新撰組と赤穂浪士 ラストサムライ[The Last Samurai]

■大江戸チャンネル


「本懐!サイクリング〜赤穂浪士引き揚げルートを走る」のレポより【新撰組と赤穂浪士編

2004年1月に都内の劇場でトム・クルーズ主演のThe Last Samuraiを観ていた時。
前列&前々列にかけて10人ほどの外国人グループが居て(どこの国だかわかりません)が、「ん?」感じたのは、日本人と笑うタイミングや感動するシーンが違うということを実感させられました。

極め付けが....
ほぼラストで勝元(渡辺謙)が最期を遂げた時、敵(政府軍)兵士たちが次々に勝元に対して敬意を表し、跪いて頭を垂れた(土下座のように)シーンで前の数名が「プッ!」と吹きだし笑いを堪えていました。
その後小声で隣同士で何かぼそぼそ言っていましたが、どうもあのThe Last Samuraiの核心が伝わらなかったようです。まぁ私自身もあのシーンは誇張しすぎだなぁ...とは思いましたが、決して笑う場面ではありませんでした。

外国人から見れば、赤穂浪士が吉良邸の寝込みを襲ったことに対して
「それは卑怯だ。何故正々堂々と決闘を申し出ないのだ?」
「武士には果し合いというルールがあるではないか?」
「武蔵と小次郎もちゃんと果し合いをしたではないか」

なんて、感じ取るかもしれませんねー。

松の廊下事件後に将軍が下した裁きは、浅野は即刻切腹、しかも邸内でなく庭先で。
問題はここですね。...で。登場するのが庶民の声です(笑)

将軍様の個人的裁量で全てが決まっちまうのかよ!(`Д´)
冗談じゃねぇ!いくらなんでもあんまりじゃねーかよ!ヽ(`Д´)ノ
内蔵助さんよ、安兵衛さんよ!あんたらそのまんまでいいのかい?(*`д´)
もし、ここで行動起さなかったら赤穂はみんな腰抜け侍ばっかりだぜ!(`Д´)ノ


元禄時代に2ちゃんねるがあったら絶対サーバーパンクしていたでしょうね(笑)
松の廊下後の裁定は、尖閣沖中国漁船衝突事件後の裁定よりずっと反響が大きかった筈です。
もう、それまで庶民の鬱積MAXでしたから^^;
もしかしたら、吉良義央にはな〜〜んも落ち度がなくて、たんに浅野長矩が突然プッツンして斬りかかってしまったのかもしれません。
でも、そんなのカンケーネ♪でも、そんなのカンケーネ♪
原因究明もせずに、将軍の一言で簡単に命を絶たなきゃならない不条理に庶民は我慢できない。

さきほどから庶民、庶民と言っていますが...
ここでいう庶民とは町人や百姓だけではありません。下級武士や浅野家同様に改易やお家断絶を受けて浪人となった武士たちも含みます。
なんせ江戸幕府がはじまってからわずか100年間の間に、160近い改易が行なわれています。もちろん全てがお家断絶となった訳ではなく、転封や減封などもあったのですが、とにかく改易を行なえばその分天領(幕府領地)が増えるわけで、けっこう幕府にとってはオイシイ制度だったわけです♪

ところが、改易によってあまりに沢山の浪人の数が増え、浪人による反乱未遂事件(由井正雪の乱)なども起きてしまいました。なので、幕府は政策を見直し4代家綱の時代に末期養子の禁などを緩和したのですが、それでも5代綱吉の時代には譜代大名27家が改易されています、譜代大名といえば元々大切な家臣ですよ。

そりゃあなた、ますます綱吉に対する浪人の不満が高まっていく訳ですよ。
中にはこの際赤穂浪士と団結して暴れてやるぅ〜〜ヽ(`Д´)ノ!!
なんて考えていた浪人も多数いたと思われです。

綱吉も流石に、今回の判断はまずったかなぁ...と思ったのでしょう。
重用していた側用人(将軍の命を老中らに伝える役)柳沢吉保にボソボソ
「ねぇ、ボクどうしたいい?」
「ご心配にはおよびません、私にお任せあれ」

...と言ったか言わないかは別として(笑)

やはり、ここはこのフラストレーション(鬱積)はなんとかせねばなるまい...吉保は赤穂浪士の討入りを黙認というかこの際、討入りやっちゃってよ!と願っていたかもなんですね。

赤穂浪士の討入りが日本人に名誉な行動であったと支持されるのは、江戸市中を巻き込む戦闘(暴動)にせず、自分達だけで本懐を遂げ、自分達の死を以てけじめをつけて、復讐の連鎖をさせなかったこと。
それが18世紀(1701年〜)初期の侍としてのけじめのつけ方だったわけです。まぁ〜あとは、大石内蔵助の息子(良金よしかね=主税ちから享年16)が四十七士に入っていることもかなりの要素だと思いますけど。

折りしも柳沢吉保が将軍綱吉の側用人となった元禄元年(1688年)
1688年の名誉革命により英国ではオランダからウィリアム3世とメアリー2世が迎えられ即位
1689年には権利の章典によってイギリス国王は「君臨すれども統治せず」の原則を了承

[The King reigns, but does not govern.]こんなセンセーショナルな出来事を将軍の耳には入れないでしょうが、長崎出島を通してたぶん柳沢吉保は知っていたことでしょう。

この当時日本でも「朝廷(天皇)は君臨すれで統治せず」の形式ではありましたが、まさか市民(庶民)に参政権があるなどと考えもつかない時代です。赤穂浪士の行動は、当時の市民にとって不条理な圧政に対する「語る死す」であったわけです。カタルシス[Catharsis]

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断腸亭希典家老から、流山之守の官位を賜った私としては、最後に新撰組に触れておかねば(笑)

赤穂浪士行列
新撰組集合

上が赤穂浪士で、下が新撰組ですが、ぱっと見には区別がつかないと思います。ましてや外国人から見れば、どちらも全く同じように見えると思われで...

流山新撰組

我が町流山の商店などによく吊るされているこの吊るし旗を見た時に
「Oh! It's a flag of Chushingura, is here 47 Ronin City?」
なんて言われてしまうかもですね(苦笑)

赤穂浪士と新撰組が着ている羽織は"だんだら模様"といいますが、もちろん幕末の新撰組が160年前の赤穂浪士の羽織を真似て作った訳ですが。池田屋事件後はほとんど着用することはなく、それ以前からも現場(実戦)では黒ずくめの隊服であったというのが実情です。ましてや赤穂浪士が討ち入りの当日に、だんだら羽織などは着ていないでしょう。相討ちをさけるために統一した目印はつけたでしょうけど。
では、どこでだんだら羽織が登場するかと言えば、後の演劇の世界で役者が着ていた絵がモデル。特に人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」では人形各体の顔で四十七士の区別させるより、羽織に大きく名前を縫いつけた方が、遠い観客からでも判別しやすいでしょうから、映画やドラマの討ち入りシーンでダンダラ羽織&名札付き。なんていうのもその名残でしょう。

もとより、現代のようにお武家様を実名で登場させるドキュメンタリーなんて許されない時代ですから、江戸時代に上演された忠臣蔵は時代背景・人物名もすべてフィクションというのが前提です。
ある場面の脚本をちょっと変えたら観客のウケが良かったから、今度からここはこうしよう...なんていうこともあったでしょうし、近代になって映画やドラマでは、俳優のキャラクターによって人物像が変わりますし、時には史実を大きく逸脱したシナリオの映画やドラマもあったと思います。

日本人は赤穂浪士(=義士)を演劇というフィルターを通して、それが史実に忠実でないフィクション盛りだくさんということを自覚して観ています。ところが明治維新時の新撰組に関しては、ドキュメンタリーとして捉えようとします。

その違いは、史実資料が豊富なことだけではなく、赤穂義士の時代は身分制度(封建制度)が社会規範として固まっていますので、その時代の規範の中で生きていく(死んでいく)選択をせざるを得なかった人間の行動を思いやる心をで見ていて。
新撰組の時代は国家の大きな転換期(革命)であり、近藤勇や土方歳三の生き様に注視しているのではなく、日本という国家の社会規範がどのように転換したのか?という革命の確認しておきたいという心が働いているのだと思います。

新撰組の時代にはすでに町民・農民までもが[warrior]です。明治維新後、富国強兵策を推し進める中で「君、君たらずとも、臣、臣たるべし」が武士道[samurai]の精神のように言われますが、これは身分(士農工商)に関係なく、軍人階級によって命令服従を徹底させるために使われるようになった、と考えたほうがよいと思いますね。「君、民思わずば、君たらざる」で「君、君たらざるは、(教育係or補佐の)臣、臣たらずなり」だと思います。

私としては[The Last Samurai]こそ忠臣蔵のテーマにリメイクして欲しかったですね。
赤穂義士が敢えてご公儀に逆らい、切腹して果てたのが1703年
『市民政府論(統治二論)』を唱えたジョン・ロックが亡くなったのは1704年です。
[The government can be changed with the resistance right if the government deprives of the life, the property, and freedom against people's intentions.]

赤穂義士討入りから約165年後、徳川幕府は遂に崩壊。錦の御旗を掲げた官軍側の勝利となり明治維新となりますが。庶民はことの善悪や道理に関わらず「とにかく強いものが正義である」という政治沙汰には嫌悪感をもっています。[The king can do no wrong.] 当時の庶民はこれを「勝てば官軍」という「沙汰嫌」に訳しました。サタイヤ[Satire]

ひさびさに文字ばっかりで、疲れちゃいましたねー。
最後までしょうもない駄洒落にお付き合いして頂いた方、大変ありがとうございましたm(_ _)m

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2011年02月08日

posted by たすけ at 00:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | ■大江戸チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先日、聞いた話。
「47士討ち入りにはモデルになった仇討ちがあった。
47士の20〜30年前の事で、仇討ち成功後、参加者たちはいろいろな藩に仕官した。
47士は、この『本懐後の再就職』に期待した」
って話です。ホントかな?
Posted by しゃあ あずなぶる at 2011年02月05日 06:19
>しゃあさん
当人たちが、再就職を期待したかどうかはわかりませんが...
四十七士が武家の間でも、一躍ヒーローとして扱われたというのは理解できますね。
切腹までのお預かり期間も、通常よりだいぶ厚遇されていたようですから。

ただ、ホントにヒーローにしてしまったらイコール政権転覆の機会を与える事になりかねないですので
武士の名誉を重んじ切腹させて、事件の終息を図ったという事なんだろうと思っています。
Posted by たすけ at 2011年02月05日 16:40
たすけさん、こんばんは。
「本懐!サイクリング…」のレポ記事の数々、とても面白かったです!。
Posted by bunaibu at 2011年02月08日 22:24
>bunaibuさん
先日はありがとうございました。

いえ、あの、その...ホントは西洋史と対比しながら忠臣蔵を書こうとしたのですが
途中で結局、自分が何を言いたいのかわからなくなってしまいまして(苦笑)

最後は強引に駄洒落でオチにしてしまってお恥ずかしい限りです(^^;)
Posted by たすけ at 2011年02月09日 09:01
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