霞ヶ浦の畔(ほとり)/ 今日も飛ぶ飛ぶ

日記(言いたい放題)

今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でっかい希望の 雲が湧く
決戦の大空への主題歌『若鷲の歌』と言うより『予科練の歌』として知られている歌ですね。

霞ヶ浦の畔に沈む夕陽.jpg

この霞ヶ浦の畔(ほとり)に沈む夕陽は
その「海軍飛行予科練習部」のあった茨城県阿見町方向に沈む夕陽です。

大正末期に東洋一の航空基地と言われた霞ヶ浦海軍航空基地の大部分は、現在、宅地・学校・病院などになっていますが、そのほとんどは阿見町に含まれます。

阿見町観光地図.jpg

昭和14年に「横須賀海軍航空隊予科練習部」が「霞ヶ浦海軍航空隊」に移転し、翌年「霞ヶ浦海軍航空隊水上班」の敷地を拡張して「土浦海軍航空隊」に予科練が設置されましたがこれも阿見町です。⇒[参照]

陸上自衛隊武器学校.jpg

予科練平和記念館.jpg

現在はその地に、陸上自衛隊武器学校と予科練平和記念館が隣接して置かれています。

陸上自衛隊武器学校02.jpg

陸上自衛隊武器学校03.jpg

陸上自衛隊武器学校の敷地内にある戦車

雄翔園と雄翔館.jpg

雄翔園の予科練慰霊碑.jpg

雄翔館.jpg

霞ヶ浦の畔、陸上自衛隊武器学校の敷地内に雄翔園と雄翔館があるのですが・・・

予科練平和記念館から雄翔園へ.jpg

通常は予科練平和記念館の敷地内から、雄翔園(雄翔館)に入園します。
雄翔館や予科練平和記念館の館内は撮影禁止です。また、平和記念館が休館日の時は、陸自武器学校から雄翔園(雄翔館)に入園できます。

回天一型.jpg

この実物大の人間魚雷回天は、森山未來主演のTBSドラマ『僕たちの戦争』で使用されたものを、塗装し直したもの。私もこのドラマを見ましたが・・・
現実の予科練は今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でっかい希望の 雲が湧くどころか戦意高揚のプロパガンダに騙された少年たちの失意の場所でありました。
以下、いくつか抜粋引用文でリンクを貼りますので、興味のある方はご参照ください。




若い血潮の 予科練の  七つボタンは 桜に錨

予科練とは何だったのか?(1)
昔予科練の制服は、水兵とおなじジョンベラであった。これが七つ釦の格好いい制服となり、特に甲種飛行予科練の場合は、海軍兵学校に準じた進級や待遇などという当局の甘言もあって、今にして思えば、熱で浮かされたように、みな騙されて海軍の予科練を志願したのである。

予科練とは何だったのか?(2)
予科練とは、結局、徴兵年令にも達しない少年を戦争に狩り出す方策でしかなかったことになる。
飛行機乗りになるという夢を抱いていた生徒は騙されたようなものだ。ここまで来ればそれをごまかし様もない。福岡航空隊司令の飛田健次郎大佐は、予科練生を前に「おまえたちは海軍にだまされたんだ」と謝ったという。しかし、予科練生の不満を押さえつけるように制裁・暴行はエスカレートした。「バッター」と言われる、こん棒を使っての痛打などがその最たるものだった。

甲飛予科練の憂鬱
士官になれるというから応募したのに、海兵団で訓練中の新兵と同じ階級の四等水兵からのスタートです。
中には完璧に勘違いしたまま、入団早々指導の下士官に命令口調で話しかけ、いきなり殴打されて現実を知った気の毒な練習生もいたということです。
難関突破して意気揚々と誇り高く入隊してきた彼ら、おそらく一人残らず、
「話が違う!」と心の中で叫んだことでしょう。 
要するに、飛行兵欲しさに、海軍省は、待遇も進級も「兵学校に準ず」と喧伝し、純真な青少年の心を騙したのです。

予科練平和記念館ブログ 企画展「甲飛14期生」A
自ら志願した覚えもなく、全く本人の意思にも関係なく極秘の内に進められ、突然分隊長からの命令となった。
昭和20年3月22日卒業の日を迎えた。特別軍用列車に乗り込み午後2時に土浦駅を離れ、行き先も知らされずに西へ西へと走り続けた。博多を抜け諫早駅に停車したとき、そこで何人かの軍人が乗り込み「貴様達の行くところは川棚で、震洋艇の訓練を受けるのだ」と初めて行き先と目的を聞かされた。
震洋艇はいずれもベニヤ板の船体にトヨタトラックのエンジンを取り付け、艇の前部に250キロの高性能爆薬を装着し、侵攻する敵艦船に夜陰に乗じて高速で体当たりし爆破させるものである。

予科練平和記念館ブログ 企画展「甲飛14期生」B
隊内で一番広い第2練兵場で、模擬地雷を背に、匍匐(ほふく)前進で敵の戦車下に潜り込む反復演習が続いた。私たちはアメリカ軍の上陸を海岸線で阻止する肉弾特攻兵とみなされていた。「飛行機乗りになろうと思ったのに、最後はこんな死に方か」と思ったが、自分の力でどうにもなることではなかった。




神風特攻隊や回天については、ほとんどの人が認知している事と思いますが
【震洋】/【海龍】/【蛟龍】/【伏龍】
などは初見の人が多いのではないでしょうか?

私は、国を守るために軍隊は必要であると思っていますし、祖国を守るために亡くなっていった英霊には敬意と感謝の気持ちを持っていますが、命を賭して戦うという事と、命を兵器にする事は全然違います。私が容認できないのは、こんな兵器を考えた軍上層部や戦意高揚を助長した当時のマスメディアです。

出島から阿見町方向を望む.jpg

霞ヶ浦の畔に煌めく陽光が夕焼けに変わるまで
リカンベントを漕ぎ、若鷲の歌を口ずさみながら
飛ぶことへの希望に満ちて予科練に入隊した少年兵たちの無念の気持ちを考えていました。

○○○の畔シリーズ...了。

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2013年02月28日

posted by たすけ at 17:54 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
これは、コメントが難しい記事ですね。

特攻というのは、未だに理解できない事象です。どういう精神構造だったのか。当時の青年は、こんなことをさせられるのだから、多分負け戦とわかっていたでしょう。しかし母や祖国を守るためと自分で自分に言い聞かせて逝ったのでしょう。酷い話です。

イスラム聖戦だと称して、イスラムの若い人が爆弾を抱いてアメリカ軍に飛び込むのと、どこが違うのかと考えてしまいます。彼らも過激派のリーダーに洗脳され、死んでいくのですが、状況があまりにも悲惨すぎて、喜んで洗脳されていくという事かもしれません。当時の日本もそうだったのでしょうか。考えれば考えるほどループしてしまいます。
Posted by kincyan at 2013年03月04日 22:49
>kincyanさん
この「言いたい放題」の記事は基本スルーで結構です^^;

ただ、前記事Bさんへのコメントを読んで頂ければわかると思いますが
この霞ヶ浦の畔は、館山の記事から連動して書いています。
平砂浦(館山CC)でのんびりゴルフをしながらも、霞ヶ浦の畔で思ったことを反芻していました。
Posted by たすけ at 2013年03月04日 23:52
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