■泡沫(うたかた)日記
放影研(放射線影響研究所)と放医研(放射線医学総合研究所)は名称が酷似しており混同しやすいようですが、これについては中段で記述いたします。拙ブログで放射能(放射線物質)と健康に関する記事や、原子力行政に関する、政府や東電に対する批判記事を書いてきました。それらは、知人からの相談ごとの回答代わりや、私自身が憤慨したことなどでした。
でもそんな記事をアップする度に心を痛めている読者の方や、不安を増幅させてしまった読者の方がいらっしゃったかもしれませんm(_ _)m
もしかしたらまたこのテーマで書くことがあるかもしれませんが、ひとまず今記事の最後に高木学校に触れてこのテーマの筆を休めますm(_ _)m
100_シーベルト/年を被ばくしても、健康に影響を与えるレベルではないので大丈夫。
20_シーベルト/年は、国が安全だと宣言してくれているから安心してね。
本当に丈夫なの?どんな科学的証拠から大丈夫だと言っているの?
人は放射性物質の影響に関わらず誰でも皆発癌するし、残留放射線と放射性降下物を科学的に研究した結果でも、証明できない(=わからない)ので余計な心配しなくていいんだよ。それに低線量ならむしろ健康にいいんだよ。
放射能とはなにか?人は何故癌になるのか?
本当に低線量被ばくなら大丈夫なのか?
100_シーベルト/年の安全神話はどう作り上げられていったのか?
それらの疑問によくわかる解説がなされたのが、5月20日に衆議院の科学技術特別委員会。
科学技術、イノベーション推進の総合的な対策に関する件(放射線の健康影響について)
※動画:国会ビデオライブラリー【衆議院TV・科学技術特別委員会 5月20日】
全部で3時間5分の長い動画ですが、こちらのYoutubeの動画(全11編)からも視聴できます。
■参考人
久住静代(原子力安全委員会委員)
矢ヶ崎克馬(琉球大学名誉教授)
武田邦彦(中部大学教授)
崎山比早子(高木学校 元放射線医学総合研究所主任研究官 医学博士)
以下は動画中の発言や、上記参考人のこれまでおもなトピックス。
久住静代:「国際放射線防護委員会(ICRP)」について
ICRPは世界保健機構(WHO)の諮問機関であり、ICRPの勧告は国際的に権威あるものとされ、我が国をはじめ、各国の放射線防護基準の基本として採用されています。
あくまで1年間に100mSvまでは確定的影響という被ばくをしたときに、短期間に現れる身体影響も、長期的に起こってくる晩発的影響、確率的影響も起こらないことを皆様に理解していただきたいと思います。
特に今回は急性被ばく、一度の被ばくではなく、継続している慢性被ばくですから、影響はより少ないというふうに考えられます。100mSv以下では心配は無いのだということをご理解していただいた上で、それでもなおかつ、できるだけ低い線量を目指すということで、ICRPのいう20mSvを目標にするという考え方で防護区域をもう一度考えていただくというのが適切ではないかと思います。但し、「低線量を浴びると健康になる」というような主張をなさっている方がいらっしゃるということですが、それらは科学的効果がないというのが現在の考え方です。
矢ヶ崎克馬:DS86(Dosimetry System 1986)について 参照
そもそもICRPは原子力を推進しているIAEA(国際原子力機関)とも連携する原子力推進側。そしてICRPよるデータは広島・長崎のデータに基づいた類推。
DS86というのは、科学にもとづいて残留放射線を評価したという被爆線量計算の基礎とされているものだが、これは小学生に聞かせてもとても科学的と言えない代物である。
1つは、台風によって広島デルタ地帯は床上1mの大洪水に見舞われている。それから長崎も1200mmの降雨を受けている、にも拘わらず現場保存がされているとして、台風後に測定した放射線量をはじめからあったものとして取り扱っている。DS86ではとんでもなく少ない値を提示しています。
また測定の中身は、基本的にはガンマ線だけで、内部被曝をした場合に一番おそろしいベータ線、それにアルファ線を無視している。ホールボディーカウンターで内部被曝を測定したというが、DS86のこの方法は内部被曝というメカニズムを完全に無視したやり方で、外部被曝を測定する手法で内部被曝を「測定した」といっているのです。
一番重大な点は、86年当時既に確立していた、50年代後半までに得られていた、核分裂についての知見を一切無視して、「そもそも原爆でどれほどの放射性物質が作られたか」という観点は全く介在させずに、台風で洗い流された後の「ガンマ線測定」だけでまとめられたというのがDS86です。そもそもの放射線環境はどれほどだったかを見ようともしていない「反科学的」内容なのです。そして今回の福島原発の農産物の放射能測定方法についても、厚生労働省は放射能測定マニュアルの留意事項で 野菜は洗ってから測定するよう指示を出している。
武田邦彦:億ベクレルだと危険なのに、京ベクレルだと安全という不思議
普通「原発から放射線漏れ!」と大々的に新聞が報じ、大騒ぎになり、政府が調査団を派遣し、運転が止まり・・・というような事件が起こるときに漏れる放射線量は、数億ベクレル=1万×1万・・・1万が2つ。
ところが、今度の福島原発で漏れた量は、数10京ベクレル=数10×1万×1万×1万×1万)・・・1万が4つ。
つまり普通の原発事故の1万倍です。.だから「まだ大変な量が漏れている」ということになりますが、3月下旬の量と比較すると、数10万分の1になりますので、正反対に「たいした事はない」となります。
理解しにくいのは、普段「億ベクレル」で大騒ぎする政府、新聞、テレビなどが、「京ベクレル」の規模になって、驚き、ビビって、反対に「安全です」などと言ったからややこしいことになりました。
原子力発電所の事故は最初の一撃でほとんど90%の被ばくが決まってしまう。それなのに事故の初動に政府はほとんど対処を講じなかった、私ははっきり言えば、日本には政府がなかったとそう思いました。国民の健康を守ると言った点で今一番抜けているのは、ストロンチウムとプルトニウムという非常に重要なものが測定値すら出てこない。ハワイでプルトニウムが検知されているのに、どうして福島で検知されないのだと質問されるが、日本政府は測ってないからだと答えるしかない(=測定していても隠蔽して公表しない)
崎山比早子:原子力損害賠償をめぐる国と東電の狡猾さ 参照01 参照02 参照03
長尾光明さんは東京電力福島第一原子力発電所などで配管工や現場監督として4年3ヵ月勤務され、蓄積線量70 mSv被ばくしました。長尾さんは原発労働者の労働環境を改善する力になりたいと「原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)」に基づいて東京電力に対し損害賠償を求める訴訟を起こしました。
文部科学省は裁判で東京電力の側に立つ補助参加をきめました。東電がこの裁判に負けると原子力エネルギー政策に重大な影響を及ぼすという判断からと考えられます。この裁判で東電側では多発性骨髄腫と被ばくとの因果関係を争う以前の問題として、診断自体が誤っていると主張しました。この診断論のために3年以上に長引いた東京地方裁判所での裁判の経過中、2007年12月に長尾さんは逝去されました。
裁判所の判断は、多くの誤りを含んだD. L. Preston等の罹患率を基準にした論文、被告側の関与が大きい原子力安全協会の報告書、国連科学委員会のUNSCAER 2000年報告に、より大きなウエイトを置いています。国策に沿い、国家権力を後ろ盾にするならば、科学的に証明された真理も道理も無視し得るものであるということを実感しました。このようなことを強いる権力を助ける科学者(?)とは一体何者だろうか?
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さて崎山先生は元放医研主任研究官です。
放医研=(独)放射線医学総合研究所の事で千葉市にあります。
広島と長崎にある放影研=(財)放射線影響研究所とは略称(放医研と放影研)がよく似ていますが。
放影研の前進が米国原爆傷害調査委員会(ABCC)であるので、そこから発信される情報は、矢ヶ崎先生のおっしゃる通りに原爆による放射能の影響が矮小化されている傾向にあります。また放影研は年数回程度の活動実績しかなく(つまりは典型的な天下り機関)であるのに対し、放医研は放射線医学(=放射線治療)の技術向上を目指して実動している機関です。そして、今回の福島原発放射能漏れに対しても、早い段階から放射性物質の除染方法や放射線被ばくの健康相談など、放射能不安を抑制するための積極的な活動をしています。
高木学校とは、故.高木仁三郎先生が市民科学者を育てたいと願って1998年に創られた、学校という名の市民運動です。高木先生は、早くから原発の持続不可能性、プルトニウムの危険性などについて警告を発し、特に「地震」に対する原発の危険性を予見し、地震対策の必要性を訴えた脱原子力運動を象徴する人物でした。小出裕章+矢ヶ崎克馬+武田邦彦=高木仁三郎だと思っています。
福島原発事故以来、拙ブログでは、言いたい放題綴ってきましたが、高木仁三郎先生の含蓄のある文章を転載させて頂き、ひとまずこのテーマの記事の筆を休めますm(_ _)m
◆科学者が科学者たりうるのは、本来社会がその時代時代で科学という営みに託した期待に応えようとする努力によってであろう。高度に制度化された研究システムの下ではみえにくくなっているが、社会と科学者の間には本来このような暗黙の契約関係が成り立っているとみるべきだ。
だとしたら、科学者達は、まず市民の不安を共有するところから始めるべきだ。そうでなくては、たとえいかに理科教育に工夫を施してみても若者達の“理科離れ”はいっそう進み、社会(市民)の支持を失った科学は活力を失うであろう。
厳しいことを書いたようだが、私はいまが科学の大きな転換のチャンスであり、市民の不信や不安は、期待の裏返しだから、大きな支持の力に転じうるものだ、と考える。社会と科学の関係は今後もっと多様化するだろう。科学者と市民が直接手を取り合って、社会的課題に取組むというケースも増えてくるだろう。
(岩波書店『科学』1999年3月号「市民の不安を共有する」より)
◆実際に世間で考えられているほどには、文科と理科の区別はない。科学にとって必要なのは基本的な飛躍のない理論的な考え方と、数量的なとらえ方である。あらかじめ理解しておくべきことは、そのような基本的な骨組みにすぎない。
大事なのは、それらの方法的枠組みをどのような目的で、どのような問題の解析に振り分けるかということだ。
(『市民の科学をめざして』 朝日選書1999年より)
◆高木学校には、いろいろな側面があっていいと思います。僕が希望するのは、お互い大いに厳しく批判しあって欲しいけれども、お互いにマイナスのカップリングにならずに、それぞれ別の方向性がお互いを刺激しあってプラスの方向に作用してほしいということです。
そして、今の世の中を少しでも住みやすく、より良くしていくために、科学や技術が役に立つように、市民の立場からみんなが活動するような場であって欲しいのです。
(第2回「夏の学校」2000年8月 の発言から)