相馬野馬追騎馬隊 御(お)行列

ちばらきチャンネル

10月12日(土)に、東葛人さんと2人で鎌ヶ谷市民まつりに特別参加していた、相馬野馬追騎馬隊武者御行列を撮影してきました。
情報を寄せて頂いた、いくさん、roadrunnerさんありがとうござました(^^)

次の動画は、鎌ヶ谷市民まつりでの相馬野馬追騎馬隊 御(お)行列ですが、この動画の冒頭の号令は、昨年(2012年)開催された坂東市岩井将門まつりでの相馬野馬追騎馬隊の出陣の音声です。そしてBGMは、ご存知「相馬流れ山」です。



あ〜ぁ、鎌ヶ谷市役所から騎馬隊を見下ろしている見学者が2名ほどいましたね。仮に知らなかったとは言え、もし市役所職員だったら、その御法度行為はちとマズイんじゃね?

2013岩井将門まつり.jpg

さて、今年2013年の岩井将門まつり11月10日(日)にも、相馬野馬追騎馬隊の皆さんが参加されます(^^) 相馬野馬追の起源や、BGMに流れている「相馬流れ山」の諸説については、後日記事を書くかも知れませんが、この記事では相馬野馬追騎馬隊 御(お)行列の見学についてのマナー(礼儀)を書いておきたいと思います。

相馬野馬追(そうまのまおい)を、わかりやすく言えば軍事訓練です。鎌倉幕府成立後、軍事訓練は禁止された筈なのですが相馬野馬追は、あくまでも神社に奉納する神事という名目で、約1000年も脈々と受け継がれています。⇒相馬野馬追オフィシャル頁

神事であり、相馬(福島県浜通り)に長く伝わる伝統儀礼なので、騎馬隊の行進は畏敬を込めて御(お)行列と呼ばれており、相馬野馬追の御行列には御法度行為があります。

一、行列を横切るべからず。

一、行列を見下ろすべからず。




この動画...一瞬何が起こったか?わかりますか?
御行列の途中を自転車で横切ったおじさんを叱責し、押し戻しています。
(さすがに、他に徒歩で横切った女性は黙認されていましたが^^;)

なにも、そこまですることないんじゃない?第一危ないじゃん!
という見解もあると思うのですが、長き伝統の作法を守るという姿勢に私は共感します^^;
因みに、この動画の0:45〜は、全く同じ場所から撮影されたお行列ですが
さすが本場の500余騎の騎馬隊の行進は迫力と見応えがありますねぇ。

そういう訳で、岩井将門まつりを見学される際は、相馬野馬追騎馬隊お行列の途中を横切らないよう注意しましょう...って。ま、騎馬隊の皆さんも遠征先ではゲスト参加ですから、そこまで厳密にしないと思いますけど。一応礼儀として知っておいた方がいいかと思いましてf(^、^;

2013年10月16日

posted by たすけ at 01:20 | Comment(6) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

相馬流れ山 習いたかござれ

流山チャンネル

習いたかござれ ≒ 演習またやりたいなぁ、懐かしいなぁ。

相馬野馬追.jpg

相馬流れ山は、相馬野馬追に欠かせない民謡ですが、流れ山とは相馬藩主(現福島県:相馬市・南相馬市・双葉郡)のふるさと(現千葉県:流山市)の地名に由来。
鎌倉時代末期(1323年)に、相馬重胤が奥州(福島)に下向した際、ふるさと流れ山で演習していた野馬追いを偲び、恋し懐かしと口ずさんだものがいつしか節となって歌われたものであるといわれています。

...でも

相馬氏とか相馬重胤...ってどんな人?⇒【相馬氏惣領 相馬重胤】
相馬重胤のふるさとは流山ではない!⇒【相馬のふるさとは流山にあらず】

ま、そんな訳なのですが^^;
これじゃ、あまりに他力本願なので、もうちょっと私なりに付け加えておきます。

千葉県に習志野市がありますが習志野=演習場で、習志野に限らず千葉県の下総台地は平安時代から軍馬育成の放牧場であり演習場でした。江戸時代になっても、小金牧(5牧)や佐倉牧などが残り、現在でもそこかしこに牧の名残である、野馬土手が残っています。


さて、流れ山ですが・・・
東葛人さんの仰る通り、私も流れ山=赤城山(赤城神社)だと思っています。

赤城神社例大祭
2013年の赤城神社例大祭は10月20日(日)です(^^)

流山(流山本町1〜9丁目)周辺は、江戸時代の利根川東遷以後に繁栄した地域で、相馬重胤が柏市の増尾あるいは東葛地区のどこかで暮らしていた頃(鎌倉末期)は、湿地帯の中に細長い自然堤防や砂州(中洲)があったくらいでしょう。
大きな台風でも来れば、あっという間に水浸しになるような場所で、とても武家が館を構えることのできるような地勢ではありません。それに流山の赤城山はどうみても不自然な存在です。巨大台風(洪水)で土砂が流れたといっても15mの高さにはならないでしょう。

流山市本町市街地地図

・・・で。ここから妄想話ですが。
おそらく、中洲の小高い部分に更に盛土して小山を築き、見張り台兼、演習目的地にしたのではないかと?西平井の坂を駆け下り一気に愛馬を走らせて、小山の頂上に誰が一番速く辿り着くか?なんて演習の為に人工的に作った小山なんじゃないかなぁ。

ほら、今でも児童公園にちょっとした小山を築いて子供たちを遊ばせるじゃないですか。私が流山小学校5〜6年生の時にも、校庭の隅っこに小山が築かれて、そこでよく遊んだものです。相馬重胤も子供時代に、この中州に築いた小山、なかすやま⇒ながれやま を目指して馬を駆ったかもしれません(^^)

では、誰がこの中州山を築いたのか?
千葉家から分家した相馬家初代の相馬師常の六男に、常家(六郎)がいました。常家は、葛飾郡八木郷(現.流山セントラルパーク駅〜流山おおたかの森駅周辺)を領して、八木(矢木)常家となりました。この八木家には、日蓮直筆の「立正安国論」が与えられていますが、現在は市川市の中山法華経寺に現存しています。

■流山市内の日蓮宗寺院を列挙すると・・・
・法栄寺 流山市駒木台185
・成顕寺 流山市駒木224
・浄蓮寺 流山市野々下159
・本妙寺 流山市後平井127
・本覺寺 流山市西平井1432
・本行寺 流山市平和台5-19-22
・常与寺 流山市流山2-130-1

流山本町(根郷)の常与寺以外は、ほぼ矢木家の領地と合致します。
領主が変わっても民の信仰は、そうそう変わることがない好例ですね。

つまりは、相馬家本流ではありませんが、流山市に相馬家があったことには間違いなさそうで、この矢木家の時代(鎌倉時代初期)に、西平井の先の中洲(現流山6丁目)に小山を築き見張り台としたのかも?当然、そんな軍事目的の施設を無断で造れば、問題となってしまうので・・・

「え?この山?なんかねぇ、洪水で偶然出来ちゃったのよ♪」
と、とぼけたのかも?(^^;)

まだ江戸川のない時代ですが、大洪水で群馬県の赤城山から、利根川or渡良瀬川〜太日川づいたに御札が漂着するのはあり得る話で、見張り台のカモフラージュ、もしくはその役割を終えてから、ここに赤城神社を創設した・・・って事じゃないかなぁ。と、私は考えています。

常磐線や常磐自動車で、東京・埼玉から千葉に入ると、すぐに下総台地が広がっています。江戸川土手をサイクリングしていれば、千葉側はこんもりとした斜面林(下総台地の端)が続き、そこからは武蔵の国を広く見渡せます。

私自身は小学生時代、西平井(現.平和台4丁目)の高台から、赤城山の向こうに広がる東京・埼玉方面を見渡し、秋〜冬は丹沢連峰の向こうに見える富士山や秩父連山や榛名連峰をよく眺めていました。

おそらく、少年時代の相馬重胤も、野馬追いの後に流山市の西平井や鰭ケ崎まで馬を走らせ、同じ風景を眺めていたのだろうなぁ・・・と(^^;)

相馬流れ山♪ 習いたかござれ♪


追記&補足:
youtubeで2013年の相馬野馬追の動画や関連サイトを見ていたら・・・
「相馬野馬追」は、1000年以上前の平将門時代に、現在の千葉県の流山地域で始まった甲冑を身にまとい馬にのった武士が野馬を敵と見立てて争う武道稽古のひとつである。
って説明が多いのですけど、坂東市(岩井)の人が読んだら、どう感じるのかなぁ。

私が学生時代、地方の友達に(都内出身の友達でも)...「出身は流山」と言っても地理的位置がよくわからないらしく、【柏のあたり】...と伝えると『あぁ〜常磐線のあのあたりか?』と合点したようで(苦笑)
それが江戸時代中期では『柏?どこそれ?』となり、味醂で栄えていた『流山あたり』と伝えた方が地理的位置がわかりやすかったので、小金牧の説明で【流山あたり】と説明したほうが、合点がいったのかもしれませんね^^;

千葉氏や千葉氏から分家した相馬氏もまた、平将門の血筋。...っていうのはちょっと無理があるとは思いますが、将門一門も、相馬一門も、軍馬を飼い演習はしていたでしょうから...

・坂東市からみれば1100年の伝統
・鎌ヶ谷市からみれば600年ぶりの野馬追
というのは間違いではないと思いますけどね(^^;)

2013年10月17日

posted by たすけ at 08:05 | Comment(2) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小金牧その後 / 明治〜平成

ちばらきチャンネル

江戸時代、下総台地に広がっていた小金牧(野馬の放牧場)では、勇壮な野馬追い(軍事演習)はなくなり、将軍家や水戸家の鷹狩・鹿狩の場所となりました。勿論、野馬の放牧は続いており、馬の品種改良のためにペルシャ馬(オランダから輸入したのでオランダ様)なども放たれました。

江戸時代も終わり、明治新政府は将軍家・水戸家の小金牧を廃し、職を失った武士のために開墾地として入植事業をすすめます。小金牧・佐倉牧を含めて、その開墾順に名称がつけられました。

【初富(鎌ヶ谷市)、二和、三咲(船橋市)、豊四季(柏市)、五香、六実(松戸市)、七栄(富里市)、八街(八街市)、九美上(香取市)、十倉(富里市)、十余一(白井市)、十余二(柏市)、十余三(成田市・多古町)】

小金牧の開墾順と駅名.gif

小金牧(五牧)は、ほぼ東武野田線と新京成線の沿線に分布しています。また、両線の駅名にその開墾順の足跡を見ることができます。

ところで、この入植事業には、政商として活躍した三井が関わっています。
戊辰戦争の戦費を負担してきた見返りに、幕府が保有していた小金・佐倉牧の払い下げを目論んだ訳です。
例えば柏ゴルフ倶楽部(三井不動産)跡地に、2006年(平成18年)に三井ショッピングパーク・ららぽーと柏の葉が完成しましたが、そのルーツは小金牧(高田台牧)の開墾事業です。
現在の柏の葉県立公園や東京大学柏キャンパスなどは、旧柏飛行場の跡地ですが、このように小金牧や佐倉牧で特に平坦で広大な場所は、国有地や県有地として自衛隊施設(演習場)、飛行場、大規模団地、学校などになっています。

昭和20年頃の小金牧(高田台・上野).jpg

柏駅の西側に広がっていた、小金牧(上野牧)を例にとれば、東洋一の規模の競馬場(柏競馬場)が造られ、現在は豊四季団地となっています。
※柏ゴルフ場は前述の柏ゴルフ倶楽部とは別です。
※この画像はクリックで拡大します。


初富稲荷神社.jpg

初富稲荷神社の創建は、1869年(明治2年)
ここから、小金牧の開墾が始まる訳ですが、それは同時に下総台地の野馬追い歴史の終焉であり、野馬土手破壊の始まりでもある訳です。
そんなストーリーを散りばめたくて、10月12日の鎌ヶ谷市民まつりでは、東武野田線と初富神社の鳥居前に陣取って相馬野馬追騎馬隊の到着を待ち構えていた訳ですが・・・



騎馬隊が近づくにつれ、ものすごい見物客で溢れ、騎馬隊を撮るというより、人垣を撮るような事になってしまいました^^; でも、何故だか初富稲荷神社前では、騎馬隊の皆さんが一様に立ち止まってとてもフレンドリーに観客に馬を見せてくださいました(^^)
騎馬隊の中に若い女性武者がいた事に驚きましたが、本場相馬の地では、野馬追は男祭りではあるけれど、二十歳未満に限り女性も騎乗を許されるそうです。

相馬野馬追御行列を見学した後に、東葛人さんと二人で、来春訪問させて頂く予定の、高橋梨園さん(白井市)の場所を確認し解散となりました。

薄明光線(下手賀沼).jpg

この薄明光線は、一人帰路の際に白井市と柏市(旧湘南町)の市境である下手賀沼から撮ったもの。ちょうど中野牧方向から放たれていた光線でした。上野牧と高田台牧の境である大堀川に辿り着いた頃には残光もなくなり、真っ暗に^^;

...てなわけで。小金牧の残光については
小金牧のすべての牧について、野馬土手等の写真が充実し、最新情報への更新が行われ、小金牧に関する最高水準のサイト。『鎌ヶ谷市報告書』が見落としたくぬぎ山駅北の土手についても記載⇒【野馬土手-小金牧の残光】
...って。あまりに強引な筆止めで恐縮ですf(^、^;

posted by たすけ at 15:52 | Comment(2) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

利根運河シアターナイト2013(予告編)

流山チャンネル

予告編...といいながらPR動画が当日アップになってしまいm(_ _)m

今年(2013年)も開催されます!利根運河シアターナイト



利根運河シアターナイト実行委員会HP⇒ http://www2.hp-ez.com/hp/theaternight/

利根運河シアターナイト2013.gif

開催日:2013年10月19日(土)
野外カフェ:16:00〜21:00
灯篭制作:15時受付ですが
要予約 TEL.04-7153-8555(利根運河交流館)
灯篭流し:18:00〜
理科大生自主制作映画:18:00〜
ナイトミュージアム上映:19:00〜21:00


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2013年10月19日

posted by たすけ at 07:07 | Comment(2) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ありがとう!利根運河シアターナイト2013

流山チャンネル

昨年からはじまった東京理科大生(野田キャンパス)主催の利根運河シアターナイト

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昨年(2012年)の利根運河シアターナイト記事(1) / 記事(2) / 記事(3)

今年も住民説明会から出席させて頂いて
あ〜だ・こ〜だと私見を述べさせて頂きましたが...って。
私より熱く叱咤激励したおじさんたちも他にいましたが(^^;)

たぶん理系大学のうちで、もっとも授業単位が厳しい環境の中で、ホントよく頑張ったと思います!
私が休日のポタリングついでに利根運河交流館に立ち寄った時でも、実行委員会の学生が打合せに来て、2分もせずにキャンパスに戻っていきました...「えっ?休日なのに授業あるの??」吃驚!(@_@)

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さて、本番当日。
先輩学生が大声で後輩学生に支持を出しながら会場設営をしていたのを微笑ましく眺めていました。

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今年は残念ながら灯篭流しの時間あたりから小雨が降り出し、メインのシアター上映あたりから、強く弱く、降ったり止んだりで、幼いお子さんを連れたご家族は、後ろ髪を引かれるように会場を後にされていました。

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でも、理科大生が用意した手作り提灯は、あっという間に売り切れ...そして
会場に設置した手作りの光は、優しく煌々と利根運河に輝いていました(^^)




ところで、今回利根運河シアターナイト2013から、オフィシャルHPが作られています。

その中に画像も貼れるBBS(掲示板)があるのですが...
拙ブログの読者の方で、もし当日の様子を撮影された方がいらしたら
皆さんが撮影した、利根運河シアターナイトの画像を集約しませんか?

手始めに私から投稿しておきますが、この画像投稿をもって
http://www2.hp-ez.com/hp/theaternight/page5/1#bbsBox245769
イベント開催に奔走した、実行委員会そして理科大生スタッフ一同様へ
ありがとう!利根運河シアターナイト2013とさせて頂きます(^^;)

PS.ただ、このBBS...投稿設定がちょっと厄介です。
■自動Cookie処理を上書きする
 http://www.m-up.com/isp/cookie.html
にしておかないと、投稿できません。

■投稿できる画像は、2MBまでです。

■表示画像サイズ(サムネイル)がデフォルトで320ピクセルになっているので 頁幅に合わせた480ピクセルに変更した方がきれいに表示できます。(変更しないを選ぶと、はみ出します^^;)

■短時間に同一内容で画像を投稿しようとするとエラーになります。


...てな訳で、私自身は一旦、自分の別ブログに画像を投稿して、その20枚の画像を『横幅480pxの1枚の長ロングサイズの縦長画像』に直して投稿しましたf(^、^;
ま、そこまでするとややこしいので、写真1枚投稿して、あとは自ブログの記事URLを貼っておいたらいいと思います(^^)

もし利根運河シアターナイト2013の画像を撮った方がいらしたら、是非 http://www2.hp-ez.com/hp/theaternight/page5/ に画像投稿してあげてくださいね(^^)/

2013年10月22日

posted by たすけ at 21:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

流山おおたかの森 / 日光東往還と諏訪道

流山チャンネル

つくばエクスプレス(常磐新線)の開業以来、流山おおたかの森(流山新市街地)の開発が急速に進んでいます。開発が進むにつれ、失われていくものがたくさんあります。例えば上野牧(小金牧)の森や野馬土手や、平安時代〜昭和時代まで残された古道など。

日光東往還と諏訪道.gif

1958年(昭和33年)流山町加村台で生まれた私は、西平井(平和台4丁目)→篠籠田(柏市)→東深井(駒形神社隣)→西初石(上新宿新田隣)→東深井(森の図書館隣)と移り住んでいきました。これを古道に例えると、諏訪道(すわみち)沿いと日光東往還(日光脇街道)沿いに転居を繰り返していた事になります。
1990年(平成2年)生まれの娘は、駒形神社の境内で三輪車で遊び、諏訪神社で七五三を祝い、上新宿新田の野馬土手脇の古道で自転車に乗れるようになりました。

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私自身は、中学〜高校時代に自転車で流山市内を走り回り、流山市全図に走破した道を赤鉛筆で塗りつぶしていくのが趣味でした。40代後半に、野馬土手マイスターの東葛人さんや、茅葺きマイスターIKAWAさんに影響を受け。55歳の現在、また40年前と同じ事を繰り返しています(^^;)

ご近所まったりポタ専科の私ですが、つくづく思うのが、失われた森や野馬土手や古道が多い事で。特に流山の開発をネガティブに考えている訳ではないのですが・・・。

つくばエクスプレスから車窓を眺めて『嗚呼、またあの森も消えた。』
ポタリングで行き止まり看板を眺めて『嗚呼、またこの道を消えた。』
そんな記事を少し連続させます。(文書量を少なめで写真中心になると思います。)

流山市内で、豊四季駅から東武野田線沿いにほぼ南北に走る日光東往還
江戸川(流山市:加村岸)〜利根川(柏市:布施)の東西を結ぶ諏訪道

この2つの古道は現在でも主要道なので、諏訪神社(豊四季駅付近)までは45年前とほぼ変わっていないので、この2つの道をランドマークにしながら書いていきます。

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流山裏道ポタの報告編
流山旧道(裏道)ポタのご案内

2013年10月25日

posted by たすけ at 18:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西初石の森 / 過去と現在

流山チャンネル

西初石の森の家では、10年ほど暮らしましたが、鴬(ウグイス)・郭公(カッコウ)・時鳥(ホトトギス)などの鳴き声に癒やされて過ごすことが出来ました。

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2003年(平成15年)の空中写真(サムネイル)...この状態の頃まで暮らしていました。

つくばエクスプレス流山おおたかの森駅の開業を機に、都市計画道路が急速に進んでいます。日光東往還(ひがしおうかん)に並行する都市計画道路(東深井市野谷線)の開通とともに西初石の森の面積が一気に減少しました。

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2013年(平成25年)の空中写真(サムネイル)

上手に見える江戸川台や富士見台の市街地は、私が生まれた昭和33年(1958年)に開業した、東武野田線江戸川台駅を中心に開発されました。左手の上新宿〜小屋の耕作地は、流山市の将来都市構造図では緑の拠点として保全する構想としています。なんとか少しでも森を残したまま、構想通りになってもらいたいなぁ。

明治時代の江戸川台と初石付近.gif
明治時代の上新宿・初石・江戸川台付近(サムネイル)

この古地図は明治19年に完成した迅速測図を活用した、歴史的農業環境閲覧システムを参照していますが、上野牧の中を貫通する日光東往還が、現在でも変わらない事がよくわかります。
因みに、日光東往還沿いの上野牧を宅地開発した流山市の松が丘と江戸川台の共通点は、わかりやすい野馬土手が残っている事と、松の木を残した公園や緑地が多い事です。

上新宿の野馬土手(流山市)

西初石1丁目と上新宿新田の境にある野馬土手は、土手上の木々が伐採され破壊を待つばかりです


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タグ:西初石の森
posted by たすけ at 21:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

流山おおたかの森 / 過去と現在

流山チャンネル

流山おおたかの森の過去と現在を比較してみます。

1885_明治18年流山おおたかの森.jpg
1885年(明治時代)流山おおたかの森

1961_昭和36年流山おおたかの森.jpg
1961年(昭和36年)流山おおたかの森

1979_昭和54年流山おおたかの森.jpg
1979年(昭和54年)流山おおたかの森

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2008年(平成20年)流山おおたかの森

2013_平成25年流山おおたかの森.jpg
2013年(平成25年)流山おおたかの森
日光街道東往還(ひがしおうかん)は、流山おおたかの森駅で断絶してしまいました。





ちょうどこの動画の階段下が、日光街道東往還が通っていた箇所になります。

諏訪道(すわみち)は、まだ主要道路として利用されていますが、将来的には流山市の東西を結ぶ(江戸川〜利根川)ルートは、つくばエクスプレスと平行するように走る4車線の都市計画道路(下花輪駒木線)となって、諏訪道は真に古道になってしまうかもしれません。
⇒写真付き別サイト都市軸道路千葉県内区間<流山市篇>

※都市軸道路(としじくどうろ)
埼玉県三郷市から千葉県流山市・柏市西部、茨城県守谷市・つくばみらい市を通り、茨城県つくば市に至る都市計画道路。
ほぼ全線に渡ってつくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道)に沿ったルートで、一部では上りと下りで鉄道高架を挟むように通る。全線が4車線〜6車線となる予定で、2011年(平成23年)現在、4車線で開通している区間と暫定2車線の区間がある。
起点の三郷市では国道298号、東京外環自動車道(外環道)と接続。千葉県柏市で国道16号、茨城県守谷市で国道294号、つくば市の終点(真瀬入口交差点)で国道354号と接続し、そのまま直進するとつくば真岡線バイパスに至る。

流山市内で失われた森や古道は、つくばエクスプレスだけでなくこの都市軸道路の開発の影響も大です。否、むしろこっちの影響の方が大きいかもしれませんね。道路ができれば整備維持のために、道路族には永久的にお金が入るシステムになっているので、この道路が完成しても、また新たに道路計画が作られるんだろうなぁ・・・。


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posted by たすけ at 22:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

市野谷(いちのや)の森 / 過去と現在

流山チャンネル

そもそも、おおたかの森とは、つくばエクスプレス開業に合わせて広まった名称で、本来は市野谷(いちのや)の森でした。そこで前記事より少し範囲を拡大して、市野谷の森の過去と現在を比較してみます。
市野谷という地名は円東寺の門前に市がたったからとか、その昔馬の飼育をしていた代官の市野惣太夫という人が住んでいたからとか諸説ありますが、ここでも馬の話が出てきます。

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1955年(昭和30年)市野谷の森
地図の中心を、市野谷の円東寺にしてあります。

市野谷の森1955年(昭和30年).jpg
1955年(昭和30年)市野谷の森
上記の写真に、つくばエクスプレスと諏訪道を重ねてみました。
流山南部中は、私の出身校です。

市野谷の森2008年(平成20年).jpg
2008年(平成20年)市野谷の森
森の消失は、一目瞭然なのですが・・・
私にとって旧道があちこちで寸断されてしまったことがショックでした。

ほんの昨年まで、多くのサイクリストがこの円東寺前のくねくね旧道を経由して、江戸川〜大堀川へのルートにしていました。今は行き止まりの連続で、私自身も円東寺さんに行く道がわからず、呆然としてしまいました。
数年前に自転車仲間を案内した旧道も、行き止まりや付け替え道路になってしまい、走っていて気持ちの良い道がここ数年で、かなり減ってしまいました。

私自身小学生の頃は、でこぼこ道や曲がりくねった道ばかりの、田舎じみた流山の風景を恥ずかしいと思っていて、都会を羨ましく思っていました。しかし、大学生以降は車窓から延々と家屋とビルしか見えない東京の風景にうんざりし、都心に近く緑の多い流山を誇らしく思うように変わりました。

都心方面からつくばエクスプレスに乗車し、南流山駅からのトンネルを抜けると、車窓に緑が広がりほっとしますが、年々その緑が減っています。まるで映画のセットのように、うすっぺらな緑の壁が連続しているようになってきました。住みやすく活気にあふれたまちづくりは大歓迎なのですが「都心から一番近い森のまち」が、看板倒れにならないよう祈るばかりです。



これは、江戸時代の諏訪道をトレースしたものですが、今では行き止まりや付け替え道路になっている箇所があり、このルートのままでは徒歩でも行けない部分があります。ただ、道は常に変化します。私が生まれてから中学生になる間にも、2万人だった市内人口が5万人となり自家用車の普及と共に、諏訪道は舗装道に整備され、ところどころで付け替えがありました。

でも、曲がりくねった古道や旧街道は車にとっては見通しが悪くて走りづらい道だけど、自転車や徒歩で行くと気持ちが良い道なんですよねぇ。これからは、車優先の都市計画道路を優先するより、歩いて気持ち良い道、自慢できる道を優先整備して欲しいなぁ。


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2013年10月26日

posted by たすけ at 07:33 | Comment(2) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教えて!中央観閲式(陸上自衛隊朝霞訓練場)の見学について(その1)

お役立ちサイト

陸・海・空の自衛隊で、3年毎に行われている観閲式。(海上自衛隊は観艦式)
陸上自衛隊朝霞訓練場で開催される観閲式は、特に中央観閲式と呼ばれています。

観閲式パンフット.jpg

幸運な事に第60回観閲式(平成25年度自衛隊記念日)の、総合予行(10/20)と、本番(10/27)の両日ても見学する事ができました♪一般配布されないチケットなので、初めて行かれる方も多いと思いますので、今後の初見学のご参考になればと思い記事にまとめておきます。
※.何故、チケットを一般配布(抽選公募)しないのか?行ってみて、警備の物々しさに合点しました。政府要人はじめ、米軍や外国人招待客が多いので、まぁそりゃ誰でも自由に見学できるようなイベントじゃないですね。

観閲式(黄色券と緑券).jpg

観閲式のチケットは紫⇒黄色⇒赤⇒青⇒緑
紫色は、政府要人や外国人招待客 (予行でもここには座れないかも^^;)
黄色は、自衛隊幹部婦人や身内など(予行なら入手可能だってりして^^;)

観閲式(赤券).jpg

一般人が入手できるのは、赤・青・緑のいずれかになると思います。
以下、とある娘さんが初めて観閲式を見学に行く父親宛てに書いた注意書きを引用&補足^^;
・和光市駅(と大泉学園駅)からは7時以降に無料シャトルバスに乗れます。
駅そばから何台も出ていますが、時間が遅くなるにつれ大行列に。
乗車時間は10〜15分くらい?下車してからゲート受付までも歩きます。
なので、駅〜現場到着まで、30分以上かかることを計算しておくこと。

・当日は持ちもの検査が厳重です。カバンの中まで全部チェックされます。
金属探知機も通ります。余計な金属類は身に付けていかないこと。

・時間が遅くなるにつれバス降車場からゲートまで長い行列が出来てしまうのは、この厳重なチェックのため。

・ペットボトルなどの飲物は持ち込み禁止。持っていた飲み物は全て紙コップに全て移さないといけません。(紙コップはもらえますが)

・見学席はできるだけ観閲台の周辺(全体の中心付近)の席で、高い位置の席がベスト。
席にこだわらなくても、駅に8時には着いたほうがよいかも。

・席を中座するときは両隣に声がけも大切。(留守中とられないように)
中座の際は、自分の座っている位置を忘れないように。スタンド番号の以外に、何か目印を覚えておくこと。通路から何列目の上から何段目とか、隣のひと、角のひとの服や荷物、顔や帽子の特徴など。

・トイレなどの移動時に確認を求められるため、チケットは常に見につけ、無くさないこと。

・トイレは皆、手前から使うため、奥のほうが結構きれい。(女子トイレは両端が洋式だった)

・武器・兵器の展示もやっています。見学は観閲式の始まる前のほうが人が少なくて良い。

・観閲式のスタートは10:30ですが、9:45くらいから防衛大学校生徒の行進などが始まります。
観閲官(内閣総理大臣)が入場するのが10:30です。

・運良く駐車券が入手できたら、会場内の駐車場に入場可能だが、検問渋滞が続くので電車+シャトルバス利用がおすすめ。

・自転車利用の場合、ゲート付近に駐輪場が用意されている。
スタンドのないスポーツ自転車は駐輪場には止められません。
もしかしたら、他に誘導されていたのかもしれませんが、いわゆるサイクルジャージ姿の観客は一人も見かけませんでした^^;

黄色席と赤席.JPG

赤券でも、7時の開門前からゲート前に並んでいないと良い席は確保できません。(サムネイル)
自衛隊のイベントらしいのは、きっちりと順番通りに席に誘導されますので、自分の目当てする席に座れる確率はかなり少ないです(^^;)
ただ、一旦席を確保したら観閲式がはじまるまで、装備品を見に行ったり売店で買い物したりするのは自由です。でも、式がはじまる前にメイン会場通路が通行止めになりますので、あまりゆっくりし過ぎると、自分の席に戻れなくなりますので、ご注意をば。

観閲式会場案内図.gif

会場案内図。赤券でも左側スタンド席(川越街道側)が人気なのですが、右側の赤スタンド席が埋まるまでスタンド入を待たされます。また、黄色席に近い赤券の最上段席は予約席になっていました。



緑券は、スタンド席とマウンド芝生(立見席)になりますが、車両移動前は立見席からだと、栄誉礼などの様子はほとんど見えません。青券・緑券の場合は双眼鏡を持って行った方がいいですよ(^^)



メインの徒歩行進や車両行進はどの色の席でも見学できますが、青券・緑券は、車両部隊が移動する時、目の前で戦車などが移動しますので、それはそれで迫力あるラッキーな席かも知れません。※.ただ、前列のパイプ席からは、行進見学は行進の壁で手前の隊員しか見えないです^^;

この項続きます。

2013年10月28日

posted by たすけ at 22:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | お役立ちサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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