。そういう意味で地域性の濃いテーマは、専門家と素人がボーダレスでなかなか講師の先生もやりづらいご時世になったもんだと思います^^;

史跡めぐり(街道巡り)の専門家は、徒歩で巡り、時にじっくり土地の古老を訪ね、論証を積み上げていきますが、私たちポタリスト(自転車散歩愛好家)は興味本位&妄想でさらっと自転車で巡ってくるだけです。でもやっぱり街道話は会議室で聞くのではなく、フィールドワークが一番ですね♪

...という訳で、やっと次記事が鮮魚道(なまみち)ポタの本編です(笑)

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2011年10月05日

posted by たすけ at 15:45 | Comment(5) | TrackBack(0) | 自転車(ポタリング) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

白井市立白井第二小学校平塚分校

自転車(ポタリング)

白井市立白井第二小学校平塚分校・・・千葉県白井市平塚960

白井第二小学校平塚分校

以下白井市公式HPより抜粋
明治 7年 名内小学校(東光院)開校
明治18年 中村小学校と改め、富塚・平塚小学校を本校の分校とする
明治20年 中村小学校を廃し、本校は平塚校の分校となる
明治22年 白井尋常小学校名内分校となる
明治25年 白井町立名内尋常小学校と称する
昭和10年 名内尋常小学校及び富塚尋常小学校と合併、白井第二尋常小学校と称する
昭和29年 町村合併により旧永治村の平塚分校が白井第二小学校平塚分校となる
平成15年 平塚分校を白井第二小学校本校に統合する
なんという紆余曲折を経た小学校なんでしょ(驚)
どうやら白井第一小学校より、この白井第二小学校の平塚分校の方が歴史が古いようですね。

平塚分校の二宮尊徳像

この平塚分校を東葛人さんのブログ記事で知った時、私のど真ん中ストライク記事だったので、すぐにでも行ってみようと思いつつ2年経ってしまいました。
また、旧鮮魚道からこの平塚分校に至る道が実に懐かしく、延命寺、鳥見神社、八幡大神宮もあるし。すぐそばには国指定重要文化財の古民家で、居住を続けている滝田家住宅もあるし。
私的にここが鮮魚道ポタ中で一番のツボの場所でした。滝田家は事前に白井市の文化課に連絡すれば、見学可能なようなので...

白井第二小学校平塚分校03

愚兵衛さん!いくさん!東葛人さん!白井市の里山風景に感動しました。
是非とも、再度この付近を重点的に周遊するポタ企画をお願いします♪

白井第二小学校平塚分校04

ホントに平塚分校自体もノスタルジックで良いのですが、周辺一帯が素晴らしい里山ロケーションです。今井の桜は毎年行っていたのに、ほんの少し先にこんな素晴らしい場所があったとは!
白井市郷土資料館の学芸員の皆様も!是非是非、この周辺のフィールドワーク企画をお願い申し上げます。...と言っても。ここに行くには電車+徒歩ではとても不便なので、柏市・我孫子市・印西市のレンタサイクル企画と相乗りでないと厳しいかな? 先日9/26は、ちい散歩で流山駅下車編が放送されていましたが、さすがに地井さんを白井駅からここまで歩かせる訳にはいかないでしょう(苦笑)

2011年10月2日は、ちょうど第22回白井梨マラソン大会でした。
平塚分校から鮮魚道に戻ると、約3千人のランナー行列が^^;
鮮魚道ポタ一行はランナーの邪魔にならぬように、自転車を降りて右側を押し歩き。なんとか、マラソンルートを外れてやっと自転車に乗れたと思ったら...「今、道路横断は出来ません。」

鮮魚道ポタ白井市河原子

...で。行く手をとおせんぼされて、仕方なく今来た道をUターンする鮮魚道ポタ一行^^;
こういう思い出もポタリングの楽しさです♪そーいえば、スタート地点から1kmもないのに...
「おーい!その自転車の後ろに乗せろ!いいだろ?なぁ?ちょっとくらいヨぉ!」
と叫んでいた、あのおじさんランナー、ちゃんと完走できたのかしら?(笑)

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2011年10月04日

posted by たすけ at 01:53 | Comment(8) | TrackBack(0) | 自転車(ポタリング) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松戸市祖光院と印西市大六天の彼岸花

自転車(ポタリング)

祖光院 千葉県松戸市金ケ作352 は新京成常盤平駅から近くの曹洞宗のお寺です。
http://www.mapion.co.jp/m/35.8034294444444_139.956998888889_8/

祖光院の彼岸花

祖光院の彼岸花は地元では結構有名な彼岸花の名所です。
って。画像が暗くてすみません。なんせ撮ったのが夕方5時前でしたので^^;

祖光院【松戸市金ヶ作】

山門を過ぎるとすぐに駐車場ですが、お彼岸やお盆シーズンは檀家さん優先ですので、一般見学者用に別の駐車場が用意されています。私が到着した時も近隣の方々でしょうか?けっこうママチャリで見学にいらしていました。こういう時に自転車はホントに便利だと実感しますね♪

10月2日(日)は白井市郷土資料館で「鮮魚道今昔物語」という講演会があります。講演会は午後2時からですので、午前中に鮮魚道の半分(布佐-白井)を走り、白井市の鮮魚道ゆかりの史跡を訪ねるコースを検討しています、いにしえの鮮魚道を走ってみませんか?
という東葛人さんのお誘いをうけ喜び勇んで参加してきました。なにせ、東葛人さんのご企画のポタは、天ぷらうどん&ちらし丼セットのような、Wメイン&ネタ豊富なポタなので1話では書き終わりませんので(笑) 今回も数編に分けて書かせて頂きます。

冒頭の祖光院は白井文化会館で解散後、新鎌ヶ谷駅まで道案内頂いたいくさんと、断腸亭さんと別れて、一人帰路の途中で撮影したもので。実は輪行絡みのポタ企画が目白押しなので
「そういやもう2年輪行してないなぁ、ちょっと練習せねば」と帰りは
東武線に乗るつもりだったのですが、結局面倒臭くなって自走で帰ってきちゃいました(苦笑)

さて今回のポタでも、私の"ツボ"(見所)がたくさんあったのですが、最初のツボが...見送り隊の鉄ポタさんから頂いたキャラメルが配給されたこの場所。(鉄ポタさん感謝♪)

大六天の展望丘の彼岸花

大六天神社の丘からの展望 千葉県印西市浦部
http://www.mapion.co.jp/m/35.8232713888889_140.111257222222_8/
浦部という名前からも、太古の眼下には香取海が広がっていたのが容易に想像できますね。

この彼岸花の咲く大六天の展望丘、高低差は市川の国府台断崖以上です。
たんぼ道の前を行く東葛人さんが、いきなりこの展望丘方向に進路をとった瞬間
「え?まさか!?」「あそこ登るの??」と一同驚愕!
ええ、勿論行くんです。それが東葛人的ワールド....東葛人的ワールドをご存知ない方は、自転車版ビックサンダーマウンテンだと思ってください(爆)

印西市大六天

『リカンベントで行かなくてホント良かったぁ・・・』
でも、なんだかんだ、みんなこういうアドベンチャールートが大好きなんですよねぇ(笑)

大六天神社【印西市浦部】
大六天神社の祠

まるで"もののけ"が住んで居そうな、古墳の上に鎮座する大六天神社。昨年(2010年)に保存会が、きれいに整備されたようですが...私、夕方だったら1人でここに来られる勇気はありません^^;

私的にはこの大六天神社から下った後、たぶん百年前も同じ風景であろう、印西の田舎道もツボだったのですが、なにせちぎれないように付いて行かないと、迷子になる可能性大のくねくね道だったので、写真を撮っている時間はありません...って。案の定、チェーン脱落したわずかな時間で、最後尾の3人が迷子になりました(笑)
他にも見所満載ポタだったので、以降ブツ切り方式で今回の鮮魚道ポタを振り返ります。

大堀川の彼岸花2011年

これは、朝、集合場所(手賀大橋)に向かう途中で撮った大堀川CRの彼岸花。ここも、植えてまだ1〜2年の彼岸花で、整然と並んでいますね。
今年は残暑が厳しかったせいなのか、彼岸花の開花が1週間〜10日ほど例年より遅れていますよね?期せずして、行きも帰りも彼岸花三昧ができたので、今日の記事はここまで。

実は最後のこの写真。鮮魚道ポタを一番楽しみにされていたのに、参加できなかった"あのお方"のために撮っておいた画像だったんです。という訳で、締めの一言。「今日も、楽しかったですっ!」

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2011年10月03日

posted by たすけ at 22:23 | Comment(3) | TrackBack(0) | 自転車(ポタリング) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ご当地かるたと新作東葛歴史かるた

流山チャンネル

前記事から続きで...
新作東葛歴史かるたという超レア&マニアックなご当地かるたのご紹介をば(笑)

新作東葛歴史かるた紹介

・・・伊香保温泉.....日本の名湯!
・・・老農......船津伝次郎!
・・・花山公園.....つつじの名所!
これらは
・・・鶴舞う形の......群馬県!

群馬県人(上毛人)なら、誰でも暗唱できる上毛かるたですね。
知人の群馬県人も、まるでパブロフの犬のごとく、上の句を言えば、下の句を返します(笑)
たぶん今でも群馬県の小学校では上毛かるたは必須科目ではないのかな?

でも千葉県にも、れっきとした房総かるたがあるのはご存知でした?

・・・市川に.....昔をしのぶ 手児奈堂
・・・牛たちも......ぼくらの仲間 マザー牧場
・・・江戸川に.....香る野菊の 矢切の渡し
・・・忠敬は......歩いて 日本の地図つくり

房総かるたも上毛かるた同様に、県内の名所・偉人をバランスよく組み入れているので、千葉県の全小学校でも房総かるたを必須にして欲しいなぁ。
※追記.千葉県のサイクリストの方が市原市の「片又木トンネル」内に描かれている「房総かるた」を途中までアップされていました♪

さて、各県ごとに郷土かるたというのもはあると思うのですが、市町村単位でも郷土かるたあります。市川市などは歴史豊な町なので、さぞかし秀逸な郷土かるたがあると思いきや....
市川いろはかるた....PDFをダウンロードしてなんじゃこりゃ?
分ける門には福来る...が分別ゴミの励行?とがっかりしました。
どのくらいがっかりするか知りたい方だけ、ダウンロードしてみてください(苦笑)
私が知らないだけで、もっと郷土市川の歴史を学べるようなかるたがあるのかなぁ?
もし、市川市の別な郷土かるたをご存知の方がいらしたら是非教えてください。

それに比べれば、手間味噌ですが、わが町流山の

・・・赤城神社.....まものばらいの 大しめなわ
・・・いかずちの......鰭ヶ崎おびしゃ 勇ましい
・・・運動公園.....トーテムポールが 日本一
・・・江戸川の......夜空にあがる 大花火
・・・おすわさま......人々がにぎわう 初詣

「流山かるた」の方がずっと出来が良いです。この他、わが町流山では昨秋(2010年)に市内全小学生から応募して完成した「誇れるまち流山かるた」もあります♪

さて、本題の利根運河交流館に展示されている東葛歴史かるたですが
東葛の歴史といっても多分に流山&利根運河偏重で作られています^^;

東葛歴史かるた県庁跡
東葛歴史かるた流鉄線
東葛歴史かるた利根運河

そして流山の、かなりマニアックな史跡や
流山以外でも、え?誰?この人??というのも^^;

東葛歴史かるたオランダ様
東葛歴史かるた関根さん
東葛歴史かるた白樺カレー

だってもう、すでに流山カルタは2種類もあるので、これくらいマニアックな題材でないと(苦笑)
新作東葛歴史かるたは、利根運河交流館で購入できますが、わずか20セットで売り切り御免となるレア物ですので後年プレミア価格になることは必至?マニアな方は是非ご購入のご検討くださいませ。

因みに、新作東葛歴史かるたは、流山市立博物館友の会の中村哲夫さんの作品で、解説が同会の青木更吉さんで、同会編集委員は山本鉱太郎さんなのですが、編集事務局(山本さんのご自宅)は我が社と同じ町内会。と言うことで10/2は東葛人さんにお誘いを受けて、白井市文化センターで開催される「鮮魚道で栄えた村・鮮魚道今昔物語」(講演者:山本鉱太郎氏)を拝聴しに行くことになりました。

流山市真城院

さて9/24のポタからの帰り、幼き日に「蝉取り、肝試し、銀杏拾い」をした平和台(旧西平井)の真城院に一人立ち寄りました。今にして思えばここにある石碑が、私の史跡好きの原点ですが、真城院には私が物心ついた時からすでに本堂もありませんでした。
そして現在では銀杏の木は影も形もなく、真城院の高台から広く見えていた視界も住宅で遮られ、往時と変わらないのは、大師堂とお地蔵さんと桜の木だけ。東葛歴史かるたに登場する史跡も同じように、開発の波で往時とはすっかり周囲の環境が変わっている場所も多いです(寂)

流山市円東寺

わが町流山の風景がどんどん変わり、寂しくなるばかり、、、でもなく...。
市野谷あるこの桜と大師堂のあるこのお寺は、かつては昼間でも肝試しが出来るくらいな、暗い空き寺(廃寺)だったのですが。ハイパーパフォーマープリーストが住職となってからは、現在では地獄までも明るく照らすお寺となり?(笑)
子どもたちの健全育成をはじめ、カルチャー教室や地域交流の場となっています。

もしかして、百年後に新々流山かるたで...
・・・風船で.....希望もふくらむ 円東寺
という読み句で、バルーン帽の和尚(わじょう)と本堂が描かれているかも知れないですね(^-^)

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2011年10月01日

posted by たすけ at 20:36 | Comment(9) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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