役者志望?

昭和50年代の追憶


役者志望は基本的に目立ちたがり屋だと思う。
私の目立ちたがり屋の性格はいつからなのだろう?

その件で覚えている一番古い記憶は、幼稚園の演劇発表の時、演題が「海彦山彦」と決まり、私は主役の海彦にも山彦にもなれずに、船頭の役となり泣いて家に帰った記憶がある^^;

さて、大学では美術部に所属したのだが、夏の海景色&冬の山景色を写生するとの名目で、毎年2回合宿があった。生活費から学費まですべて自分で稼いでいた私は、夏休み・冬休みは観光地の住み込みアルバイトで前後期の学費をまとめて稼いでいたので、そのすべてに参加するのは難しく、大学5年間で(1年休学期間あり)夏2回・冬1回しか参加できなかった。

夏2回は、新潟県と山形県の県境にある鼠ヶ関
     三重県の紀伊長島
冬1回は、福島県の裏磐梯

のはずなのだが...鼠ヶ関の風景は思い出せても、紀伊長島の風景は全然思い出せない。

また冬の裏磐梯合宿も4年生の最上級生で行ったからなのか、どんな絵を描いたのか思い出せない...たぶん最終日と合宿終了後のスキーだけ参加したのかもしれない^^;

本来1〜3年生は、合宿中に必ず絵を仕上げてそれを4年生やOBに批評してもらう。
また、夏合宿の最終日にはグループごとに競う寸劇大会が恒例であり、OBはこの審査員を兼ねて差し入れを持って来てくれるのだ^^;

寸劇大会01

これは、鼠ヶ関合宿での初参加した寸劇。同期生が(学年は先輩^^;)脚本&主演で美輪明宏の当たり役「紅蜥蜴(べにとかげ)」を演じ、私は少年探偵団の役だった。


そして、紀伊長島の風景は全く呼び起すことができないのだが・・・
唯一、記憶に残っているシーンがある。 それは寸劇大会のシーンで...







なぜなら・・・



寸劇大会02

   ↑     
主演男優賞を受賞したからである!(自爆)

幼稚園の夢を大学の寸劇で晴らした?(笑)
当時、そこまで感慨にふけたかどうかは覚えていないが自分の脚本でグループが優勝し自らも受賞した記憶の方が美しい海の記憶より鮮明だということは...

私はやっぱり根っからの目立ちたがり屋なのだろう^^;

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2006年05月07日

posted by たすけ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和50年代の追憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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