高家はつらいよ 嫌われ義央(よしひさ・よしなか)物語

■大江戸チャンネル


「本懐!サイクリング〜赤穂浪士引き揚げルートを走る」のレポより【高家とは

吉良上野介は饗応役(きょうおうやく=朝廷ご接待)指南役として、外様大名にご接待マナーを教えると同時に外様大名から接待費用を捻出させる役。加えて、外様大名から指南料金(コンサルタント料ですね^^;)をもらえる立場にあった人物です。
浅野長矩(浅野内匠頭)と吉良義央(吉良上野介)の間にどんな諍いがあったのかは不明のままですが、どうも義央は江戸庶民からは嫌われ者だったようで、庶民の視点から考察してみましょう^^;

吉良義央は高家(こうけ)しかも最上級の高家肝煎でした。高家とは格式の高い由緒正しいという意味で、義央は清和源氏の系統の名門の家柄です。
Point01.お坊ちゃんでイケメンだってよ!(*`д´)

将軍綱吉には特に寵愛されていたようです。
Point02.というより綱吉の母桂昌院はじめ女ウケが良かったんだろ!(;`Д´)

幕府の命で年賀使15回、幕府の使者9回の計24回上洛(京都の朝廷に出張)してます。
Point03.武士のくせに公家気取ってんじゃねよー!(`Д´)ノ

長男を名門上杉家(妻の実家)の跡取りとし、娘たちの各嫁ぎ先も玉の輿。
Point04.そこまでして上流階級に居座りたいかねー!(*`д´)
※長男を養子に出したのは、上杉家断絶を救うためでこれは庶民の誤解です。

浅野長矩は参勤交代で領地と江戸屋敷を往復しますが、義央は領地(田舎)なんぞ行きません。
Point06.テメー1回だけかよ!たまには領地にツラだせよ!ヽ(`Д´)ノ
※これも旗本のほとんどは領地に行く習慣がありませんので

外様大名は参勤交代で江戸に戻った時は、お土産なんかご近所に配っていたかも?
Point07.キラはヤツハシひとつくれやしねーぜ!( `Д´)/

まぁ、Point07.は私の勝手な想像ですが(苦笑) 生類憐みの令への恨みなど、将軍綱吉は江戸庶民からすこぶる評判が悪かったですから、綱吉憎けりゃ義央まで憎い...の方程式で、嫌われ義央(よしひさ・よしなか)が出来上がってしまった訳で。けど、それじゃ吉良様あまりに可愛そう...ということで。



両国から 忠臣蔵の真実に迫る!墨田区観光協会が吉良上野介復権に立ち上がりました^^

吉良上野介像

う〜ん。たしかに上品なお顔立ちをしていらっしゃるかも^^; 私自身もごく稀に都内のとてつもない名家のお宅に伺ったことがありました。
うへぇ〜!都心の一等地にこんなでかい敷地にこの豪邸(@@;)」
私はブランド品とかよくわかりませんが、いつお会いしても胸ポケットにはネッカチーフ,靴からスーツから、おそらく私が身につけているものとは2桁違うのではないかと^^; 時計にいたっては3桁違うだろうなぁ(苦笑)でも名家(高家)は名家なりの苦悩があって、それをお聞きしたら、生まれ変わっても絶対今の自分の方が気楽でいいと思いました^^;

本所松坂公園 吉良邸跡

吉良邸はもともと江戸鍛冶橋付近(東京駅と有楽町の中間)にあって、義央もそこで生まれたそうですが、松の廊下事件の3年前に江戸の大火で焼失し、呉服橋(東京駅から神田駅寄り)に新邸を再建しています。その時火消し役(消防の指揮)を担当していたのが浅野長矩であったとの事。
この時、吉良義央57歳、浅野長矩30歳。

本所松坂公園 吉良邸跡

松の廊下事件後に幕府は吉良邸を本所松坂への屋敷換えさせています。当時の本所は江戸市中でも辺鄙な場所で、敷地は広くともこんな場所に高家(名家)を住まわせるのは屈辱でもあったそうで。わざわざ市中警備のうすいこの場所に吉良邸を移させたのは、赤穂浪士による討入りをさせたかったという説もありなんとか。

吉良家墓所

赤穂浪士によって切り取られた吉良義央の首は、箱に詰めて泉岳寺に預けられた後、僧二人にこれを持たせて吉良家へ送り返されました。吉良義央の首は胴体をつなぎ合わせ菩提寺の万昌寺(市ヶ谷)に葬られましたが、同寺は大正時代に万昌院と改めて中野に移転し、それに伴い吉良義央一族の墓も中野区の万昌院にあり現在史跡となっています。

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吉良義央が領地(三河国)では名君と云われますが、これは同情票が集まったのではないかというが大勢です。
何故に民衆が、これほど赤穂浪士の仇討ちに喝采するかといえば、時の政権(幕府)に対する鬱積が堪っていたからです。今、エジプトで起こっている暴動と同様ですね。加えて300年もの間、忠臣蔵という演劇(善悪をはっきりわけて)が上演され続ければ、吉良は(切られ役、嫌われ役)で当然...ということになってしまっているのですよ。
日本人が忠臣蔵を見て感じるのは、アコウvsキラでなく、Citizens vs Government という構図なんですね。

わかったかな?キアヌ君 「う〜ん。。。アナタ説明ヘタですね。。。」
うわっ!すみません(>_<) 文書ばかりやたら長くて...そうですかぁ、じゃあ最後に。
トム君が演じた『ラストサムライ』(The Last Samurai)の話で忠臣蔵Storyを締めましょう...
私もかなりこのシリーズ疲れてきたし(苦笑)

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2011年02月07日

posted by たすけ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | ■大江戸チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

武士道とは死ぬ事と見つけたり The Soul of Japan

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「本懐!サイクリング〜赤穂浪士引き揚げルートを走る」のレポより【武士道とは

「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」とは「戦いに命を賭せ」ではなく「万事、死に物狂いで事にあたれ」という意味でしょう。武士道というテーマを拙ブログごときで軽々しく書けないことは痛感していますので、まぁ参考程度にということで^^;

新渡戸稲造著の『Bushido』では「日本人は倫理を重んじ、国民は社会全体への義務を負うように教育されている。」もっとひらたく言えば「他人様から後ろ指を指されないように教育されている」と書いており。桜の花が日本の武士道を象徴するとすれば、西欧の騎士道ないし哲学を象徴するものは薔薇であるー中略ー薔薇は枯れてもなお散らずに残りつづけようとする生への執着があるが、日本人は潔く散りゆく桜の花びらに美を見い出す。というような『The Soul of Japan』を全体の構成としています。

武士道について近世〜近代の間に著された系譜を簡単に整理すると
高坂弾正(1527〜1578年)...『甲陽軍鑑』甲斐武田氏の戦略戦術記で軍規刑法など
山鹿素行(1622〜1685年)...『職分論』 武士は自ら倫理(仁義,忠孝)を担うもの
山本常朝(1659〜1719年)...『葉隠』  武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり
山岡鉄舟(1836〜1888年)...『武士道』 武士道とは神儒仏三道融和の道念である
新渡戸稲造(1862〜1933年).『Bushido: The Soul of Japan』



この動画は、東京時代祭り,行列時代絵巻での赤穂浪士行列ですがコメントを寄せているのがほとんど外国人です。
『Bushido: The Soul of Japan』は日本文化を知るためのバイブル本ですが、日本通の外国人なら読んだことはあると思うのですが、一般の外国人にとって[Ninjaa],[Samurai],[Ronin]を区別できるのでしょうかね?

浅野内匠頭邸跡

こちらは、殿中松の廊下で吉良上野介を斬りつけ、将軍綱吉の命により、即日切腹して果てた、浅野内匠頭長矩(あさの たくみのかみ ながのり)5万石の屋敷跡。

浅野内匠頭邸跡案内板

地下鉄日比谷線築地駅3番出口からすぐで、築地川公園はしょっちゅう立ち寄っていたのに、今まで全然気がつきませんでした。まぁ広大な屋敷跡が、たったこれだけの石碑と案内版だけですからね。
浅野家の屋敷は、当時は約9千坪あったそうですが「松の廊下」後3日目には引渡しが申し渡され、家臣は畳の数から障子の数まで詳細に記した帳簿をすばやく作って引き継ぎ立ち退いたそうで、まさに立つ鳥跡を濁さずですね。

ところで浅野長矩の辞世の句とされるのが...
風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん
ホントに長矩がこんな無念たっぷりな歌を残したかどうかは疑問ですが、こんな遺言を主君に残されてしまったら、そりゃ家臣は仇討ちせずにはいられませんよね。

主君の遺恨を果たした大石内蔵助の辞世の句が...
あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし
とされていますが、いや〜これは長矩の辞世への返歌でしょう。浄瑠璃,歌舞伎の仇討ち物語なら、この歌で締めくくったほうがわかりやすいですものね。

内蔵助の本意は長矩の弟(浅野大学長広)を以て、赤穂浅野家の再興を計ることだったのですが、浅野家再興は絶望的なった段階で、仇討ち推進派の堀部安兵衛らと共に武士の本懐を決心します。
ところが、仇討ちから5年後。浅野長広は将軍綱吉死去に伴う大赦で許され、安房国(千葉県南部)にわずか500石ですが小さな所領を賜って、旗本として御家再興を果たしています。
まぁ〜5万石から5百石ですから1/100ですね。松の廊下から討入りまでは約2年弱。もしこの間にこの改易が実現していたら?
1/100じゃ堀部安兵衛たちは納得しないでしょうが、まさか赤穂藩浪士として討入りはできないでしょうから、[Ronin]でも[Samurai]でもなく[Ninjaa]が吉良上野介を襲ったかも?

大石内蔵助の本当の辞世の句は...
極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人
これが江戸元禄時代の主君に忠義をつくした侍精神[The Soul of Samurai]でしょうね。

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ちょ、ちょっと待ってください! はいはい、なんでしょ?キアヌ君...と池上さん(笑)

「理由はわかりませんが、抜刀NGの殿中で斬りつけたのはアサノですよね?」
「キラが、アサノを殺したなら、オオイシがキラの首を取るのは納得できますが」
「アサノは、将軍の命令で切腹したのですから、キラを恨むのを納得できません」

い〜〜〜い、質問ですねぇ。ではその答えは次回の記事としましょう。

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2011年02月06日

posted by たすけ at 19:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | ■大江戸チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

The 47 Ronin 素行が悪い?

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「本懐!サイクリング〜赤穂浪士引き揚げルートを走る」のレポより【外国人から見た忠臣蔵

映画忠臣蔵・赤穂浪士ほど日本映画で続編が製作された題材はないでしょう。庶民の娯楽にテレビが台頭するまで、フーテンの寅さんシリーズや釣りバカ日誌シリーズのように毎年のように忠臣蔵関連の映画が製作され、それも日活,松竹,大映,東映,東宝etc各社が製作したのですからまさに鉄板の題材です。

NHKの大河ドラマ 忠臣蔵

もちろん、テレビ番組でも数年置きに新作が作られ、NHKの大河ドラマでは浪士の討入りの回視聴率53.0%の最高視聴率記録は未だに破られていないそうです。これだけ何度も映画やTVで放映されていれば、AKB48のメンバーの名前は誰一人言えなくても(笑) 瀬尾孫左衛門を含めた赤穂浪士48名の名前をすべてスラスラ言える年配の方は結構いるんじゃないでしょうかね?

実は集合場所の両国国技館前から吉良邸に行く前に、スポーツサイクルいちかわに立ち寄ったのですが、私ひとり、一足先に店内を出たら、ちょうど吉良邸の方角から外国人のポタリンググループ(7〜8人でロード・クロス・小径車の混合隊)が私の目の前を通り過ぎていきました。

その外国人ポタグループが吉良邸に立ち寄ってきたかどうかはわかりませんが、ふと外国人に忠臣蔵(赤穂浪士)を説明しようとしたら、どういう説明をしたら良いのだろう?という思いが巡りまして...このシリーズはやたらに拙い英単語が出てきますがご了承ください^^;

断腸亭希典ご家老と松尾芭蕉

今回ご案内頂いた断腸亭希典ご家老がご専門の分野なのにお恥ずかしい限りです^^;




さて、本懐!サイクリング〜赤穂浪士引き揚げルートを走るとは、この動画のように赤穂浪士が本所松坂の吉良邸(現.墨田区両国3丁目)に討ち入り、吉良邸から吉良上野介の首を槍に掲げて行進・到着した、主君浅野内匠頭の眠る泉岳寺(現.港区高輪2丁目)までを自転車で辿るという企画です。



タイトルのThe 47 Roninとは、つまり赤穂浪士四十七士のことで。
2012年公開予定でキアヌ・リーヴス主演のハリウッド版忠臣蔵が3D映画として製作されることが決定し、この動画(忠臣蔵 花の巻・雪の巻1962年東宝作品)をyoutubeにアップしたのもデンバー在住のアメリカ人です。この他にも47 Ronin とか Chushingura で動画を検索するとかなりの数の外国人がアップした動画がヒットします。

...で。外国人から見た忠臣蔵はどうなの?

The story of the 47 Ronin is one of the most celebrated in the history of the samurai.
This was perhaps all the more so because it occurred at a time when the samurai class was struggling to maintain a sense of itself - warriors with no war, a social class without a function.
The tale could be said to have begun with the teachings of Yamaga Soko (1622-1685), an influential theorist who wrote a number of important works on the warrior spirit and what it meant to be samurai. His writings inspired a certain Oishi Kuranosuke Yoshio, a samurai and retainer of Asano Takumi no kami Naganori (1667-1701), who led a branch of the powerful Asano family.

このキャプションを要約すれば...
天下泰平の世となった江戸時代、戦乱での活躍の機会もなく、存在理由を失った武士にとって、武士本来のあるべき姿とは何であるか?その答えを導いたのは赤穂藩に仕え「武士の本論」として武士道を説いた山鹿素行であり、素行の教えは浅野内匠頭や大石内蔵助に多大な影響を及ぼしている。....となります。
武士道について詳細は次回の記事としますが、外国人から見れば明治維新後も日本軍人が切腹や介錯を実行しているのは山鹿素行の武士道論が大きく影響があった思われているのでしょうかね?確かに太平洋戦争後も進駐軍は仇討ち文化を恐れて、忠臣蔵映画の製作や放映を禁じていました。

直近の忠臣蔵関連映画「最後の忠臣蔵」はワーナー・ブラザースの日本支社が製作したものですが、いつも辛口な映画通nebanebaさんの評価は◎でした。

私達日本人は「武士=warrior」と「侍=samurai」の微妙な違いを区別しています。
【侍=伺候謹んで主人の近く仕える】【侍(はべ)る=身分の高い人のそばに付き従っている】
「七人の侍」はwarriorとしての映画で、主役の三船敏郎(菊千代)は侍samuraiではありません。
黒澤映画七人の侍が、荒野の七人としてリメイクされたのは、あまりにも有名ですが、The 47 Ronin でのキアヌ・リーヴスの役は、四十七士の中に混血の侍ヒロが居た...という設定だそうです

「最後の忠臣蔵」では主亡き後も【侍】という核心をクローズアップしてくれたからこそ、日本人の琴線に響いたと思うのですが...はてさて、ユニバーサル・ピクチャーズが製作する「47 Ronin」はいったいどこを核心に持ってくるのでしょうか?

よもや山鹿素行はジハード(聖戦)を提唱した...なんてシナリオになっていないことを祈ります。

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...え?ワタシ??ワタシは絶対、侍には成れません。
だって常に上司の言うことを素直に聞かない素行の悪い部下でしたから(笑)

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タグ:47 Ronin 映画

2011年02月05日

posted by たすけ at 19:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | ■大江戸チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

両国国技(酷儀)館 大江戸八百長

日記(言いたい放題)


お江戸八百八町というけれど...江戸時代中期にはその倍以上の1678町あったとされています。
そもそも、お江戸の範囲とは江戸払の御構場所(=追放刑者が立ち入ってはいけない地域)。
つまりは四宿の大木戸(千住・板橋・品川・内藤新宿)の内側と、飛地としての本所&深川で
現.両国国技館はその本所にあります。

国技館見学の外国人

でも、今や国技館?国偽館?告偽館?告疑館?酷疑館?酷儀館?
昨日今日の大相撲八百長疑惑...疑惑じゃないな...八百長試合報道にもうウンザリ。
もう、相撲協会は江戸払いで、両国国技館の使用は禁止!!

だいたい、現役力士だけにこの問題の責任を負わせようという協会の姿勢が気に入らない。
力士の大部分は中学出てすぐの少年の頃から辛い稽古に耐え、這い上がってきたわけで、それは八百長メールの力士とて同じこと。
問題は長年「無気力相撲」という言葉のすり替えで「これまで過去において八百長は一切なかった」という隠蔽を通そうとする協会自身の姿勢でしょ。先ずは現役力士じゃなくて、協会の理事や親方衆が責めを負うべきだと思いますけどね。

まぁどうせ過去まで遡って全ての解明なんて無理でしょ。
なら潔く、相撲協会は解散(改易)して、ゼロから仕切り直したほうがいいんじゃないの?
国技という看板が大事ならこの際、親方株とか年寄り株とかそんなものも全てご破算にして、力士の給与体系や役員給与も文科省の管轄下にしちゃえば?いや、どうしても伝統が大事というなら、国技の看板を返上して、通常の興行団体になればいい。
なんだか今回相撲協会関係者の言動をみていると、自分達OBには非はなく、結局公益財団法人認定が欲しくて、現役力士をスケープゴートにしているように思えます。

山一証券最後の社長、野澤正平氏が自主廃業会見の場で。
「みんな私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから! どうか社員を応援をしてやってください。優秀な社員がたくさんいます、お願いします!私達が悪いんです。社員は悪くございません!」
と、男泣きしがら社員をかばいました。野澤正平氏は最後の尻拭いに社長にされてしまったような人で、本来、野澤氏自身に非はないのですが、でもこの会見で組織のトップとはこうあるべきだな、野澤正平氏は侍(さむらい)だな、と感心したものです。

両国国技館*

今週は両国国技館前から出発した、赤穂浪士討ち入り関係の記事で
「正しい人の道・正義を体現する武力」として、外国人から見た武士道についての
記事を書こうとしている最中なんですが...

新正堂の切腹最中

嗚呼〜やんなちゃうなぁ、もう!!。 相撲協会は改易!!
もし今後しかと、新たに正しい道を行くというのならば
協会の全財産投げ打って、新正堂の切腹最中を日本全国の相撲ファンに配ることを命ずだな。


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2011年02月04日

posted by たすけ at 14:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

当世下町自転車屋事情 / スポーツサイクルいちかわ&イーストリバーサイクルズ

■シニアの自転車生活


「本懐!サイクリング〜赤穂浪士引き揚げルートを走る」レポより...【東京下町自転車屋編

スポーツサイクルいちかわ

スポーツサイクル いちかわ   【住所】〒130-0026 東京都墨田区両国3-18-1
【営業時間】午前9時〜午後6時 【定休日】毎週水曜日

いや〜驚きました!ここはまるで自転車の博物館です。
ビンテージ物の往年のスポーツ車から、加重500kgかけても壊れないような頑丈な営業車そして子供用自転車からママチャリまで、ありとあらゆる自転車がところ狭しと並んでいます。また自転車パーツ類の豊富さは、上野や御徒町近辺の自転車屋を探してもここまで揃えている店はないんじゃないかな?

自転車に精通している人なら、都内に出た際は一度は訪れる価値がある店です。また逆に自転車を全く知らない人は「こういう理由で自転車に乗りたいと考えている」と一から相談したら、きっと悔いのない自転車選びが出来ると思います。
店先でフレ取りの作業をしている職人(店員)さんと、常連さんらしきお客さんの会話を聞いていたら、下町独特の気軽な言葉のやり取りが、実に心地よかったです。まぁ要するに、山の手のようなよそ行き丁寧語の対応を期待しちゃぁいけません(笑)
 
両国駅近くにあるスポーツサイクルいちかわは、長年の技術と知識に裏打ちされた、いわゆる自転車マイスターの居るお店でした♪

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イーストリバーサイクルズ

イーストリバーサイクルズ(森下)【住所】〒130-0025 東京都墨田区千歳3-3-2
【営業時間】午前11時〜午後8時 【定休日】毎週火曜日

なによりオーナーのセンスが光るお店でした。
普通下町の自転車屋といえば、油の染みた作業服に軍手はめて....みたいなイメージですが
オーナーの岡野さんは顔立ち・服装とも「え?デザイナーさん??」と見間違うほどにお洒落な方で、小奇麗な店内のレイアウトも揃えてある小物にも、随所にセンスが溢れていました。

展示車も、自転車入門者には嬉しい低価格帯で揃えてあり、しかも一台一台が大変お洒落なデザインのものばかりです。お値打ち価格と見栄えにこだわる女性の方で、初めてのスポーツ自転車購入を検討している場合は、このイーストリバーサイクルズは絶対おすすめのお店です。

また入門初心者用自転車ばかりでなくて、ビンテージ物(基本デザインが美しい)自転車を探している、往年サイクリストも良い掘り出し物を探してくれるお店だと思います。

東京下町の運河に囲まれた場所ありながら、イーストリバーサイクルズの店内には、イタリアミラノの小粋な風が吹いていました♪

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2011年02月03日

posted by たすけ at 00:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | ■シニアの自転車生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

当世自転車メーカー事情 / マルキン自転車とミヤタ自転車

■シニアの自転車生活


自転車ホイ♪自転車ホイ♪マルキン自転車ホイのホイのホイ♪
ラジオから流れたこのマルキンCMソングを知っている方は...アラフォー以上かな?(笑)

家内が
「柏の葉駅の近くに、自転車屋さんオープンするみたいよ!」とチラシをくれました。
ということで、早速オープン初日の1/29にサイクショップホダカ柏の葉店に行ってきました。
サイクルショップHodaka柏の葉店はBLOG←で情報発信しています。

サイクショップホダカ柏の葉店

「う〜ん..."サイクルベースあさひ"みたいなお店なのかなぁ?」
「あれ??スポーツ自転車のブランドが少なっ!」

ママチャリや子供用自転車などのシティーサイクルはすべてマルキン自転車で、自転車初心者用のカジュアルスポーツ車(主にクロスバイク)として、MOMENTUM【モーメンタム】やKhodaaBloom【コーダーブルーム】が多数陳列されていました。ロードバイクは1〜2種類だけだったかな?

「あのう、スポーツ車これだけですか?」
「えぇ、当店はホダカの直営店ですので」

つまり自動車で言えば、トヨダ・日産のディーラー店ということです。なので他ブランドの自転車は無くて当たり前^^;

「丸金自転車のディーラー店がホダカっていうんですか?」
「いえ、ホダカが親会社です。
それとMOMENTUMやKhodaaBloomはジャイアントの自転車です。」


1972年 - ホダカ物産株式会社設立。
1977年 - 丸金自転車株式会社倒産、商標を買収。
1998年 - ジャイアント・マニュファクチャリングが大株主となる。


私、全然知りませんでした...丸金自転車はとうの昔に倒産していたんですね。そしてマルキンブランドをホダカが買収し、そのホダカは現在、台湾のジャイアントの傘下だったのですね。

今から40年前...米国に留学した日本人学生にホームステイ先の主(あるじ)が
「合衆国の技術はすごいだろ?このカラーテレビの映像はとてつもなく美しいんだ」
...と。SONY製のテレビのスイッチを入れたとの逸話。

う〜む。。。まさにその主に、私自身がなっていました。

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私が初めて自転車を買ってもらったのが、小学校5年生(11歳)の時でした。
(それ以前にお下がりの自転車(中古車)を乗っていたような、いなかったような・・・)

ともかくも町の自転車屋に並んでいた真新しいミヤタ自転車のガリバー号が自宅に届いた時は、もう嬉しくて、嬉しくて、堪りませんでした。40年前の流山の洋品店にはGYマークの巨人軍の野球帽しか置いてなかったように、自転車と言えばミヤタの自転車ばかりだったように記憶しています。マルキンやツノダはあまり見なかったなぁ。

鉄砲洲稲荷神社

さて、これは東京築地(現湊町)にある鉄砲洲稲荷神社。

鉄砲洲神社と自転車

これは1/30に行なわれた「本懐!サイクリング〜赤穂浪士引き揚げルートを走る」でご一緒して頂いた103(トーサン霊諾之守)の国産名車です。
この日は他にもビンテージ物自転車が勢ぞろいでしたねー。

さてミヤタ自転車は鉄砲鍛冶から自転車製造に変わっていった最古の自転車メーカーです。
1889年. 東京築地鉄砲洲(現在の明石町)にあった外国人居留地に住む外人が宮田製銃所に当時最新の自転車を一台持参し修理を依頼。(これがミヤタ自転車のはじまり)
1893年. 国産第一号自転車の試作車を完成、販売開始。

鉄砲洲神社がミヤタ自転車と縁があったことを今回の赤穂浪士ポタで初めて知りました。


70年後の1959年.ミヤタ工業は松下電器産業のグループ会社となります。
これは松下幸之助が1905年(11歳)に五代自転車店に丁稚奉公に出て宮田の自転車を知りミヤタの暖簾を途絶えさせてはならぬ。とミヤタ自転車の危機を救った訳ですが、松下幸之助も11歳で関わった自転車には深い愛情があったのだと思います。

さらに50年後の2009年にミヤタ自転車は宮田工業=モリタホールディングス(消火器・消防自動車など)の完全子会社となります。なんちゃらホールディングスという名前の会社が増えたのは、企業買収(M&A)や節税メリットでしょうね。

昨年2010年に自転車部門を株式会社ミヤタサイクルとして分社化して国産自転車メーカーの暖簾を守っていますが、他メーカーと同様に中国比率を高めており国産高級自転車商品は減っているようです。因みに、全員集合で加藤茶が「わぁ〜たしぃ〜がぁ〜〜♪ヘックシュン!」と乗っていた交番配備の警察用自転車「ミヤタ・メッセンジャー」を警察庁に納入していたのもミヤタ自転車だったそうです(笑)

以上のうち事前に知っていたのは、松下幸之助が大阪の火鉢店〜自転車店で丁稚奉公をしていたことが縁で、パナソニック自転車があることくらいで、あとはすべてwikipediaからの引用です。

私の自転車(クロスバイク)は、東大阪市の工場街にある杉村商店という小さな自転車メーカーの自転車です。(といっても部材はほとんど台湾製なんですけどね)

自転車の性能は、先ずはフレームやホイールの材質やコンポーネント(ギアシステムetc)で決まってしまうので、どのブランドだから高級というよりは、どういうセットで組み上がっているかで決まってしまうのですが....スポーツ自転車に限って言えば、国産メーカーはかなり厳しい状況になってしまっていることがちょっと残念です。


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タグ:国産自転車

2011年02月02日

posted by たすけ at 00:46 | Comment(5) | TrackBack(0) | ■シニアの自転車生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雪上自転車ユニット / ktrak

■シニアの自転車生活


雪国の公共機関に、雪上自転車(雪陸両用自転車)があればいいのでは?

今朝のワイドショーで北陸や東北での大雪被害の様子が報じられていました。
特に福井県では国道が22時間通行止めとなり、開通したかと思えば今度は大渋滞で一向に車が進まない様子など。通行止めになれば、コンビニやガソリンスタンドにも補給が来ない訳ですが、もともと雪国では豪雪にそなえ食料などを備蓄する永年の習慣があるために困るのは、長距離ドライバーや観光客なのかなぁ?

雪上自転車ユニット

さて、いつも拝読しているNiKIRIN記ブログで、カナダKtrakCycle社製の雪上自転車ユニットが紹介されていました。

Ktrak(ケイトラック)

販売代理店の群馬県のMAROYA(まろや)のWEBではKtrak(ケイトラック)が詳細に紹介されています。Ktrakの仕様詳細 Ktrakの動画特集 ※.対応自転車は、26インチまたは29インチのマウンテンバイクでディスクブレーキ装着車に限ります。
との事ですが、このktrakユニットの利点は雪のないシーズンは、通常のマウンテンバイク(MTB)として乗れることです。

雪上自転車ユニット(ktrak)は、現在のところは、主にレジャーバイクとしての利用だと思いますが、雪国の公共機関(自治体・警察署)などに、このようなMTB(マウンテンバイク)と併用できる雪対策のユニットがあればいいのでは?
スノーモービルなども小回りが利きますがいかんせん燃料が切れたら(届かなかったら)何の役にも立ちません。雪のない季節でもタフな林道を縦横無尽に走れることができる公用MTBがあれば、住民や遭難者の安否確認や最低限の医薬品運搬などに役立つと思うのです。

我が町流山市では職員の移動手段として
近場への移動は自転車で 公用自転車1月21日よりスタート(2011. 1.21)
流山市役所では、1月21日から移動手段のひとつとして、公用自転車を6台導入しました。導入初日から、マーケティング課の職員が取材に利用するなど6台全てが稼働しました。近距離の移動の場合は、車ではなく自転車を利用することで、環境への負荷を減らすとともに、職員の健康増進にもつながります。近距離であれば、効率性も高いため、市では今後自転車を増やしていく予定です。
ということで、公用車としてリサイクル(再生自転車)車の活用をはじめました。ほとんど雪の降らない流山ですし、高低差10m未満の道ばかりですので再生自転車で十分活用できます。

英国自転車パトロール隊

海外の公用自転車(MTB)事情を挙げれば、英国の自転車パトロール隊はかなり有名ですが、米国サンフランシスコの各市警も「バイシクルユニット」が警察専用MTBを使用しています。

サンフランシスコ市警「バイシクルユニット」

このバイシクルユニット画像元のDagwood Life管理人keironさんは、サンフランシスコでのMTB発祥の理由を含めて詳細に記事にしていらっしゃいます。


ところで日本では空自の航空救難団が救難活動現場用に民生用折り畳み自転車を保有しているとのことですが、タフな山間部でどれらい耐久性がある折り畳み自転車なのかは不明です。
海難に目を向けると、ライフセービング(ライフセーバー)は知名度が上がって、ビーチフラッグなどは周知の競技ですよね。近年、高齢者の登山人口も増えているので、公用MTBの必要性はますます高いと思います。今後はスポーツとしてのMTB競技だけでなく、山間用ライフセービングを取り入れた競技なんかもあっていいのでは?

....と。雪上自転車ユニットktrak(ケイトラック)を見ながら考えていました。


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2011年02月01日

posted by たすけ at 14:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | ■シニアの自転車生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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