究極の歴史オタク「関裕二」

昭和50年代の追憶


2008年2月11日...わいずさんが企画してくれたBIG SMILEポタの後で
東葛人さんの案内で茨城県取手市にある「竜禅寺三仏堂」
とつくばみらい市(旧伊奈町)にある「間宮林蔵記念館」を訪れました。

「竜禅寺三仏堂」はちょうどご開帳されており、仏像を拝することができ
ラッキーでした。また個性ある茅葺屋根と軒の美しさも見事でしたが
今回の記事は、私が高校1年の今から34年前...1974年まで遡る事が主題
ですので「竜禅寺三仏堂」については4枚の写真のみで説明を省略します。

竜禅寺三仏堂

竜禅寺三仏堂 解説

竜禅寺三仏堂 尊影

竜禅寺三仏堂 軒


さて、本題の究極の歴史オタク「関裕二」についてです。
私が間宮林蔵の茅葺の生家を訪れたのはこれが2度目です。
近くを通り過ぎたことはありますが、敷地の中に足を入れたのは
高1(16歳)の時以来でした。

間宮林蔵生家にて1974年と2008年

写真左は1974年のたぶん晩秋or1975年の早春(風がとても強い日でした)
に間宮林蔵の生家を訪れた当時高1(16歳)の私です。
写真右の縁側でずら〜と並んでいる左から2番目の上下白のウエァーで
ヘルメットをとっているのが34年後..50歳になる今の私です。

佇まいは当時と変わりありません。上記の「竜禅寺三仏堂」の立派な軒と
しっかり密集した茅葺に比べれば、竹を骨組みにした簡素な造りです。
当時は記念館はなくただ外にトイレが併設されていた事は記憶しています。

間宮林蔵立像と記念館

質素な茅葺の屋根越しに見える立像が間宮林蔵ですが、今回案内して頂いた
東葛人さんの表現を借りれば、まさに大探検家とは思えぬ"とっちゃん坊や"
の風貌です。で、縁側に座りながら...「あぁ〜そういえば、最初にここに
案内してくれた関もぼっちゃん顔だったなぁ」
等と当時を回想していました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ココから回想シーン〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そうなんです、関=関裕二で高校のクラスメイトでした。
(※以下、当時の呼称「関」と苗字のみで続けます)
下の写真は、その日小貝川の沈下橋で関にシャッターを押してもらっている
私と、沈下橋にカメラを置いて2人で写っている写真です。

高校生ともなれば多少親離れして、友人の家に遊びに行くような年代になり
ますが当時せまくて、畳が擦りきれているような市営住宅に住んでいた私は
友人を自宅に呼べる筈もなくちょっと寂しい気持ちもありました。

小貝川沈下橋と関裕二

そんな時はじめて
「家に遊びに来ないか?」
と誘ってくれたのが関でした。関も関で、それまでの官舎暮らしから新築の
自宅に引越し、自分の部屋を持つことができ、友人を招いてみたいという
気持ちも強かったのでしょう。関東鉄道の常総線に乗ったのも、関の家に
行く時がはじめて、実はこの駅でちょっとした出来事(内容は略しますが)
があり写真に収めてありました。

写真中の白いウィンドブレーカーも思い出の品で、高校生になって
初めて百貨店(スカイプラザ柏)で買った品物で当時で5000円くらいした
もので当時の私にとっては目一杯の高級お洒落着でした。
※スカイプラザ柏は正確には専門店街です今は、ビックカメラになって
いますが、私にとってはスカイプラザ=そごう百貨店の一部でした。

何故、そんなお洒落をしたのか?って...
えへへ。実は関はこの時自宅に招いてくれるだけではなく、同級生の女の子
(二人とも女子校)も一緒だから是非来いよ!と言ってくれたからです^^;

女の子の1人がバイトが終わるまで、関と男二人で小貝川周辺を散策して
夕方になってから関の部屋に4人が集合しました。

初めての麻雀

関の部屋で4人で麻雀をしている写真です。関は私に初めて麻雀を教えて
くれた友人でもありました。後ろ姿が私ですが、丸刈りの中学生卒業後から
ずっと伸ばし放題の髪でした。
16歳の男女2名づつが一つの部屋に...な〜んていうとなにか甘酸っぱい事も?
なんて想像するかも知れませんが^^;ほんとに麻雀だけをして夜遅くならない
うちに帰宅した全く健全な高校生そのものでした(笑)

二人の女の子のうち、1人は別のクラスメイトとしばらくつきあったようです
が、私はその後の高尾山への合同ハイキングでせいぜい手をつないだくらいで
それ以上のこともなく、そのうちにその女の子たちとは疎遠になっていきました。

さて高校在学時代から、関は休みといえば、奈良に行ってました。
彼の口癖は...
「飛鳥はいいぞぉ〜 斑鳩(いかるが)は日本人の故郷だぞぉ〜」
でした。たしか父親が国鉄(JR)職員だったように記憶しているのですが
色々と切符の安い買い方や費用を浮かせる方法を熟知していたようです。

1972年に奈良県の明日香村(国営飛鳥歴史公園内)の高松塚古墳
で極彩色の壁画が発見され当時、明日香は一躍注目のスポットでした。
また、地元流山市三輪野山の「三輪茂侶神社」は、大和国の三輪神社の分霊
とされる言い伝えもあるので。【大和朝廷からの使者が当地に赴いた時
大和の三輪山を彷彿とさせたこの丘陵地を「三輪の山」と命名した..】

私自身、中学&高校の修学旅行で見た明日香の風景は、なにか心に和む
ところがあり、いつかはゆっくり旅してみたいなどと思いながらも今日に至
ってしまいました。

やがて、ほとんどのクラスメイトが大学に進学する中で...
「あれ?関はどうしてる?」
「あぁ〜 あいつまた飛鳥(明日香)に行ってるよ」

と、アルバイトでちょっと旅行費用ができると奈良方面に行っていました。
卒業後もしばらく、年賀状のやりとりだけは続いていましたが、彼から来る
年賀状は官製ハガキではなく、いつも飛鳥や古都の絵葉書でした。

何年ほど前か忘れましたが、たぶん30歳を越えた頃だったと思いますが
それぞれ所帯を持っているような年代になった時に、関と一緒に奈良に
旅行したことがある同級生にばったり会ったか時かなにかで...

「ところで関はどうしてる?」
「あぁ〜あいつ、今○○市に住んで、なんか小説家とかやってるらしいよ」
「へぇ〜物書きになったのかぁ...食っていけるのかな?」
「さぁ詳しいことはわからないけど、ほらあいつ童顔で可愛い顔したけど
あれでなかなか頑固じゃん」
「だなぁ〜結構、ゴーイングマイウェイだったしなぁ」


私たちからすると、関は高校卒業後のイメージのままで..
自宅に電話してみても「あぁ〜○○君ねぇ、裕二はまた居ないのよぉ」
とお母さん。。。
まるで、糸の切れた凧というか...今でいうフリーターのように定職を持たず
金が出来るとすぐどこかへ旅に出てしまう。そんな友人でした...
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜回想シーンココまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2008年2月に34年ぶりに間宮林蔵の生家を訪れ、ブログ記事を書こうとした時
ふと思い出し関裕二でキーワード検索してみました。

著作がたくさん出てきました...驚きました。
「継体天皇の謎」
「天皇家誕生の謎」
「日本古代史謎と真説」
「入鹿と鎌足 謎と真説」
「古代日本列島の謎」
「古代史謎解きのヒント」
「古代史の秘密を握る人たち」
「古代遺跡をめぐる18の旅」
「古代史9つの謎を掘り起こす」
「蘇我氏の正体」
「藤原氏の正体」
「創られた英雄ヤマトタケルの正体」
「聖徳太子はだれに殺されたのか」
「かごめ歌の暗号 わらべ遊びに隠された古代史の闇」
「天孫降臨の謎 日本書紀が封印した真実の歴史」
「出雲抹殺の謎 ヤマト建国の真相を解き明かす」
「消された王権 物部氏の謎-オニの系譜から解く古代史-」
「浦島太郎は誰なのか」
まだまだあるのだろうけど..ざっと拾ってもすぐこれくらい出てきました。

関裕二(セキ ユウジ)1959年、千葉県柏市生まれ。歴史作家。
仏教美術に魅せられて足繁く奈良に通い、独学で日本古代史を研究...云々

うぅ〜ん、プロフィールは合致している。
けど作家だとペンネームとかもあるし、関裕二=ペンネームかも...
とあまりの作品数にどうも半信半疑だったのです。
どこかに顔写真でも載っていれば確信するんだけどなぁ・・・

あったぁ〜!!
「第3回出雲学フォーラム」で「出雲が存在した謎」をテーマに講演された
関裕二さん
...を開いたら、紛れもないあの34年前の童顔の関裕二でした。
ちっとも変わってない風貌に安心すると共に、ここ最近ブログで自分の事を
プチ歴史オタクとかと自称しているのが、ちょっぴり恥かしくなってしまい
ました。

私なんぞは、ほんの趣味の範囲で、ちょこっと聞きかじった資料や記憶で
訪問地の画像と解説をUPしているだけで、自分の見解もくそもありません。
自分自身で予備校(塾)で生徒に日本史を教えていた時代も..
これって結局、誰かが言ったり書いたりしたことを、なぞっているだけだよ
な、史実と事実は合致しない事だって多いんじゃないのかなぁ...と。

まぁしかし、当時は歴史を教えるのに自分の見解なんてものは余計な物で
優先すべき事は、入試問題の頻出事項をどれだけ生徒に吸収してもらうか..だ。
そうわりきることでその葛藤から逃げていました。

ただ、時たま授業の後で歴史好きな生徒から○○の乱,□□の変とかについて
質問を受けた時に「だって、おまえが△△の身内だったらどう思う?」
「時代が違っていても、人間の感情なんていつの時代でも一緒だよ」

などと事件背景の人間模様を投影させて説明すると『あ..なるほどぉ』と
生徒が合点がいった顔になった時が、嬉しかったことを憶えています。

関裕二の著作について検索すると
推薦文もあれば、批判文も出てきました。
関裕二の著作品のどれひとつも読んでいない、私にはコメントのしようが
ありませんが、ただ言えることは、彼は少なくとも30数年にわたり自分の足
で実際に歴史の現場を歩いて、見て、感じている正真正銘の歴史オタクである
ことは紛れもない事実です。

オタクという言葉は、ある専門分野において趣味としてのめり込む事ですが
それがライフワークとなり飯が食えるようになったら"究極のオタク"と
言えるのではないでしょうか。

オタクに権威など必要ありません。今私は自転車仲間内でプチ歴史オタク
だのプチ茅葺オタクだのと戯れ合っていますが、権威があろうとなかろうと
自分の感じたままに理屈抜きで、美しいものは美しいと素直に感じる気持ち
が大切だとつくづく感じています。
自分の素直な感動を人に伝えられるのがオタクの真骨頂です。

っていうか...
少々古いソースになりますが、前述の高松塚古墳の明日香美人の壁画が
カビで汚染された原因について
、こんな記事を読む度に
「権威とは隠蔽体質とみつけたり」で、もし美しいものを大切にしたいと
素直に思うオタクが現場監督にいたらば、こんな初歩的ミスはなかっただ
ろうにと思うくらいです。
同時に、歴史の裏舞台では史実とされていること以外に数多の隠蔽事項
や謎が存在するのは当然だろうなぁ、とも思います。

今回「竜禅寺三仏堂」と「間宮林蔵記念館」に案内して頂いた東葛人さん
が奇しくも、古代美術史を専攻していらしたということ。
今回集合場所で出発前の挨拶時にお名刺を頂いた横山茂彦さん
「北越女人戦記・上杉謙信女性説について」「闇の後醍醐銭」等、大胆な
歴史小説を執筆なさっていること。
3度目のポタ延期で今回(2月11日)でなければ参加できなかったspiritさん
関や私の高校の後輩で主に取手周辺の古墳や寺院を中心にポタをしていた。
という..今回の幾重ものご縁の不思議を感じました。

あっ!..関。今また思い出したよ。
今日のポタリング集合場所で俺たち500円ずつ出し合って、チーム東葛(笑)
のステッカーを配布してもらったんだ。制作者は同級生で早生まれの
タルサ・マクリーンっていうニックネームも風貌も一見変わった奴なんだ
けどね^^;

そういえば高1の時に、関も当時仲良しクラスメートを募って、誕生日の
プレゼント交換会を主催してくれたよねぇ。
俺の16歳の誕生日にみんなから500円づつ集めて、山ほどの消しゴムを
プレゼントしてくれたことを俺は憶えているよ。

でも、関自身の誕生日は早生まれだったから一番最後だったよねぇ...
俺たち関に一体何をプレゼントしたんだっけ?
もしかしてその時点までにプレゼント交換は自然消滅してしまったんだっけ?

                              以上

次号記事は、トーカツくん大集合!小春日和の常総路を走る!
只今、拡大フラッシュ版で鋭意制作中♪ 乞う、ご期待^^;

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2008年02月13日

posted by たすけ at 12:59 | Comment(6) | TrackBack(0) | 昭和50年代の追憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たすけさんこんばんは。
長文で大変読み応えがありました。
たすけさんも小説家、もしくはルポライターとか行けそうですよ。

先輩達の時代は良い時代でしたねー。
なにかのんびりとした余裕のようなものを感じます。
私たちの時代はなにかせかせかとしていた様に思います。

沈下橋は稲豊橋からすぐ上流のところですかねぇ?
そうだとすると今の橋より随分幅が広いようです。
それともたすけさんが細いのか(笑)
もしくはもっと上流の橋でしょうか。

それにしても関さんの著作の題名が萌えますねー。
東葛地域のことを書かれた本は無いですかねー。
Posted by spirit at 2008年02月13日 22:16
たすけさん ジックリ読んじゃったよ(笑)。
ああ、自分も同じような思い出、同じような親友を忘れられないなぁ。
俺の場合はスケちゃんって今では海上自衛隊の大幹部になっている野郎。
同じ女の子を好きになったりしたなぁ(笑)。
それにしても高1の時の写真。俺はリーゼントのバリバリだったなぁ(笑)。
つまり…男の子ってオッサンになってもあんまり変わらないんだろうね。
オッサンのみんな「偉大なるオタク」になろうぜ!(笑)。
Posted by タルサ・マクリーン at 2008年02月14日 00:24
たすけさん、こんばんわ
間宮林蔵生家での写真は、「34年の時を超え」という感じで趣き深いです。

それにしても驚きです。
たすけさんは、関裕二さんとお友達だったんですか!!
実は私、関さんの著書を何冊か読んでいます。
全部は思い出せないのですが、「継体天皇の謎」「古代史の秘密を握る人たち」」「消された王権 物部氏の謎-オニの系譜から解く古代史-」は間違いなく読んでいます。

私は、倭の五王の時代から、後の世で継体天皇と呼ばれることになるオホド王の時代に、はまっておりまして、関さんの書かれている時代とオーバーラップします。
関さんのご説には承服しがたい点がありますが、そのユニークな発想が面白く読ませていただきました。

あまりの奇遇さに驚いてしまいました。
Posted by 東葛人 at 2008年02月14日 00:29
>spiritさん
私、教員or旅行会社が就職希望だったんですよねぇ^^
4年間のサラリーマン時代、通勤電車の中での愛読書は
ビックコミック&オリジナル と るるぶ でした!(笑)
沈下橋...どこだか覚えてないんですよぉ。
最初に岡堰に行って、それから間宮林蔵生家の順番は覚えて
いるのですが...体型の変化も年月を感じますよね(苦笑)

>タルサさん
わはは、俺も一気に書いてブログにアップして見たら..
「げっ!長ぇ〜〜!」と自分でびっくりしました^^;
これでも、あとで文書削ったんですけどね(汗)
それにしても、タルさんの"リーゼン姿"は容易に想像できるから
可笑しくて(笑)
タルさんにはついつい同級生のよしみでタメ口でコメント書き込み
に行ってしまい、失礼がないかと悩んでいますが...
もし、リーゼント姿UPしたら以後は全て敬語でコメントするよう
になると思います( ̄ー ̄)ニヤリ

>東葛人さん
やはり、関をご存知でしたか。
ココにお二人に導かれた不思議を感じまして、それで関と東葛人さんに
撮って頂いた写真を並べたかったのです。ありがとうございました。

私、関と東葛人さんに同じ匂いを感じています。それは...
「これ凄いでしょ!」「これが謎なんだなぁ」と少年のように
目をキラキラさせながらに話している時の雰囲気です。
あれぇ、こういうの前にもあったなぁ...と思っていたら
それが今回の間宮林蔵生家でつながりました。

関とは色んな話をしましたが、彼との会話で特徴的だったのが
いきなりポーンと話題をそらして、そしてまた元の話題に帰結
させる...そんなところも何年経っても変わってないんだなぁ^^
と、ネット内での関作品への感想を読んでなぜかほっとしました^^
Posted by たすけ at 2008年02月14日 10:45
 関祐二の著作、何編か読んで感心したことがあります。たしか、壬申の乱の真相を天武帝が蘇我氏系だったと読み解く、独自の歴史観だったと思いますが、その典拠が説明不足で不満が残ったのを記憶しています。
 ご存知かと思いますが、文献史学では文献は少ないが難解な古代史が最も偉く、中世、近世と年代が下るほど文献は膨大で研究が大変なのに、バカにされる傾向がありますね。最近は考古学の援用で、具体的多層的で判りやすい研究が受け入れられていますが、史料の裏づけのない古代史観は、たとえば江波騎馬民族説のように忘れられてしまいます。
 そのような中で、関氏もいまひとつネオ古代史の流れを作れない原因があるとすれば、その判りにくさだと感じています。安手の歴史解説書にありがちな、従来の定説をくつがえしつつ読者の興味をそそるやり方に通じてくれば、私みたいな面倒くさがり屋の読者も獲得できると思いますね。
 いつか、じっくりと自転車と歴史の話が、できるのを楽しみにしています。ではまた。
Posted by 横山 at 2008年02月18日 19:38
横山さん コメントありがとうございます。
私は出版業界の事はよくわからないのですが、書きたい本と売りたい本
のジレンマとかはあるのでしょうね。関は頑固でしたから、もしかしたら
その辺で苦悩しているのかもしれませんねぇ^^;

教師(講師)の現役を離れてすでに15年経っているものですから...
私の歴史知識は"ヘキサゴン三人娘"程度になっていますので、歴史話には
自転車の脚力同様に、とてもついていけないかもしれません^^;
Posted by たすけ at 2008年02月20日 13:46
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