第10回流鉄の鉄道の日 / 都心から一番近い森の街



流山チャンネル

明日(11月6日)は第10回流鉄の鉄道の日です♪
流山軽便鉄道株式会社の設立は、1913年(大正2年)11月7日となっていますが、営業運転を開始したのは1916年(大正5年)3月14日になります。

昭和初期の頃の流鉄

流鉄は何度か社名変更をしていますが、この路線図には流山鉄道株式会社と【赤城駅】が記載されていますので、昭和8年以降に印刷されたものだと思います。でも飛地山&加村台はだいぶ誇張して描かれていますね^^;
それと特に自転車乗りの方は驚かれるかもしれませんが、江戸川左岸の堤防上は松戸の古ヶ崎までずっと車道(旧流山街道)だったんです。

赤城駅は私が流山小学校1年の1965年(昭和40年)に【赤城台駅】と改称され、高校1年の1974年(昭和49年)に【平和台駅】とまた名前を変えました。←秀逸な参照先:二邑亭駄菓子さんのよろず話

この頃までは赤城台駅(平和台駅)の朝・夕は、鰭ヶ崎地区から流小に通う小学生で大混雑。児童数MAXの頃は約400人の流小児童が流山線で電車通学していましたから、そりゃもう流山線車内はピーチクパーチクの大騒ぎ(笑)
救いは都内通勤と上下反対方向でしたが、赤城台駅から乗車する通勤・通学者や馬橋方面から流山に通勤する乗客にとって、ランドセルに定期券ぶら下げた流小鰭ヶ崎軍団には、さぞ悩まされたことでしょう(笑)

台風や大雪などで、電車運行が難しくなりそうだ...流鉄から連絡が入ると鰭ヶ崎軍団は学校から早引き(早退)のお許しが出まして、授業も帰りの掃除も免除で帰る特権を持っていたものですから、それ以外の児童にとって、[赤城台駅←小→鰭ヶ崎駅]という定期券は、とても羨ましいご赦免状のように思えたものでした(笑)

まだ幸谷駅・小金城趾駅はなくて、大谷口駅が記載されていますが、私が高校生の頃までは、大谷口の踏切そばの新坂川沿いに、大谷口駅ホームの名残がまだありました。
母校小金高校の最寄駅は流山線小金城趾駅なのですが、流山線を使って小金高校に通学していたのは流山南部中卒の生徒くらいでしたね。私は普段は自転車通学でしたが、たまに流山線を使って通学することがあり、小金城趾駅でのタブレット交換はいつも見ていました。『信号保安設備をタブレット式から単線自動閉塞式に変更したのは1982年(昭和57年)』


流山町観光案内図(昭和30年頃)

この↑↑地図↑↑はクリックで拡大します。
(現在では想像もつかない記載がありますので、是非拡大してご覧ください^^;)
流山線は、流山電気鉄道株式会社と小金城趾駅が記載されており幸谷駅がまだありません。
東武野田線は、もちろん流山おおたかの森駅がある筈もなく、江戸川台駅も記載されていませんので、昭和28〜32年の間に印刷されたものだと思います。『江戸川台駅開業は、私の生まれた1958年(昭和33年)』

...で。現在では想像もつかない記載とは?
流山本町の赤城神社や近藤勇陣跡などは現在と変わりありませんが
初石駅の前後(=現在の江戸川台駅と流山おおたかの森駅)のキノコマークにご注目^^;
春の蕨、秋の茸狩り
老松にかこまれ、昼なほ暗き:駒木の里の諏訪神社は年々10万人の参詣者があり有名であるが、朝露を踏んで神殿も詣で、蕨、また茸狩りに一日を楽しむ者が多い。
また金比羅神社は、胃腸病に霊験があるといはれ共に、この邊り一帯は蕨狩、茸狩の好適地として都人を招んでいる。
 まさしく『都心から一番近い森の街』 流山です♪(笑)

上記2枚の路線地図画像は
ita-sanさんの【流山鉄道博物館 鉄道考古学】から拝借致しましたm(_ _)m
【流山鉄道博物館 鉄道考古学】には、これ以外にも流鉄の珍しい記念切符など、内容盛りだくさんでしかもコンパクトに整理されています♪第10回流鉄の鉄道の日記念に、是非ご参照くださ〜い♪

流山線に乗って(昭和36年)

これは1961年(昭和36年) 流山駅の流鉄車窓からバイバイする当時3歳の私です^^;
叔母に連れられて、祖母の待つ黒磯駅(現.那須塩原市)に向かう直前に撮影されたもので。どのくらいの期間だったか憶えていませんが、幼い頃の一時期、私は黒磯神社のすぐ脇で祖母・叔母・叔父と暮らしていました。

1962〜63年(昭和37〜38年)頃の、流山駅舎や構内の様子を鮮明な写真に残されているのが
katsuさんの1960年代流山電鉄の回想です。

流山駅舎(昭和38年)

懐かしいなぁ・・・幼い頃、流山駅の前には街頭テレビがあって、野球やプロレス中継の時はかなり人だかりがあったものです。

流山線と飛地山(昭和38年)

4枚目の写真で奥に見える飛地山が大きく削られていますが
小学生の頃は、よくこの崖面で爆竹や2B弾で発破ごっこをしたものです^^;


以下6枚は、つい最近2011年(平成23年11月撮影)の流鉄:流山駅付近の風景です。

流山駅舎(平成23年11月)

流山駅(切符売り場)

流山駅前(平成23年11月)

街頭テレビがあったのは、この写真で云うと『ようこそ下総流山へ』の奥くらいですねぇ・・・

流鉄(平成23年11月)

流鉄車庫(平成23年11月)

流鉄青空号(平成23年11月)

昔では撮れなかったアングルは、飛地山の斜面や線路を跨ぐ陸橋からの構図かな?

3歳の流鉄乗車の写真から50年が過ぎました。
その間沿線の宅地開発が進み流山線にも3両編成が登場しましたが、2011年(平成23年)5月15日をもって最後の3両編成(若葉号)が引退しました。編成車両の詳細や流鉄にまつわる逸話などを整理されているのは、安房守源義将さんの⇒こちらの記事です。

あと50年もしたら、今の小学生がこの写真に流鉄のノスタルジーを感じるのかなぁ・・・

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2011年11月05日

posted by たすけ at 05:38 | Comment(3) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小さいころのセピア色の写真、懐かしいですね、可愛いですね。こうしてBLOGに載せていれば、懐かしい写真をなくしません。

戦争に行くときの父の写真を貰い受けて、今デジタル化してgoogleに載せたところです。
Posted by kincyan at 2011年11月05日 09:20
わお〜。流鉄に乗る3歳のたすけさん。めちゃ可愛いですね。素敵な写真、素晴らしいです。当時はどんな車輛だったのでしょうかね。窓の下のリベットが渋いです。貴重なお写真だと思いますよ。
Posted by dadashin at 2011年11月05日 20:43
>kincyanさん dadashinさん
遅レスになってしまいすみませんm(_ _)m

私、子供の頃はけっして可愛い子供でなく、くそ生意気なガキでした。今でも生意気ですが^^;
自分で子供の頃の写真を見て、純真無垢で可愛いと思ったのは1歳までの赤ちゃん写真までですね(苦笑)

娘の写真や動画は、相当録ってありますがどんどん記録メディアが進化して
孫の時代になったら3D動画でさえ、旧式になってしまうのでしょうかねぇ・・・
Posted by たすけ at 2011年11月07日 23:56
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