警察の過剰警備は危険だ!我々は馬じゃない!

日記(言いたい放題)

今日8月3日(金)の首相官邸周辺抗議は、原子力規制委員会人事案【原子力ムラの村長が規制委員長】を撤回するよう求めます!
なかなか脱原発デモに参加できない私ですが、同じようにデモには参加できないけれど、脱原発への思いを同じくしている人も多いと思います。

実際にデモに参加している友人は、その状況を詳しくFacebookで報告してくれます。
そんな中、気になっているのが首相官邸前や国会議事堂前での警察の過剰警備です。ベビーカーを押しながら参加しているような家族連れもいるのに、バスや鉄柵やピケ(歩哨)で、狭い歩道にすし詰め状態に追い込む警察の過剰警備にはまったく理解不能です。
この猛暑の中、いつ怪我人や熱中症などの病人が出てもおかしくない危険な警備状況です。数々の動画やブログ等で、警察の危険な過剰警備を問題視しています。
代表的なのが⇒“歩道も通せんぼ”金曜集会での過剰警備 弁護士が警視庁に改善申入れ

国会議事堂前の横断歩道を通せんぼする警察
この画像はクリックで拡大します。

私は法律には詳しくありませんので、友人が撮った警察の過剰警備画像をアイロニーとして、国会議事堂前の横断歩道を通せんぼする愚劣な国家権力に抗議します。参照⇒警察法
第一章 総則

(この法律の目的)
第一条  この法律は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保障し、且つ、能率的にその任務を遂行するに足る警察の組織を定めることを目的とする。

(警察の責務)
第二条  警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。
2  警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法 の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。

(服務の宣誓の内容)
第三条  この法律により警察の職務を行うすべての職員は、日本国憲法 及び法律を擁護し、不偏不党且つ公平中正にその職務を遂行する旨の服務の宣誓を行うものとする。
私が住む東葛地区は、江戸時代は野馬(のま)の放牧地で、野馬土手という障害物や捕込【とっこめ】=(馬を追い込み、捕まえる袋小路のような場所)が残っています。

本来警察は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するために警備をしなければならない筈なのに、あの鉄柵やバスのピケ張りをみていると、脱原発デモの抗議集会に参加する人々を、まるで馬のように扱い、いつでも逮捕できるような【捕込】をつくっているように思えてなりません。

おそらく警備している警察官が何よりそれを実感していると思いますが・・・。野田総理が真に国民の声を広く聞く姿勢があるならば、国家公安委員会とトップとして、脱原発の抗議集会ために安全な交通規制(歩行者天国)に許可を与えるべきです!

2012年08月03日

posted by たすけ at 17:25 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

これぞポタリング! / サイクリングとポタリングの違い

自転車(ポタリング)

サイクリングとポタリングの違いって何でしょう?
ポタリングという言葉を初めて知ったのは、東葛人的道楽というブログでした。2005年の春、利根運河の桜吹雪がとてもきれいで「嗚呼、同じようこの風景を目撃して感動していた人が居たんだ♪」と嬉しくなってコメントを書かせて頂いたのがきっかけでした。

ポタ?ポタリング?どういう意味だろう?
自転車散歩『足の向くまま、気の向くままに自転車で巡る小旅行』ふ〜ん...
...って。その時は私自身がポタリングの虜になると思ってもいませんでした^^;

中高年になって自転車をはじめる動機は、運動不足解消だとか健康の為だとかが多いと思うのですが、やがてロードバイクでより速く走ってみたいとか、より遠くへ行ってみたいとか、ヒルクライム(峠を攻めたい)とか、そういう志向に入る一方で。
とりあえず、歩くよりは遠くに行けるし、車よりは風景を楽しむ余裕があるし、気軽にどこでも立ち寄れるし...という志向に入るサイクリストが居ます。

例えて言えば、特急列車で行く旅=サイクリング 鈍行列車で行く旅=ポタリング
そんな感じでしょうか?
あ!他には、ケーブルカーで行く旅=ヒルクライム 夜行列車で行く旅=ブルベ
っていうもありますね(笑)

ただ、どうせ行くならうまいもん食べてみたい。珍しい店に行ってみたい。
というのがどの志向でも共通しているようです(^^;)

ポタリングは楽しい

さて前置きが長くなりましたが、7月29日にフリーさんに主催して頂いたマツムシコーヒーでリラックスしませんか? というポタリングは、これぞポタリングというポタでした♪

これぞポタリングルート

これが、当日のルートですが。⇒参照[東葛人的道楽より]
出発地からマツムシカフェまでを最短ルート(赤点線)で行けばサイクリング。
青実線のように、くねくね、ゆっくり風景を楽しみながら行けばポタリング。

まだ私自身がポタリングという言葉に馴染んでいない頃は、集団で目的地に自転車で行くことはサイクリングじゃないのかな?と考えていたのですが・・・。

そもそもポタリスト(こんな言葉あるの?w)は単独行動で
「あ!この脇道面白そうだ。」
「この細い道を行くとどこに出るんだろう?」

そんな小さな発見を愉しみながら、ペダルを漕いでいますが・・・

「げっ!行き止まりだった」
「あらら、農家の庭に入りそうになっちゃった」

そんな失敗を重ねがら、なんとなく雰囲気のいいルートを開拓して行きます(笑)

今回フリーさんに案内して頂いたルートは、おそらくフリーさんも上記のような失敗を重ねがら開拓した、自転車散歩ルートなんだろうなぁ...というのが走ってみてよくわかります。

東葛人さんだけなく、ワンチャンさんemoさんも、他の参加者の方々も同様の感想を書かれていますが、「あ!ここに出るのか!」と、普段走り慣れている道に合流する度に「なるほどねぇ〜」と感心します。

サイクリングとポタリングの違い

象徴的なのが、この左手に見えているが利根川CRです。ほんのちょっと横にこんな雰囲気のいい道があり、さらにその先を脇道に入り、農家と水路と水田の配置が絶妙にいい感じの道を案内して頂きました。ポタリストは風景の単調なサイクリングロード(CR)はあまり走りません。それより農道や林道が大好きなのです(笑)。そして都内なら、下町のくねくね路地だったりします(^^;)

里山と谷津田のポタリング

今回は道中の写真はあまり撮れなかったのですが、うっとりするような、里山の谷津道を巡りながら目的地のマツムシカフェに到着です。(マツムシカフェの記事はまた後日に)
今回のポタルートを、できるだけ一筆書きで(同じ道を通らず)いい感じの道を通ってコンビニ休憩を入れつつ目的地に行き、そして同様に出発地点に戻るにはどの道を効率的(風光明媚に)に走ろう...とフリーさんが色々ルートを考えたであろう事は、参加者の誰もが感じたことでした。

これもそれも、普段の『足の向くまま、気の向くままの自転車散歩』の積み重ねがあって可能になるわけで、今回のマツムシポタが【これぞポタリングというポタ】と感激し、やっぱりサイクリングとポタリングは違うなぁ・・・と実感した次第です。

ま、でもこれは私の個人的な考えです。
ゆっくり(ゆるく)走るサイクリングをポタリングと言う場合もあるでしょうし。さらに、まったりポタなどという言葉もありで(笑) ま、とにかく目的地にまっすぐ進む自転車旅ではなく、くねくね風景を楽しみながら走る自転車旅をポタリング...と私は感じています。

幹事フリーさん、マツムシポタ参加者の皆様ありがとうございました。末筆ながら...
寝坊して急遽デポ地から集合場所(8km)までは鬼漕ぎで"サイクリング"しましたが、大遅刻して申し訳ありませんでしたf(^、^;

2012年08月05日

posted by たすけ at 03:07 | Comment(4) | TrackBack(0) | 自転車(ポタリング) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最高裁判所と会計検査院に真実を求めるかい?

日記(言いたい放題)

法の番人と呼ばれる最高裁判所。お金の番人の会計検査院。
たぶん国民の多くは、ここで働く人々はさぞかし法律やお金の管理に厳格な人達ばかりなんだろうなぁ...と思っているに違いない。いや、私だって最高裁や会計検査院のお役人の方々は、さぞかし常識人で公明正大な人たちばかりなんだろうな...って思ってましたよ。
それが、見事に期待外れ&常識外れで、呆れ果てるほど...
最高裁判所と会計検査院の真実はルーズであるという話なんですが。

私は一見、几帳面な性格だと思われているらしいのですが、案外ルーズなんです(^^;)とくに我が財務大臣に毎回こっぴどく叱られるのが、ガソリン・駐車料金・パスモなど交通費領収書の提出忘れ。
「知らないわよ。それはお小遣いから自己負担ね!」...そんなぁ(TOT)

ましてや、得意先様への請求書日付を間違えた時などは
「どうするの!?お得意様だって、税理士さんだって大迷惑よ!」(`ω´*)

元銀行員の我が家の財務大臣は、お金と伝票の日付には、かなりシビアです。
...っていうか、それはビジネスでは当たり前というか社会常識ですよねf(^^;)

ところがですよ!
司法の最高府の最高裁判所への伝票は、日付空欄で良いんですって!(´゚д゚`)
見積書も納品書も請求書も、すべて日付無しが常識なんですってっ!(‘д‘ )
いつ納品されとか、いつ支払うとか、それは最高裁の経理局が自分で決めて"いた"らしい。
いいなぁ〜、最高裁判所が得意先だったら、財務大臣から怒れずに済むのになぁ( ̄▽ ̄)

しかもですよ!
会計の最高府の会計検査院に言わせると
「日付の記載なしの納品書や請求書は望ましいことではない」...(・・;)えっ?
望ましいことではない...って!なんてルーズで優しいフォローなの...( ´∀`)

失敗したかなぁ...会計検査院出身の女性と結婚していたら
きっとお金の使い道や伝票の正しい記載なんて...
「そんなこと大した問題じゃないわよ」(*^_^*)
...って。優しくフォローしてくれたんだろうなぁ( ̄▽ ̄)

さぁ、ここまで皮肉たっぷりに呑気に書きました。以下から、私、かなり怒りモードに突入します!
推敲せず一気に書いたので、拙ブログの文章ではなんだかよくわからないという方は、棒に怒る日本人の【実在しない検察審査会のでっち上げ?この国は腐りきっているのか】をご一読くださいm(_ _)m




2012年7月30日の参議院決算委員会にて"国民の生活が第一"の【森 ゆうこ議員】が、最高裁判所の経理局長【林 道晴氏】と同刑事局長の【植村 稔氏】と会計検査院の第一局長【鈴木繁治氏】の三名に対して



杜撰な最高裁の経理処理・不甲斐ない会計検査院・奇々怪々の検察審査会の三点を鋭く質問しています。三名の答弁があまりに常識外れで、イライラするほど"しどろもどろ"だったので、この動画はダイジェスト版として割愛している部分が多いです。森ゆうこ議員と三名の一言一句を確認したい場合は⇒http://www.youtube.com/watch?v=o6zAQkhK2AA

■冒頭質問
最高裁のシステム調達の入札率はほとんど100%に近いことの疑問。
経理局長は、予定価格を業者から参考価格として出させている回答。
会計検査院の局長は、1社入札は高くなるので好ましくないと回答。
まぁ、談合なんざどこにでもある話なのでこれは序の口...

■次の質問が
検察審査会用に作られたハンドブックの納品書、請求書にも日付が書かれていない。
一般常識では日付がない伝票や納品はありえない。
経理局長は、業者が提出するものには日付がないのでこちらで受領印を押している。
...って。コイツ!シラ〜と日付未記載を業者に責任転嫁してやがって!(`Д´)

■最後の質問が本丸
検察審査会の審査員に任命されたメンバーに謝金の支払い書類があるようだが
明白なデータで裏付けないと正しい処理がされたかどうか不明だ。

特に奇々怪々なのは、小沢一郎氏に強制起訴議決をした東京第五審査会である。
発表された審査員の平均年令が30.9歳⇒33.91歳⇒34.55歳ところころ変わった。
しかもこの34.55歳という数字は、第一回目(全く別人構成の11人)の時と同一。
確率的に皆無に近い数字は、この検察審査会メンバーは架空の存在ではないのか?

この疑惑を氷解させるのは、単純に11名の生年月日を開示すればわかる。
ところが法の番人である最高裁の植村刑事局長は
「それはプライバシーだから、出せませ〜ん。私担当でもないしぃ〜」
...って。コイツ!シラ〜とたらい回しで逃げやがった!(`Д´)

■検察審査会の事務局長や事務員を任命しているのは誰なの?
それは、最高裁判所だと刑事局長も認めた。
参議院決算委員会は、国権の最高機関である最高裁判所の経理に疑惑が出ている。
最高裁判所の支配下にある検察審査会がそのデータを出さないことは許されない。
参議院決算委員会として理事会でそのデータ開示要求を取り上げることを要請し、議長が協議することを約束した。

以前から書いていますが...私自身は小沢一郎氏や森ゆうこ議員や国民の生活が第一の党を応援するとか、そういうことでこの記事を書いている訳ではありません。ただ、たとえ相手が最高裁の役人であろうと、どう考えても納得の行かないことを見過ごす訳には行かないし、肝心な事を報道しないマスコミに納得が行かないのです。

そりゃ、森ゆうこ議員は小沢一郎が党首である"国民の生活が第一"の党員でありますから、小沢一郎擁護となるのは当然ですし。「あの人は嫌いだ!」という人の好き嫌いという感情を変えることなんざ望んでいません。ただ、「小沢一郎は悪人である」というマスコミの刷り込みにすっかり感化されている人々が私の周囲には多いのです。
それどころか、「小沢は権力を使って、検察に圧力かけて自分の不正をウヤムヤにしたんだって!」...と、全く見当違いをドヤ顔で語る人も居たりして...あ、それ我社の財務大臣だ!(苦笑)

以下、現代ビジネスの東京第5検察審査会「小沢一郎起訴相当」決議を会計的に解析する 会計のプロが徹底分析の最後の文面を引用
さて、東京第5検察審査会は、「陸山会が、平成16年初めころから同月27日ころまでの間に、被疑者から合計4億円の借入をしたのに、平成16年分の収支報告書にこれらを収入として記載せず」として不記載罪を主張している。ということは1番目の4億円を政治資金収支報告書に収入として記載しなかったことが、政治資金規正法違反の犯罪になると考えていることになる。だが、この主張はそもそもの理屈が間違っている。

 なぜなら、1番目の4億円は、会計期間中に決済された仮受金となり、期中決済された仮受金は資金残高には一切影響しないのであるから、これを書く、書かないは、政治資金収支報告書作成者の任意となるからだ。陸山会がこの仮受金を政治資金収支報告書上の収入として計上しなかったのは、正しい会計処理なのである。

 公正ナル会計慣行上計上しなくとも良い仮受金収入を計上しなかったことをもって、政治資金収支報告書不記載を主張する事はできない。

 もとより私は、会計人として、小沢氏の本件4億円を含む資金原資全般に対し、常人以上の強い疑惑を感じるものである。しかし、同時に私は、日本国民の刑事責任は、法と証拠のみに基づいて追求される得るべきものであることを知っている。小沢氏の資金源泉に対する疑惑はこの例外にはならない。

 東京第5検察審査会は、陸山会の政治資金収支報告書虚偽記載における小沢氏の共謀を認定し、起訴相当決議を行ったが、この認定は間違っている。なぜなら、問題とされた陸山会の政治資金収支報告書には虚偽記載そのものが成立しない。従って共謀そのものがあり得ない。

 すなわち、東京第5検察審査会は起訴事実がないにもかかわらず、起訴相当決議を行ったのであり、その決議に基づく強制起訴は不当である。陸山会の政治資金収支報告書に対する公正ナル会計慣行が法廷で立証されることを期待する。

嗚呼...オリンピックの男子サッカーも見ないで、またこんな記事書いちゃった。
まぁね...
今はロンドンオリンピックに夢中だから、別にマスコミで報道しなくてもいいけどさ。
どうして、マスコミはこの最高裁の疑惑を全然報道しないの?
オリンピック終わったら報道の正義の姿勢を見せてくれるの?
そしたら、報道したマスコミには正義の金メダルあげちゃうけどなぁ(・∀・)

これまでの代表的な検察審査会と小沢一郎(陸山会)起訴相当の審査会を比較すると。
JR脱線(神戸第1審査会)   1回目..47歳   2回目..53歳
明石事故(神戸第2審査会)  1回目..53歳   2回目..42歳
小沢陸山会(東京第5審査会) 1回目..34.55歳 2回目..34.55歳

審議回数
JR脱線(神戸第1)は、9回審議した
明石事故(神戸第2)は、7回審議した
小沢陸山会の東京第5は、審議回数も開示できない...ってどゆこと?
実態が謎だらけの【検察審査会メンバーは本当に存在するの?】

そもそも、不起訴となった小沢一郎氏を強制起訴するための「検察審査会」は、申立人が申請しなければ始まりません。この審査申立人は「小沢氏を東京地検特捜部に告発した市民団体」で、その名も【真実を求める会】なんだそうですが...
ホントに真実を求めるかい?だったら今度は、【真実を求める会】で
謎の検察審査会メンバーの真実を求めちゃおうぜ〜!ワイルドだろう?(笑)


・・・今日は、我社に税理士がやってくる日。
「たすけさん、ちゃんと伝票は期日を守って出して下さい。」
「ほら!だから言ったでしょ!」....って。また怒られちゃう (/_;)

2012年08月08日

posted by たすけ at 07:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新川耕地の夏 / ホタルはなぜ光る

流山チャンネル

2012年の8/4(土)8/5(日)は、NPOホタル野さん主催のホタル鑑賞会でした。

ホタル鑑賞会新川耕地2012

今年の鑑賞会は、例年以上にホタルが大量に飛翔して、柏からやってきた甥家族も大感激の様子で何よりでした♪

ホタルはなぜ光る?実験
こちらは子供たちを前に、ホタルの発光【ホタルはなぜ光る?】の実験の様子です。
子供だけでなく親御さんたちからも歓声があがりました(^^) たぶん、このようなキットを使ったのかな?4色セットではなく各色バラ売りですが、個人的には青色が一番きれいだと思います(^^)

発光は5時間くらいもちますから、お子さんの誕生会等や、ちょっとした手品みたいな余興でも使えそうですね(^^) 


ホタルの発光原理は、酸化還元反応で生じるエネルギーによって励起(れいき)状態から基底状態に移る連続時の「ルミネセンス(冷光)」。ホタルは、ATPのエネルギー消費で酵素ルシフェラーゼがルシフェリンを分解し、励起状態の酸化ルシフェリンが生じて、これが基底状態に戻るときに文字通り蛍光(黄緑色)の光を発生する。⇒参照

...って、励起だの基底だのって、なんだか小難しい言葉ですよねf(^、^;
私たち人間も、呼吸(=酸化還元反応)と食事(栄養素の摂取)によって、身体中の細胞に無数に存在するミトコンドリアが様々なATPを産出して生命を維持しています。ATPは筋肉を動かしたり、神経を刺激したり、生命維持のために広範囲で活躍しますが、当然のごとく激しい運動や高い興奮状態が続けば、ATPの消費量も一気に増えます。

ホタルは交尾前の恋の点滅に食事も取らずに水だけで、すでに結構な体力(エネルギー)使っています。 良い子のみんなは、そんなホタルさんの○起状態や交尾をよくミテコンドリア...なんて事は話してませんよ(笑)

新川耕地ホタル鑑賞会

当日は子供たちのために、ちょっとした駄菓子屋&おもちゃ屋さんも店開きしていましたが、来年は冒頭の【光るホタル液】を用意しておいてくれたらいいのになぁ...なんて思いましたヨf(^、^;

新川耕地の夏

お盆が過ぎ、新川耕地のホタルの恋の季節も終わり、刈り取られた葦の原はコオロギやウマオイなど、秋の虫たちの合唱団に変わりはじめています♪

2012年08月17日

posted by たすけ at 03:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

流山市の除染作業

流山チャンネル

流山市の除染作業の日程や詳細については
流山市環境政策課⇒【放射能対策室】をご参照ください。

流山市立南部中学校

さて、盆休みの某日、母校[流山市立南部中学校]の除染作業を見に行きました。

流山市の除染作業01
流山市の除染作業03

校庭の表土を削る目印がまるで墓標のように見えてちょっと(悲)

流山市の除染作業04

大量に削られた表土は、放射線量を測定し、大きな穴を掘って埋没保管となります。

東葛地域[千葉県北西部]では、子供が多く利用する施設から優先的にこのような除染作業が進行していますが、流山市でその費用がざっと14〜20億円。この費用について『税金の無駄遣いだ。東葛地域に限らず、福島県でさえ人体に影響があるような放射線量ではない。』と言うご意見もあります。

以前にも同じような事を書いたような気がしますが。私自身、子供の健康に関しては放射線より、残留農薬や食品添加物の方が不安が大きいです。おそらく東葛地域や流山市の放射線レベルはさほど心配する必要がないと思っています。しかし放射線の影響[特に発がんリスク]については20〜30年のスパンで見ないと、はっきりとわからないのが現実です。

今、小さなお子さんを持つ親御さんたちの不安は、この
【はっきりとわからない事への不安】
なのだと思います。
極度のストレスが発がん因子(=イニシエーター)になる事を勉強させられ、実際に多くの事例を見てきた私にとって、不安=癌イニシーエションが軽減できるのなら、この費用は決して無駄ではないと考えます。

除染作業を無駄な労力であるというご意見に『放射性物質が降り注いだ地域の全てを除染することは費用云々より物理的に不可能だ。ほんの僅かな地表を除染しても根本的解決にならないじゃないか。』これには、全く同意します。

しかし、除染を望む人々も根本的解決にならないことは知った上で、それでも少しでも不安を取り除くために、わがまち流山の未来のためにICDT=[I can do this.]ひとりひとり何か(これなら)出来る。と考えて、流山市の除染に取り組んでいます。

流山市のボランティア除染作業

流山市の市民除染ボランティア

今日8/18 流山市南福祉会館の市民除染ボランティアに参加させて頂きました。
学校の校庭の除染のような重機を使わず、すべて人海戦術ですが、ICDTの事前準備や段取りが大変素晴らしく、拍子抜けするくらい順調であっと言う間に作業が終了しました。
箇所によっては除染前の1/10に放射線量が下がり、大きな拍手が起こりました。

除染の意義

私は思います。除染作業は不安を除染する作業である。
それは、子供の未来・ふるさと流山市の未来にとって、決して無駄な労力ではないと。

2012年08月18日

posted by たすけ at 16:30 | Comment(3) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

澤田隆治コレクション&プロデュース 近代マジック歴史100年

日記(家族・子育て)

「笑って健康を」の健康都市宣言流山市で開催されている「お笑い大行進」も今日8/19で22回目ですが、プロデュースは澤田隆治(さわだ たかはる)氏。
リンク先にもあるように、澤田隆治氏は【てなもんや三度笠・新婚さんいらっしゃい!・花王名人劇場】etc誰もが知っている人気番組を手がけてきましたが、その澤田氏が世界でも有数なマジックコレクションの収集家だったことを、流山市生涯学習センターで開催された澤田隆治コレクション&プロデュース 近代マジック歴史100年で初めて知りました。

近代マジック歴史100年

ギャラリー会場にアートバルーン2体を寄贈したPRINCOちゃんから
『8月11日のマジックショーはオススメですよ!無料で見られるなんてトレビア〜ン♪』とご連絡も頂き、最近笑いが少ない家内を誘って行ってきましたよ(^^)

澤田隆治プロデュースマジックショー

左から順に、澤田隆治渚晴彦ケン正木MIYAMONAOMI TIGERDOJI[敬称略]

11日のステージの1部は
澤田隆治が秘蔵映像で語る【伝説のマジシャン、ハリー・フーディーニ】

冒頭の挨拶が「いやぁ〜、私の道楽に付き合わせてしまってすみません」
という謙虚な言葉。やっぱり人気番組を作ってきた人の言葉は違うなぁ・・・

そして心に残った逸話

「ナポレオンズをアメリカに連れて行った時、ギャグで紙性の鳩をポトリと落として観客に大受けだったのに、国内の農協団体の興行でやったらマジメにやれ!と叱られたんですよ。」

「日本人は真面目な民族なのでどうも騙されているというマジックは向いていないらしい。一過性のブームがやってきては一旦寂れて、また数年経って復活する繰り返しなんですね。」

...なるほど。その他含蓄のある話も多数あったり

すごっ!こんな映像が残っているんだ!無声映画もコレクションなんだ!と感動。
ま、でも子供にとっては退屈な時間だったかもしれませんが(苦笑)

第2部がマジックショー
若手3名に続き、トリがケン正木でしたが、流石ベテランはトークも間のとり方の絶妙ですね♪なんでも病気の後遺症でまだ手指の自由が完全でないとの事でしたが、それをしてもあれが出来るのか!?と思うと不断のトレーニングの大切さを教えて頂いたマジックショーでした。PRINCOちゃんのおっしゃった通リ、このような充実の3時間が無料だなんて、とってもマ〜ベラスぅ♪(^^)

澤田隆治マジックコレクション

ギャラリー会場の多数の澤田マジックコレクションにも圧倒されました。
私が特に気に入ったのはイリュージョンの種明かしビデオと、サングラスをかけてない若き日のMr.マリックのマジック入門書かな?(笑)




さて、最近笑いの少ない家内と書きましたが...
子育ての終わった我が家にとって大きな問題は義父の介護です。今年の盆休みは連日、施設の見学やケアマネさんとの面接で終わりました。ずっと義母と家内で家族ケアをしていますが、どんどん認知症の進行が進む義父。
面接した各施設で異口同音に「申し訳ないのですが、当施設ではお預かりできません。お母さん、本当によく頑張って面倒みられていますね。」もう流石に義母も家内も介護疲れで精神的にボロボロになっています。そんな中、徘徊から義父を連れ戻す時、私自身も初めて大声で苛立つ家内を叱咤してしまいました(反省)

アンティグアの夏ランチ

カフェ・アンティグアの庭

一人、冷静になりたくて、お気入りのカフェ・アンティグアさんで夏ランチ。
アンティグアの庭で囀る小鳥に癒されました。小鳥さんありがとうm(_ _)m

実はアンティグアさんを訪れた事がきっかけで、PRINCOちゃんさんから8月11日のマジックショーをご紹介頂きました。ありがとうございましたm(_ _)m
「笑って介護を」...生易しい事ではないけれど。笑顔が心の健康の証であることには、確かですね(^^)

2012年08月19日

posted by たすけ at 11:42 | Comment(2) | TrackBack(0) | 流山チャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

世界一周の教育実習〜シルクロード自転車横断〜と樹懶庵(じゅらいあん)

お気に入りサイト

現在の中国や韓国との領土問題や、反日(抗日)運動について、日・中・韓それぞれの国の学校教育(歴史教育)から問題点を考えてみよう...なんて内容の記事を途中まで書いていたのだけれど・・・。

世界一周の教育実習〜シルクロード自転車横断10000キロ編〜
教師のたまごが世界に飛び出したっ!! ただの知識で得た観念上の言葉ではなく、実体験に基づいた確信の言葉で、世界の広大さ、大自然の美しさ、生きることの素晴らしさを子どもたちに伝えたい。「世界を見ずして世界を語れるくぁ!!」



上記のDescription(ブログ説明文)と
自転車でシルクロードを横断した行動力を目の当たりにして、何も書けなくなりました。

ひとりだから何もできないんじゃない。
ひとりだからこそできることがある。
そして、あきらめない。




Free Hugs for Korea-Japan Peace (日本人が韓国でフリーハグをしてみた)

ちょうど1年前に一人の教師のたまご(日本人青年)が韓国で行ったこの行動力が
政治家や評論家や、私を含めた大人たちの愚にもならない論理を喝破しています。

パソコンや図書館で資料や本を通した知識で
知ったかぶりの反日(抗日)運動について語ろうとしていた自分が恥ずかしい。




とは言いつつ....では身体も張らず、何も行動しない(できない)人間は
日中・日韓の軋轢問題について、何も語る資格がないかと言えば...それは否。

樹懶庵(じゅらいあん)

「樹懶庵じゅらいあん」
研究所勤務のオヤジで、専攻は人口学。専門以外の関心領域は、数学、懐疑論、朝鮮史など。趣味は昼寝。極度の出不精で休日は引篭り状態。動くのが嫌いなので前世は樹懶=ナマケモノに決定。
ナマケモノと自嘲されていますが、日・中・韓(朝)の三国間の歴史教育(歴史認識)や、欧米からみた日本・中国・韓国(朝鮮)を、これほど要点をまとめて整理したサイトは比類がないと思われる秀逸サイトです。

確かに現在の日中・日韓の摩擦は、為政者の「思惑・情報操作」や、ごく一部の「欲・功名心」に駆られた行為など、言い出せば切りがないほどの「吐き言葉」を挙げることができるけど。(例えば従軍慰安婦問題の日本側なら、植村隆(朝日新聞)・吉田清治・福島瑞穂・河野洋平etc)
でも、これら4人が存在しなかったとしても、現在の状況にそんなに変わりはないような気がします。

古の賢人は森羅万象の深奥を観相し
現代の愚者は情報の奔流に狂騒す

電脳の発育は音速に勝ると云えども
有用な知見は砂中に黄金を求むるが如し

ここに樹懶庵亭主漫然と愚考に耽り
亦無用な知識の堆積を重ねんとす


樹懶庵の亭主は『愚考に耽り、無用な知識の堆積』と...謙遜されていますが
電脳樹懶(=私)は、「この庵の読破」でかなり、有用な知見を賜りました。

ご興味のある方は、端折り読みでもご一読をおすすめします。
文書量が膨大なので速読するコツは、ウィンドウの幅を調節して
一行35文字程度になるような窓サイズにして読むことです(^^;)

2012年08月21日

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私の声が聞こえますか / EAST ASIA

昭和50年代の追憶

私の声が聞こえますか...って。この記事は6年前(2006年)に、TVで「激闘大家族、青木家完全密着」という特番があり。その長女あざみちゃんから、ふと中島みゆきのファーストアルバム【私の声が聞こえますか】の思い出を書いた記事でした。

私の声が聞こえますか(中島みゆきファーストアルバム)

中島みゆき(昭和51年).あぶな坂を越えたところに あたしは 住んでいる
坂を越えてくる人たちは みんな けがをしてくる


この詞ですぐに中島みゆきだ!
と浮かんだなら生粋のみゆきファンでしょうね♪

昭和50年(1975年)に発売された「時代」が中島みゆきのデビュー曲だと思っている人が多いようですが、「時代」はセカンドシングルで中島みゆきのレコードデビュー曲は「アザミ嬢のララバイ」です。

翌、昭和51年(1976年)私が高3の春にファーストアルバムが発売されました。
そのアルバムタイトルが【私の声が聞こえますか】


【私の声が聞こえますか】のA面の出だしが「あぶな坂」で、最後が「アザミ嬢のララバイ」。
B面のエンディングが「時代」でした。

当時、先輩にダビングしてもらったアルバムのカセットテープを押すと、真っ先に 「あぶな坂」が流れてきて、実はどの曲よりも私の耳に残っている曲です。

中島みゆきの歌はどちらかというと、暗いイメージの詩が多いです。
昭和55年(1980年)発売のアルバム名は【生きていてもいいですか】
しかも、出だしの曲は「うらみます」だし(^^;)

しかし、中島みゆきの詞の底流にあるのは応援歌だと思います。
泣きたいときには思いっきり泣け!とことんまで自分を悲しめ。
でも明日からは、はい上がってこい!立ち上がれ。....と。


-ここから追記分-

中島みゆきの「世情」は、昭和53年:私が20歳の年(1978年)に発売されたアルバム【愛していると云ってくれ】のエンディングの曲。
金八先生でも使われたそうですが、当時の私は学費&生活費の一切をセルフするためアルバイトに明け暮れていたので、その番組は見ていませんでした。

愛していると云ってくれ(中島みゆき).jpgシュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を 
見たがる者たちと 戦うため

世の中はとても 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつも ついている

包帯のような 嘘を 見破ることで
学者は 世間を 見たような気になる



34年前に、こんな歌詞を中島みゆきは書いていた訳ですが。

 中島みゆきが還暦を迎えた今年、2012年。
「再稼働反対の声が聞こえますか」「反日(抗日)運動の声が聞こえますか」
という「世情」になってしまいました。


19年前の1993年《最後の女神の意外な素顔》と題された中島みゆき&筑紫哲也の対談

【Part01】
中島:「たぶん私の場合は、時間の捉え方が、1年とか10年とかという数え方じゃないのかも。」

筑紫:「そういう人に(日々出来事が刻々変わる)ニュース番組のテーマ曲をお願いしちゃって
   大変申し訳ない。そういう点では、ふだんと違うものを作らなくっちゃという感じはあった?」

中島:「私に出来る事って言ったら
   たぶん、日々起こる事の、底に流れている事を見ることができることかな?と思います。
   人間の心の熱みたいなもの。そういうところから出来事は起こってくるんだという
   その大元のところの歌にしたいな...そういう願いで作りました。」

【Part02】
筑紫:「夜会はコンサートというよりは、ワンマンミュージカルみたいな・・・」

中島:「あくまでもこれは言葉を目指している実験劇場なので・・・」
   「言葉の得体の知れなさ..っていうところに魅入られています。」
   「一つの言葉が、いろんな条件で変わっていく。言葉そのものが問題なんじゃなくて。」
   「それをどういうつもり言おうとしたか?どういうつもりで聞こうとしたか?」
   「その意識が出会う時に、言霊(ことだま)っていうものが生まれていると思うので...」
   「見えなくて、届きそうで届かない言霊...」
   「それをなんとか掴まえようとすることにエネルギーをかけているような気がします。」

筑紫:「ただ、歌っていうのがすごいのは・・・。」
   「みゆきさんが伝えた言葉を受け取った側は、勝手に乱反射すると思います。」
   「作者が想像もしない方向に、てんでんばらばらに乱反射していると思うのですが。」

中島:「自分の歌は、鍋釜やザルや箒と同じように、実用品として役立てて頂けるのが夢です。」
   「それを使って、生きて行くのが便利になったり・・・」
   「何か気晴らしになったり、そういう事で使って頂ければ充分だと。」
   「私の作品は、実用品コーナーでお買い求めください(笑)っていう気持ちがあるんです。」


2012年の夏、日中・日韓で・・・・

うらみますうらみます あたしやさしくなんかないもの
うらみますいいやつだと 思われなくていいもの
うらみますうらみます あんたのこと死ぬまで


...でも。中島みゆき実用品コーナーのEAST ASIAには

EAST ASIA(中島みゆき).jpg大きな力にいつも従わされても
私の心は笑っている
こんな力だけで 心まで縛れはしない
  くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
  むずかしくは知らない ただEAST ASIA

世界の場所を教える地図は
誰でも 自分が真ん中だと言い張る
私のくにをどこかに乗せて 地球は
くすくす笑いながら 回ってゆく
  くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
  むずかしくは知らない ただEAST ASIA

  くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
  むずかしくは知らない ただEAST ASIA



2006年5月10日筆...2012年8月23日加筆

2012年08月22日

posted by たすけ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和50年代の追憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

渋谷区公園通り / ゴールデンスキリット・フライドチキン

昭和50年代の追憶

自転車でシルクロードを横断し「世界を見ずして世界を語れるくぁ!!」の桑原青年の行動力と言葉に圧倒され、何も書けなくなってしまったので...しばらく私の20代頃の追憶記事の書き直しをしながら、頭を冷やそうと思いますf(^、^;

IENA SLOBE ゴールデンスキリットフライドチキン渋谷公園通リ店のあった場所

私の学生時代の最初のバイトは、1978年(昭和53)に渋谷公園通りの「たばこと塩の博物館」に隣接している【ゴールデンスキリットフライドチキン】でのアルバイトでした。2012年現在、ゴールデンスキリット・フライドチキン渋谷店があった場所は「IENA SLOBE」というブティックになっています。

家の事情で大学を休学した為、わずか半年ほどのアルバイトでしたが、まだ真新しい公園通り(昭和47年パルコの開店を機に、区役所通りから渋谷公園通りに)では、バイトに向かう途中でよく、ファッション雑誌の撮影やドラマのロケ隊と遭遇し、あぁ〜絵になる街だなぁと、この街で働いていることが何故か誇らしく感じられて嬉しかったなぁ。

バイト店のはす向かいには、東武ホテルがやパルコ劇場があり、また坂のすぐ上にはNHKホールや渋谷公会堂があったので、いわゆるギョーカイ人の常連客も多かったです。当時からファンだった中島みゆきさんも、何度となく来店しましたが、いつもテイクアウト専門でした。
地方(田舎)の道端で突然芸能人とかを見かければ驚きもしますし、店にサインでも飾りますが、一般のお客様も芸能人も、わけ隔てないごく普通の接客応対でした。そういう流儀が、当時の公園通りに店を構えているスタイタスだったのかなぁ。

ゴールデンスキリット・フライドチキンは、当時都内には、ここ渋谷公園通り店と港区大門店の2店しかなかったように記憶しています。その後あまり時間をおかず閉店してしまったので、この店の当時のバイト仲間とは音信は全くありません。
印象に残っているは、恰幅の良いマネージャーさんの独特な「イ〜ラッシャイマセェ〜」という言葉と多古町出身の女子大生の純情で爽やかな笑顔とチーズ薄切り競争かな?(^^;)

そんなチーズ薄切り競争をしたバイト仲間は、場所柄、青学の学生が多く、ある日バイト仲間がレコードを数枚もってきて「これ、うちの学バンのデビューシングルなんだよ」と見せてくれたのが、サザンオールスターズの「勝手にシンドバット」でした。

その後大学に復学し、北区十条駅前の
http://sazaepc-tasuke.seesaa.net/article/12878205.html
喫茶店【トム・ボーイ】のバイトに変わりましたが、その喫茶店においてあった、ジュークボックスで一番選曲されていた曲が「いとしのエリー」でした。
「勝手にシンドバット」と「いとしのエリー」の2つの曲が流れてくると、私の瞼には当時の渋谷区公園通りと北区十条駅前の風景が浮かんできます。

2006年5月4日筆...2012年8月22日加筆

2012年08月23日

posted by たすけ at 09:10 | Comment(4) | TrackBack(0) | 昭和50年代の追憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

赤羽線十条駅前のトムボーイ / TOMBOY.106

昭和50年代の追憶

TOMBOY=おてんば娘 の意味です。
大学1年生の最初のバイトは、渋谷公園通りのフライドチキン屋でしたが。
昭和54年(1979年)に復学して2度目1年生のバイトは赤羽線十条駅前の喫茶店トムボーイから始まりました。

埼京線十条駅前のトムボーイ

今じゃ国鉄って言わないし、赤羽線も埼京線になってしまいましたが、つい赤羽線十条駅と言ってしまいますf(^、^;
トムボーイ自体も今では、十条本店の他、池袋や渋谷にも支店を持つ、トムボーイカフェとなりました。

昭和のトムボーイは、東十条駅前に本店(今はコンビニ)があり、十条駅前が支店でした。
私がバイトした当時、十条支店は東京家政大学と東京成徳短期大学の女子大生と地元の若者で客の9割を占めていました。なので、十条支店は大学が夏休みになると、店も長期夏休み休業となり、バイト仲間はサーファーが多かったので、新島や神津島の海の家(アクセサリーショップ)に出稼ぎに行きました。私はサーファーではなかったので、毎年夏休みは那須高原のレストランに住み込みアルバイトの出稼ぎに行ってました。

実は、トムボーイのマスターはデザイン芸術家であり、喫茶店の他に看板やディスプレイ・宝飾等の企画の会社も経営していて、新島や神津島や海の家で販売するアクセサリー製作も仕事の一貫でした。そんな縁もあり、新島産の抗火石で造った渋谷駅前にある「モヤイ像」はトムボーイのマスターと当時の仲間が彫ったものです。

トムボーイカフェ(十条店)

昨年2011年の秋に十条店は改装し、エントランスはすっかり変わってしまいましたが、モヤイ像を造る以前に、当時の仲間みんなで取り付けた店内のエジプト風の抗火石壁画は当時のままです。

私が十条支店でバイトを始めた当初は営業時間も午前0時までだったので、支店のバイトだけでなんとか生活ができていたのですが、後に営業時間が短縮され、東十条本店(午前2時まで営業)のシフトに入れてもらったりしていました。それでも生活費を稼ぐには時間数が足りず、やがて十条106から、渋谷109でのバイトに変わりました。

でもバイト先が変わっても、互いのアパートや下宿先を行き来して、トムボーイ仲間とは銭湯に通ったり、酒を酌み交わしたり、麻雀をしたり。赤羽線十条駅界隈は、学生時代一番多くの時間を共に暮らした「俺たちの旅的仲間」のとても懐かしい街です。

トムボーイ01

当時のバイト仲間は、ほぼ全員仕送り無しで自活する夜間大学・専門学生で、たいてい愛称がついていました。この写真は誰の部屋か思い出せないけれど...
当時の十条仲間のツチヤ・ジミー・カースケ・あんちゃん・万吉で。紅一点のイクちゃん?
が作ってくれた食事をご馳走になっているシーンですf(^、^;

2006年5月22日筆...2012年8月24日加筆

2012年08月24日

posted by たすけ at 21:49 | Comment(4) | TrackBack(0) | 昭和50年代の追憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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