流山市立博物館と流山今昔物語(私的ですが^^;)

流山チャンネル


今日9月20日(日)は、流山市のイベント「関東の戦国時代」(講師:駿河台大学准教授黒田基樹)於流山生涯学習センター13時半〜に参加する前に、流山の城址めぐりもしくは、開催中の「流山の中世を探る」(流山市立博物館)を見学。午前10時半流山橋東詰め集合。という横山さん企画の歴史ポタに参加させて頂きました。講演の感想は後日ということで・・・

流山市立博物館

終点の流山市立博物館は予定通りだったのですが、途中道案内は『私に任せる』という横山隊長からの突然の命を受け、勝って知ったる地元を、短い時間ながらご案内させて頂きました。

以下、過去記事を流用してちょっと流山今昔物語をば^^;
今日のルートは流山橋に集合して、宿(赤城神社)→鰭ヶ崎(東福寺)→思井(熊野神社)→昼食(平和台の金太郎寿司)→旧西平井(大原神社)→中(流山生涯学習センター)→加(流山市立博物館)という順路だったのですが....だいたい下記の地図の中をぐるっと回った感じです。

heiwada_2005.gif

上が↑2005(平成17)年↑  下が↓1961(昭和36)年↓の同場所です。

nishihirai_1961.gif

流山のジモッティは、流山橋から上流にむかって流山市街地を宿→根郷→加岸と呼んでいます。また、木や加は短すぎるので、今でも木は木村。加は台地部分を加台と呼んで言います。

宿(しゅく)=江戸時代当時、宿屋が多かったから。
根郷(ねごう)=街の要所や村落の中心地を根郷や本郷と呼ぶから。
加岸(かぎし)=加村の岸(加村岸)の略です。

例えば、流山5〜8丁目あたりが宿なのですが、現在の地番で区別するより
宿=赤城神社 根郷=浅間神社 加岸=大杉神社 の祭礼範囲(氏子衆)で区分して呼称しています。加岸の大杉神社の祭りが6月末に始まり、10月の赤城神社のお祭りまで、子供の頃は各神社のお祭りで季節の訪れを感じていました。今回横山さん夫妻サスケハナさんご夫妻東葛人さん断腸亭髭爺さんら、自転車仲間とともに昔の通学路を通り、それぞれの神社の前を通過しながら、当時の思い出が脳裏をかすめていました。

私は流山町加で生まれ、その後西平井の宮本団地に越し、西平井の一部はやがて平和台と地名が変わりました。旧加村には大小の神社がありますが、そのうち氏神様として敬意を込めて大宮と呼ばれたのが、現在の平和台の中心に残された鎮守の森にある大宮神社です。平和台にはもうひとつ、さらにわずかに残された鎮守の森に大原(だいばら)神社があり、こちらは西平井の氏神様です。

40年以上前、下のような平和台の造成が進む中で、流山小学校に通っていまして、低学年時(西平井住所)は大原神社の坂道を下っていましたが、加と西平井の一部が平和台と名称が変わった頃には、大宮神社の下のメイン通りで、現在のTX(つくばエクスプレス)流山セントラルパーク駅につながる道を通学路としていました。平和台のどこらあたりが昔の加であり、西平井であったかは、大宮神社や大原神社が名残のランドマークになっています。

40年前の平和台

上の↑空撮写真↑の方向の範囲が下の↓緑色の範囲↓です。

流山市(加、西平井、平和台)

左下の流山小学校と右上の流山南部中を卒業した私ですが、私が小さい頃は、平和台駅ではなく赤城駅→赤城台駅の名称で赤城神社が駅名の由来でした。今ではすっかり平和台の地名(宅地開発会社の平和不動産が由来)が定着しています。

流山市立博物館に行く時に流山北小に続く細い坂道を下ったのですが、ちょうどその辺りにかつて私の生家がありました。左が流山市役所方面を撮った写真。右が流山運動公園方面を撮った写真。

流山市加の風景02流山市加の風景01


もともと、役場に近いメイン通りなので道幅はそれほど変わってなく、約50年前の写真と比較しても家並みの変化はありますが、風景の構図はそれほど変わってません...って。初めて行った方にはわかりませんよねぇ^^;

流山市立博物館のオープン講座では、すっかり常連になった(笑)東葛人さんに学芸員の方が、親しげに挨拶されて、その後丁寧に私たちにご説明して頂きました。

私は大学の卒論テーマを明治の流山の運河掘削事業と水上交通の衰退の予定したのですが、結局は当時の下宿周辺の『北区周辺における廃仏毀釈の考察と神社系統及び分布図』にしてしまったのですが^^;
途中まで進めた当初の卒論「利根運河の変遷」の資料収集に関して当時の流山市立博物館の研究員さんたちが、とても好意的に接して頂いたことに今更ながら深く感謝しています○┓


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タグ:流山市

2009年09月20日

posted by たすけ at 23:13 | Comment(7) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 たすけさん こんばんわ♪

 ご案内、最高に楽しかったです。(横山)
 また企画してください、こんどは一日かけて流山を知りたくなりました。(ゆる)
Posted by 横山&ゆる at 2009年09月21日 21:58
たすけさん、おはようございます。

一昨日はご案内ありがとうございました。密度の高い流山歴史ツアーの背景に、「たすけさんはどんな背景をお持ちなんだろう」とハナと語っていましたが、今回のエントリーで少し判ってきました。でも流山を大切にされているたすけさんの思いが伝わってきまして、それこそが貴重なものに思えて、本当の郷土史探求の基本はそんなところにあるのかなあと思っております。
Posted by サスケハナ at 2009年09月22日 09:25
たすけさん、おはようございます
日曜日はとても愉快でした。
横山さんからたすけさんへの絶妙のバトンタッチのお陰ですね(笑)
私は勝手に「流山超高密度ポタ」と名づけてしまいました。
特に、三本松古墳の高台は、全く知らなかったので、かなり感動しました。
たすけさんの幼少時代を追体験できたのも、楽しかったです。
Posted by 東葛人 at 2009年09月22日 09:57
わ〜!すみません。思いっきり亀レスです○┐

>横山さん、ゆるさん
適当に走っただけですみません^^;次回はちゃんとプラン考えておきます。

>サスケハナさん
いや、そんな大層なものではありません。こっぱずかしいです^^;

>東葛人さん
次回はさらに密度の高いポタを企画します(笑)
Posted by たすけ at 2009年09月25日 01:18
はじめまして、brogランキングから飛び込みました。
最近流山方面に出没しています。
一茶双樹記念館の館長さんが旧車ファンなのでよく遊びに行ってます。
旧車のことなら何でも教えてくれますよ!
Posted by らんどなあ at 2009年09月25日 01:42
40年ほど前の地図の比較、素晴らしいです。

子ども時代のたすけさんは、今よりも、一段とかわいいですね。
Posted by 断腸亭髭爺 at 2009年09月25日 07:01
>らんどなあさん
コメントありがとうございました。
なんだか、どこかでお見かけしたような気がしているのですが^^;
今度、流山散策ポタでも企画した時には是非ご一緒くださ〜い♪

>断腸亭さん
ありがとうございます。
私も「お髭のない断腸亭さんの子供時代」のお写真を、見たいと願っておりますので宜しくお願い致します(笑)
Posted by たすけ at 2009年09月26日 21:07
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