平将門(へいしょうもん)ではありません / 「風と雲と虹と」

日記(うんちく放題)


いつだったか、テレビのクイズバラエティ番組で平将門に関する問題が出て。

平将門...へいじょうもん?...「あ!わかった!焼肉屋さん!!」と若い男性タレントさん

平城苑(焼肉)

それって、平城苑でしょ?


平将門...へいしょうもん?...「あ!わかった!横浜中華街!!」と若い女性タレントさん

延平門(横浜中華街)

それは、延平門でしょ?


下総で生まれ育った私にとっては、平将門(たいらのまさかど)は身近な存在で、特に高校生の時(1976年)に放送された加藤剛が主演の「風と雲と虹と」は最も印象に残っているNHK大河ドラマです。平将門は誰でも知っていると思っていたんですが、案外マイナー人物になっちゃったのかなぁ?


まずは、源平藤橘の話。
源,平,藤,橘の四大姓氏で源氏、平氏、橘氏は天皇家の血筋をひく家系。藤原氏は、鎌足の子不比等以降代々皇室の外戚となり四大四姓に並称されています。
そしてこの場合、氏(うじ)と名(諱)の間に「の」を入れて読むのが慣わしです。
源 頼朝...みなもと の よりとも
平 清盛...たいら の きよもり
藤原 道長...ふじわら の みちなが
橘 諸兄...たちばな の もろえ


次に、姓(かばね)の話。
姓とは古代日本において、大王(天皇)から与えられた地位を示す称号で、さらに天武天皇が684年に八色の姓(やくさのかばね)を制定し、臣(おみ)よりも格上の、朝臣(あそみ・あそん)という最上位の称号が作られました。

うぐいす鳴くよ(794年)平安京。
の平安京遷都で有名な、桓武天皇の孫にあたる高望王は、寛平元年(889年)に宇多天皇の勅命により平朝臣を賜与され臣籍降下(皇籍離脱)し、平高望を名乗るようになりました。
平 高望...たいら の たかもち  平=平安京が由来という説が有力です、まぁ現代で言えば東京の高望=東 高望という感じでしょう。

平将門像(坂東市)
平将門像(坂東市総合文化ホール:ベルフォーレにて)

以下、かなりフランクに平将門(たいらのまさかど)について...
祖父(平高望) 父(平良将) 伯父(平国香 平良兼)を含めてお話します。
                  叔父(平良文 平良茂)等は割愛します。


桓武天皇には大勢の孫がいましたから
「まぁ〜天皇に即位するチャンスは、ほとんどないだろうから
それならいっそ役人(官僚)になっちゃったようがよくなくない?」

ということで高望王は臣籍降下して平高望となった訳ですね。

「高望さん!千葉県(上総国)に知事(上総介)の就職口があるけど、どうする?」
「うん!なるなる!やるやる!」

と、平高望は平安時代の千葉県知事に就任しました。
当時は都(京都)に居たまま、遠国知事になり(遥任国司)給料をもらえましたが、平高望は、長男国香、次男良兼、三男良将を伴って実際に任地(上総)に赴きました。
平高望は最終的には西海道(九州)の国司となり大宰府で亡くなっていますが...

長男の国香は前常陸大掾の源護の娘を妻とし、常陸国(茨城県)に勢力を固め。
次男の良兼は(正室は不明、側室に源護の娘)、上総国(千葉県)に勢力を固め。
三男の良将は下総国相馬郡の犬養氏の娘を妻とし、下総国(千葉+茨城県)に勢力を固めました。


まぁ〜天皇家の末裔ですから、お嫁さんはそれなりの豪族の娘でなければ身分が合わないし、平氏としては、地元に強い豪族と地縁を結んで勢力を安定させる意図があり、地元豪族にしても平氏と姻戚関係になることには、そなりの箔がつくわけですね。

しかし、それぞれの地縁(婚姻)を結んだ先の豪族同士や、都から派遣される役人も、互いに領地をめぐる争いをしていた訳で、この婚姻関係が後々騒乱(平将門の乱)の要因になる訳です。

さて、三男良将の子供...つまり平高望の孫であり、桓武天皇から5代目にあたるのが平将門です。

将門は少年期を父と共に東北で過ごし、父良将の他界後、15歳〜28歳の青年期は平安京で滝口の衛士(宮中護衛官)として過ごしています。
将門の就職希望(夢)は、検非違使(=現在の検察官&裁判官)だったのですが、桓武天皇の血筋とはいえ、おじいちゃんの高望は、臣籍降下(皇籍離脱)しているし、当時藤原氏の政権下では出世(検非違使への就職)の見込みもなく、夢破れて故郷の下総国に帰って来ました。
ところが故郷に帰ってみたら、父(良将)の領地であった筈の下総国の領地は、伯父や従兄弟たちに分割統治されていました。

将門は、一族や親戚同士の争いや、都から派遣された新任国司と地方豪族との絶えない争いに
「もぅ、いい加減にしてよ!」
と積極的に調停や撃退を繰り返します。(検非違使志望が役く立つ?)
そんな中、武蔵国(東京・埼玉)の新任国司として赴任してきた、興世王(おきよおう)が
「将門さん!あなたは天皇として、この関東地方を治める運命にあるのです!」
と進言し、巫女からの蔭位のお告げも用意して
【蔭位=皇親・五世王の子までは、臣籍降下以後でも天皇即位の復活ありですよ】

周囲の期待を背負った将門は、遂に939年(天慶2年)に「新皇」を名乗り、将門の勢いに恐れをなした国司らは皆とっと逃げ出し、あっという間に関東全域を制圧しました。しかし「出る杭は打たれる」のごとく、「新皇」即位後、わずか2ヶ月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐され、斬首されてしまいます。この一連の騒乱を含めて平将門の乱と言います。
まぁ早い話が「将門や首謀者を捕らえたら、官位と領地をあげるよ♪」と言うが討伐の現実でありますから、そりゃ追討軍も張り切る訳です。
【青年期に真面目に京で勤務しながら出世できなかった将門が、結局は他人の出世の為の逆賊になってしまった。】というところが、何とも皮肉なお話です。

因みに、成田山新勝寺は平将門の乱の平定祈願をきっかけとするお寺なんですが、940年(天慶3年)に、平定祈願の儀式を起源としています。つまり、成田山新勝寺は今年開山1070周年ですが、イコール平将門の乱(将門の死)から1070年経っている訳です。

平将門像(常総市 将門公苑)
平将門像(常総市 将門公苑にて)

加藤剛主演の「風と雲と虹と」を観ている私にとって、平将門は自ら農具を取り荒地を開墾し、圧制に苦しむ民を解放し、そして何より規律を重んじた真っ直ぐな性格の人間とインプットされています。

果たして、平将門の本当の人間性を知る由はないのですが...
でも平将門縁(ゆかり)の地、(坂東市、常総市、取手市、我孫子市、市川市)に古くから住む人々が、すでに千年以上経っていても、いまだに成田山に参拝しないという慣習は、将門の人望や正義を信じる証ではないのかなぁ...と。将門縁の地を訪ねる度に感じています。


今記事を書きながら、ふと思ったこと...
今、尖閣諸島沖での中国漁船と海上保安庁の衝突ビデオがYouTubeに流れされたことで、国家公務員法違反だ騒いでいますが。そりゃ、確かに規律を破ったことはゆゆしき事かもしれません。でも、市民感情から言わせてもらえば、上(政権)がだらしないからこんなことになるのだと。

現代風に言えば...
「事件は会議室で起こっているんじゃない!現場で起こっているんだ!」
青島刑事に台詞に拍手喝采という思いです。


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2010年11月07日

posted by たすけ at 01:37 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記(うんちく放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本史の お勉強ができました。
ありがとうございます。

ふと、思ったのですが、人名って、読み方が難しいですよね。

将門(まさかど)と書いて、『しょうと』と読めませんか?
野球ファンの親が、我が子に命名したりして〜。
(^_^;)

サッカーファンの親の子で、『秀斗(しゅうと)』という名前の子がいます。


もしも、平安時代の人が、現在の日本人の名まえを見聞きしたら…

♪ビックリしてひっくり返ってドン!
 てなことに なってしまう〜。かもね!

↑このフレーズで、曲の名前とか、アニメの種類が言えたら、やん姫とほぼ同年代かもね!
(^_^;)歌えちゃったりして〜。
Posted by やん姫 at 2010年11月08日 10:30
>やん姫さん
拙ブログでは、ついつい昔の杵柄(社会科教師)の性がでてしまって(苦笑)

将門を『しょうもん』と呼ぶ場合があります。
将門川の場合は『しょうもんがわ』といい。石井営所の石井は『いわい』と読みます。

ほんとに人名・地名はややこしいですね(苦笑)
Posted by たすけ at 2010年11月08日 15:44
乱後の異常とも思える過酷な戦後処置は、如何に将門が民の立場にたっていたかの表れと思います。
私の実家(船橋市)の近くに小さな祠がありますが、将門の娘が父を祀ったものと伝えられ、周囲の竹を切るとたたりがあるといわれています。史実とは考えづらいですが、将門を慕う民のこころがみえる伝説だと思います。
Posted by 鉄ポタ at 2010年11月08日 22:03
>鉄ポタさん
鉄ポタさんの身近にも将門縁がありましたか。
将門も義経も若くして亡くなったことで、ヒーローとして多くの伝説が語り継がれるのでしょうね。

やはりいつの時代でもヒーローの条件は、不遇の時代を乗り越えて成長した、正義感あふれる青年でないと伝説になりませんね。
Posted by たすけ at 2010年11月09日 10:53
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