千姫萌え(弘経寺:常総市)

いささか不謹慎なタイトルですが...
茅葺萌え、古城萌え、に続く、ちばらき(常総)歴史ポタの三部作目です。

千姫とは徳川家康の孫娘で、大変な美貌の持ち主で政略人質として幼い頃から
大阪城で暮らし、豊臣秀頼に嫁ぎ、豊臣氏滅亡後は本多忠刻と再婚しますが
その輿入れの際に坂崎直盛が千姫略奪を企てる(千姫事件)などは有名です。

本多忠刻はその後移封により姫路城主となり、千姫は"播磨姫君"とも呼ばれまし
たが、やっと授かった長男や夫が亡くなるなど不幸が続き、姫路城を去った千姫は
三十歳にて落飾(出家)して天樹院と号して、一人娘の勝姫と江戸竹橋の邸で暮らし
70年の生涯を終えました。

実際千姫自身は心優しい性格の持ち主であったようで、前夫秀頼の側室の娘・奈阿姫
の処刑を必死で助命嘆願を行い、奈阿姫は助けられたとされています。
因みに、奈阿姫は後に「縁切り寺」として有名な北鎌倉の東慶寺の住職となっています。

弘経寺(ぐぎょうじ)の高層了学は、徳川家康・秀忠・家光に厚遇され、千姫も了学
より五重相伝を授けられ、その縁で千姫(天樹院)の遺言として、遺骨は小石川の
伝通院と常総市(旧水海道市)の弘経寺に納められています
。弘経寺は徳川家に
縁(ゆかり)が深いので、徳川家の菩提寺である芝増上寺の別院にもなっています。

以下、水海道の弘経寺(ぐぎょうじ)までの道順と周辺風景を簡単に

豊水橋付近
豊水橋付近
水海道駅から豊水橋を渡り、鬼怒川の土手づたいに行くのがわかりやすいのですが
現在(2008年3月)は工事中ですので、少し先の安養寺への看板の角を右に曲がって
行くとやがて土手に通じる道に出ます。

弘経寺へルート看板
弘経寺への目印看板
鬼怒川の土手づたいにはこのように、道順を書いた親切な看板が設置されています。

弘経寺大門付近
弘経寺大門
弘経寺大門
京まろん水海道工場とミキプルーン関東工場を過ぎたあとのカーブに弘経寺大門が
ありますが、ここだけ見落としやすいので注意してください。弘経寺大門の入り口
からはずっと直進で水海道有料道路のガードをくぐればもうすぐです。

弘経寺山門跡
弘経寺入り口
ここに山門があったのですが...解体補修中なのでしょうか?

弘経寺本堂
弘経寺本堂
昨年(2007)改築されて、白い外壁と銅板の屋根が光っています。

葵の紋
葵の紋
徳川家縁(ゆかり)ですので、弘経寺境内ではあちこちに葵の家紋が見られます。

千姫御廟所
千姫御廟所(お墓)
毎年4月第二日曜は水海道千姫まつりが行われるようになり
コンテストで選ばれた現代の千姫一行がこの廟所をお参りします。

千姫廟所の家紋
千姫御廟所(近景)
当然ですが、ここでも葵(あおい)の紋が彫られています。
千姫まつりの時には、普段は公開されていない千姫の遺品展等も開催されます。

弘経寺前の風景
弘経寺前の風景
弘経寺の境内や周辺は他にも見所満載です。

4/13に予定している"花祭り、姫祭り、茅葺祭りポタ"ではココから鬼怒川沿いで
坂野家住宅に向かい、大生郷天満宮を経由してまたココに戻ってくるルートを利用します。

いかがですか?
皆さんもタイムスリップ風景を求めてちばらき(常総)路を訪れてみませんか?^^?

クリックして頂くと励みになります^^;
 ↓↓↓↓↓
ブログランキング


日本ブログ村

☆読んで頂いて感謝なっしー♪

クリック頂けたら感激なっしー! ⇒⇒

ブログ執筆の励みになりますf(^、^;



2008年03月06日

posted by たすけ at 18:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | ■シニアの自転車生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。