昭和50年代の追憶
30年前の富士初登山...って。結局私が富士山に登ったのは1981年(昭和56)の1回だけなんですけどね^^; 長野覺先生とは、現日本山岳修験学会顧問で私の大学時代の恩師です。この写真は、長野先生の山頂到着をゼミ学生全員が万歳で迎えている写真なのですが、私ともう一人が先生をサポートする最後尾だった筈なのに、私も万歳で迎えているということは...
「先生!記念写真撮りますから、ちょっとだけそこに立っていてくださいませんか?」
...と。お願いしたに違いないと思います(笑)
かつて、家内と娘に「富士山は、一度も登らないバカ、二度登るバカ」なんだから、日本人なら一度は登らないとネ♪その練習にと娘が小学生の頃に日光登山を結婚記念日に家族3人で決行したのですが、天気は良かったし、紅葉もばっちりでせいぜい4時間程度の山歩きだったのですが...
「もう嫌っ!絶対、山なんか登らない!」...(-_-;)
ところがどういう訳だか、私が1981年(昭和56)に富士山に登ってから30年後の今日。
娘が大学の友人4人で、初の富士山登山に向かいました。う〜ん天候大丈夫かなぁ・・・
いわゆる「山ガール」ブームの影響なんでしょうが、山嫌いだった家内まで
娘の登山用品を買い揃えるから越谷レイクタウンのアウトレットに連れて行け!...と。
「これがいいわねぇ...いや、こっちがかわいいかもぉ〜♪」...って。
ったくぅ...なんで女は夫・父の誘いに乗らず、ブームに乗せられるのだ...(-_-;)
ま、という訳で、こちらの記事の続きで30年前のゼミ合宿(地理学教室)の回想なんですが、なにせ30年前なので、記憶がかなり曖昧です。
前日に勝沼の扇状地、忍野八海の湧水を視察していますので、登山口は山梨県側の吉田口。北口本宮冨士浅間神社からだったと思います。道中富士講や修験道について先生にご講義頂きながら登ったような...う〜ん違ったかなぁ。。。
地理学ゼミの登山ですので目的は富士山頂にある気象庁富士山測候所(現在はNPO富士山測候所を活用する会が運用)の訪問です。なので、ご来光は8合目の山小屋だったのですが、写真でみる限りかなりの霧ですよねぇ...見えなかったのかな...。実は覚えている風景は、測候所内部とお鉢巡りで眼下に見えた富士五湖・甲府盆地と大砂走りくらいで、あんまり覚えていないんですよねぇ。
山小屋を出る頃には天候は回復していたのですが、海側(静岡側)の景色の記憶が全く残っていません。そちらは雲が広がっていたのかも。
さて、長野覚先生は1928年生れでいらっしゃったので私とちょうど30歳違い。そう考えるとこの写真に写っている先生は、今の私の年齢(53歳)だったんですね。
先生へはゼミ論も卒論もいい加減なレポートで提出してしまって、ほんとに恐縮しています。卒論なんか、完成しないまま提出期限日を迎えてしまって、後日必ず完成させますので、なんとか卒業単位を下さい!m(_ _)m とお願いした私です(苦笑)
...で、約束通り卒業後に完成論文をご自宅に持っていったら、優しい眼差しで「よく頑張りましたね」とおっしゃって頂いた一言が今でも忘れられません。しばらくは年賀状もお送りしていたのですが、いつの間にかそれも途絶えてしまいました。
今記事を書くにあたり、元気にしていらっしゃるのかなぁ...と"長野覺"で検索したら。
平成23年9月23日(金)秋分の日
福岡県 添田町制100周年記念 「ふる里再発見」英彦山・日田を語るシンポジウム
●第一部 基調講演 講師 長野 覺 演題「英彦山と広瀬淡窓について」
という記事を発見!うわ〜!先生元気でご活躍されているんだぁ♪と感激しております(^-^) 福岡県添田町が先生の故郷だったのですねー。私も30年後、なにか故郷に恩返しできているかしら?
日本最高地点で、長野覚先生と共に。長野先生はいつも笑顔を絶やさない柔和な先生でした。
比較的軽装に見える右端のお三方が、富士山測候所の職員(気象庁)の方々です。
30年前は実に下らない質問を致しまして誠に申し訳ありませんでしたm(_ _)m
どれだけ下衆な質問をしたかというのは、とてもブログに書けません(苦笑)
下山後は、同ゼミ同期生のご両親が経営する山中湖畔の旅館で打ち上げがありましたが...ゴメン!名前覚えていないんです。その同期生も旅館の名前も同ゼミ紅三点のマドンナ3人娘の名前も^^;
でも、なぜ女子3名だったということを憶えているかと言えば・・・
山小屋の規則は1枚布団に2人づつ寝ることがルールなんです。だから女子1人の布団と一緒になるのは誰???と男子学生はもう小屋に到着してからワクワクドキドキ(笑)
...で、結局「それは先生に!」と女子が決めたのですがね(^^;
今では、山ガールのブームで個室の寝室も用意している山小屋もあるそうですが、1枚布団に2人づつという山小屋ルールはそうそうは変わらないでしょうね。なので娘から富士山に登ると聞いた時に、真っ先に確認したのは女子は奇数か?偶数か?でした(笑)
*帰宅後の娘談:今回お世話になった山小屋は1人づつシェラフ(寝袋)支給+布団だったそうです。
たまたま、私と娘の30年越しの富士初登山を記事に致しましたが...どうぞ本日初めて富士山に登る"にわか山ガール"のマドンナ4人娘が無事に帰還することを祈っております。
PS. 8/22 09:30 娘より下山報告:風雨強く頂上到達ならず、8合目より少し上の山小屋までにて断念。
あらら、残念でした。ではまたさらに30年越しで今後は孫が登るようになるのかな^^;?