神仏習合と第三極

日記(言いたい放題)

神仏習合を端的に言えば、異なる信仰を折衷して一つの信仰体系として再構成すること。
え?太陽の党が一週間で解党し日本維新の会に合流。減税日本は党名変更も考えている?
つまりは、異なる信仰(マニフェスト)を折衷して、一つの政党として再構成するのね?

別所地蔵尊と熊野神社(神仏習合).jpg

これは、先日のポタで撮影した印西市別所の地蔵尊(仏教)と熊野神社(神道)
同じ敷地内っていうか、これほど近くに本堂と本殿(拝殿)がくっついているは珍しいです。
アングルの妙で、屋根が重なって合体しているようにも見えますね。
地蔵尊と熊野神社の関係ような別当寺⇒神仏習合≒本地垂迹

なんだ、昔も今も、ご都合主義は日本の伝統だったんだ!
わかるかなぁ〜??
一神教や一党独裁の国々の人に、この日本の政治倫理が(苦笑)


PS.参拝した時には、気が付かなったのですが...
この熊野神社の扁額の揮毫は、元内閣総理大臣の中曽根康弘氏だったんですね。

12月16日の総選挙後、また新しい総理大臣が誕生しますが....
安倍元首相と野田前首相の党首討論で議員定数削減は約束したのだから。
本来なら次の国会で新たな議員定数に改正し、またすぐに解散して総選挙を行うのが筋ですが。
次の与党(たぶん連立与党になると思われです)が
また、ご都合主義で解散を引き伸ばし、ダラダラ国会にならなきゃいいのですけどねぇ。。。


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2012年11月19日

posted by たすけ at 08:40 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 たすけさん、こんにちわ。いつも楽しく読ませていただいています。
 さて、神仏習合を「ご都合主義」という評価だけでは、日本人の生活の区切り(宗教生活)が理解できませんよ。
 たとえば、正月の三社参りや七五三、結婚式では神道を、お葬式はお寺さん(神社には墓地がありません)でという住み分けには、ハレとケという日常生活の価値観が反映されています。檀家制度は寺請け(徴税)と過去帳(戸籍)の必要から、民衆をすべて寺に属するように江戸幕府が制度化したものですが、それ以前から神道は清浄(新しく生まれる)のための信仰で、仏教は死後の救済と輪廻によって求められてきたわけです。つまり、両者には結びつく必然性があったと考えざるをえないのです。
 したがって、お説の「異なる信仰を折衷して一つの信仰体系として再構成すること」という見方は誤りです。たとえば八幡大菩薩は修行の形をとった神の顕現ですが、もともと別の役割で併存(神社内の神宮寺・別当寺)してきたのです。これは神道の側に儀典はあっても教義体系が存在しない(多神教ではなく、ほんらいは万物自然神)ことによって成り立ったものと考えられます。以上、指摘のみ。
Posted by 横山 at 2012年11月19日 19:40
>横山さん
リンクの本地垂迹にあるように仰る通リです。
ただ、この記事内容は、全体のごく一部です。
一気に書いていたら、もの凄い字数になってしまい
おそらく全部で5記事くらいになると思います。

本記事は、時事政治皮肉部分だけを部分的に取り急ぎアップしました。

でもたぶん、次記事以降も物書きのみなさんや、宗教関係の方々から
苦言&ご指摘される箇所が多数ありそうです(苦笑)

...っていうか。
エスプリ記事にマジレスされても、返す刀はありません(^^;)
Posted by たすけ at 2012年11月19日 20:30
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