金にする理由は何があるんでしょうか?銅じゃダメなんでしょうか?

日記(言いたい放題)

金にする理由は?銅や、萱(かや)じゃダメ?

黄金の館と茅葺きの館.jpg

どれどれ、そなたに金の館か、萱(かや)の館か、好きな館を進ぜよう。
どちらが良い?金箔で覆われたゴージャスな家と、ロハスな茅葺きの家。
「う〜ん、普段はマンションに住んで、その両方を別荘で使うんじゃ、ダメ?」
もぅ!欲張りさん!(笑)

11月23日。天気が良ければ日本の里100選の一つ、石岡市八郷に茅葺きサイクリングに行く予定なのですが、私は金ピカの家なんか全く興味はなくて、断然かや葺きの家がいいなぁ。家内は出来れば老後はマンションに住みたい、なんて言っているので、絶対叶わない夢でしょうけど^^;

因みに、東葛地域から一番近い日本の里100選は、印西市の結縁寺です♪
結縁寺周辺は自転車仲間の愚兵衛さんの庭みたいなもんで(^^)サスケさんも結縁寺がお好きでよくブログに書かれていましたねぇ。。。
そんなサスケさんに古代史への誘いを与えた東葛人さんの11月16日の記事に、東京国立博物館140周年 古事記1300年・出雲大社大遷宮 特別展「出雲―聖地の至宝―」の事が。観たい、行きたい!

11月11日。フリーさんのご案内で印波郡ポタをしてきたのですが、その時にちょっと触れた文化財修復の逸話。詳細は書けませんが、ざっくり言えば出雲大社にしても他の国宝級の建造物にしても、建築技工や技法は決してオープンにしないと言うこと。
一つには神や仏に関わる神聖なものに、人間の手による細工があきらかになることは好ましくない。なるほど、神秘的な謎を残したままのがいいってことですね。
もう一つ。国宝級の建造物や美術品となれば、その修復にたずさわれる事は大変名誉な事であり、同時に相当な受注額となります。技工・技法をオープンにしてしまえば、競争相手が増えるし、いかに腕の良い職人集団を抱えているかが肝心。

ん?んん???そっかぁ〜〜!!!

新幹線から宇宙探査機まで、最先端構造的に日本の町工場の職人技が生かされいます。
台湾・韓国・中国メーカーに市場を席捲されてしまったのは、日本の技術輸出の成果。
また、百里基地でお会いした、テガさんのお友達で軍事マニアの方が話されていた。
「米国は戦闘機のブラックボックスは決して明かさない。」

これらのお話のすべてが、古代史につながりました!

年月が経った銅葺きの屋根

何度も登場しますが、これは印西市別所の地蔵尊(寺)と熊野神社
左のお寺の屋根は端に緑青(銅錆)がわずかに出始めていますが
右の神社の屋根は見事に緑青色に変化しています。

真新しい銅葺きの屋根

こちらは、真新しい銅葺きの屋根 左:神社 右:民家
金色ではありませんが、茅葺きと比べれば華美なゴージャス感は出ています。
古代(仏教伝来前)。まだ竪穴式住居や茅葺き木造、よくて檜皮葺屋根の建造物の中にあっては、冒頭の金の館(金閣寺)にも勝るとも劣らない存在感があったでしょう。
日本で屋根瓦が使われ始めたのは、仏教伝来と同時期だそうです。⇒参照瓦の歴史

銅鐸・銅矛と鋼の刀

こちらは、左:新品の銅鐸・銅矛 右:鋼色に輝く日本刀
私これまで、銅鐸・銅矛は、緑青色のものしか見たことがありませんでした。
なんでこんなものが、霊験あらたかに見えるのかねぇ?と、実感が湧きませんでした。
室内照明の効果もありますが、新品の銅鐸・銅矛は光輝く、眩いばかりの工芸品だったのですね。
だけど、銅鐸・銅矛は祭祀用ですし、銅剣も武器としては鋼(はがね)の日本刀には敵いません。
残酷な想像ですが、大勢の目の前で人間の首を、スパッっと切り落とした後妖しく光る剣は、まさに恐怖と畏敬の象徴となっていったのでしょう。

そして、これら銅葺き,銅鐸,銅矛,鋼の剣を製造する技術や職人を抱えていた王朝や豪族は、他を圧倒する権威と武力を持ち、侵略を進めて行ったことでしょう。
その代表的な存在が物部氏(ニギハヤヒ)で、当時の先端技術集団を従え、神武天皇より先に大和を制圧し、その一族は陸路&海路で東国まで制圧をしていたであろうことでしょう。

でもね。
すべての人間が、光り輝く荘厳な建造物に憧れ、刀剣に恐れ慄くかと言えばそうでもない。
森や獣、生命の恵みを与えてくれる森羅万象に感謝し、調和して生きていくのが幸せ。
怖いのは、人間が造ったものではなく、天・空・海・風など森羅万象に宿る神様。
森羅万象に宿る神は、時に鬼と化し祟りをもたらす、リバーシブルなんです。

「都心の億ションに住み、ブランド品で身を包み、外車でお出かけする。」
これを、人生の至福と考える人もいれば。
「田舎の茅葺きに住み、衣服は自分で仕立て、自転車で野山を駆け巡る。」
これを、人生の至福と考える人もいます。

たぶん、これは今も昔も変わらないと思います。
「玉の輿狙って、王族(王朝)に近づく」「一攫千金を夢見て、都に出てくる。」
「名門家を飛び出て、地方の豪族となる」「都会暮らしに疲れ、田舎の人情に涙する」

このようなキャラクターが絡む映画やドラマは、無数にあるような気もしますが(^^;)
また、そこで出会い、互いに尊敬しあい友情を交わすことも不思議ではありません。

高橋克彦著:火怨「北の燿星アテルイ」
ざっくり言えば、そんな都会育ちの坂上田村麻呂と、田舎育ちの阿弖流為(アテルイ)の物語でした。

黄金建築と金メダル.jpg

金色堂に安置された黄金の仏像と、東京オリンピックの金メダルと銅メダル。
金は銅と違って錆びませんから、その永遠の輝きで価値が高いのでしょうが
アテルイの住む日高見国で金の鉱山が発見された事が、不運のはじまりとなりました。

「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」
「めっちゃ悔しいです! 金がいいですぅ〜」

そりゃ、あなたね。科学技術やスポーツの世界では世界一を目指すべきでしょう。
でもねぇ。。私は、仏像や舎利殿を金にする必要はないと思うんですけどねぇ。。

「金にする理由は何があるんでしょうか?銅じゃダメなんでしょうか?」
「銅の緑青(錆)には毒があるから、仏様が毒まみれじゃマズイでしょ」

※.銅の緑青に毒があるというのは、日本にのみ存在する迷信だそうですよ。
 他(1),(2),(3)


平安初期にアテルイ・モレの2名が河内(大阪)で斬首されてから約300年後。
平安後期に彼らの故郷(岩手)に黄金に輝く中尊寺金色堂(藤原4代を祀る)が建立されます。
冒頭の金閣寺(足利吉満が建立)と並んで、日本の二大黄金建築です。
三大黄金建築だと日光輪王寺・大猷院(徳川家光を祀る)が入るのかな?

金閣寺は、昭和25年に同寺子弟の見習い僧侶(大学生)の放火によって全焼後に再建されました。
JAPAN WEB MAGAZINE ではこれを美の功罪と記しています。
いつの時代も民は為政者の気まぐれに左右される。「金閣」は一握りの人間の「芸術」感覚または虚栄の具現かもしれない。そして、それが叶う為に、それが叶えられる為に、その陰で一体どれだけの民が糊口を凌ぐのもやっと、という苦しい生活を強いられていたのか。〜中略〜
人類の至宝として、これら「芸術品」を見た時に、その素晴らしくも美しく賞賛されるべき作品達は、「持てる者」、「支配する者」が美的、感覚的、虚栄的欲望と欲求を満たすために作られなければ、この世に存在しなかったかもしれない。
まさに我が意を得たりの文筆でした。

この項、まだ続きます^^;


2012年11月20日

posted by たすけ at 17:53 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

阿弖流為(アテルイ)伝と日高見(ひたかみ)国

日記(言いたい放題)

阿弖流為(アテルイ)東北(岩手県)の原住民の総大将...大和朝廷からは蝦夷(えみし)と蔑称されますが、縄文時代より、ずっとこの地で自然と調和しながら平和に暮らしてきた原日本人です。

日本とは太陽の昇る国=日高見国という説があります。

日本書紀の【景行紀(=景行天皇の頃)】
東国から帰還した武内宿禰(たけうちのすくね)が以下のように言上
「東国に日高見(ひたかみ)国があり、その国の人は蝦夷(えみし)と呼ばれ
男も女も髪を椎(つち)のような形に結って、身体に刺青(いれずみ)をした勇敢な者達です。
また土地は肥えていて広大です。彼の地は攻略すべきです。」
武内宿禰が280歳〜360歳と諸説あり・・・え?^^;
景行天皇は、紀元前13年生、紀元130年崩御...143歳!?アンビリーバボーですね^^;
もし、実在したとすれば4世紀前半くらい?...てなカンジです。

記紀は710年以後(8世紀以後)に書かれたものなので、700年も前の事など正確に書ける筈などありません。何より、当時の政権にとって都合の悪い事は、書かないでしょうから。まぁ、現在の原発の事故隠しや、特捜の自白調書でっち上げに比べれば、罪は軽いもんですよ(苦笑)

さて4世紀前半は、九州から侵攻してきた倭の王朝(神武天皇)が、ニギハヤヒに大和(奈良)を譲ってもらい、連立王朝の大和朝廷が成立した頃です。

東国から帰還した武内宿禰の報告が・・・

紀元1世紀頃なら⇒日高見国は、中国・近畿地方の事
            (景行天皇は、まだ奈良に居ませんので)
紀元4世紀頃なら⇒日高見国は、関東・東北地方の事
            (景行天皇は、すでに奈良に居ますので)

...で。じつは記紀には景行天皇より、子(皇子)の事が沢山書かれています。

日本武尊...日本(ヤマト)武尊(タケルノミコト)←日本書紀
倭 建命...倭(ヤマト)建命(タケルノミコト) ←古事記

...で。魏志倭人伝...聞いた事があると思います。

もともとは、倭(ワ)と呼ばれていたのが、倭(ヤマト)
さらに、日(ヤマト)と読ませるように変わっています。
倭(ワ)⇒倭(ヤマト)⇒日(ヤマト)⇒日本(ヒノモト)⇒日本(ニホン)
どうやらこんなカンジで、日本の国名が確定したようです。

さて、記紀以外に風土記という書もあります。

【常陸国風土記】より
■行方郡の伝承
国栖の寸津毘古(きつひこ)と寸津毘賣(きつひめ)の2人がいた。
寸津毘古は、天皇の命令に背き、教化に従わず、すぐに斬り殺された。
寸津毘賣は、降参し天皇は哀れに思って恵みを垂れ、住むことをお許しになった。
■小城郡の伝承
昔、この村に土蜘蛛がいた。小城(城壁)を造って隠れ、天皇の命令に従わなかった。
日本武尊が巡行なさった時、ことごとく誅罰した。

おっ?おぉお!天皇や日本武尊が4世紀頃に、茨城に来てんじゃん!

日高見(ひたかみ)国=茨城県じゃね? 日本の国のルーツは茨城だっぺよ!!
そうだっぺよ。んだからぁ、常陸(ヒタチ)・日立(ヒタチ)って云うんじゃん!

えぇ...まぁ...お気持ちは察しますが
岩手の人は、日高見(ひたかみ)⇒きたかみ(北上)...って言ってます^^;

まぁとりあえず、九州や大和から見れば、茨城や岩手は東国=日高見国であることに違いありません。そこには遥か昔から、海の恵み、山の恵みを享受して、豊かな生活をしていた原日本人(=縄文人=蝦夷)が住んでいた筈です。ひょっとしたら日本武尊の軍勢をコテンパンにやっつけて敗走させた英雄もいたのかもしれません。でも、ほら。朝廷にとって都合の悪い事は書かれないし、独自の文字記録として残ってないんです。

...で。802年(延暦21年)

【類聚国史】
4月14日...阿弖流為と母禮は兵5百余人を率いて胆沢城の坂上田村麻呂軍に投降した。

【日本記略】
7月10日...田村麻呂征夷大将軍に従い上京した。

【日本記略】
8月13日...公卿の執論の結果、河内国杜山(又は植山或いは椙山)で処刑された。

これが
高橋克彦著「火怨・北の燿星アテルイ」
NHKドラマ「火怨・北の英雄アテルイ」です。

NHKドラマ 火怨・北の英雄 アテルイ伝

来年2013年にNHKで「火怨・北の英雄 アテルイ伝」が放送されると知り、また主演がTBSドラマ「JIN-仁-」の大沢たかおなので、ますます楽しみです♪

何故、全国的には無名の英雄、阿弖流為(アテルイ)を取り上げるのか?恥ずかしながら、私もサスケさんのブログを拝読して、初めてアテルイを知りました。
東北を平定しようと北へ攻め上る朝廷軍の襲撃に、命を捨てて一族の未来を救った古代東北の英雄・阿弖流為(アテルイ)の生涯を、空前のスケールで描く歴史冒険巨編。
かつて不屈の魂をもって東北を守った陸奥の英雄を描くことで、東北復興支援の一環とし、大震災後、復興に向けて誇り高く生きている『東北の人たちへの応援歌』を目指します。
なるほど、そういうことなんですね(^^)
中尊寺金色堂のような金ピカ観光国宝も良いけれど、アテルイの活躍が偲ばれる史跡がこの放送をきっかけに盛り上がるといいですね(^^)

征夷大将軍となった坂上田村麻呂と蝦夷であり敵将の阿弖流為(アテルイ)
この二人は、友情を保ちながら戦う運命となってしまうのですが・・・・
大好きだった大河ドラマ「風と雲と虹と」平 将門(加藤 剛)と平 貞盛(山口 崇)の関係と似ているところがあり、時代的にも100年くらいの時間差なので、アテルイ(大沢たかお)と 坂上田村麻呂(高嶋政宏)の二人は演技が楽しみです。

原作の「北の燿星アテルイ」通リの最期は、「北の英雄アテルイ」で、放送できるのかな?残酷なシーンなのですが、とても感動深いクライマックスです。それに放送も、BSで43分×4回 総合で2回..ってかなり省略されてしまう部分が多いのでしょうね、それがちょっと残念かな?

因みに、こちらの⇒[NHK番組動画サイト]で、北の英雄アテルイ伝の番組情報が紹介されています。
記者会見での各出演者のコメントによれば、東北の雄大な自然と調和する蝦夷の生活を再現してます。との事で、「お!これこそ、実写版もののけ姫」みたいな風景が出てくるのかなぁ・・・と期待が膨らみます(^^)

でもね...阿弖流爲(アテルイ)の故郷は一体どんなところ?
それは...戦国放題こたつ城さんの
今回は、水沢駅の東側、「胆沢城」の跡地と、「巣伏の戦い」の古戦場跡を巡り、アテルイゆかりの神社「神明社」のお参りなど、蝦夷征伐戦(700年代末〜800年代初頭)の跡を巡る。
さらに東の江刺(北上川の東側)へ渡り、「えさし藤原の郷」を舞台に、「前九年の役」(1000年代半ば)をご案内しようかと〜♪
2010年・城主のたわごと1月に多くの現地写真と共に紹介されています♪
拙ブログよりずっと長文ですが、こたつむりさん(松戸市)の軽妙な文体が読みやすいのです。
例えていうと...クロスバイクを買っちゃうぞ!の"くろばいさん"と文体がよく似てます。
やっぱり女性視点は違う...って。くろばいさんはサイクリストしか知らないですよね^^;

さらに、坂上田村麻呂と清水寺とアテルイと東北の寺社について
2009年・城主のたわごと5月 以下抜粋
田村麻呂ゆかりとされる寺社や伝承地は全国的に多いが、特に東北に多い(^^ゞ。山形県を除く殆ど全域に田村麻呂伝説が広がっている。
山形県に多くないのは、征討範囲に含まれてないからだろうが、田村麻呂の時代だと、青森県まで行ったと思うのは難しいのに、青森県にもある(^_^;)。

延暦16年(797)に、田村麻呂は日本で初めて征夷大将軍に任命されたが、延暦17年(798)は、どちらかと言うと、この年に京都の清水寺を建立した(と伝わる)事と関係があるようだ。

田村麻呂は抜群の武勇者のように言われるが、実はその功績の殆どは、蝦夷との融和策が功を奏しているのだ。これは、その前段階の無茶な行軍劇と悲惨な結果とは決別した結果にも思える。

延暦21年(802)、田村麻呂がアテルイらの帰服を受け入れ、彼らを都に連れ帰る(04/15)ちょっと前の1月9日、田村麻呂は胆沢城の築城のため派遣を命じられ、その出立に当たってだろう、1月20日にお坊さん(「度者1名」)を賜わっている。征服後の奥地で、蝦夷の教化を行う考えだったのではないか、と見られている。
こう見てみると、田村麻呂の来た直後から、ドッと雪崩を打ったように東北じゅうに、この時期を創建とする寺社が多くなるのも頷けるかな(^^ゞ。


阿弖流為(アテルイ)母禮(モレ)の顕彰碑

阿弖流為(アテルイ)には母禮(モレ)という、親友(戦友)がいるですが、その二人の顕彰碑が関西アテルイ・モレの会(岩手県人)によって、京都の清水寺に平成6年に建立されている事を知ったのは、つい最近の11月10日の事です。

この項、まだ続きます。
posted by たすけ at 22:53 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

阿弖流為(アテルイ)伝と常陸国

日記(言いたい放題)

ちばらきチャンネル

悪路王(アテルイ)首像.阿弖流為(アテルイ)は朝廷から見れば反逆の大将ですから、大沢たかおさんのようなイケメンでは都合が悪い訳で、岩手県水沢市埋蔵文化財調査センターに保管されている、アテルイ像ではこんなイメージだそうです。⇒参照:悪路王

それにしても、アテルイに悪路王とは気の毒なネーミングですが、現代の岩手県水沢の悪役顔と言えば、小沢一郎。
検察&最高裁まで、よってたかって小沢いじめ。⇒参照
官僚は、よっぽど小沢一郎が恐ろしいようです。⇒参照

マスコミも、解散&総選挙一色で
小沢氏の無罪確定は全くと言っていいほど、報道しません
小沢氏はよっぽどついていない...というか。
そういう風に世論操作されているのか?


冒頭参照先の「悪路王」記録には、アテルイや蝦夷の野蛮さが強調されていますが、そりゃ朝廷側が残す記録はそうなるのは当然で。現在、中国・韓国で、あることないこと日本軍の野蛮さを強調しているのとなんら変わりないです。

....おっと、また脱線しそう(苦笑)

さて、興味深いのは、岩手県水沢市埋蔵文化財調査センターに保管されている悪路王(アテルイ)首像は、水戸の黄門様が鹿島神宮へ奉納した首像の複製であるという事。

江戸前期。水戸黄門(徳川光圀 以下黄門様)はかなりの歴史オタクで、『大日本史(=本朝史記)』編纂のために史局員を日本各地へ派遣して史料蒐集を行いました。これが水戸黄門漫遊記につながっていくわけですが、黄門様自身は鎌倉遊歴と藩主時代の江戸と国元の往復や領内巡検をしている程度で、漫遊したわけでないようです。黄門様の死後も『大日本史(=本朝史記)』編纂は水戸藩の事業として継続されやっと明治時代に完成しました。

水戸藩では史学=国学が下級武士から百姓(名主)まで大流行します。それが水戸学となり幕末には天皇重視の尊皇思想となっていきますが、石岡市八郷の佐久良東雄などもその一例です。そんな訳で、水戸藩内では遠い昔、阿弖流為(アテルイ)という原日本人が、勇敢に戦ったという事はよく知られていて、社殿を東北地方(アテルイの故郷)に向けている鹿島神宮に奉納したのかもしれません。これは京都清水寺にアテルイ・モレの顕彰碑を建てた気持ちと同じでしょう。

さて、水戸藩内では猫も杓子も国学ブームなので・・・

おい!鹿島の神宮様にアテルイの首像があるんだってよ!
ほんとけ?そんなら、おらが村の鹿嶋神社にもアテルイの首をお祀りすっぺよ!

鹿島神社のアテルイ首像(城里町).jpg

【歴史の里ロマン紀行】(東茨城郡城里編)より
■ここ鹿島神社は蝦夷の大将「アテルイ(阿弖流為)」こと悪路王の面があることで有名である。悪路王がアテルイのことであるとは断定できないが、現在ではほぼ悪路王=アテルイと考えられている。ここに保管されている悪路王の面は恨みに満ちた壮絶な顔をしており、昔はミイラとして保管されていたと伝えられる。

吃驚しました!⇒鹿島神社(城里町)-悪路王面-
こんな寂れた田舎町の鹿島"神社"に阿弖流為(アテルイ)の首像が残されていたなんて。
でも、鹿島"神宮"に水戸光圀が奉納したとされる首像に比べれば、いかにも素朴で
江戸時代に流行したミイラ再生技工で作られた"やっちゃった感"が拭えないでもありませんが^^;
(左の方は、ミイラだったものを木造彫刻で復活させた首像だそうです)
額髪を剃り上た、ざんばら髪...これどうみても武士でしょう(^^;)
阿弖流為(アテルイ)がちょんまげ結っていたとは思えません(^^;)

でも、Romanさんがおっしゃるように、この鹿島神社に漂う妖気というか、もののけ感は案外本当にここが阿弖流為(アテルイ)の霊魂が宿る神社なのかもしれません。是非一度、こういうのが三度の飯より大好きな東葛人さんをお誘いして、訪れてみたい神社です(^^;)

昔大和朝廷が進出する前は常陸や東北は蝦夷(えみし、カイ)民族の土地であったとされています。蝦夷民族というよりも縄文人というべきかもしれません。

私も、蝦夷というより縄文人という呼び方に賛同します。印波郡(印旛地区)に点在する鳥見神社に伝わる獅子舞(鹿舞)は、大和朝廷以前に、東征してきた物部一族の繁栄祈願の舞であり、同時に滅亡に追いやった縄文人の神々祟りを鎮める舞ではなかったのか?
縄文人の一族によっては、侵攻してきた物部氏に恭順するものあっただろうし。阿弖流為(アテルイ)のように、勇敢に抗戦した人もあっただろうし。それやこれやを、ひとつの物語にしたのが、もののけ姫ではなかっただろうか?

この項、あともう少しで終わります^^;

2012年11月21日

posted by たすけ at 22:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

阿弖流為(アテルイ)伝ともののけ姫

日記(言いたい放題)

11月某日の朝。ゴミ出しに外に出たら、上空に大編隊を組んだ大型の渡り鳥。
「うわぁ〜すごい数ですねぇ」
「なんでしょう?シラサギかしら?」
「首を伸ばして飛んでいるので白鳥でしょう。」

およそ150〜200羽の大軍団は、菅生沼の方向飛んで行きました。
※.不思議だったのは南西方面から飛んできたことでした。白鳥は北西から渡ってくるものだと思っていましたが、もしかしたら、たまたま流山の上空でそういう方向に飛んでいただけかもしれません。

torimi_munakata_map.gif

鳥見(トミ・トリミ)神社に興味を抱いたのは、サスケさんのブログ「シニアの自転車日記」で、思い出深い記事は【鳥見神社に関連する「アイヌ語の幻影」】という内容です。...以下、抜粋
@ 鳥見神社十八社の連なる地域は古く「言美(コトミ)郷」と記され、言美(コトミ)郷に類似するアイヌ語の語韻は「トミ ウシ;土民の屯所」、「トミサン ペッ:軍勢を出したる処」、「トミルペ シュペ:軍路」等の例があり、「鳥見(トミ)」が軍に関係する。
A 鳥見神社の存する地域の連鎖を行軍の経路として、同地域を「祈りの場所」であると同時に、弥生時代以前からの「地域防衛を担った拠点」と想定。
B 鳥見神社の祭神がニギハヤヒであることから、ニギハヤヒ王朝の東国進攻軍がこの地を占領して「軍の基地」とすると共に、「祈りの場所」として「鳥見神社」を置いたものと推定。

「鳥見(トミ)神社」、「祭神:ニギハヤヒ」、「アイヌ語トミ → 軍」などのキーワードからの連想論述ですが、まことに興味深々です。
先日、小林の鳥見神社を訪れた時に、ふと、このくだりを回想していました。そして・・・

アテルイとアシタカとサン

写真左は、来年2013年にNHKで放映予定の
「火怨・北の英雄 アテルイ伝」主演・大沢たかおさん。
真ん中は、もののけ姫のヒーロー:アシタカ
写真左は、もののけ姫のヒロイン:サン
う〜ん...似ている。アテルイとアシタカ ...って。私の妄想はこんなんばっか^^;

日本書紀の【景行紀】
「東国に日高見(ひたかみ)国があり、その国の人は蝦夷(えみし)と呼ばれ、男も女も髪を椎(つち)のような形に結って、身体に刺青(いれずみ)をした勇敢な者達です。また土地は肥えていて広大です。彼の地は攻略すべきです。」
身体に刺青(いれずみ)をした勇敢な者?...これってサンの事じゃん!
やっぱり、もののけ姫の見すぎですかね?(苦笑)



動画の0:32秒のあたりで、蜘蛛の化物(妖怪)にアシタカが追われるシーンがあります。
もののけ姫には石火矢(小型バズーカのような鉄砲)やアサノ公方が出てきますので、時代背景は戦国時代なのでしょうが...でも、私はこの物語は、大和朝廷の東征に立ち向かった、蝦夷(アシタカやサン)が主人公であると思って見ています。
※もし時代想定を江戸時代としたら、アサノ公方(=浅野家)は真壁藩・笠間藩時代もあったので、茨城にアシタカやサンが居たことになりますね(^^)v

さて、もののけ姫では、たたら場(鉄器製造)が重要な役割として出てきます。鉄を作るのには大量の炭が必要で、炭を得るためには森林伐採(自然破壊)が必然となり。征服者に棲み家を追われた動物(猪・猿・山犬)たち、ひいては神々の怒りがサンに託され、蝦夷でありながらも征服者と協調できるアシタカが、両者の争い止めようと努力する。

アテルイと田村麻呂が友人であったように。私は、アシタカの役割をそんな風に見ています。

日本人なら森羅万象に神々が宿り(八百万神)、神々は時として祟をもたらす恐ろしい鬼にもなる。
...なんて世界観は理解可能だろうけど。一神教の国々の人はそんな世界観を理解できるのかなぁ。

別所の地蔵尊と熊野神社

ましてや、別所の地蔵尊と熊野神社の関係ような別当寺⇒神仏習合(≒本地垂迹は理解不能じゃないかな?なんてことを考えていたら⇒こちらの記事
もぅ!野田首相の突然の解散宣言で、ここだけを先走ってアップしてしまいました^^;

砂鉄の産地と鹿島・香取

左の地図は、砂鉄の産地で、右の地図は古代霞ヶ浦&印旛沼周辺の地図。
「日本書紀」でも日本各地に土蜘蛛が登場しますが、これは妖怪や昆虫ではなく先住の蝦夷(=縄文人)や鉱山で働く人々を蔑称したもので、それが砂鉄の産地や鉱山と合致すると云います。

平安時代初頭に、坂上田村麻呂が東征(東北の蝦夷を制圧)する以前。ニギハヤヒ王朝(物部一族)がこの地に侵攻し、水上交通及び軍事上の要となる場所に、武運や武器の神様として鹿島神宮(祭神:タケミカヅチ)と香取神宮(祭神:フツヌシ)を建立します。

タケミカヅチは、物部氏の祭神ではなく、中臣氏の祭神では?
これは、物部氏の没落後に、中臣氏が乗っ取ってしまったか、あるいは、元々政略的にタケミカヅチを祭神に据えたのか。今だって政党党首は、政略的にすぐにコロコロ変わるじゃないですか

...いけね。また脱線しそう(苦笑)

蝦夷の分布と原発地図.jpg

こちらは、平成の世の原発地図。
だらだら長いシリーズ記事になってしまいましたが、そろそろまとめに入ります。
勘の鋭い方なら、もうお気づきでしょうが、上記の砂鉄の産地と重なります。長野(諏訪)を除けば原発も砂鉄も海岸沿いが共通項になりますので、場所についてはこじつけにしかなりませんが・・・。

国家繁栄の名の下に、鉄器(電力)を確保し。
そのために、民から領地(土地)を奪い、懐柔(補助金)し。
既得権者(豪族&電力会社&原子力村)は、歴史(資料)を改ざんし。
為政者(豪族&官僚)は優雅な暮らしで、美術品(箱物施設)作りに熱を上げる。

なんだ、現代も、千年前も、二千年前も、何も変わっちゃいないんですね。

facebookの方に頂いたコメントに、茅葺き家のロハスな生活に対して
「ひとつの生き方ですね。全員がこうなっても社会は成り立ちませんけどね。」

仰る通リで...
人類の進歩は限りない征服と物欲の上に成り立ち、世界遺産をはじめ多くの美術品は、そうした虚栄的欲望の具現です。奈良時代、ペルシャ・中国・朝鮮半島からもたらされた装飾品に目を輝かせた女性たちと、ヴィトン・シャネル・ティファニーなどのブランド品のXmasプレゼントを期待している現代女性に、なんの変わりもありません。

持てる人が作り上げた欲望の具現品に、持たざる人の憧れはつづくでしょう。
きっとあと千年経っても、持てる人と持たざる人の差はありつづけるでしょう。

もののけ姫のラストでは、ダイダラボッチ(シシ神)が倒れて、人間の築き上げたものをことごとく吹き飛ばし、その後山々に緑が戻ります。足尾銅山の煙害等により荒廃してしまった足尾の山は、人間の手(NPO足尾に緑を育てる会)で緑を復活させています。

でも、原発は山に緑を残したまま、人の立ち入りを禁じてしまいました。

甲六
「原発事故は、ダイダラボッチ(シシ神様)だったんだ。」
モロの君
「人間は愚かだから、自分で造ったものを自分で恐れている。」
ヒイ様
「原発のお陰で、また山や森が動物たちの安住の地になったのじゃ。」
エボシ御前
「ざまあないな」
ジコ坊
「いや〜まいったまいった、バカには勝てん」

果たして....バカは誰?        こんな妄想癖のある私?^^;

あともう1記事補足事項を書いて、やっとこのシリーズを終わります。
posted by たすけ at 22:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののけ姫と松虫姫

日記(言いたい放題)

■泡沫(うたかた)日記

もののけ姫のメインテーマは「生きろ」でした。
このテーマを大きくと捉えるとここまで7記事に渡って書いてきた(2記事は風刺が主^^;)

人間の幸せは物質的なものだけではない、自然と調和して生きることも大切である。
しかし、物質的発展や犠牲がなければ、進歩や幸福を手にすることはできない。
異なる価値観の中で、人と人、人と自然は、どう共存するべきであろうか?
しかし、先ずは生きろ。この世に差別はある。だが生きろ。先ずは生きろ。


私はこのように捉えていますが、実はもう一つ隠された...
というか宮崎監督が、たぶん意図的に挿入したテーマがありました。
このテーマは私の本業にも関わることなので、補足させてください。

エボシ御前

もののけ姫のキーパーソンに、エボシ御前がいました。
金属採掘加工(たたら場)を砦で囲んでいたのは、物部氏を妄想しますが、そこでは貧しい家(人身売買される)の娘や、らい病患者を引き取り、動けるものは、たたら場で働かせていました。
※.現在は、らい病ではなくハンセン(氏)病と言います。⇒参照

ドライな視点で見れば、単に安い労働力の確保に見えるかもしれませんが
社会的弱者の救済、つまりは社会保障の一例であると私は見ています。
これは(社会保障)は、持てる者(豪族や大企業)と為政者(政治)でしかできない事です。

『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』にハンセン(氏)病へのテーマが含まれています。
詳細は⇒元ハンセン病患者が語る激動の半生とジブリ作品に込められた宮崎駿の想い
[1]〜[4]ありますが⇒[3]に宮崎監督とジブリ作品に触れています。

『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』をDVDやTV放映で見る時
「生きろ」のテーマがここにもあると言うことを、知って頂ければ...と思います。

松虫姫

最後の写真は、フリーさんのご案内で行った印西市の松虫姫神社と松虫姫御廟です。
松虫姫も、ハンセン病だったとされています。⇒参照
まぁホントに転地療養&食事療法で治ったのなら、ハンセン病ではなく現在でいうアトピー性皮膚炎だったかも知れませんが^^;。でも、この松虫姫伝説を宮崎監督が知ったらアニメ映画化してくれるかなぁ?・・・・なんて思っていたら既に松虫姫のアニメ動画がすでにありました(^^;)



松虫寺のお話(後編)は⇒こちら

松虫姫は東大寺(奈良の大仏)を建立した、仏教大々々好き聖武天皇の皇女(お姫様)です。聖武天皇は大喜びで、立派な薬師堂に建て直し、医王院松虫寺となるわけですが。

じゃ、お墓も松虫寺にあるの?
高貴な皇族ですので正確には松虫姫神社に祀られて、薬師堂の裏手に松虫姫御廟があります。なんでそういう埋葬(神仏習合)になるかというのは、⇒こちらの横山さんのコメント解説がわかりやすいです。

ところで史実では...
松虫姫(不破内親王)は、後年娘たちと淡路国に配流され
795年(延暦14年)12月に和泉国に移され。それ以後は消息不明。....って^^;

消息不明なのに、分骨された御廟があるの?
まぁ歴史なんてそんなもん...っていったら語弊がありますが、特に古代史はそんなもんです^^;
なので、ホントはこうだ、ああだと、言われても、リンダ困っちゃう♪(^^;)

そうそう!今回古代史関連のサイトを色々廻っていたら....
『教科書に載らない古代史』人物編&出来事編 関 裕二
見〜つけた♪見〜つけたぁ〜♪(笑)
「正史」とは創られた「歴史」のことである...んだんだ、そのトーリ!(^^)

まぁ、ネット版だと...ん?その先を知りたい!!
というところまでで、終わってます。...よくできてやがる(笑)
私が読んだ中で面白かったのは、下記の著作かな。
まぁ、ちょっと古代史に興味が湧いたかな?って方にはおすすめします(^^)






ふぅ〜・・・久々に長編シリーズを書いてしまいました。

[神道vs仏教と大和朝廷]
[金にする理由は何があるんでしょうか?銅じゃダメなんでしょうか?]
[阿弖流為(アテルイ)伝と日高見国]
[阿弖流為(アテルイ)伝と常陸国]
[阿弖流為(アテルイ)伝ともののけ姫]
[もののけ姫と松虫姫]
[風刺:神仏習合と第三極]
[風刺:太陽と日本と橋下]


11月...たぶん1日だったと思います。白鳥の渡りを見た時に
VA PENSIERO SULL´ALI DORATE
何故だか急に、この時の気持ちが蘇りました。サスケさんへのレクイエムです。

VA PENSIERO SULL´ALI DORATEを初めて聴いたのは、よく覚えてないんです。でも、なんだか、悲壮と希望と雄々しさが入り混じったこの合唱が耳に残って、時々PCを落とす前にyoutubeで聴いています。

あれ?曲が削除されていますね^^;⇒じゃここで

斎場に置かれたサスケさんの黄金のアンカー(ロードバイク)を拝見し、鳥見神社をはじめ、白鳥伝説やたくさんの事を教えて頂いたサスケさんを偲んだ時、この曲が浮かびました。

そして今回フリーさんに鳥見神社を案内して頂き、あらためて[VA PENSIERO SULL´ALI DORATE]が歌われる歌劇ナブッコ(Nabucco)を詳しく読んで、何故だか心が突き動かされました。
VA PENSIERO SULL´ALI DORATEの歌詞(和訳)や詳細は⇒こちらの方が私は好きです

「VA PENSIERO SULL´ALI DORATE」は、バビロンの捕囚で強制労働に連行されたヘブライの人々(≒ユダヤ人)が祖国を懐かしんで歌う合唱です。今回、あらためてその背景を学び、日本が統一国家となる陰で、幾多の蝦夷(≒縄文人・原日本人)の悲壮と希望があったのだろか?と思いを馳せました。

東葛人さんサスケさんはじめ、多くの自転車仲間に出会い、多くの題材を教えて頂き、
Romanさんkawasakiさんはじめ、自らの"脚"で書かれた秀逸な郷土史サイトに出会えて
ホントに感謝の念に堪えません。




拙ブログも、いつの間にか1000記事を超えていました。
1000記事を区切りに、またブログ内の整理を始めなきゃと思ってます。
リンク切れも多いようなので、修正した過去記事を再アップするかも知れませんし、前々から言われている、本業に関する記事も今後は増えていくかも知れません....って。これ以前も書いた気が(苦笑)

長文・駄文の記事にお付き合い頂き、心より感謝申し上げますm(_ _)m
posted by たすけ at 23:57 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

流山散歩 / 流山市観光WEBサイト

流山チャンネル

新.流山観光WEBサイト 流山散歩 遂に完成しましたね♪(^^)
流山本町・利根運河ツーリズム推進室が進めてきた、新.流山観光WEBサイト
⇒■ちいさなときめき流山散歩 お散歩やポタリング用の専用サイトです(^^)
...て。あれ?【ぶらっと半旅流山】のキャッチコピーは使わなかったの?(笑)

流山散歩


■流山市観光PV(流山市観光プロモーションビデオ)

kankonagareyamaphj制作の⇒流山観光動画集
▼新選組と一茶ゆかりの地を訪ねるコース
▼カフェ・ギャラリー・老舗めぐりコース
▼南流山から行く歴史探訪コース
▼利根運河自然散策コース
▼自転車でめぐる利根運河江戸川コース
▼谷津干潟サイクリングコース

流山散歩おすすめコース

流山散歩お勧めコース

私個人的には、初めて流山を訪れる方には
▼新選組と一茶ゆかりの地を訪ねるコース⇒こちら
距離も短くご高齢の方で充分巡れますのでイチオシです♪(^^)

つくばエクスプレスで流山を訪れる場合は、南流山駅からのコースもありますが・・・
▼カフェ・ギャラリー・老舗めぐりコース⇒こちら
ここの12番大宮神社は、流鉄「流山駅」からでも、つくばエクスプレス「流山セントラルパーク駅」からでも、ほぼ同距離なので、「流山セントラルパーク駅」から順路を逆に廻ってもいいと思います。
ただ、12→11→10は、普通の住宅街を通るので、ちょっと道に迷うかもしれませんが^^;各頁にお勧めコースのPDF地図がありますので、是非それをプリントアウトなさって流山にお越しください(^^)

▼利根運河自然散策コース⇒こちら
が一番距離が短いのですが、せっかくなら利根運河交流館でレンタサイクルを借りて
もうちょっと欲張りに巡りたいですね(^^;)
でも自転車でめぐるシリーズのコース動画は「もっと雰囲気のいいルートがあるのにぃ」
と、流山をよく知るサイクリストには、もの足りないコース紹介かもしれませんね(^^;)

...てな訳で、流山ブローガーの皆様
【ちいさなときめき流山散歩】をじゃんじゃん紹介しちゃいましょう(^o^)

※補足事項
流山市観光協会のHPは⇒こちら  流山市(市内全域)観光マップは⇒こちら

一茶双樹館,アトリエ黎明,万華鏡ギャラリー見世蔵,利根運河交流館などに
観光マップが置いてありますよ(^^)....駅に置けばホントはいいのにねぇ。

2012年11月23日

posted by たすけ at 12:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

丸味食堂 / 八郷名物しゃも鍋&しし鍋

美味いもんチャンネル

ちばらきチャンネル

丸味食堂 石岡市柿岡3338-3 水曜定休
丸味食堂のHPは⇒こちら 詳細地図は⇒こちら
丸味食堂で食べた軍鶏(しゃも)鍋に感激しました!...感激の理由は後述します。

丸味食堂(石岡市柿岡).jpg

石岡市(八郷)の丸味食堂は
11月24日のやさと茅葺きサイクリングで、新田穂高さんにご案内して頂いたお店です。

丸味食堂の宴会場(石岡市柿岡).jpg

20名を越えていたので、店舗奥の宴会場でランチとなりました。

八郷名物鍋マップ

筑波おろしの寒風吹く季節は、温かい鍋料理が非常にありがたいご馳走になります♪
(画像は、2012-2013年版のサムネイルで拡大します。)
さらに詳細はこちら⇒八郷名物しし鍋マップPDF
昨年の記事ですが、やっぱり今年もしし鍋だっぺ
石岡市八郷の猟師さんが、野山を駆け回って射止めたイノシシは、うま味のある脂がこたえられない味覚を醸し出します。
天然ものだから余分な脂が一切なく、噛めば噛むほど肉のうま味が口の中に広がります。
肉のうま味と野菜の甘みがマッチした、身体も心も温まる“しし鍋”を是非ご賞味ください!
※検査して安全性を確認した、しし肉のみを使用しております。
八郷のしゃも鍋・しし鍋
(この画像もサムネイルです)
しし鍋だと、だいたい1500円〜2500円のようですが、八郷(やさと)の軍鶏(しゃも)鍋は、どの店でも1000円均一と云う嬉しいサービス設定です♪
...感激理由は、1000円均一?...も、ありますが・・・。

今回は4人で一つの鍋だったのですが...なにげにおたまで鍋をすくったら
「げっ!ヤバイ...肉が入りすぎた」(汗)

まずは野菜から取ろうとしたのに、軍鶏肉がゴロゴロたっぷり入ってしまいました。
やっぱり、遠慮しますよねぇ^^; いきなりざっくり肉ばかり取ったら^^;...ところが
「あれ?他の人も、おたまにざっくり肉が入る」
そうなんです...鍋の中の半端ないしゃも肉の専有率に吃驚しました!

都内でこの手の鍋を頼んだら、野菜8〜7割、肉2〜3割くらいですが、丸味食堂さんの、しゃも鍋は、野菜4〜5割、肉6〜5割くらい、肉占有率が半端ない!掬っても掬っても、肉!肉!肉!でした!しかも、レバーから砂肝から、軍鶏丸ごと入ってます♪(嬉)

「もしかして、この肉占有率の高さは雨天順延で欠席者が出たから?」
そこまでは確認できませんでしたが^^;
とにかく食べきれないくらいのシャモ鍋のボリュームと美味さに吃驚しました。

肉たっぷりの八郷の軍鶏鍋.jpg

こちらが丸味食堂さんのしゃも鍋...誰も食べる前に撮ってなかったし(笑)
かろうじて、ワンチャンさんとxiaoxiongさんが撮っていたしゃも鍋画像を拝借しました(^^)v

まぁとにかく..出汁は効いてるし、シコシコ噛めば旨味が出るし♪
日本三大地鶏の名古屋コーチンも、秋田比内鶏も、奥久慈軍鶏も食べたことありましたが・・・
どえりゃーうめーで!やさとしゃも!その秘密は⇒地鶏が地鶏であるための高いハードル
父親には大型しゃもの純粋種を用い、その闘争性を減少させるため、母親には土佐九斤を加えた交雑種を配しています。納豆菌や、有効菌の増殖を促進するオリゴ糖の添加。米・小麦・大豆を中心とした国産原料による飼料を使細用するなど、食の安全とヘルシーさを伴う味への追求は並大抵ではありません。
...って。茅葺きサイクリング行ったのに、いきなり食い物記事から!?
師走が近づき、ちょっと多忙になってきて更新が滞りそうなので
先ず誰もが知りたい「美味いもん情報」からと思いましてf(^^;)

丸味食堂(石岡市やさと).jpg

さて、丸味食堂さんの宴会棟前にずらっと並ぶ、やさと茅葺きサイクリング参加者の自転車。
黄色のサイクルジャージの後ろ姿は、この日サポート役の石塚さん。

石塚さんは、つくばりんりんロード周辺の自転車振興を図るNPOのスタッフさんで、来月(12月)に、そのNPOのHPが完成するそうです♪ 筑波で自転車というと、不動峠ヒルクライムなどが浮かびがちですが、小径車やクロスバイクでの筑波周辺のポタリングなども企画にあるそうで。
まったりポタ専科の私にとって、こちらのHPのオープンも心待ちにしています(^^)/

2012年11月28日

posted by たすけ at 20:51 | Comment(8) | TrackBack(0) | 美味いもんチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

佐久の大杉様 / これぞ御神木の威容

ちばらきチャンネル

佐久の大杉(石岡市八郷地区)

石岡市佐久の集落にある鹿島神社の御神木「佐久の大杉様」と呼ばれています。
ここも11月24日のやさと茅葺きサイクリングで、写真の新田穂高さんにご案内して頂いた八郷の名所です。場所は⇒こちら

里山ポタ好きな私は、巨木(古木)に出会うことも楽しみの一つで写真に収めますが、どうもセンスがなくてこの御神木の威容を上手に表現できません(悲) EIJIさん、dadashinさん、joypapaさんだったら、もっと佐久の大杉様を上手に撮るのだろうなぁ・・・。
どこかに、佐久の大杉様の威容を表現した画像がないかなぁ・・・と探したら。
全国巨樹探訪記(人里の巨木たち)というサイトに⇒佐久の大杉が掲載されていました♪(少し大きめの画像を見るをクリックして、是非この鹿島神社の御神木の威容をご覧ください^^)

「ね?すごいでしょ?The sacred tree.これぞ御神木です。」
この姿を見ると本当に神様が宿っているように思えますよねぇ。

佐久の大杉様(御神木)

私はこの御神木の全体像を上手に撮れなかったので
こんな部分をクローズアップしてみました。

「見えましたか?老神様の化身が?」f(^^;)

佐久の大杉(茨城県指定天然記念物)

樹齢1300〜1600年と推測される佐久の大杉(茨城県指定天然記念物)は、枯死の危機に瀕しましたが保存会の人々が一丸となって樹勢回復につとめ、幹中心の梢はなくなりましたが、支柱に支えられた枝の梢には、青々とした緑が回復していました♪

佐久の大杉と支柱

「どうかお元気で。また必ず、来ますね♪」
と鹿島神社にご祈願して、茅葺きサイクリングの終盤となりました。

...って。肝心の茅葺きの報告はどうした?...すみません。徐々にアップしますf(^^;)

2012年11月29日

posted by たすけ at 19:02 | Comment(3) | TrackBack(0) | ちばらきチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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