今日は国会中継と
鳩山新政権誕生の一刻一刻をTV中継で見ておりました。TV中継を見ていると、どの番組も横一列に【
脱官僚政治】で新政権vs官僚という対立の構図(アングル)で説明ばかりしていますが、どうして新政権&新風官僚という明るいアングルを探そうとしないのですかね?
思うに...戦後政治は高度成長期時代までは政官財のトライアングルのイケイケ営業的な国家政策でも良かったのだと思います。先ずは国自体が裕福にならなければ国民への福祉など出来るはずもなく、世界に通用する企業が育ち、東京オリンピックや大阪万博も開催された頃までは...
但し人口増加・所得増加(税収の増加)の前提があればの話で、その前提が崩れ始めた時、聡明な官僚たちも
「このままではヤバイ、これは戦略(政策)を変えなければ絶対に破綻する」と鳩山新政権の【国家戦略室】や【行政刷新会議】のような動きはあったのだと思います。
私的には、オイルショックのあたりが本来のターニングポイントで、国家が豊かになり、人口減少が明らかになった頃に、大企業優先のイケイケ営業的な国家戦略から、ゆるやかなシフトダウンをして、国民総中流意識(子育てや老後に心配のない国)を維持できるような、新しい所得再分配の戦略に変えるべきではなかったと思います。でも悲しいかな、縦社会の慣習と、組織を守ること窮してしまう集団心理の性が、志ある官僚を潰してしまっていったのではないでしょうか。
いまや世論を左右するのは、マスコミ報道であることは明らかであると思うのですが、国会中継の合間に報道されるのは、覚醒剤容疑の高相容疑者と酒井法子容疑者の保釈に関することばかりでウンザリしています。そんなことを何度も報道するより、
公金詐欺で税金を使って料亭でコンパニオン遊びを繰り返していた、千葉県職員たちを顔写真つき実名報道(ネット上では実名で出ていますが)して、その詳細を連日流して、公務員が公金を自由に使ったら、こんなにみっともないことだという風潮を植えつけるべきだと思うのですがねぇ・・
官僚のやる気を引き出すのも、やる気を削ぐのも、鳩山政権の新閣僚の力量だけでなく、マスコミの報道手腕や取材アングルにかかっていると思うのです。恐怖政治では有能な人材やアイディアを潰してしまいます。しかし、箍が緩んだままでは税金(公金)の無駄遣いはなくならないと思います。
私が鳩山新政権に望むべき転換は、先ず
人事院からの公務員懲戒処分の公表指針の改訂ですね。
このpdf資料にある
公務員の懲戒処分は個人が識別されない内容を基本とする...これっておかしくないっすか?一般市民の軽犯罪や芸能人の犯罪は、バンバン実名報道されて裁判以前に社会的制裁を受けているのに...
公務員は億単位の公金を横領しても、個人が識別されない内容を基本とする???
懲戒処分に関する記者クラブ等への資料の提供その他適宜の方法によるものとする???冗談じゃない!こんな身内(公務員)に甘い体質だから、役人の特権意識を助長させ、罪に対する甘さを助長しているだと私は思うのですよ。
私が中学生の頃は、いわゆるエリートたちは公務員よりも民間企業志向でした。そのほうが年収もよかったし、頑張っただけボーナスも出ていた時代ですからねー。「サラリーマンは気楽な稼業ときたも〜んだ♪」
高度成長期時代の公務員は
「いいなぁ〜民間は...俺たちは頑張っても給料は一定でしか上昇しない」と苦虫を噛んでいたのでしょう。このような意識が
「じゃぁナベちゃん、会社の金使っちゃおうヨ♪ ばれても俺たち身分保障されているしぃ♪」(by千葉県職員)と公金で好き勝手に遊んでしまう風潮や、罪の意識の甘さの根底を生んでしまっているのだと思います。「役人は気楽な稼業ときたも〜んだ♪」
国民や県民のために粉骨砕身して働いてくれている公務員に一流企業以上の年収を税金から払っても文句はいいませんよ。但し、大事な公金(税金)を横領したら一般市民以上の処罰や社会的制裁を受けるという風潮を根づかせなければと思うのです。
NHKでも新しい政府チャンネルでもいいですが、悪事を働いたバカ公務員は徹底追及する番組。逆に、創意工夫で予算節約して財源捻出に成功し、国民生活に役立った省庁や職員に特別ボーナスや褒賞する番組でもやってくれないですかねー
例えば住民の妙案や問題解決策を紹介している「ご近所の底力」に対抗して「官僚の底力」とか?
漫才のM-1グランプリに対抗してG-1グランプリみたいな?(G=Government Worker 公務員)
私が初めて国会に行ったのは、中学1年生だった
昭和46年の7月20日の参議院本会議。
急逝した親族参議院議員への弔意の儀があり、傍聴席に用意されていた遺族席でした。
生前に会ったことはほとんどなかったですが、決してエリートではなく、小学校卒で少年工として働きながら大学を卒業した苦労人でした。膨大な遺品(蔵書)の一部は、未だに私の書斎で預かっており、故人が物凄い勉強家だったことが偲ばれます。
政治家も底辺の暮らしを知らなければ、居酒屋タクシーをなんとも思わないアマちゃん官僚たちと同じになってしまいます。官僚主導から政治家主導にするならば、政治家が官僚以上に勉強熱心でなければ官僚もついてこないと思います。